「何か、見てわかる形があってもいいのではないかと思って」 そう言って富田江が差し出したのは、革張りのジュエリーケースだった。約六センチ角に厚みを持たせた形状から想像される中身はひとつだけで、ゆえには身構える。握らされたそれを、恐る恐る二枚貝と同じように開いた。 ベルベット地のクッションに鎮座するのは、彼女の予想を裏切らないゴールドの指輪だった。は、富田江の顔と指輪を視線で行き来させる。彼はの反応を窺い、柔和な笑みを浮かべていた。 と富田江は恋人同士である。ここに至るまでの経緯は省略するとして、刀剣男士とそれを形にし、刀剣の魂を所持する主人の関係でありながら、互いに好意を持ち、それを確かめ合った仲だった。 社会一般的価値観に於ける恋人関係として、男性から女性へのアクセサリー——特に指輪の贈り物は喜ばれるものだ。今では特殊な職に就く彼女も、自身をなんら変わったところのない成人女性だと認識している。にもかかわらず彼女が狼狽えるのには、[[rb:理由 > わけ]]があった。 富田江は自ら名乗るだけあって、見目所作どこを取っても気品あふれる王子様のような男だ。自称するには些か大仰な異名は、恋人への対応にも適応されるようで、彼はそれらしく振る舞い、をお姫様よろしく扱った。 彼女が口にした些細な願いひとつすら取りこぼさず、それどころか胸の内に留めた思いすら汲み取る。他人の言葉に耳を傾け、よく見て、よく知ろうとする、天下の交渉人と呼ばれた人物の物語から呼び起こされた彼だからこそできる[[rb:業 > わざ]]だろう。 交際が始まって間もない頃こそ、やりすぎとも呼べる献身には戸惑った。しかし彼と過ごす時を重ねれば重ねるほど、これはただのためだけに行なっているのではないことが見えてきた。決して露わにしない孤独や不安が、きっと彼の心の奥深くにあるのだろうと。彼の献身がそれを埋めることに繋がるならばと、はそれを受け入れる事にした。 ——で。 ならば、唐突なプレゼントはその一環であるとも呼べる。にもかかわらずが疑問を抱いているのは、彼女がそれを望んだことがなかったからだ。 怠惰に眼を霞めば気に留まらないほどにさりげなくの意を汲む彼が、望んだわけでもない贈り物を用意することが奇妙だった。そこには間違いなく、富田江がなんらかの理由でこれを贈りたいと思った意図が介在している。は、それが知りたかった。 「出来れば、身につけてくれると嬉しいのだけど」 「えっ、も、もちろんつける。ごめん、突然だったからびっくりしてしまって」 指輪を眺めるばかりで触れようとしないに、富田江は苦笑する。がつるんとした美しい曲面に触れるのを躊躇っていると、富田江は「私がつけても構わないかな」と訊ねた。 「……お願いします」 彼女は頷き、ジュエリーボックスを富田江に突き返す。富田江はの右手を取った。 ふたつ手が並ぶと、指の長さの違いが顕著だった。富田江はすらりとした指で、金色の輪をの中指に通した。 富田江もまた、同じ位置に似た指輪を嵌めている。〝富田江〟を人の姿に押し固める上で形になった戦装束のひとつとはいえ、こうしているとペアリングのようだ。『見てわかる形』という言葉通り、彼も意図してのことだろう。元は物である彼が別の物に縁を見出すのは、少し不思議だとは思った。 「似合っているよ。君の肌の色によく映える」 「ありがとう……。あの、嬉しいんだけどさ。特に記念日とかではないよね? なんで?」 「お姫様に贈り物をするのに理由が必要かな」 「はぐらかそうったってそうはいかないからね」 「ははっ、手厳しいね」 にじとりと睨まれて、富田江は楽しげに笑った。 の手を握ってまま、確かめるように親指の腹で彼女の手を摩る。心の内が見通せない美術品めいたよく出来た微笑ではなく、満足げに目を細めていた。 「君にこうしていて欲しかった。それだけでは足りないかな」 「なんか上手いこと言われてる気がするけど……」 富田江がにするように、彼女もまた彼の望むことをしてやりたいと常々思ってはいるものの、現状それは全く果たせていない。指輪を嵌めることが富田江の望むところならば、外す選択肢はになかった。 たとえアクセサリーを身につける習慣がなくとも、恐らくは身分不相応な価値を持つ物品であろうとも。生活動線の至る所にアクセサリートレイを設置してでも、この指輪と——少なくとも、彼と共にいるうちは暮らしていかねばならないと決意したのだった。 刀剣男士らが指輪に気付くのは早かった。元々、富田江との関係は明らかにしている。故に特に疑問を持たれることはなかったが、茶目っ気のある者には多少囃し立てられた。 それは右手の感覚と共に擽ったいものであったが、前者に関しては彼女が思うよりずっと早く慣れてしまった。朝起きて最初にするのが、ベッドサイドのトレイから指輪を身に着けることになり、今では嵌めていないと違和感を感じるほどだ。 指輪の存在は次第に彼女の生活にも影響を及ぼした。身に着ける物の位を上げると、人はそれに相応しく振舞おうとする。 右手の中指はことあるごとにの目に留まって存在を主張し、それが粗雑な行動を躊躇わせた。金色の光沢はの背筋をぴんと張らせて、不思議と指先の動きまで気を配りたくなる。 まるで魔法だ。そんな力がこの指輪にあるとすれば、それをかけたのは富田江に違いない。 段差をひとつ下りるだけでも、彼は手を差し伸べる。最初こそ面倒じゃないかと思っていたものの、今ではそれが当たり前になった。 一介の小娘にどんな魅力を見出したのか。それは今でも疑問だが、どうやら彼は相当自分を大切に思っているらしい。は、そう自負している。 お姫様になりたいなんて幼稚な夢は小学校に上がる前に卒業したつもりでいたが、もしかすれば彼は、の心に残った童心のかけらすら見抜いていたのかもしれない。 〝審神者〟は軍を率いる将でありながら戦の大局で見れば矢のうちのひとつだ。いつか血に塗れ骨も残らぬ無残な死を遂げる運命で、お姫様なんてきらびやかな呼称は似つかわしい。 それでも、魔法をかけてくれた彼の前でだけはお姫様でいられる気がした。 浴室の扉を開けると、脱衣所に湯気が広がった。 寒さに身震いしていると、柔らかなバスタオルに包まれる。顔を上げると、富田江の髪から伝った雫が頬に落ちた。 金色の瞳は煙ることなく細められて、濡れた長いまつ毛には重みすら感じられる。彼が自分の髪をかき上げると丸い額があらわになって、は胸をどきりと高鳴らせた。白い肌は微かに上気している。 そんな様子に見惚れている隙に、富田江はの髪から水気を取りにかかった。 「自分でやるから。富田も拭いて」 「私は後でいいから」 やさしい口調には有無を言わさぬ圧がある。彼は櫛での髪を梳かした。が自分でするよりもずっと丁寧に、彼は髪を乾かしていく。富田江の髪がいつ見ても美しいのは、こういう細やかさによるものだろうか、とは思った。 結局彼にされるがまま、湯上りの手入れをすべて施されたは、入浴前、服を脱ぐときに一緒に外した指輪の乗ったアクセサリートレイに手を伸ばした。すると富田江が、彼女の手を取ってそれを制する。長い指が絡んで、恋人つなぎの形になった。 彼は瞼を伏せ、振り向いたの手の甲に口づけを落とす。湯浴みで温まった体が、さらに熱を持った気がした。言葉なく先を急かされて、は言葉にしがたい思いで胸が苦しくなった。 「ベッドの近くに置いとかないと、ここに置きっぱなしなの忘れちゃうかも」 「私が覚えておくよ」 「……うん」 脱衣所を出ると、すぐに狭いベッドがふたりを出迎えた。マットレスに身が沈む。薄暗い寝室の中で、唇を合わせる音だけが小さく響いていた。 演練場はいつも以上に賑わっていた。 人の密集した空気に気疲れしたは、喉を潤そうと刀剣男士らを置いて自動販売機を探していた。すると、背後から声をかけられる。同業の友人であった。 彼とは二週間ほど前に、数年ぶりの再会を果たしたばかりだ。次に会えるのはいつだろうと思っていたが、縁とは続くものらしい。以前会った際は長い付き合いの恋人と別れたばかりだとかでげっそりやつれていたものの、今日はの知る彼らしい笑顔を浮かべていた。 刀剣男士らをおいて立ち話をしていると、友人は不意にの手を掴んだ。男女問わず親しみやすく距離の近い人物なので、彼女も気には留めない。友人の視線は、まじまじと指輪に注がれていた。 「お前、これ男?」 「えっ?」 「こういうのしないタイプだろ」 「……えーと、うん。彼氏」 直接的な問いに、はどこまで答えるべきか迷った。刀剣男士と審神者が恋愛関係になることへの是非は人それぞれだ。彼のことを友人として好意的に思っているものの、彼がこの件を聞いてどう思うかを考えると、全てを話すのは憚られた。 「なんだよ、言えよ!」 「別れたばっかの人に言えるわけないじゃん」 「そりゃそうだ」 どっと笑いが湧く。相手について訊ねられることはなくやり過ごせたことで、は内心胸を撫で下ろした。 話が長引いたせいか、相手の刀剣男士が彼を呼びにやってきた。一言二言言葉を交わし、も自分の刀剣男士を待たせていた場所へ戻ろうとつま先を向ける。すると、ちょうど富田江が迎えにきたところだった。 「ごめんね、お待たせ」 「楽しそうな声がこちらまで聞こえていたよ」 「へへ……」 友人との話で彼の存在に触れられたばかりのは、少しだけ照れ臭く思った。 何の前触れもなく、手が絡められる。どちらが何を言うでもなかったが、互いに審神者と刀剣男士しての公の場での触れ合いは避けていた。人気が無いとはいえ、ここは時の政府の施設内だ。 「少しだけ」 が口を開く前に、前を見たままの富田江が言う。 さほど長くない廊下を抜ければ刀剣男士らの待つ場所がある。駆け抜ければ数秒にも満たない距離を、ふたりはゆっくり歩いた。 [newpage] 心を得て、己の身を刃で斬られる以上の苦痛があることを富田江は知った。 応えることは嫌いじゃない。求められるままにあることは彼にとって呼吸をするのと同義で、己の思うままに行動するよりも相手の楽し気な顔を見ている方が心が満たされた。それが大切に思う相手――片割れや今代の主であれば、なおのこと。彼らは揃って富田江のそんな在り方に思うことがあるようであったが、線を引けばそれ以上追求することはなかった。 きっかけは些細なことだった。 には同業の友人が多い。演練場で鉢合わせ、声をかけられることは珍しくなかった。 審神者に就任する前、必要な知識を学ぶための場で出会った者がほとんどであるらしく、男女問わず同世代が多い。相手が異性だという理由で目くじらを立てるほど富田江は狭量ではなかったから、友人との再会を喜ぶ彼女を微笑ましく思っていた。 その日も同様に、は男と気さくに話していた。友人の中でも親しい部類に入るのか、いつも以上に砕けた口調だ。富田江はの横顔を「あんな顔もするのか」と思いながら眺めていた。 そんな時、聞き捨てならない一言が彼の耳に飛び込んできた。 男は長年の交際していた相手と破局したばかりであるらしい。は冗談混じりに、彼を慰めていた。気を紛れさせるための軽口の応酬の合間に、彼は言ったのだ。幾つまでに結婚出来なかったらお互いで妥協するか——とか、なんとか。 富田江は、自分の表情筋が強張るのを感じた。 の結婚について、とやかく言いたいわけではない。今でこそ恋人と名の付く関係に収まってはいるものの、彼女が望むなら手を離す覚悟があった。が最も幸せになる道ならば、強がりでもなんでもなく本心から離別を選べる。富田江は、そういう男だった。 ただ、彼女が軽んじられることだけは許せなかった。富田江の知らない時間を過ごし、互いを許し合う関係性の上に成り立つ冗談だとしても笑えない。 どんな望みにでも際限なく応えてあげたいとさえ思う相手が値踏みされているのを目の当たりにし、腑を引き裂かれるより、四肢を落とされるより、ずっと苦痛だった。 男に悪気はなく、ただ富田江との関係を知らなかったのだろう。親しいふたりの関係に立ち入ることは恋人だとしてもお門違いだと思った。 ならば、富田江に出来るのは、この先こんなことが起きぬようその原因を断つことだけだ。そうして——誰からも、の周りの人間からもわかりやすい形を選んだ。 独占欲や所有欲というものには縁がないと思っていたが、彼女の右手にそれが嵌っているのを見ると気分が良かった。ただ道具の[[rb:性 > さが]]か、あの男にすら抱かなかった嫉妬心が湧き上がる。の部屋で、あの指輪はいくつも居場所を与えられていた。 窓の外、夜明けの白んだ空を富田江は見つめる。の寝室は、かつて一人で暮らしていた部屋を模したつくりになっていた。本丸の中でこの部屋だけが、真実の平穏を保っている。富田江たったひと振りを除いて、戦の気配が持ち込まれることはなかった。 富田江は、狭いベッドで眠る彼女の何にも飾られていない右手を握った。