某月某日、霊力検査を目的とした試験を行います。刀剣男士を一振り伴い、下記指定の時の政府管理施設へお越しください。尚、この時同伴する刀剣男士は人の身に慣れ[[rb:練度 > レベル]]の高い者を推奨致します。 ——たしか、そんなことが書いてあったはずだ。審神者はこんのすけが持ってきた書状の文面を思い出す。丁度その時近侍を務めていた五月雨江が指定された条件に当てはまるため、その場で同行をお願いし、二人はこうして指定された場所まで赴いていた。 この試験を担当する役員に指定された扉を開けると、そこは六畳ほどの狭い部屋だった。学校の保健室のような白い簡素なパイプベッドと、同じく真っ白な小さいチェストだけが置かれている。 審神者らが部屋に入るとひとりでに扉は閉まり、それと同時に鍵のかかる音がした。慌てて五月雨江がドアを調べたが、こちらからはドアノブの類もなく開けられそうにない。二人は顔を見合わせた。 「閉じ込められたようですね。頭、何かこの試験について伺っていますか?」 「ううん。詳しいことは中に説明書があります、って。あ、説明書、あれじゃないかな」 審神者が指さしたのはチェストの天板だった。封筒が置かれており、そのどちらもが眩しい程に白いので境界線を無くし、パッと見ただけでは見逃してしまうかもしれない。審神者が五月雨江を一瞥すると、彼が頷く。封筒の口を開けて中身を検めると、印字された文字がずらりと並ぶA4用紙が二枚入っていた。 「えーと、この本丸は刀剣男士と審神者の接触による霊力の変化を計測するための試験施設です。審神者と刀剣男士には肉体接触ならびに体液交換を行っていただき、計測し……ま、す……?」 審神者の声が戸惑いで不思議な音程を辿る。無機質で事務的な文面からは想像もつかないような内容に、審神者は何か読み違えているかと五月雨江の顔を見た。審神者の後ろから用紙を覗き込んでいた五月雨江は、何かを見定めるように鋭い目つきを細めている。 紙をめくって二枚目の用紙に目を落とす。こちらは表があり、肉体接触ならびに体液交換とやらの内容、その隣には参考時間と書かれた数字が記されている。尚霊力の変化には個人差があるため、参考時間を大きく外れる場合があります、という但し書きもきっちりと添えられていた。 「計測装置が上限に達すると鍵が開錠されます……じゃあこの中の何かしらをしないと出られない、ってことだよね」 「そのようですね。頭、表をよく見せていただけますか」 「う、うん」 審神者は気まずそうな面持ちで五月雨江に二枚目の用紙を手渡した。紫水晶のような美しい眼球が、下品な文字列を撫でていると思うと不思議な心地がする。季語を愛し句を詠む事を喜びとする彼とそういった行為が結び付かず、いったい何を考えているのか予測もつかなかった。 「ごめんね、なんか。こんなことになると思っていなくて……」 「頭が謝ることではありません。計測装置、というのがあるようですね。他の方法で出る手掛かりがあるかもしれませんし、一度部屋の中を調べてみましょう」 敵の懐に入り込み視察をするに長けた忍びの刀だ。こんな不測の事態の中でも冷静沈着な五月雨江を、審神者は心強く思った。 ふたりは手分けして、他に何かないか調査することにした。 しかし、見つかったのはチェストの引き出しの中のミネラルウォーターと、例の計測装置らしきもの、その二つだけだ。ベッドの衣類をひっくり返してみたが目ぼしいものはなく、壁は特殊な結界が張られているのか刀疵ひとつ付かない。数十分経つ頃には、例の書状に記された条件以外に出る方法はないのだと諦めるほかなくなってしまった。 審神者は開錠条件と表を何度も視線でなぞった。何度読み返しても変わることはなく、下世話にも審神者と五月雨江の肉体接触を強要している。 水はあるものの食料はないことから、長期滞在は推奨されていないのだろう。さっさとこなしてさっさと出ろ、という無言の圧力を感じた。 「五月雨、今って何時だったかとかわかる?」 「最後に時計を見たのは待機させられた小会議室でしたが、あの時は16時を過ぎたばかりでした。経過時間を考えると、今は16時半といったところでしょうか」 「ありがとう。……あんまり長居はしてられないな」 審神者の頭にあるのは、お取り寄せの高級国産牛だった。 大阪城での任務を終え、少しばかり懐があったかくなったこの本丸では、本日労いの意味を込めてお肉パーティーが開催される。本丸を出発する前、すでに厨部隊たちは下準備を始めており、審神者は「今夜はお肉」というタイトルのオリジナルソングを口ずさみながらスキップするほどにそれを楽しみにしていた。 この試験のことを健康診断の延長線みたいなものだとばかり思っていた審神者は、人間ドックの後にドカ食いするような気持ちでお肉を心待ちにしていたというのに。こんなことで足止めされてお肉を食い損ねたくはない。流石に審神者が帰る前に食い尽くすほど非情な刀たちではないが、やはり出来るならみんなと一緒に味わいたいところだ。 「五月雨、早く帰ろうね」 「はい、頭。では表一番下の性交渉を」 「ちょっっ……と、待とうか。それは」 早く帰ろうったって思い切りすぎだろ、と審神者は五月雨江を抑えた。 彼は何か変なことでも? も言わんばかりにきょとんと首を傾げている。その表情が間抜けな犬みたいでかわいらしかったが、そんなことで和んでいる場合ではない。 「ごめん、確かに晩御飯に間に合う時間に出たいんだけどさすがにそれは……。っていうか、五月雨ももっと自分のこと大事にして」 「そうですね。このようなどこから監視されているかもわからない空間で頭に無体を強いるのは本意ではありません」 じゃあなんで言ったんだよと審神者が五月雨江をじっとりと睨む。となればそれ以外の方法を取るしかない。 性交渉(性器の挿入を含む)という文字列から目を逸らしながら、審神者は表を見つめる。 手を繋ぐ、ハグあたりは照れはするものの、不可能ではない。短刀と手を繋いで買い物に行くことはよくあるし、五月雨江のことも犬かなんかだと思い込めば抱擁できるかもしれない。 しかし、それでも参考時間を信用するなら時間がかかりすぎる。となるとその先、粘膜接触を伴うスキンシップが選択肢に入ってくる。もはや前戯のものは一旦除外するとして、消去法で残ったのは審神者の時代でいうところのキス、五月雨江の時代でいうところの口吸いだった。 「よし。こんなことで躊躇ってる場合じゃないよね。五月雨、やるよ! 申し訳ないけど、お肉が待ってるから」 「頭の命じるのであれば」 審神者はパンと頬を両手で叩いて気合を入れた。凡そキスをする前とは思えぬ色気のなさだが、ここでそれっぽい雰囲気を醸し出しては今後に差し障る。 「ごめん、五月雨も混乱してるとは思うんだけどさ、私もあんまり慣れてないんだ。その、だからちょっと、されるがままになってもらってもいい?」 審神者の立てた作戦はこうだ。なるべく自分が主導権を握り、五月雨江には置物になってもらう。人の身を得る前を思い出していただいて……と提案すれば、五月雨江は頷いた。 立ちっぱなしでは不便なので、五月雨江をベッドの上に仰向けにさせる。目が見えているとやりづらいので、首巻の裾で目を隠した。本当にモノ扱いをしているようで審神者は気が引けたが、真っ当に男女らしく口付けをするだなんて考えられない。 五月雨江に限った話ではないが、刀剣男士は皆見目麗しい。試験のためとはいえ口付けをして、これをきっかけに妙な勘違いをして恋に落ちるだなんてことがあっては事だ。そのための置物作戦である。 「じゃあ、いくよ……」 準備万端、審神者に言われるがまま横になりぴくりとも動かない五月雨江の隣に座り、審神者は彼の顔の横に手をついた。 半分を布で覆われたその顔を、彼女は改めてまじまじと眺めた。白い肌には傷ひとつなく、つんと立った鼻先は西洋ドールのようだ。さすが重要文化財に指定されるだけあって、見れば見るほどに人間離れした美しさだと感じる。 形のいい唇は閉ざされ、緊張のあまり乾いてしまった審神者のものと違ってひび割れもなく、淡く血色付いている。審神者はええいままよ、とそこに自身の唇を重ねた。 薄い皮膚越しに伝わる体温に意識を持っていかれたものの、意外と向こうの反応がなければ気にならないものだ、というのが彼女の感想だった。これなら心を無にし続ければ余裕かもしれない。 彼女の体感時間で5分ほど経った頃、審神者は唇を離す。ベッドサイドに置いていた計測器を見ると、ほとんど何も変わっていなかった。 「え!? 増えてない……」 審神者の声に五月雨江がアイマスクを取るみたいな仕草で首巻を[[rb:避 > ど]]けながら上体を起こした。 ガラス製温度計のような計測器は、中心に走る空洞部分に色がつくことで霊力を示す仕組みのようだ。審神者の拙い触れるだけの口付けでは、1ミリ程度しか色の部分が増えていなかった。 「どうしよう、これじゃお肉に間に合わない……」 かなり勇気を出したつもりが思った成果を全く得られず、審神者は混乱した。完璧な作戦だったはずがと頭を抱える彼女に、五月雨江は「頭、よろしいでしょうか」と挙手をする。 「五月雨、なに?」 「言葉にはしがたいのですが——先ほど口吸いをしている間、確かに触れている部分から霊力を流すことのできるような、そんな感覚がありました。もっと接触する面積を増やせば効率よく霊力を譲渡できると思うのですが」 「なるほど……?」 「私に身を委ねて頂けませんか」 正直霊力の流れなど全く感じなかった審神者はお手上げ状態だった。ならば何か手応えがあるらしい五月雨江のそれらしい提案に乗るしかないだろう。審神者はそれを了承した。 「それで、私はどうしたらいい?」 「はい、ではこちらに座って頂けますか」 「えっ?」 五月雨江はベッドの上で正座をし、その太腿を叩いた。足の上に座れと? と首を傾げると、彼はこくりと頷く。冗談ではなく本気のようだ。 とはいえ五月雨江の言うことに従うと一度は言った身だ。彼の策のうちだろうし、と審神者はおずおず五月雨江の胴体を跨ぐように向き合う姿勢で座った。 「こ、こう? あってる?」 「はい。では、失礼します」 なんか妙な姿勢だ、と審神者はもう既に五月雨江の作戦を後悔し始めていた。 彼は審神者の腰に手を回し、もう片方の手で頬を撫でた。そんな色っぽい空気作りが嫌で最初の作戦をとったのに! と審神者は目が回りそうになる。五月雨江の親指が審神者の唇を掠めると、彼はその手で顎を掬って口付けた。 「っ……!」 さっきした口付けがままごとに感じるほどに、五月雨江の息遣いや体温、距離の近さを具に感じとる。さっきまで全く感じていなかった熱で全身に汗が滲んだ。 五月雨江は審神者の唇の形を確かめるように、触れては離れ、角度を変えながら啄む。その度にリップノイズが控えめに鳴るのが、特に審神者の羞恥心を煽った。 「っっ、……! ぷは、」 「頭、鼻で息をしてください。窒息しますよ」 「む、むり……」 しばらく息を止めていたものの、予想外に長く続いた口付けに耐えかね審神者は五月雨江の胸を叩いた。息苦しさに加え、体温が上がって熱っぽくて堪らない。なんでこんなことをしているのか、と目的を忘れてしまいそうだった。 「計測は無事されているようです」 「あ! ほんとだ!」 審神者の拙い口付けでは爪の厚さ程度しか増えなかったそのメーターが、目盛り10分の1程度は増えている。 これを十回分と考えると気が遠くなる思いがするが、案外数をこなせば慣れるに違いない、いや慣れてもらわなければ困ると審神者は己を奮い立たせた。酸欠で死ぬのが先か部屋を出るのが先か。やってやろう肉のために! と心の中で拳を掲げた。 「ごめん、五月雨。続きやろうか。早く出てお肉食べよう」 「はい。では、失礼します」 「……っ、は、ッ……、さ、さみ、」 白一色で塗り潰されたような無機質な部屋には、水音が響いていた。 審神者はベッドに両手を縫い付けるようにして仰向けにされ、唇を貪られるがままになっている。自分の上に跨り、足を絡めて隙間なく密着させた五月雨江は、審神者の頭に手を添えながら彼女の咥内を舌で荒らしていた。 息遣いの合間に名前を呼んでも聞き入れず、霊力を流し込むという大義名分を掲げて自身の唾液を審神者に飲ませる。彼女の耳は自分の内側で鳴る水音を過敏に拾った。 どれほどの時間これをしているのだろうか。 最初はお肉のためにやるぞと覚悟を固めて取り組んでいたはずなのに、気が付けばこうして五月雨江に好き勝手されている。対面して座っていた姿勢は、審神者が身を捩ったときにこうして押し倒されてしまった。 計測装置を見る余裕もなく、あとどれだけこうされればいいのかわからない。きゅっと瞑っていた瞼を開けば、五月雨江は熱に浮かされた据わった目をしていたので怖くなって抵抗できなくなった。 審神者は、最初全く理解できなかった霊力が流れてくる感覚を、今ではわずかに感じ取ることができるようになっていた。しかしそれは身体の弱い部分を撫でられた感覚に酷似しており、皮膚の下をむず痒さに似た痺れが走る。けれど決して不快ではなく、癖になってしまいそうだった。 「……は、頭」 唇を解放されて、審神者ははぁはぁと荒い呼吸をした。 見上げた五月雨江は髪型が多少乱れ、イヤーカフ状の耳飾りがずれている。唾液で濡れた唇を舐めとる姿が、あまりにも扇情的だった。 「これで半分程でしょうか」 「は、はんぶん……!?」 これだけネチネチやって、まだ半分!? 審神者は酸欠からかやるせ無さからか眩暈がした。 五月雨江が手にする計測器は、確かに最大目盛りの半分を記録している。いつか慣れるはずという希望的観測は大いに外れ、むしろ長く続くごとにくらくらと何かを踏み外してしまいそうな気配がする。 「頭、お加減がよろしくないように見えますが」 「えっ!? いや、体は大丈夫。大丈夫だから……」 正確には体も大丈夫ではないが、特に強いダメージを受けているのは心の方だ。五月雨江を責めたくはないので口にしなかったが、ここまで濃厚な異性との接触は審神者にとって初めてのことだった。ショックというよりは戸惑いがあった。 しかし、先は長いとはいえ、確実に成果は出ている。頑張ればなんとか出られるということが分かっただけでも御の字だ。そう気を確かにしなければ、あの荒波のような口付けに流されてしまいそうだ、と審神者は思った。 「ごめん、五月雨こそ大丈夫?」 「私はなんともありません」 「そ、そう……」 五月雨江の言葉に偽りはないようで、満身創痍な審神者とは違って普段と全く様子の違うところはなかった。綺麗に正座をして、審神者の準備が整うのを待っている。 「……よし、やろう。ごめん、もう一回お願いできるかな」 「勿論です。——では、失礼致します」 結局、その部屋を出て本丸に帰ったのは夕食の準備が整った直後のことだった。時間にしてみれば意外にも大して経過していなかったことに審神者は驚く。 ぐでんぐでんになった彼女を抱き起こし「頭、鍵が開いたようです」と計測器を見せた五月雨江は、これまでと変わらぬ信頼できる部下の顔つきをしていた。部屋を出た後も体に異変はないかと細かく質問し、身を案じてくれている。こうしてあの部屋を無事に出られたのも、五月雨江が常に冷静でいてくれたからなのだろう。——と、思わなくてはならないのに。 あの密室で過ごした小一時間を経て、審神者はすっかり彼への見方を変えてしまった。彼の雄の部分をまざまざと見せつけられ、任務のためとはいえ濃厚な口付けをされ、初心な彼女に意識するなという方が無茶な話だ。 本丸へ戻ってもその気持ちと彼への罪悪感は消えず、あんなに楽しみにしていた高級焼肉も心ここに在らずで堪能しきれなかった。 いつかあの時のことを忘れ去って、ふと思い出した時に笑い話にできる日が来るのだろうか。そんな日があるのなら、1日も早く訪れてほしいと願うばかりであった。 同時期に就任した審神者仲間とのグループチャットで、先日の霊力測定試験のことが話題に上がった。同世代の同性ばかりが集まったそのグループの中には好い仲の相手を連れて行った審神者もいたようだ。照れ臭そうに恋人とのひと事件を話す同僚に、彼女は「なぜ時の政府は私にこんな試験をさせたのだろう」と未だ彼方に去ってはくれないあの日のことを思い出した。 「恋人とってことはスキンシップに躊躇いなかったんだよね? 何やってどのくらいで出られた?」 不躾かと思ったが興味本位でそんなことを書き込んでみると、例の恋人と閉じ込められた同僚からはこんな返事が返ってきた。 「さすがにあんなとこでまぐわうのは嫌だって言われたからキスだけだけど、三分くらいだったかな」 ——三分!? 審神者は驚いて、チャット画面を何度も確かめる。三分? 三十分の間違いではなく? そう質問を重ねたが、彼女は間違いなく三分で出られたらしかった。 他にも同じ試験を受けた審神者がいたようで同様に尋ねたが、誰もが自分よりもずっと短い時間で出たと返す。審神者はグラグラと足元が揺らぐような錯覚を覚えた。 計測装置には目盛りはあるものの数字は書かれておらず、具体的に求められる霊力量を数値化されてはいなかった。 もしかしたら彼女らとは桁違いの量を求められたのかもしれないし、個体差や普段のスキンシップの量からも霊力の受け渡しにかかる時間が違っているのかもしれない。キスだけといいつつ、審神者以上の濃厚な行為をしたか、照れ隠しにまぐわいを誤魔化して言った場合もある。そのどれもが可能性としてあり得なくはないことだ。 しかし審神者の頭にはどうしても五月雨江の顔がちらついた。 感覚的なものとはいえ、霊力を流す、譲渡するという言い回しから、触れていればただ勝手に流れていくわけではないのだろう。ある程度能動的な意思が介在していると考えられる。 ——だったら、意図して流す霊力を少なくすることもできるのだろうか。 邪推としかいえないそれを、審神者は頭を振って追い出そうとした。忠臣を疑うような真似をしたくはない。彼は最後まで、審神者の体を気遣っていてくれたというのに。 話題が別に移り変わったグループチャットに審神者は視線を落とす。夜半、本丸中が消灯された時間。襖の向こうから、「頭、起きてらっしゃいますか」と声が聞こえた。