Sink

きっと一生離してやれない

 本丸の中で、審神者は天真爛漫で無垢だった。審神者となった頃から本丸という閉鎖空間に留まっていたせいか、精神年齢もその時分より成長していないように見える。
 しかしながら、残酷なことに時とは人を成長させるものだ。彼女の時代での成人を目前に控えたある日、審神者の元に一通の知らせが届いた。
「恋文か?」
 その日近侍の役目を仰せつかっていた鶴丸国永は封書を審神者に手渡し、冗談めかした口調でそう言った。
 本丸に届く封書とは大抵、時の政府からの報せや戦績と色事とは縁遠いものばかりである。鶴丸国永がそれを軽口で茶化すのはお決まりのようなもので、鶴丸国永自身もそのつもりで口にしていた。
「うーん、そうかも?」
 だから、この返答は鶴丸国永にとって〝驚き〟だったのである。
 いつも題字だけを拾っては内容もそこそこにボックスに投げ込んでしまう審神者が、未だに読み返すように本文に目を通している。その様子が審神者の冗談ではないことを表していた。
「おいおい、本当か?」
「ラブレターってわけじゃないんだけど。うーん、なんていうのかな……」
 鶴丸国永はつい主従の間柄を忘れて身を乗り出した。さりげなく審神者の手の中を覗こうとするが、彼女は紙をさっと折りたたみそれを防いだ。
「前に演練した審神者と空き時間にちょっとお話ししたんだけど、その人から今度時間作って会えませんかって」
 そう審神者が恥じらったような表情で言うものだから、鶴丸国永は絶句した。
 時間遡行軍との戦いに身を投じる審神者という職は、本丸という閉鎖空間に隔離され同じく時間遡行軍と戦う者以外との接触を禁じられる。人としての孤独を味わうのだ。
 しかしそれでは精神的負担があまりにも大きい。時の政府は関係者同士、特に審神者同士での交流を推奨していた。交流会や演練での接触履歴があれば簡単に連絡先を知ることが可能となっている。相手の審神者はそれを通じて彼女の本丸へと連絡を取ってきたのだという。
 鶴丸国永は審神者間で語られる顕現難易度に反して、この本丸へは早々にやってきた。縁があったのだろう。子供心を忘れず常に好奇心旺盛な審神者と、驚きを求めて日々を過ごす鶴丸国永は相性がよかった。妙齢の女性と千年以上の時を過ごした刀剣の付喪神とは思えぬほど、二人の関係は子供じみたものだった。
 そんな彼女が色恋沙汰とは、鶴丸国永は微塵も想像していなかったのである。人の成長とはこうも早いのかと、人の身を得て側で過ごして改めて思い知らされていた。
「それで、行くのかい?」
「もちろん。いままで審神者の友達って歳が離れた人しかいなかったから」
 仲良くなれるかなあと照れ臭そうな表情で手紙を眺める審神者を、鶴丸国永は感情の抜け落ちた顔で見つめていた。彼女がこちらに視線を戻す前に取り繕い、いつも通りなんでもない風を装い笑う。
「主に男とは驚きだな……」
「もう。別にまだそういうんじゃないってば」
 そう言いながらも、頬の色からはこれまでなかった出来事に浮かれている様子が見て取れる。鶴丸国永は適当に話を切り上げ、審神者の部屋を出た。
 庭では短刀たちが水鉄砲で遊び、厨からは夕飯の良い香りが漂ってくる。普段の鶴丸国永ならば、背丈の低い短刀たちの中に躊躇いなく混ざって一緒に水遊びに興じただろう。そして白い内番服を遠慮なく汚し、夕食の時間を知らせに来た歌仙兼定あたりに睨まれるのだ。
 しかし今日ばかりはそんな気になれず、その様子を一瞥し通り過ぎた。いつも通りの本丸で、審神者にだけ変化が訪れていた。

 デートの誘いに是非と返し、その話はあっという間に本丸中に広がった。夕食の席で美的感覚に優れた刀剣男士数振りに服の相談をしたいといえば、周囲の刀剣男士たちもこぞって食いついてきたのである。
 あの主に色恋沙汰ともなれば、当然大騒ぎになった。やれどんな男だの俺より強くなくちゃ主はやれんだの言い出して、その輪の中で審神者は照れ臭そうに苦笑している。
 一足先にその話を知っていた鶴丸国永はただ一振り、箸を置かずに聞き流していた。「驚いたね」と同意を求めて話しかけてきた燭台切光忠になんと返事したかは、記憶にない。

 デコることにかけては本丸一番を自称する加州清光を中心に、審神者プロデューススタッフは決定した。コーディネート会議は深夜まで続き、お互いの趣味の押し付け合いとなりそれを巡って抜刀寸前まで白熱したのだという。
 当日の朝も、早くから手先の器用な刀剣男士が審神者の部屋に詰めていた。
 女性のおしゃれに明るくない無骨な連中は何をするでもなく大広間に集まっている。審神者が不在なので出撃の任務もないのだ。本丸全体が浮ついていることからそれぞれの時間を過ごす気にもならず、なんとなく集団となっていた。
 鶴丸国永もその輪に混ざり、その時々審神者の部屋の方向から聞こえてくる悲鳴や怒号に耳を傾けていた。たかがおめかしで聞こえてくる声とは到底思えないが、本丸の刀剣男士たちは皆良い意味でも悪い意味でも審神者に真剣であった。審神者の装い一つでも、お互い譲れぬものがあるのだろう。
「それじゃ、行ってくるね」
「気をつけてね」
「なんかあったらすぐ呼ぶんだぞ」
「うん、大丈夫」
 かくして審神者は本丸を出た。
 待ち合わせ場所が政府管理施設ということで、護衛の供は伴っていない。保険として紐を引けばその日の近侍である刀剣男士を呼び出すことの出来る呪具を持たされているが、それとて紐を引けねばなんの意味もないただの文鎮同然だ。刀剣男士たちは最後まで短刀一振りでもいいから連れて行けと食い下がったが、彼女は首を横に振り続けた。
「ぬしさまに何かあっては」と主大好き刀剣が一振り小狐丸は始終落ち着かぬ様子であったが、この逢瀬に反対している様子はなかった。同じく巴形薙刀は嫁入り道具としての自負があるのか、既に嫁ぎ先にまでついていく気でいる。相手の男が審神者に相応しいか武力を持って見極めてやると血気盛んな刀剣こそいれど、主が恋愛することに対し反対意見を持つ刀剣は鶴丸国永のほかにいないように見えた。
 審神者の姿が消え、転移門前にわらわらと集まっていた刀剣たちは初期刀である歌仙兼定の合図で解散した。しかし皆やはり落ち着かないのだろう。暇さえあれば鍛錬したがるような刀剣を除いては、ほとんどが再び大広間に戻っていた。
 鶴丸国永はしばらくそこで胡坐をかいて周囲の会話に耳を傾けていたが、ある刀剣がその場にいないことに気付き大広間を出た。彼――燭台切光忠は、鶴丸国永が予想した通りの場所にいた。厨だ。中を覗き込むと、昼食の支度を始めるにはまだ早い時間ながら、多数の食材の下準備が行われていた。調理台にはこれから宴会でも開くのかという量の食材の入ったバットやボウルが並べられている。
「こりゃ驚いた。どうしたんだ一体」
「鶴さんか。……ちょっと、落ち着かなくて」
 出入り口からひょっこり顔を出した鶴丸国永に、燭台切光忠は困ったような笑顔を返した。
 みんなそうだと思うけどね、と苦笑しながら大鍋をかき混ぜている。前の主の影響もあって、燭台切光忠は料理上手な刀剣だった。この身で顕現されてからは審神者の時代のレシピ本を数多く取り寄せ、国籍問わず様々な料理に手を出している。彼にとっては趣味のひとつでもあるのだろう。
「手を動かしてると考え事をしなくて済むんだ。刀としては鍛錬をするのが正しいんだろうけど……今日は空きそうにないからね」
 タイミングよく鍛錬所の方からは何者かの雄叫びが聞こえてくる。手合わせの最中なのだろう。彼らも審神者に訪れた春に何かを思い、体を動かさねば気が済まぬのかもしれなかった。
 彼女を笑顔で送り出したとはいえ、同じく燭台切光忠も複雑な心境でいるようだ。大広間でも三条の連中は審神者が取り寄せたボードゲームに興じていた。それに似たようなものなのかもしれない、と鶴丸国永は思った。
「それで。光坊は何を考えてるんだ」
「強いて言うなら……主が変わってしまうことが怖い、かな」
 燭台切光忠は火を止め鍋に蓋をした。
 女性の審神者は嫁ぎ子を成し、審神者の任を降りるケースが少なくはない。遅かれ早かれ人の命には限りがあり、そうでなくともいつか去ると分かってはいても、主との別れの片鱗を感じて寂しく思ったのだろう。燭台切光忠は物憂げに方目を伏せた。
「鶴さんもここでの暮らしが長いから、思うところあるんじゃない?」
 燭台切光忠は話題を切り替えるように鶴丸国永に話を振った。鶴丸国永は腕を組み、「俺か?」と時間稼ぎをするように冗長に答えた。
 土の下にいたこともあったが、人の営みは千年見てきている。自分の感情に名前を付けられないほど若くはない自覚が鶴丸国永にはあった。身と心を得てからはまだ短いが、客観視すれば簡単なことだ。鶴丸国永は物と人、従者と主人の域を超えた感情を審神者に抱いている。
 物ならば、持ち主の幸福を一番に望むのが正しい姿だ。主従の間柄なれど同じこと。鶴丸国永はこの感情を燭台切光忠に吐露すべきか迷った。
 ただの刀だった時代の縁もあり、知らない仲ではない。口留めすればきっとその通りにしてくれるだろう。しかし、一度発露してしまえばもう抑えが利かなくなるというのを鶴丸国永は理解していた。
 審神者と刀剣男士の関係はなまじただの主従に留まらない。物と人でありながら、神と人でもあるのだ。人である審神者の幸福を祈れないのならば、人でなくなればいい。その手段を刀剣男士は持っている。だからこそ、まだ彼女の前で物で従者であれるうちに感情ごと消し去るべきではないかと考えていた。
「鶴さんは主に恋人ができるの、やっぱり嫌?」
 口を開かない鶴丸国永に痺れを切らしたのか、燭台切光忠が再び尋ねた。尋問というよりは、幼子に問いかけるような口調だ。彼も彼で、鶴丸国永の気持ちを察しているのかもしれなかった。
「そうだな、嫌だ」
 そう問われれば、答えはすんなりと出てきた。物と人、神と人の在り方や鶴丸国永としての考え、全てを統括しかなぐり捨てた簡潔な答えだ。
 審神者をよその男の元へやりたくない。人としての幸せを願う気持ちはあれど、それが一番の本音だった。
「実はね、僕もあまり気が進まないんだ。相手のことをよく知らないからだろうけど――まだ主には僕らの主でいて欲しい。刀剣男士としては相応しくないかもしれないね」
 鶴丸国永はそれに何も返さなかった。無言の肯定だというのは伝わっていただろう。
 話し込み過ぎたのか、時は昼食の支度を始める頃だ。燭台切光忠と同じく厨当番を任されることの多い歌仙兼定がやってきて、その話は終わりになった。

 審神者の帰りは約束通り夕食の前であった。
 日が傾き始める頃には夕食当番を除いてほとんどの刀剣たちが皆示し合わせたかのように転移門の前に集まっていた。主の帰りはまだかだの何かあったのではだの囁き合い、立派な体格を持った男たちがワサワサ群がる姿は遠目に見れば異様だ。
 鶴丸国永は彼らから一歩離れたところで審神者の帰りを待っていた。燭台切光忠との話を経て、彼の心は夕凪のように落ち着いていた。審神者の幸せを願うことと彼女にアプローチを企む男を嫌悪することは両立するのだと気付いたからだ。
 人の身を得たばかりの頃は自由に動く手足と様々な出来事に呼応するように揺れ動く心に驚きなんて愉快なんだと感動していたが、楽しいばかりではないのだと改めて思い知らされている。人の心は複雑で面倒で、それでいて美しいものだ。
 転移門が作動し、刀剣たちが姿勢を正す。少し間が空いてから門が開き、審神者は本丸へと帰還した。
「ただいま」
「主っ!」
「主おかえり」
「ご無事ですか」
「何かされたりとかは」
「もう、なんでわたしが怪我して帰ってくる前提なの……」
 審神者は刀剣らの熱烈な出迎えに圧倒されていた。もみくちゃにされながら困ったような笑顔を浮かべている。
 主あるじと詰めかける刀剣たちの間を縫って前へ出たプロデュース隊長加州清光は、パンパンと手を叩き彼らを制した。一気に静まり返った空間で、加州清光が審神者の荷物を受け取る。土産らしき紙袋が増えていた。
「おかえり、主。無事でなにより。それで、どうだった?」
「あー……うん。また会うことに、なった……」
 デートの成功を知らせるにはその一言で十分だった。刀剣たちが沸き、その場は一時騒然とする。酒好きの刀剣たちが「主の春を祝って宴会を開かなきゃな」と理由をこじつけて飲もうとするので、審神者は赤い顔でそれを止めていた。
 賑やかな周囲に反し、鶴丸国永の心がすっと冷えていく。彼はその空気を壊さぬようにとそっとその場を後にした。

 あれから三か月が経っても尚、彼との交流は続いているようだった。普段は文でやり取りし、月に一度ほど顔を合わせている。
 刀剣と審神者との会話でも、彼の話題は頻繁に上がることとなった。刀剣たちなりに主の伴侶となるかもしれない男を見極めようとしているのだろう。楽し気に今日は何の話をしただの何をして遊んだだの語る審神者は可愛らしい。その花の咲くような笑顔を愛おしく思う度、鶴丸国永の心には汚泥のような憎悪が募っていくようだった。

 鶴丸国永は封書を手に、障子の前から審神者に声をかけた。
「主、今いいかい」
「鶴丸? うん、どうぞ」
 許可を得て審神者の部屋へと入ると、何か調べ物をしている最中のようだった。審神者はタブレットを置き、鶴丸国永の方へ体を向ける。
「文が届いてたぜ」
「ありがとう。うわっ、戦績表だ……。今月苦戦続きだったから見るのやだなあ」
 げんなりとした様子で封を切る審神者を鶴丸国永は見つめていた。
 本物の恋文が届くようになってから、鶴丸国永は軽口を言うのをやめた。居た堪れないからだ。封書を見て彼からの手紙でないと知るなり露骨に寂し気に表情を曇らせる審神者を見るたび、鶴丸国永は心を刃物で裂かれるような苦痛を覚えた。
「仕事は他になさそうだな。じゃあ俺は失礼するぜ」
「あ、ちょっと待って鶴丸」
 封書を渡し仕事を終えた鶴丸国永が退散しようとすると、審神者がそれを引き留めた。鶴丸国永は中途半端に腰を上げた状態で動きを止める。
「ちょっと休憩したいんだ。お茶淹れてきてくれないかな。鶴丸の分も」
「俺も?」
「うん。お菓子もあるから」
 お願いね、と念を押されれば断ることなど出来なかった。鶴丸国永は給湯室へ向かい、茶の支度をして審神者の部屋へと戻った。
 審神者がこういった仕事をわざわざ任せるのは珍しいことだ。近侍の仕事は刀装の作成や鍛刀の手伝いのほか、事務的な雑用まで多岐に渡る。いろいろと任せている中で茶を注いで来てくれなど申し付けることに気が引けるのか、わざわざ言葉にして頼むことがなかった。
 その代わり近侍でない気配り上手な刀剣が合間を見て「そろそろ休憩にしては」と茶とお茶請けを持って審神者の部屋にやってくることがある。鶴丸国永はもっぱら自分が届けるのは驚きばかりだと思っていたので、不思議な気持ちだった。
「ごめんね、わざわざ。ちょっと鶴丸とお話ししたくなって」
「かまわないぜ。俺はきみの刀だからな」
「こんなこと刀にやらせるなんて驚きだ、って前は言ってたのに」
 審神者がくすくすと笑う。二人の前には鶴丸国永の注いだ茶と、審神者のへそくりおかしだという最中があった。審神者は口の中に張り付く最中に苦戦しながら、餡子の甘みを堪能していた。
「それで、話って」
「うーん。何ってわけじゃなくて……。その、最近あんまり話す機会がないでしょ? どう? 変わったこととかない?」
 審神者は鶴丸国永に雑談を求めた。本題に入る前のクッション的役割ではなく、鶴丸国永とのコミュニケーションが目的のようだ。大いに心当たりのあった鶴丸国永は返事に困った。
 事実、彼は審神者を避けている。とはいえ徹底的な無視をしているわけではない。これまで姿を見つければ畑仕事を放り出してでも審神者の元へ飛んでいっていたのが、そういったことを控えるようになっただけだ。それだけでも接する機会がぐんと減り、いかに自分が好き好んで彼女の元に駆け寄っていたかを自覚する。
 審神者は数十振りの刀剣男士の主である。機会を失えば、同じ屋根の下に暮らしながらも疎遠になるのはあっという間だった。
「いいや、特に変わったことはないな。退屈過ぎて参ってるくらいだ」
「そっか。編成の希望とか、もっと出陣したいとか……そういうのもない?」
「いいや、ないな。満足してるさ」
 鶴丸国永は茶を啜った。彼が近侍をしていて茶を飲むときは、大抵気の利く刀剣の淹れる茶が多い。それと比べると彼の淹れたものは渋みが強く出ていてとても飲めたものではなかった。鶴丸国永は形の美しい眉を歪め、審神者の湯飲みに手を伸ばした。
「きみ、苦いだろう。取り替えてくる」
「え? いいよ。全然飲める」
 審神者の言葉が嘘であるというのはすぐに分かった。平然を装っているが、堪えきれなかったのか苦そうに顔を歪めている。美味しい茶を飲みなれており鶴丸国永よりも甘味を好む彼女なら、より口には合わないだろう。
 しかし審神者は目をきゅっと瞑って茶を飲み干した。底に沈殿していた濃い茶が喉を刺激したのか、大きく咽る。取り落とす前に鶴丸国永は審神者から湯飲みを奪い取り、背を摩った。
「きみなあ、そうムキになるなよ」
「だって鶴丸が淹れてくれたんだもん」
「こういうのは適材適所っていうのがあるんだ。次からは平野あたりに任せるべきだ。それに、話し相手なら俺じゃなくたって他の連中――手紙の奴もいるんだろう」
 鶴丸国永はそう口にしてから、自分の言葉に深く後悔した。
 審神者を避け続けていたのは例の男との話題を避けるためだ。彼女の口から楽し気に語られる男との出来事が聞くに堪えず、審神者自身から距離を置いた。
 にもかかわらず、たった今自分から振ってしまったのである。それも、最悪のタイミングで。このいい方ではまるで、構ってもらえないことへの当てつけのようだ。
「……鶴丸、わたしが恋人を作るの反対?」
「俺が?」
「うん」
 審神者は咳き込んだ苦しさに涙を滲ませた瞳で鶴丸国永を見上げた。幼子のような透き通った真っすぐな瞳で見つめられ、彼は答えに迷った。
 反対も反対だ。どこぞの誰とも知れん男に大切な主をやれるはずがない。そう口に出来れば簡単だったのだろう。しかし、彼女は手紙の男との関係を深めることに前向きであるらしい。そうなれば、従者の彼がそんなことを言うのは憚られた。
 否、これは建前だ。鶴丸国永は頭こそ切れるが、主君の顔を立てようと慮って口を慎むタイプではない。むしろ、ここぞという場面で必要な反対意見を切り込み議論に風を吹かせる側の人間だ。
 反対意見――本心を口にしてしまえば、その理由を審神者は尋ねるだろう。相手の男が審神者に相応しいと認められればそれでいいのかと問われても、鶴丸国永は首を縦に振れない。どんなに地位も名誉も財産も持ち人柄も優れた素晴らしい人物であろうとも、そんな人間の男と結ばれることが審神者にとっての幸福だと分かっていても、彼はそれを受け入れることが出来ないだろうとわかっていた。
「……そうだな、戸惑わないかと言われると嘘になる。だが一番はきみの幸せだろう」
「わたし、幸せになれるかな」
「そりゃ、相手の男次第だな」
「そっか……」
 審神者は鶴丸国永の言葉を噛み締めるように深く頷いた。彼女なりに、何か男との関係に思うところでもあったのかもしれない。もしくは避けていたことに勘付いたか、と鶴丸国永は考えを巡らせた。この娘は鈍感なように見えて鋭く敏い。
「上手くいってないのか?」
「まさか。多分次くらいに告白されるんじゃないかなあって、思う……」
 鶴丸国永は自ら尋ねておいて頭を殴られたようなショックを受けた。消えゆくような語尾が彼女の恥じらいを表し、年頃の初々しい恋愛なのだということを物語る。その発芽したばかりの想いの若々しさに、打ちひしがれていた。
「なんか鶴丸お父さんみたいだね」
「俺が? 冗談じゃない」
「あははっ、年で言ったらおじいちゃんじゃ済まないのにね」
「きみなあ……」
 審神者の恋愛事情を複雑な面持ちで探る鶴丸国永を見て何を思ったか、審神者はそんな風に彼を揶揄した。その子供っぽい口調に、鶴丸国永は「ああ、俺の主だな」とどこか安堵する。恋について語る審神者は、普段よりどこか大人びて見える。それが正しくは年相応の振る舞いなのだと分かっていても、未だ受け入れられずいた。
「俺がもし父親だったらきみ、どこにも嫁にいけないぞ」
「なんで?」
「そりゃあ、俺が納得する男を連れてこなきゃ嫁にはやれないからなあ」
 そんな男まずいないが、という本音を隠して言えば、審神者は驚いたように目を丸くしていた。どうかしたかと首を傾げて窺えば、審神者は「同じこと歌仙にも言われたよ」と言う。今度は鶴丸国永が驚く番だった。
「みんな変だよね。わたしにとうとう春が! って喜ぶくせに、複雑そうな顔をするの」
「そりゃそうだろう。たった一人の今代の主だぜ。大切に決まってる」
「うん……」
 鶴丸国永は、審神者の背に添えていた手を頭へと移動させた。髪の手触りは昔から変わらない。指通りのいい髪を手遊びのように弄んでいると、「くすぐったい」と審神者が身を捩った。
「幸せ、かー……」
「なれるまで見届けるさ」

 その日は四度目になる審神者のデートの日だった。
 出立の時間はいつもより遅く、支度は昼を過ぎてから始めた。いつもは政府管理の施設で茶をしばくばかりだったが、今度の行き先は相手の本丸なのだという。
 これにも供を連れずに行くというのだから、以前に増して刀剣たちは激しく反対した。目的を同じくする審神者という職に従う者なれど、イコール彼女の身を守ってくれるとはならないのだ。刀剣たちは己の性を理解していたからこそ、強く審神者に意見した。
 最終的に折れたのは審神者の方だ。誰か一振りを連れていくことになって、それは乱藤四郎に決まった。曰く、「男の人っぽい人は恥ずかしい」とのこと。主大好き刀剣たちは不満げであったが、乱藤四郎は審神者が最初に選んだ一振り、歌仙兼定に次いで古株だ。可憐な容姿ながら、その実力は折り紙付きである。最終的には本丸全員が同意した。
 それよりも、審神者が最後に残した「帰り遅くなるかも」の言葉が刀剣たちを震撼させた。これまではどれほど遅くとも、夕飯前には帰ってきていたのである。「夕飯いらないから」とのコンボに、歌仙兼定と燭台切光忠は卒倒しそうになっていた。
 最初の頃と比べれば、本丸の面々は落ち着き払っていた。審神者から相手の話を聞き、敵の事情を多少知れているからというのもあるのだろう。0時までに戻らねば相手の本丸に討ち入るなど血なまぐさい計画が聞こえはするが、長い時間をかけて得た信頼がわずかに相手の男にもあった。
 審神者があまりにも楽しそうにやり取りを話すものだから、多少絆された者もいるのだろう。そうでなければ、相手の本丸への渡航自体許されていなかったかもしれない。
 かつてと比べると緩んだ空気に、鶴丸国永は「もしかしたらもしかするのかもしれない」と恐ろしくなった。今頃もう向こうの本丸に出迎えられているのだろうか。結婚したらこちらに、などと相手の男は考えているのだろうか。想像するだけで腸が煮えくり返るような思いだった。
 審神者は随分と相手に好意的な感情を抱いているようだ。写真を見る限り冴えない男だったが、気は合うのだろう。時々電話をしているのか、部屋から楽し気な笑い声が聞こえてくることがある。もし気持ちを通わせたなら、もう鶴丸国永の入る隙は微塵もありはしない。
 今すぐ本体を片手に相手の本丸に乗り込んで、それは俺の主だと高らかに叫び奪い返したい。相手の男の血でその身を汚し——殺してやりたい。
 鶴丸国永は据わった目で縁側に座りじっと庭を見つめながら、微動だにせずいた。左手に鞘に収まった自身を握ったまま、ずっと。

 考えに耽るあまり、いつの間にか鶴丸国永は眠りに落ちていた。陽が明るく照らしていたはずの庭は気付けば薄暗く、肩には毛布が掛けられていた。ふわりと小洒落た香りが漂う。恐らく燭台切光忠あたりだろうと彼は見当付けた。
 鶴丸国永は縁側に横になって瞼を閉じた。どこかで短刀たちが走り回っているのか、とたとたと小さな足音が複数聞こえる。静かな夜だったからか、遠くの足元まではっきりと感じ取ることが出来た。
 夕飯の時間は過ぎたのだろうか。燭台切光忠の毛布がかけられているのは、自分が夕飯の時間になって起こしても目を覚まさないからなのか? 鶴丸国永は再び落ちかけた微睡の中で考える。審神者の帰りはまだ先だろう。眠っている間は憎悪とどうしようもない自分の感情を忘れることが出来た。夢にでも出てくれれば救いはあったものの、それすら見せない。今頃向こうで口づけの一つでもしているのかもしれないと、どろりと再びぶり返したどす黒い感情を追い出すべく鶴丸国永はぎゅっと目を瞑った。
 しばらくそうしていて、どれほどの時間が経っただろうか。鶴丸国永は誰かに体を揺すられて目を覚ました。寝ぼけた頭のまま、やはり夕飯はまだだったのかと考える。「みつぼう」と毛布の持ち主の名前を朧気に呼べば、ここにいるはずのない人物の声で「燭台切じゃないんだけど」と呼応した。
「ッ、主!?」
 これにはさすがに目が覚めた。鶴丸国永が勢いよく体を起こすと、彼を覗き込んでいたのだろう。審神者と鶴丸国永はお互い強く額を打ち付けた。審神者は品のない悲鳴を上げて尻餅をつき、両手で額を抑え悶絶している。痛みに耐えかねてか足をじたばたと動かし、そのせいで普段着ないようなフレアスカートの裾から下着が覗いていた。
「う゛う……痛い……頭われる」
「きみ、足を閉じたらどうだ。中身が見えるぞ」
「だって痛いんだもん!」
 子供のように喚く審神者に呆れた鶴丸国永は、ひとまずこのままじゃまずいだろうと自分にかけていた毛布を審神者の膝にかけてやった。「見せてみろ」と髪をかき上げれば、額は赤くなって腫れている。想像以上に痛々しい色だった。
「悪い、まさかきみだとは思わなくて」
「鶴丸のバカ、石頭……」
 痛みが引いてきたのか、審神者は暴れるのをやめて大人しく鶴丸国永の隣に座った。彼女の腕時計を盗み見れば、時間は夕食の前だ。陽が落ちるのが早くなったとはいえまだそんな時間なのかと鶴丸は驚いた。それ以前に、この時間に彼女が帰ってきていることも疑問だ。
「どうしたんだきみ、夕飯はいらないんじゃなかったのか」
「あー…………。本丸のご飯が食べたくなっちゃって、急に」
 審神者はきまり悪そうに視線を鶴丸国永から外し、そう呟いた。一体何事か、場合によっては相手の男を許しておけないと鶴丸国永は視線を鋭くする。その様子を嘘を咎めようとしていると取ったのか、彼女はいそいそと姿勢を正し、徐に鶴丸国永の手を握った。
「うーん……」
 審神者は鶴丸国永の手を何か確かめるように力を籠めたり緩めたり、指で表面を摩ったりする。幼子の手遊びのような動きに鶴丸国永は首を傾げた。
 小さい頃から何度も握ってきた手だ。今更これで赤面するほどどちらも初心ではない。審神者がためらいなく握ってきたのもその証拠だった。
「おい主」
「鶴丸、わたし結婚できなかったらどうしよう」
「は?」
 審神者はそんな悲観的な言葉を軽い口調で言い放った。鶴丸国永は訳も分からず、間の抜けた声を返す。以前の『俺が父親だったら』というたとえ話のことかと考えて、にしては会話に関連性がない。不思議に思いながら、鶴丸国永は審神者の言葉を待った。
「今日ね、手を握られたの。こう、今とおんなじ感じで縁側で座ってお話してて……急にね」
 その時の再現をするように、審神者はぎゅっと鶴丸国永の手に力を込めた。彼は返事をするように、柔らかいその手を握り返す。
「その人のこと、話も合うし喋ってて楽しいし、もしかしたら彼氏になるのかなー……って思ってたんだけど……急に怖くなっちゃって」
「それで帰ってきたって?」
「……うん」
 審神者の声色は罪を告白するようだった。まるで相手の気持ちに応えられなかった自分が悪いかのように、責めるように審神者は呟く。ショックを受けているのだろう。好きだと思っていた人間に恐怖心を覚えたことに。手を握るだけで怯えているようではこの先まともに恋愛などできないんじゃないか、と。
 鶴丸国永は狂喜乱舞しそうな感情を抑え、審神者の言葉に耳を傾けた。審神者が人間の男を好きになれないならば、これ以上都合がいいこともない。人間としての彼女の幸福を願わなければならない立場として許されなくとも、その事実に鶴丸国永は歓喜していた。
「……別に、きみが悪いわけじゃないだろう。相手の男と相性が悪かったんじゃないか?」
「そう、かな」
「そうに決まってる。そのうち相応しい男が現れたら好きになれるさ」
 鶴丸国永は審神者の柔い手の感触を楽しみながら、踊る心を抑えつけて冷静にそう返した。そんな男、見つけ次第斬り殺してやると思いながら。
「……ずっと結婚できなかったらさ、鶴丸一緒にいてくれる?」
 審神者の丸い、幼さの残る瞳が鶴丸国永を見上げた。尋ねるというよりは、確かめるような視線だ。不変を望んでいたのはなにも刀剣らだけではない。鶴丸国永はここ一番の笑顔を浮かべ、それに頷いた。
「ああ、墓まで一緒だ」


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