矜持と本能 一

これの続き
鹿児島弁が間違っていても許してください。

[chapter:一] 「笹貫って性欲とかある?」 「は?」  ざぱん、と打ち付けた波が岩にぶつかり、飛沫を上げる。空は曇天、風は強く、水面も大きくうねっていた。  顔に海水がかかった笹貫が髪をかきあげる。その仕草をがじっと見つめていた。額が[[rb:顕 > あらわ]]になると、その顔立ちは尚のことの恋人とよく似ている。その眼差しがくすぐったく、笹貫はすぐに前髪を指先で整えた。 「えーっと……今のはジョーダン?」 「笹貫って性欲とかある?」 「お、ちゃんと言い直してくれるんだ」  激しい波の音による聞き間違いだろう。そう片付けようとした笹貫だが、は恥じらう様子もなく、あけすけな質問を再び投げかけた。この話続けるんだ? と、彼は苦笑する。  この本丸の南部には林があり、そのさらに奥には海が広がっている。林の道は険しく、普段はあまり人が寄りつくことはない。海に馴染み深い刀剣男士らが浜遊びをしたり海を眺めにくることはあるが、それでも大抵は砂浜の方へ足を伸ばすため、この岩場にやってくる者は滅多に現れなかった。  は時折、この海辺で笹貫に恋愛相談を持ちかける。これは、と波平行安が結ばれるにあたって起きた一事件に端を発する習慣だ。笹貫もその事件の関係者であり、の交際相手の身内であるために、責任を感じてこうして相談に乗ってやっていた。 「で、性欲?」 「うん」 「あるよ」 「あるんだ」  は俗っぽい話題に不釣り合いな子供っぽい顔つきで目を輝かせた。分かりやすく食いついた彼女に、笹貫は苦笑する。これ以上喋んないといけない? と。 「え、じゃあどうするの?」 「どうするって……まあ、ここのやつは遡行先で発散してたりするんじゃないか?」 「笹貫は?」 「オレは……波と戯れてたら落ち着くタイプ」 「絶対嘘じゃん」 「これホント」  なぜ今代の主に、しかも身内の恋人に性事情を明かさねばならないのか。困惑を顔に出さないように努め、笹貫は適当な文句を考える。おもむろに岩の間に溜まった海水に指をつけると、そこで暮らしていた小魚たちは驚いて、ワッと岩陰に身を隠した。 「こう、ちゃぷちゃぷーってね」 「ええ……? まあ、人にはそれぞれの性癖があるか……」 「…………はは」  ——それはそれでどえらい勘違いされてる気がするが、……まあ根掘り葉掘り聞かれるよりはマシか。  の好奇心から逃れる代償として、波に興奮するタイプの異常性癖男というレッテルを貼られた笹貫は、荒れる海を見るのがなんだか後ろめたくなり、今度は岩場のミゾに視線をやった。海虫が今日も元気に走り回っている。 「で、今日は恋バナじゃなくて猥談?」  これ以上この話を続けられては堪らない。身も蓋もない問いには意味があるはずだ。真にが話したいことを探るべく、笹貫は言葉を投げかけた。 「波平も……あるってこと?」 「性欲? あるだろ、オレにあるんだから」 「ええー……」  項垂れ、抱えた膝に額をつけたの足元に、小さなカニが寄り付いている。笹貫はそれをつまんでそっと逃してやった。  他人に対しては臆面なく使う単語を恋人の名前と並べることを躊躇うあたり、やはり乙女だなと彼は思った。  波平行安とは事件の後、互いの気持ちを確かめ合い、本丸公認の恋人同士となった。  怒りに任せて味方に斬りかかるような刀を主の恋人にしておいてもいいのか? という問題に関しては、刀剣男士の間でも大きく意見が割れた。けれど、謹慎中の波平行安の態度を見て、肯定的な意見を持った者が多いようだった。  なにより、他でもないが——これまで、年頃の娘らしい楽しみを削って戦に身を投じてきた彼女が、恋をしているというのだ。彼女を慕う者たちは、その気持ちを無碍にできない。  あんなことがあったというのに現状目立った反対派閥がいないのは彼女の人徳というべきか。うまいことおさまったものだなと笹貫は思っていた。  今後、また母親から縁談を持ちかけられた時のためにもその縁を強固にしておくべきだ——そんな始まりの一振りの提案により、これまで持ち回りで行っていた近侍の役割は、波平行安が務めることとなった。そのため、ふたりの距離はぐっと縮まったはずである。  は好きな人の前ではより活力が増す性分であるらしく、恋にうつつを抜かし手を抜くどころか、これまで以上に精力的に任務に取り組み、熱心に戦術を学んでいる。傍から見る分には何もかもがうまく回っているようだったのだが、実情はそうではないらしい。 「波平がさ……なにもしてくれない……」 「あー……」  身内の生々しい話を聞かされ、胸の辺りに妙な気が広がる。あまり耳に入れたい話ではないが、には他に相談相手がいない。それを知っている笹貫は、なんとかして彼女の納得がいく答えを見つけてやれないか、と頭を働かせた。なるべく、自分が心に傷を負わない方向で。  波平行安の堅物ぶりは、笹貫が一番よく知っている。なにせ、[[rb:笹貫 > 柔軟さ]]が抜けた波平一門から、さらに必要なものだけを研ぎ澄ませ、残った存在が彼であるので。  武器としての意識が強く、審神者と相思相愛の仲であると分かっていながら、古い価値観から結ばれようとしなかった。それどころか人間の男と一緒になるべきだなどと突っぱねてを傷つけたあげく、笹貫が彼女と抱き合っているのを見て、話も聞かずに斬りかかるような男である。考え方が古い上に凝り固まっている。  こんな不器用な男に惚れたもまた難儀なひとだが、笹貫は割と——結構かなり、この本丸とに愛着を持ってしまっている。彼女がこうやって眉を下げて湿っているのを見ては、放っておけなかった。 「近侍になって結構経つけど……仕事以外で二人になることってある?」 「それは……ないかも」 「じゃあそこからだ。アイツのことだから、公私混同は厳禁、って仕事中は主のカレシであることすら忘れてるよ、きっと」 「……それは、私も混同すべきじゃないと思ってる。波平のことは好きだけど、みんなのことも大事だし」  笹貫のこともね、と言わんばかりに見上げられ、笹貫は心臓のあたりがグッと熱くなるのを感じた。手足が生えても根っこは物であるので、どんな流れでも持ち主に大事に思われるのは喜ばしいことだ。本能的に湧き上がる歓喜が照れ臭くて、笹貫は再び小魚の棲家を指先で掻き乱す。 「でも二人きりになるって言ったってね、本丸の中じゃ難しいよ」 「それは確かに。……いや」 「ん?」 「今ってオレたち、ふたりきり?」 「何急に……もしかして、波平をここに誘き出すってこと? それは名案かも! ……あっ、でも」  と手を叩いた直後に、何かを思い出した様子のはがっくりと肩を落した。  忙しなくコロコロ表情を変える様は、見ていて飽きさせない。この本丸の古株がこぞって過保護なのは、無邪気な彼女を守ってやりたいと絆された結果なのだろうと笹貫は思った。 「波平ってお話ししようって誘ったら部屋の中で座って、ってタイプじゃん。よく言われるの、話を聞いて欲しいならまず座れって」 「ああ……こういう場所でって考えはなさそうだな」 「うーん、やっぱり厳しいかも……」  審神者は小さな唸り声を上げながら俯いた。  一際大きな波が、岩場にせり寄せる。広い空は、いつしか厚い雲に覆われていた。今日の夕方から翌日にかけて雨が降る、と雲次が言っていたんだか——空を見上げた笹貫はそんなことを思い出し、腰を上げてに手を差し出した。 「今日はこの辺にするか。波が荒れてる。一雨きそうだ」 「ほんとだ。よっと……」  躊躇なく笹貫の手を掴んだを引っ張り上げてやり、岩場を越えるまでの道のりを導く。別にこんなことを後ろめたく感じる性質ではなかったが、今こうして何気なく繋いでいる手すら波平行安に触れることはないのだと思うと、彼女があんまりにも哀れだった。  平坦な道になったところで手を離し、林を抜ける。木々の中ではより空気が湿っているように感じて、を置いていかぬよう気を配りながら、笹貫は少しだけ足を速めた。 [newpage]  それから二日後、笹貫は畑にいた。借り物の長ジャージと帽子、軍手、スニーカーを身につけて。  今日の畑当番は笹貫と桑名江である。  朝食の前、食堂の壁に張り出された当番表に顔を顰めた笹貫は、自分の隣に下がった札を見るなり逃れることを諦めた。刀剣男士生活もそこそこ長くなってきて、抵抗していい相手とそうでない相手の区別はつくようになっていた。  いつも通りのTシャツ半パン姿で、渋々所定の場所へ向かう。すでに待っていた桑名江は、笹貫をつま先からつむじまでジロジロ眺めたのち、「うん、着替えてきて」と部屋を指差した。 「今日は草刈りを重点的にやるから、その格好だと草で肌を傷つけるよ」 「そ? いつもコレだけど」 「作業着を持ってないなら僕のを貸してあげる。持ってくるからそこの部屋で脱いでて」 「こっちも凝り固まってるかぁ」  畑仕事に関してのみ尋常でない頑なさを発揮する桑名江に部屋に押し込まれ、笹貫は上下共に彼の変えのジャージへと着替えた。  笹貫と桑名江では、少しだけ桑名江の方が体が大きい。少し大きなジャージを着た笹貫のシルエットは、波平行安のそれとよく似ていた。水たまりに映る自分を見てそれに気づいた笹貫は、人目に触れないよう畑へ急いだ。  土は前日の雨でぬかるんでいる。場所によっては、踏んだだけで泥が跳ねてしまう程に緩んでいた。いつもの格好のままでは、パンダの顔が汚れてしまいかねない。ワッペンの汚れは落ちにくそうだし、着替えておいてよかったか、と思い直した。  桑名江の指示通り指定された区画の草を刈っていると、急に太陽が遮られ、頭上が暗くなった。集中力はすでに途切れ、土から顔を出す虫ばかり見ていた笹貫が顔を上げると、そこには波平行安が立っていた。 「……何、変わってくれんの?」 「ほがなかこっを……」  刈ったばかりの草を掴んだ手を突き出すと、波平行安は怪訝に眉をひそめた。 「主殿が見当たらん。どこにおるか知っちょっか?」 「主? 今日は会ってないけど」  笹貫は今朝からの記憶を掘り返してみたが、彼女の姿を見た覚えはない。今朝は寝坊して朝食の時間に遅れてしまったし、食堂から出るところで桑名江に捕まって「準備ができたら蔵の前に来てね」と有無を言わせぬ語気で指示され、そこからはずっと畑にいた。 「乱さぁが、お前とおるところをよう見かくっち言うちょった」 「ああ、そう」  本当はお前なんかに聞きたくない、とでも言いたげな平べったい声で波平行安は付け加える。笹貫は隣の区画で作業をしている桑名江をチラリと横目で見てから、彼女がいそうな場所を考えた。  手が空いている時間、は短刀や彼女をかまいたがる刀と遊んでいることが多い。が、乱藤四郎が彼女の遊び相手の筆頭であるので、彼伝いに笹貫の名が出たということはその辺りはすでに当たっていることだろう。  とはいえ、笹貫と彼女が共に過ごすのはあの岩場くらいのものだ。林を一人で抜けるのを禁じられているため、彼女がそれをきちんと守っていれば、あそこに行くはずはない。しかし、他に本丸の中で彼女が行きそうな場所は思い当たらなかった。  先日の彼女は、少しばかり思い詰めているようにも見えた。らしくないあけすけな質問なんかしていたのがその証拠だ。  ——だったら一人でこっそり……なんてこともあるか?   笹貫が黙り込むと、「あてがあっなら早よ言え」と波平行安は急かした。 「[[rb:本丸 > ここ]]の海、行ったことある?」 「は?」 「南の方の……林の奥。あそこを西にまっすぐ進んだとこに岩場がある。そこかも」 「…………」  波平行安は顎に手を添えて考え込む。するとふたりが話し込んでいることに気付いた桑名江が、声をかけた。 「笹貫、おわったぁ?」 「もーちょい!」  サボっていると誤解されたら面倒なことになる。笹貫は行くなら行け、と手で波平行安に示した。  南へ向かった彼の背中を見つめながら、笹貫はぼんやりと思う。あの場所を教えてしまったのは、少し惜しかったかもしれない、と。 [newpage]  ひとりで歩く林は、の想像以上に険しい道のりだった。  笹貫と海岸へ通う習慣ができて、あの草木の生い茂る獣道にも慣れたものだと思っていたが、それは大きな勘違いであった。何度も転びかけた上に、手をついた先の木で皮膚を擦ってしまい、気付かないうちに傷だらけになっている。はいかに笹貫が歩きやすい道を選んでくれていたかを身を以て知ることとなった。開けた砂浜に着いた頃にはすっかりくたびれて、目的地に到着したばかりだというのに既に帰路が億劫になっていた。  ぬかるんだ砂浜は足が沈んで歩き辛い。それを越えてやっと岩場に着いたかと思うと、今度は打ち上がって乾いていた海藻が雨水を吸って滑り気を帯び、歩みの邪魔をする。もう二度とひとりで来ない、と後悔しながら、四苦八苦の末にはなんとか定位置にまで辿り着いた。  水位が増した海は、普段より濁って見える。未だスッキリしない天気の影響で水平線はぼやけ、辺り一面埃を被ったみたいだった。  執務室を抜け出したことに、深い理由はなかった。  仕事に一区切りついて一息入れる間に頭を過ったのは例の悩みだ。近侍であり恋人である波平行安を前にすると息が苦しくなり、開放を求めた先がこの岩場だった。  が、道中は険しく、その先の海にはいつもの清々しさはなく、期待は大いに裏切られた。  灰色の海を前に、は深いため息をつく。ついでに電子端末を執務室に置いてきてしまったために、物分かりが良さそうな刀に迎えを頼むことも、時間を知ることもできない。悩んでいる時に思いつきで行動なんかするもんじゃないな、と頭を抱えた。  ふと、しゃり、と砂浜を踏み締める音がの耳に届く。こちらへ近づいてくる足音はひとつだけ。この場所に来るのは、教えてくれた張本人だけだ。  ——今日は畑当番に当たっていた気がするけど、サボりかな?  背後の気配に胸を浮かせながら、審神者はあえてそちらを振り返らず、海を眺めた。  近寄ってくる何者かの足場が変わったのか、砂が擦れる音が途絶える。そろそろ気付いたことにしてもいいか、と後ろについた手に体重を預けた瞬間だった。 「……主殿」 「うぇっ!?」  思いがけない相手に呼びかけられ、は奇妙な声をあげた。ぬるり、と手のひらが何かで滑る。ああワカメ——と、思考が追いついたのは手遅れになってからで、重心が崩れ、あっという間に体は岩の上を転がって——海へと落ちた。  必死に目を瞑り、口を閉ざす。手を伸ばした先が空なのか海底なのかもわからないままに、波に抗った。  陸からの距離を考えると水深は知れているはずだが、足をばたつかせても水以外の何にも触れることはなく、いくら沈んでも尚、一向に底に着く気配がない。  ふくらはぎに嫌な痛みが走る。思わず顔を顰めると、口に海水が流れ込んできた。  これはまずい、と頭が危険信号をかき鳴らす。死を覚悟したその瞬間、は背後から強い力で引っ張られた。 「っぷあ」 「……っ、主殿!」  気がつけばは、浜に打ち上がっていた。  目を擦り、体を起こすと、波平行安が心配そうに覗き込んでいる。命の危機を前にして、海に落ちる前後数秒の出来事が非現実のように感じられた。確か自分の名を呼んだのは彼だった。驚いて手を滑らせて——と、冷静に現状を顧みる。 「なみのひら」 「意識はありますね、……よかった。すぐに引き上げたので大事はないかと思いますが、御怪我はされていませんか」 「えっ、あ、大丈夫……」  は四肢を動かし、全身を見回した。少し海水を飲み、足を攣りかけたこと以外は特に問題はなさそうだ。沁みる擦り傷は、林で作ったものばかりである。身体に不調はないか、入念に確かめる波平行安に、は「大丈夫だから」「無事です」と繰り返した。  互いに着衣のまま海に飛び込んだため、と波平行安はつむじからつま先まで水浸しになってしまった。水を吸った衣服は重く、体に張り付いて不快だ。波平行安は疎ましそうに顔にかかった髪を避けていた。 「着替えようにも、林を抜けなくてはなりませんね。本丸の者に連絡を取れれば良かったのですが……」 「あ、それなら」  この後どうすべきかを思案する波平行安を前に、はお誂え向きの場所があることを思い出す。ふたりは砂浜を歩き、ある場所へと向かった。  浜の隅、岩場と反対側に位置する場所には、小さな木造の小屋が立っている。これは琉球刀を中心に浜遊びをする習慣のある刀剣男士らが着替えたり身体を休めたりするための場所で、彼らが管理していた。  扉には鍵はかかっておらず、開いたことには安堵する。海水浴のシーズンは終わったが、たびたび利用されているのか手入れは行き届いていた。 「ここは……」 「みんなは海の家って呼んでる。って、そのままだけどね。ここなら着替えとかタオルとかあるから、借りちゃおう。流石にこのまま帰るのはね」 「……申し訳ありません」 「えっ、なんで謝るの」 「主殿が海へ落ちた責任は、私にあります。私が不用意に声をかけなければあのような事態は——」 「いや、波平にびっくりしたのは本当のことだけど……勝手に滑ったのは私だし。とりあえず、早く着替えよう。風邪ひいちゃう」  どこまでも詫びの言葉を連ねて止まらない様子の彼を黙らせようと、はタオルとTシャツ、ハーフパンツを手渡した。『中』のラベルが貼られた引き出しから取り出したもので、今度は自身のものを探すために『小』の引き出しを開く。おそらくは脇差向けのものと思われるサイズのTシャツとハーフパンツを引っ張り出し、タオルを頭から被った。 「では、着替えて参ります」 「え、どこ行くの」 「外へ。主殿の御前で着替えるわけにはゆきません」 「…………」  波平行安は衣類を手に、小屋を出て行った。  小屋を出る前、彼はちらりとを見て、目を逸らした気がした。取り残されたは、自らの姿を改めて確かめる。びっちょりと濡れた衣服は、下着の色が透けるどころか紐やらワイヤーやらの凹凸までもがはっきりわかるくらい浮いていた。  刀の付喪神といえど男百人以上との共同生活、必要以上に性を意識しないよう努めてはきたし、周囲もそうであった。  しかし、波平行安に限っては気持ちを通わせた相手だ。真面目で堅物、己に厳しく強い精神力を持つ彼に惚れたとはいえ、一切下心が見えないのも、女としての魅力を感じられていないようで不安になってしまう。 「……もしかして、ちょっと気になったりしたのかな」  言葉にこそしなかったが、わずかな視線の彷徨いには動揺が見えた。従者として己の失態を悔やみ、詫びる中に覗いた心の動きに、はどうしても期待してしまう。脱衣のための手を動かしながら、胸の内が疼くのを感じていた。  濡れてしまった下着を取り去り、身体を拭ったタオルで挟み込む。Tシャツとハーフパンツを着ると、胸の形が浮いてしまうのが気になったので、乾いたタオルを首にかけ、その裾を襟に忍ばせた。  着替えを済ませたあと、は小屋に波平行安を招き入れた。中に取り付けられたベンチに腰掛け、隣に座るよう促すと、彼は素直に従った。 「靴もびちゃびちゃだね、さすがに靴の替えはなかったなあ」 「歩くのが億劫でしたら、抱えて帰ります」 「い、いいよ! 歩けるから」  反射的に返事をしてから、惜しいことをしたかもしれない、なんては口を噤む。が、下着も着けていない状態で身体に触られるのはいくら衣服越しといえどまずい気がすると思い直し、首を横に振った。ひとりで百面相をするを波平行安が不思議そうに眺めていることに気付き、は話題を変えようとした。 「波平、眼鏡は?」 「海に落としてしまったようですね」 「えっ、ごめん……」 「支障はありません」  ここまで気が付かなかったなんて、どれほど気が動転していたのだろう。波平行安の顔に目をやると、髪を結っていない時につけている眼鏡が知らぬ間になくなっていた。  刀剣男士は戦うための肉体であるため、人間よりも身体能力が強化されている。短刀や山に縁のある刀剣男士は特に視力がいいようで、驚くほど先のものまで視認できる。  眼鏡をかけている刀剣男士は他にも数振りいて、戦闘後にそれらが使い物にならない状態で帰ってくることもあるが、戦いに影響は出ていない様子だ。つまりはあってもなくてもかまわない、波平行安の言う通り支障のないものなのだろう。  いったいなぜ、と疑問を抱けばきりがなく、そもそも刀剣男士がそれぞれ整った容姿を持って顕現していることだって、必要がないといえばないのだ。戦における効率を重視するならば、時間遡行軍のような物々しい見た目になっていたっておかしくはない。  それこそが人に愛され、物語として語り継がれてその身を得た刀剣男士と時間遡行軍の違いかもしれない。  ——と、あれこれ考えながら、は目の前の恋人の顔に見惚れていた。 「なんか、新鮮な感じがする」 「そうでしょうか」 「うん。私、波平が眼鏡かけてるの結構好き。あ、いつものもかっこいいと思うけど」  髪を下ろし目元を遮るもののない波平行安の姿は、角が取れたように幼い印象を与える。その様はいつもより気安く感じられ、は無意識に顔を近づけていた。  海色の眼差しはそれを咎めることなく、ふたりの距離は縮んでいく。ふたりの間にあったはずの隙間はいつの間にかなくなって、腰がぴたりとくっついた。  近すぎたかもしれない、とははっと我に帰る。 「っていうか、顔が好き……あっ、えっと、だから好きになったってわけではないんだけどね」 「主殿」  途切れた会話を無理矢理起こそうとして口にした、誰に対してでもない言い訳が制される。膝の上に置いていたの手は、いつの間にか波平行安に握られていた。  口を閉じてください、と咎められた気がした。言われるがままが唇を噤むと、波平行安が顔を近付ける。  互いに吸い寄せられるように距離を縮め、気付けば波平行安の顔はの鼻先にまで迫っていた。激しい鼓動の合間に、不思議と潮騒が聞こえる。心地よいそれに流されるように、はそっと瞼を下ろし、波平行安に身を委ね、そして、唇が—— 「紛失した装飾品は本丸総務部を通して時の政府に申請できます」 「ぎゃーッ!?」  ふたりの甘い空気に割って入った第三者の声に、審神者は思わず悲鳴を上げた。  波平行安を突き飛ばして部屋の隅に逃げ、肩にかけていたタオルを頭から被る。その隙間から声のした方向——小屋の出入り口を見ると、閉めていたはずの扉は開かれ、そこに寄り掛かるようにして安宅切が立っていた。 「ぐ、軍師様……」 「はい、あなたの軍師です」  語尾にハートマークでもつけそうな勢いで、安宅切は妖艶に笑う。波平行安はに突き飛ばされベンチの上で姿勢を崩した状態のまま、呆気にとられていた。 「軍議の前に伺いたいことがあったのですが、主の姿が見えず……心配で探しにきました。笹貫さんが主は波平さんと海にいるかもしれない、と仰っていたので、もしや逢引中かと思って覗いてみた……と、そんなところです」 「逢引き中だと思ったならもうちょっと気を使ってくれない?」 「長引かれても困りますから」 「…………」  言葉の意味を理解して、は顔を赤らめる。波平行安はすでに姿勢を正し、居心地悪そうにと安宅切のやり取りを見守っていた。 「ですが、その様子だとすぐに軍議に入るのは難しそうですね。日時を改めましょうか。私から伝えておきますから、おふたりは湯浴みをなさってください」 「先に釘刺しとくけど、変な誤解を招くような説明しないでね?」 「信用がないですねぇ」  その後、は前を安宅切、後ろを波平行安に挟まれ林を抜け、本丸へと戻った。  水浸しのスニーカーからは一歩ごとに海水が滲み出てひどく不快だ。ただでさえ荒れた足場をそんな状態で進むため、度々姿勢を崩してはどちらかに支えられる始末である。 「よくそんなご様子で一人で林を越えようと思いましたね」 「同意見です」  安宅切の辛辣な言葉に波平行安も深く頷いて同意する。は身を縮こまらせ、反省の意を主張することしかできなかった。 [newpage] 「軍議は夕食後に行うと通達しておきます」  と安宅切に言われ、は風呂場へと向かった。海水塗れの全身を洗い、湯に浸かって冷えた体を温め、髪を乾かした頃には夕食の時間になっていた。 「ああ、主。軍議の件は聞いたよ。昼間は災難だったようだね」 「ごめんね、時間ずらしてもらって」  食堂へ向かう道中、に声をかけてきたのは石田正宗だった。  彼は第二部隊の隊長を務めており、件の軍議にも参加予定だった。安宅切からの連絡を受け、の身を案じていたようだ。 「あのさ、ちなみになんて聞いた?」 「ん? ああ……先に安宅切の方から予定変更の知らせを聞いて、先ほど波平行安が安宅切と一緒に謝罪に来たよ。自分のせいで君が海に落ちてしまったと申し訳なさそうにしていた」 「波平が?」  林を抜ける道中、は海に落ちるまでの経緯を安宅切に話した。それでもひとりで海へ向かったことを伏せ、逢引中の事故ということにしたのは、言いつけを破ったを庇ってのことだろう。それが過保護な始まりの一振りの耳に入れば、今度は小言で軍議どころではなくなってしまう。  話の通じる軍師の顔を思い浮かべ、審神者は胸の内で感謝を述べた。  食堂の中に入ると、後家兼光が炊飯器の前で配膳の準備をしている。同じく軍議に参加予定だった彼に、は同様の質問をしたところ、後家兼光も概ね石田正宗と同じように聞いている様子であった。 「ここの海はそこまで冷たくないだろうけど、さすがに海水浴のできる水温じゃないだろうしね、大事なかったなら安心。ところで、ボクはデートがどうだったかに関心があるんだけど……」 「えっ!? それは……」  彼の場合はふたりの仲睦まじい関係に興味を惹かれたようで、の身に大事ないとわかるや否や、デートの内容について掘り下げようとした。それをはぐらかすと「いいね、愛だね……」としみじみ語りながらとんでもない量の白米を茶碗に盛り始めたので、は必死に減らしてくれとせがんだ。  軍議を終えた後、はそばに着いていた波平行安に「今日の近侍の仕事はおしまい」と伝え、先に部屋を出るよう促した。部屋に残ったのはと、後始末を買って出た安宅切、ふたりだけである。 「安宅、今日はありがとうね。その、いろいろと」 「当然のことをしたまでです。それに、私は予定変更の伝達をしただけで……事情を話して回りたい、と言ったのは波平さんですよ」 「波平が?」 「ええ」  がゆっくり湯に浸かって温まっていた頃、波平行安は身形を整えた後すぐに安宅切の元を訪ねたそうだ。  急な予定変更に責任を感じ、関係者各位に謝罪をして回りたいが、の顔を潰すわけにもいかない。安宅切は本丸に顕現して早々に、その能力を買われ軍師として戦術面で審神者の補佐役を任されている。そんな彼に立ち回りを相談しにきたのだった。 「主殿に恥をかかせるわけにはいかない、しかし自分は口が立つ方ではないから、言葉足らずで誤解をされては困る……と、そんなことを言っておられました。私は少々口添えをしたまでです」 「そうなんだ……」 「彼、少しだけへし切様に似ていますね」  安宅切がくすりと笑う。その表情は楽し気で、波平行安を好意的にみていることが伺えた。 「ああ、そういえば。主の耳に入れておきたいことが一点」 「ん、なに?」  安宅切は軍議の書類の下から、一枚の紙を取り出した。カラー印刷のそれは一見チラシのようなレイアウトで、時の政府のマークが隅に印字されている。  時の政府からの知らせは、任務に関するものとそうでないものに振り分けた後、後者には目を通さないまま総務部に押し付けている。資材や道具のセールは経理部へ回され、その他総務部が必要だと判断したものに関してはに知らされる、という仕組みだ。 「宿泊モニター……?」 「時の政府が現世に用意した施設のモニターを募集しているようです。名目はさておき、使えるものは使って損はないかと」 「……というと?」 「今日は邪魔してしまいましたので、今度こそ是非二人きりで」  浮かべる笑みは紛れもなく策士のもの。  モニターを受けた者には謝礼として心ばかりの資材と道具が贈られる。これを名目にすれば言い訳は十分に立つし、近侍である波平行安を連れて行くのも自然なことだ。下心が透けているのは隠し切れないが、生を受けて二十余年のが何をしていたって、この本丸の面々にはかわいらしく映るだろう。  は安宅切の微笑とチラシを交互に見比べたのち、思わず彼の手を握った。 「安宅切、うちに来てくれて本当にありがとう……」 「光栄です。では、手続きはこちらで進めておきますね」  後片付けを終えた安宅切が立ち上がったのを合図に、も部屋を出る。部屋へ向かう道中、波平行安が人知れず自分のために動いてくれていたことへの喜びを噛みしめながら、軍師の次なる策に思いを馳せていた。

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