大切だからね
「君って彼氏とかいるの?」
ステンドグラスを模したガラス窓から差し込む光が幻想的な店内だった。対面に座る男の紹介で来店した喫茶店は、雰囲気もメニューも二重丸の感じの良い店で、てっきり時の政府管轄の適当なカフェラウンジなんかで話をするのだと思っていた審神者は、突然こんな小洒落た店に連れて行かれて驚いたものだが、それはそれとしてこんな素敵なお店を知れたのなら来て良かったかもしれない、なんて無理やりポジティブに事を捉えようとしていた。要は、この面会に審神者はあまり乗り気でなかった。
彼女が審神者に就任するまでの時間遡行軍との戦いは、それはそれは大変だったらしい。今では蓄積された戦闘データなどを元にプログラムが組まれ、審神者への負担も随分軽くなったが、以前は敵との交戦も訓練も非常に厳しく、音を上げてその任を退く者が後を絶たなかったそうだ。
そんな今の審神者への支援として、師弟制度が実験的に進められていた。熟練審神者をマンツーマンでつけることで、新任審神者をサポートしようという取り組みらしい。彼女の対面に座る男こそ、師として時の政府から当てがわれた熟練審神者だった。
審神者としての力量は、こんな大層な役目に選ばれるだけあって文句なしだった。顕現できる全ての刀剣男士を本丸に揃え、その大半が修行を経て力をつけている。
しかし、どうも彼女とは滅法そりが合わない。やや価値観が古く、女である審神者をわざとか無意識にか、見下してかかっているのが言動から見て取れた。
おまけに刀剣男士と恋仲になる女審神者を蛇蝎の如く嫌悪している。そして彼女はその対象にあたるので、口が裂けても恋人の存在——審神者の隣で微笑みを浮かべている富田江との関係を、明かしてはならなかった。
刀剣男士との恋愛関係を嫌う男、自分、恋仲にある刀剣男士——居心地の悪い三角形の中では、カフェの店主手製のプリンを満足に味わうことができなかった。
そもそもここへやってきたのは、男から唐突に「最近の戦績見てやるから来いよ」と呼び出されたからだ。こんなプライベートの話をするつもりは毛頭なく、だから感じの悪い異性の先輩と対面するにあたって、「富田が隣にいてくれたら心強いんだけど」と彼に護衛を頼んだ。
相手は刀剣男士を連れておらず、当たり前の顔をして彼女の背後に立っている富田江に嫌悪の表情を見せたが、富田江は人の心を懐柔させれば右に出る者はいない交渉名人である。微笑み一つで無害の存在を装って、『お守りみたいな置き石』程度にまで自身の意識を下げさせた。
そうして、冒頭の問いへと戻るわけだが。
素直に「富田江とお付き合いをしています」と言ってしまえば、この男の態度は一変して苛烈なものとなるだろう。何事も穏便に済ませたい性質の審神者として、それはなるべく避けたかった。
しかし富田江の前で、「恋人はいません」と否定するのも気が引ける。彼はきっとその場限りの嘘だというのを理解するだろうし、そんな些細なことに目くじらを立てるような狭量な男ではなかったが、富田江自身が自覚しないほどの小さな傷だとしても、審神者の言葉で彼を傷つけるような真似は絶対にしたくなかった。
迷いに迷った末、審神者が選んだ回答は、
「います。七人くらい」
という、常識的にあり得ないものだった。
当然、男は変な冗談を言い出したと口元を歪めた。審神者はこれまで、男に対し従順で素直で物分かりの良い後輩を演じてきた。教本で習ったのと違う指示を受けても「そういう方法もあるんですね」と受け入れて、偏った持論に頷き続けた。
どうせ、師弟制度は数ヶ月後には解消される。師である彼はある程度審神者を講評する立場にあって、そこで波風を立てて悪い評価を受ければ、最終的に皺寄せを受けるのは彼女の本丸の刀剣男士だ。自分がしばらく我慢すればいいだけ、と飲み込んできたが、ここばかりは引いてはならぬ気がした。
そもそもこの話は審神者業とは一切関係ないのだし。きっとここで「いません」なんて言えば、男は立場を利用して迫ってくるかもしれない。それならもう、話の通じない女だと思われるのが最も得策ではないか。そんな考えが、素っ頓狂な発言に繋がったのだった。
馬鹿にされたのだと思った男は、その後すぐに話を切り上げて迎えの刀剣男士を呼んでいた。やってきたのは和泉守兼定で、自身の主と審神者を見比べたのち、ドカッと雑に彼と肩を組んで、「主、まァた振られたのかよ」とケラケラ笑った。顔を真っ赤にして和泉守兼定の背中を叩いている姿を見て、案外自分の刀剣男士とはうまくやっているのかもしれない、と審神者は笑いを堪えた。
せっかく感じのいい喫茶店に行ったのに、これでは消化不良だと、審神者はマップで近場にあるカフェを探して富田江と向かった。審神者はすっかりちょっとしたデート気分で、後ろを歩いていた彼を振り返り、手を掴んだ。富田江はそれに応えて、掴まれた手を恋人繋ぎに握り替え、審神者の隣を歩いた。
「君には七人も恋人がいたんだね」
「うっ、あれはその場しのぎで……」
「それで、私は何番目なのかな」
「ご、ごめんってば……」
「ははっ」
富田江の表情に険は見えず、審神者の突飛な嘘をからかっているのは明らかだった。それでも審神者は真っ向から慌てて、その様子に富田江が珍しく歯を見せて笑う。
「ごめんね、富田のこと隠して」
「気にしていないよ。全てを明かすのが最適解とは限らないからね」
「うん、でも……」
審神者がもごもごと口籠ると、富田江はふっと息を吐き出すように笑った。
見上げた眼差しは柔和で、審神者はふと顕現当初のことを思い出す。口調や態度は柔らかいのに、やけに冷たい目をした人だと思ったのだ。当時の彼が何を考えて本丸へとやってきたのかは知る由もないが、それでも今は人の身を、自分のもとで過ごすことを少しでも楽しんでくれていればいいな、と思った。
「私のことを気遣って言葉を選んでくれた。それだけで十分さ」
「富田……」
「行こう。特盛パフェのお店、だったかな。ふたりで食べ切れるといいのだけれど」
「……うん!」
富田江の言葉に笑顔を取り戻した審神者の足取りは、弾むようだった。
店に到着し、テーブルに届いたパフェのサイズに圧倒されたふたりが、慌てて呼んだ助っ人の稲葉江に「人選を誤っている」と圧をかけられるのは、また別の話である。
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