白く染まるまで
一緒に歩いているときに手を繋いで欲しいと言ったらそうしてくれたし、キスしてみたいと言ったら触れるだけの口付けをしてくれた。
私と富田江という刀はそういう関係で、決して恋人なんかじゃない。私は富田江のことが好きだったけど、富田江の口からそれらしい言葉を聞いたことは一度もなかった。
きっと私が「好きって言って」と言えば彼はそれに応えてくれるんだろう。けれど、どうも彼の心を偽るような言葉を言わせるのは躊躇われて、何より欲しい言葉を求められずにいる。
ただきっと、富田江はそういう私のめんどくさい部分も理解していて、その上で私にその言葉を求めさせないようにしている気がしていた。すべては私の妄想だけれど、きっと真実はそう遠くないところにある。富田江ですら、それに気付いているか定かではないけれど。
エッチなことをしてみたい、と言ったら富田江は顔色一つ変えずに「私と?」と訊ねた。
ふたりきりの部屋で、他に誰がいるというのだろう。言葉にしたことよりも頷くことが恥ずかしくて、私はそのまま下を向いていた。
富田江は少しだけ黙って、考え込む素振りを見せた。
「今すぐに、とはいかないかな」
別に私も、今すぐしたくて言ったわけではなかった。「してくれるの?」と掠れる程に小さな声で聞き返せば、「君の望みなら、応えよう」と富田江はいつも通りの返事を返す。
「何言ってるかわかってる?」
「それは、君も同じことだよ」
言われて、確かにそうだ、と思った。私は処女で、エッチなことが具体的にどのような内容なのか――女性器に男性器を挿入して射精する、という保健体育の授業で最低限習うようなことは知っているけれど、それ以外の詳細な作法までは知らなかった。だからこそこんなに情緒もなく、抑えきれぬ好奇心が暴走するままに口走っているのだ。
言ってしまった以上は怖気づいたって仕方がなく、私が「富田としたい」と言葉を重ねると、富田江は「準備が必要だから日を改めよう」と言った。私は頷いて、その後については彼に委ねることにした。
日を改めようと言って有耶無耶にするのではないか、なんて思っていたのに、富田江は数日も経たないうちに人目を避けて「先日の話だけど」と私に囁いた。この日の晩なら都合がつくよ、と言われ、私はカレンダーを見る前に了承する。
よく知らないけど、そういうお店みたいだと思った。エッチなことをするために日取りを決めて、予約するみたいに。この場合、買うのは私側になるんだろう。富田江はそういうことを望んでいないはずだから。
その日、私はバカみたいに貰い物の良いシャンプーとトリートメントで髪を洗って、いい匂いのするボディミルクで身体をべたべたにした。パジャマを着ても自分の肌からは花の香りが立ち上がって、居心地が悪い。
いかにも抱かれにきましたという準備をしている自分が気持ち悪くて、もう一度お風呂に入って洗い流そうかな、とまで考えたけれど、その前に富田江が部屋に来てしまった。
二組敷いた布団の真ん中に正座したまま、私は扉の前で待つ富田江に「入っていいよ」と声をかける。彼は寝間着の浴衣姿で、髪を後ろで束ねてそれを肩に流していた。色っぽい、と思う。女の私よりずっと。
「待たせてしまったね」
「ううん、全然。……えっと」
「緊張してる?」
「うん、まあ。……ほんとに、してくれるの?」
「そのつもりで準備はしてきたよ」
準備って何だろう。富田江は、そわそわと落ち着かない私の隣、布団の上に座る。
他に誰かと付き合ったこともなく、男遊びなんて縁がなかった私は、当たり前にエッチなことなんてしたことがなくて、どういう経緯で行為に至るのかがまるで想像も付かなかった。キスとか、したらいいんだろうか。
富田江の顔を見ると、彼は私をじっと見ていた。金色のうつくしい瞳に汚い欲望にまみれた私が映っているのが耐えられなくて、目を逸らす。するとそんな私の頬を、富田江の指が撫でた。
「花の香りがするね」
「うん。ボディークリームつけた」
「もう少し近くに寄っても構わないかな」
こくりと頷く。近くにというのだから距離を詰めるだけかと思えば、富田江は私の肩に手を回し、身体を抱き寄せた。
バランスを崩し、私は彼の懐に飛び込むような形になる。胸板に手を着くと、彼は私の項に鼻を擦りつけていた。
「これは何の香り?」
「ラベンダー、だったかな。たぶん、紫だから」
「そう。初めて嗅ぐ香りだ」
「本丸にはラベンダー畑、ないも、んっ……」
突然、首筋を吸われた。ちゅ、ちゅと口付けられて、耳のそばで音が立つものだから、私の鼓膜は富田江のくちびるの音でいっぱいになってしまう。
恥ずかしい、恥ずかしい。息が近い。
私が緊張して彼の浴衣の布を掴むと、ふ、と笑うような息が聞こえて、それもまた私の羞恥を煽った。
「顔を上げて」
「ん、っ……」
言われるがままに顔を上げれば、富田江は私に口付けた。さっきと同じように音を立てて触れるだけのキスを繰り返す。抱えられた後頭部で指が頭皮を擽る感覚すら気持ち良くて、変だった。
キスなんて、薄い皮膚がくっついてるだけだと思っていたのに。唇の間に、何か濡れたものが割って入る。舌だ。富田江の舌は薄くて、私の唇を容易く割った。
女の子とキスをしたことがあるわけじゃないけど、なんとなく女の子みたいな舌だと思った。王子様なのに、こんなところはかわいいんだ、なんて思ってどきどきして、体がすごく熱くなった。
富田江の舌が咥内で私の舌を探し出す。奥に引っ込もうとしていたそれと表面が擦り合わされて、神経がぞわりと泡立った。
私はだらしなく口を開いたまま、富田江にされるがまま舌を掬われ、咥内を撫でまわされていた。口で呼吸が出来なくて咳き込んでしまいそうになったところで、彼の唇が私を開放する。上体を丸めてけほけほと咳をすると、そのまま布団に押し倒された。
「あ、」
「……どうしたの?」
「い、いや、なんでもない」
これはちょっと知ってる、と思った。エッチなことをするとき、大抵フィクションの男女はこうして上下に重なっている。キスをする前はエッチなことってどうやってするんだろ、なんて思っていたのに、ちゃんとそういう流れになっていることに私は感動すら覚えていた。
富田江はこういう手順をどこで覚えたんだろう。ふと一瞬、富田江が別の女性と上下になっている姿を想像する。考えたくもない情景を振り払って、体の下敷きになっている掛布団を掴んだ。
ぎこちない私を導くように、富田江はまた首筋にキスをした。今度は擽ったいけれど、先ほどのような驚きはない。
富田江の口付けは少しずつ降下して、彼は手を私の服の裾から忍び込ませた。やわらかいタッチで腹を撫でられる。腹筋が綺麗に割れた彼と違って、引き締まっているわけでもないぷよぷよのおなかだ。恥ずかしくて腹筋に力を込めると、鎖骨の上で富田江が笑った。
「笑わないで……」
「ごめんね。君のお腹は柔らかいんだね」
「うるさい、筋肉ないから仕方ないじゃん」
「うん。私と違うと思ったんだ」
なんだそれ、と言おうとした唇を、富田江が塞いだ。キスに翻弄されている間に、服がお腹が見えるくらいまで捲り上げられる。上顎をべろりと撫でられ、驚いて身体を跳ねさせると、その隙に浮いた背中の下に手が回ってブラのホックが外された。
開放的になった胸を、服の下に差し込まれた大きな手が包む。富田江が私のおっぱいを触っていると思うと、どきどきすると同時に奇妙な気持ちになった。
「ここも、柔らかい」
「………っ」
気持ちいいとか気持ちよくないとかは、正直まだわからなかった。ただ誰にでも触れさせていいわけではない場所を誰かに触られているという非日常からか、高揚に近い不思議な感覚が私を包む。決して不快感はないのに、してはいけないことをしているような、だからこそ特別なことをしているような、不思議な感覚だった。
「あっ!」
富田江の指先が僅か引っ掛かる程度に乳首を掠める。思わず声を上げてしまって、思わず両手で口を塞いだ。私がそれらしい反応をしたからか、富田江の表情はどこか満足げだ。彼の指はあわいの部分をうろついて、私はまた先に触れられるかもしれないと身を強張らせていた。
彼は服とホックを外した下着を胸の上まで捲り上げてしまって、私の胸は富田江の視界に晒されることになった。突如触れた外気が肌寒く感じる。
元より大きくもない胸が重力で流れて、ほとんど平坦になっていた。それを彼の手が集めるように捏ねたり、時々先端に触れたりして、おもちゃの粘土にでもなった気持ちだ。けれどこれは現実逃避でしかなく、私の身体は知らない感覚を拾い始めている。富田江が先端に口をつけると、それはようやく形になった。
「……っ」
ちゅう、と先を吸われると、内側の芯がびりびりとしびれて、触れてもないお腹が熱くなる。ちゅっ、ちゅと口を窄められる度、下腹部が締まるような感覚だ。触れていない方の乳首は、先端を指の腹で撫でられていた。
鳥肌が立つみたいに乳首が固くなって、そうすると触れられるたびに感じる刺激も大きくなる。快感を逃がそうと上半身をうねらせるのに、それがもっと欲しがっているような動きになってしまって、それが恥ずかしくてたまらなかった。
「君のここがこんなに腫れている。私に気持ちいいと教えてくれているんだ」
「…………」
「ここ以外も、教えてくれる?」
それは問いでありながら、私の答えを待ってはいなかった。富田江の手が私の脚を持ち上げて、ボトムのゴムに手をかけた。
あっ、と思った時にはもう遅く、下着ごとズボンを下ろされてしまう。脚を上げているから富田江にお尻を向けるような姿勢で、まるでおむつを変えて貰う赤ちゃんみたいだ。恥ずかしい、消えたい、と顔を塞いだが、彼は気にせずそのまま私の脚からズボンとパンツを抜き去って、下半身を裸にしてしまった。
見よう見まねで処理をした下生えごと、恥ずかしいところが全部晒されている。隠そうにも太ももを抑えられて、私には何の抵抗も出来なかった。おっぱいも、お尻も、……パンツの下も。全部富田江の視界に収まっていた。
エッチなことをしたいと言ったのは私で、それはつまり、全部彼に見せるということだ。それを私は分かっているようでいて、真に理解をしていなかった。
私は目を瞑って、腕で顔を覆う。私には何も見えないのに、富田江の目にはすべてが見えている。それが恥ずかしくて、恥ずかしくて、……内側から何かが溢れた。
富田江が私の——下半身に触れたのがわかった。指の先端がちょんと当たっただけなのに、私は大袈裟に反応してしまって、宙に浮いた爪先が揺れる。
くち、くちと粘液の音がして、見なくても濡れているのがわかった。液体が尻の方へ垂れてしまうくらい溢れているのを感覚で理解する。キスされて、胸をちょっと触られたくらいでこんな風になってしまって、あんまりにもはしたない。
腕の隙間から富田江を覗くと、彼は真剣な顔で私の足の付け根に顔を埋めている。私の視線に気付くといつもの微笑みで目を細め、粘液がまとわりついた指で陰部を撫でた。
「ちゃんと感じてくれているんだね」
「…………っ」
「必要ないかもしれないけれど、君に痛い思いをさせてはいけないから」
富田江は一度私の身体から離れると、何か筒のようなものを手にした。確か、部屋にやってきた時も、恥ずかしくてよく見られなかったけれど——というより、富田江が私の視線にそれを晒さないようにしながら、何かを持ってきていた気がする。
なんだろう、と思っていると、ひやりとした感覚が肌を伝った。粘りを帯びた液体が私の下半身を滑る。あまりの冷たさに声を上げると、富田江が控えめに「ごめんね、驚かせたかな」と謝った。
「っ、なに、なに?」
「少し慣らすよ」
「んっ、ッ……!」
液体の伝った場所をその上から富田江が触れるうち、私か富田江の体温が伝わって、液体は温まっていく。先ほどより派手な水音がして、いわゆる潤滑油ってやつかな、と私は思い至った。
割れ目をなぞるように富田江の指が動く。最初こそ羞恥や違和感ばかりでよくわからなかったのに、繰り返し擦られているとなんだかそこが熱くなってきて、呼吸が浅くなっていく。
ぴく、ぴくと脚が跳ねて、吐息に声が混じるのを抑えられなくなってくる。富田江は私の反応を見ながらゆっくりと私が感じる部分を探っているようで、私が明らかな反応を見せると、そこから離れたかと思うとまた焦らすように触れたりして、私の熱を昂らせていった。
全身に汗がじっとりと滲んで暑苦しく、頭皮が湿っぽく感じた。
「っ、……っあ、ッ……!?」
不意に富田江が強くそこを掻いて、私は腰を跳ねさせた。筋を撫でられていたときの炙るような快楽とは別の、鋭さが私を襲う。神経に直接触れられたような感覚に、快楽と恐怖が同時に込み上げた。
「ここが気持ちいいの?」
「わ、かんない、なんか、びくって……」
「そう、では確かめようか」
確かめるって、と聞く前に、再び富田江はそこに触れた。今度は芯を下から捏ね上げるような動きで、ゆっくりなのに明確にそこに触れて、お腹の奥がきゅうっと熱くなる。何かを掴んでいないと耐えられなくて、私は枕を掻き抱いた。
腰がうねって逃げようとして、けれど富田江は的確にそれを追い、そこを刺激する。こりゅ、こりゅと軽く押し潰されると中からじわっと熱が滲んで、滴っていく。繰り返し執拗に、富田江の指はそこを責めた。
「んっ、うぅ、う、ッ……」
「奥から溢れてきている。気持ちいいんだね」
「ッ……、やっ、とめて、待っ……」
自分の意思で止まられないくらい腰が震えてしまうのが怖くて、思わず富田江を制止する。富田江はすぐに手の動きを止めてくれたけれど、開いてしまった足を閉じるだけで水音がして、あまりのはしたなさに顔から火が出そうだ。
頭も体もきもちいいでいっぱいなのに私の心だけが付いていかなくて、恥ずかしかって、先に進むのを躊躇ってしまう。息を整えようと枕に顔を埋めてはぁ、はぁと荒く呼吸をすると、富田江が動いたのがわかった。
「怖いなら、日を改めようか」
言い出した手前、やめたいとは言えない私を気遣っての言葉選びだろう。枕から顔を上げると、着衣を乱していない富田江は、微笑みすらも日頃日の下で見るのと変わらぬつくりだった。。私だけが肌をさらして、それがまた恥ずかしい。私にできるのは、首を横に振ることだけだった。
「いい、いいから、続きして……」
「辛いならやめてもいいんだよ」
「つ、つらくないっ! 恥ずかしいだけ、……恥ずかしいから、もう止めないで。いやって言っちゃう……」
我ながらめちゃくちゃだと思う。したいって言いだして、恥ずかしくて怖気付いて、でもここで止めるなんて出来ないから嫌がっていても進めろなんて。怒ってやめてしまってもいいところなのに、富田江は「そうか。君がそういうなら、わかったよ」と穏やかに答えた。
「本当に無理だと思ったら、蹴り飛ばしてくれて構わないからね」
「う、うん……」
ゆらり、と富田江の影が揺れ、なんでもないことのはずなのに、私はなぜかそれが怖かった。
枕を抱いたまま頷くと、彼は私に顔を寄せ、頬にキスをする。ちゅ、ちゅ、と何度も優しく触れられて、知ったスキンシップに私の心は少しだけ落ち着きを取り戻した。
さっきまで恥ずかしくて怖くて堪らなかったのに、富田江にキスされると大好き、以外の気持ちがなくなってしまう。頬だけでなく唇にキスして欲しくて、枕を顔から離すと、望んだ通り富田江は唇に口付けた。
「あっ、あ、ああっ、ッう、ンンっ! ぅ、あぁっ……!」
いやと言ってもやめないで、と言ったのは私で、富田江はそれに応えてくれただけ。全部自分が望んだことなのに、私は過ぎる快楽に頭がおかしくなってしまいそうだった。
私の股座に富田江のお人形さんみたいな綺麗な顔が埋まって、それだけでも信じられないのに、あろうことにも富田江はそこに舌を這わせていた。
さっき指で捏ねられた部分を舐め回されたり舌先でつつかれると堪らなくなって、逃げたいのに腰は富田江の腕に掴まれていて、ひたすら快楽に押し上げられる。柔らかくて熱くてぬめぬめしたものがそこを這うなんて初めてで、それだけでこんなに頭がおかしくなってしまうくらい気持ちいいのが信じられなくて、私は情けなく喘ぐしか出来なかった。
「ここも張って、赤く腫れているね。自分で触れたことは?」
「なっ、ないっ、ないですっ」
「そう」
富田江はそこから舌を離したかと思うと、指できゅっと腫れた部分を摘まんだ。ちゅこちゅことゆすられると奥がぎゅっと締まってびくびくして、息ができなくなる。こういうのがイくってやつなのかなと漠然と考えながらも、絶え間なく押し寄せる快感に思考が付いていかない。
頭がおかしくなりそうな快楽から降りられないのに、その間も指の動きはやめてもらえなかった。やだって言っても気持ちいいばっかりを与えられて、本能的な恐怖みたいなものを感じる。でももっと怖いのは、こうして知らない感覚をひとつひとつ富田江に教え込まれることにうっすらと背徳的な喜びを感じている自分自身だ。
再び舌を這わせると、富田江は指を入れて中を解した。そうしているうちにどんどん柔らかくなって、今では早くそこを塞ぐものが欲しくて内側が戦慄いている。
富田江が私の足の間から顔を上げた頃には、私は全身脱力しきって、はぁはぁと身体中を上下させて呼吸することしかできなかった。富田江が私の体液で濡れた口元を拭っているのが薄っすら見えて、その姿があまりにも蟲惑的で、見ているだけできゅんとお腹が疼く。
こわいのに、やだっていっぱい言ったのに、その先が欲しくなってしまって、自分で自分がわからない。富田江だからこんなに気持ちいいのか、私がエッチな女だったのか、それすらも判別がつかない状態だった。ただひとつわかるのは、私の身体は富田江を求めていて、目の前のこのだいすきな人にめちゃくちゃにされたくてたまらないことだ。
「とみ、っ〜……、ッ!」
「まだ狭いかな」
「っ、ん」
富田江が指を二本中に入れて、ぐちゃぐちゃのそこを確かめる。お腹側を触られると奥がぎゅっと熱くなって、茹でられたみたいだった。
指がもう一本増やされると流石に苦しくて、また冷たいのが垂らされる。でも今度は、触れた瞬間こそ驚きはしたもののそれが伝う感覚すら気持ちよくて、さっきまでこんな快楽知らなかったはずなのに全部富田江に教え込まれて、それがとても苦しくて、嬉しかった。
潤滑油と丁寧に慣らす富田江の手つきのおかげで、しばらくするとそこは十分に広がって、痛みはなくなっていた。指を鉤みたいに曲げられてお腹を押され、私はまたじわっと達してしまう。それは全部富田江にはお見通しみたいで、私がイったあとの気持ちいいのがずっと続く余韻にぐったりしていると、富田江の指がそこから引き抜かれた。
「もう十分だと思うけれど、どうする?」
「っ、あ……」
——君は、どうしたい?
恥ずかしいことを言わされているのが分かっているのに、私はそんな恥なんか捨てて富田江に縋りたくなっていた。
手を繋ぐのも、キスをするのも、エッチなことをするのも、全部私から言った。私からお願いした。だからこれも、私から言わなきゃいけない。富田江は私の刀で、私の願いに応えてくれるから。欲しいものは欲しいって、ちゃんと口で言わなきゃいけないんだ。
「と、とみたの、入れて欲しい、っ……、きももちいいの、して」
「君の望むままに」
恥ずかしくて顔を覆ってしまったから、富田江の動きは私の下半身に触れる感覚でしか察せなかった。漏れた吐息が聞こえて、彼が笑った気がした。
太ももを掴まれて、ぐしゃぐしゃに濡れた場所に固いものが当たる。これが富田江のなんだ、と思うと恥ずかしくて、直視できず私は視界を塞いだままでいた。
「痛みを感じたらすぐに言うんだよ」
彼の声に言葉で返事もできなくて、私は縦に頷く。先端が入ってくるのがわかって、私はつい息を止めてしまった。
さっきほぐされた場所に指よりも太いものが入ってくる感覚。私が息を止めていることに気付いた富田江が、「息をして」と声をかけたが、私は頷くだけでうまく呼吸ができなかった。
「んっ」
富田江の指が固い根本に触れて、私は思わずあえぐ。その隙にひゅっと喉に空気が入って、富田江が腰を進めたのがわかった。富田江が丁寧に慣らしたせいか、潤滑油のおかげか、痛み自体はあまり感じなくて、ただただ質量の大きなものが内臓に入ってくる苦しさと恥ずかしさでいっぱいいっぱいになっていた。
「とみた、」
「どうしたの、痛い?」
「い、たくない……けど、」
後どのくらい? と聞きながら、ちらりと手の隙間から富田江を見る。彼は珍しく困惑したように一瞬だけ視線を彷徨わせて、「もう少しだよ」と答えた。
富田江は打刀の中でも体格がいい方で、別にそれに比例するわけじゃないだろうけど、それなりに大きいんだろうなということは想像していた。でも今これだけいっぱいになってただ全部入っていないというから、とんでもないことだと思う。比べるような他の誰かもいないけれど。
「苦しいなら抜こうか」
「や、やだ、抜かないで……」
中はみちみちに富田江のが詰まって、引くにも先に進むにも苦しい状況だった。私が荒く呼吸すると、富田江は私の息が整うのをずっと待ってくれている。高い鼻筋に汗が伝うのがうっすら見えて、いついかなる時も余裕を崩さない彼がこんな風に表情を崩すのを見たのは初めてだったから、それがなんだか嬉しかった。
「富田はつらくない……?」
「私のことは、気にしなくていいんだよ」
「でも……」
私ばかり気持ちよくなるように触ってもらって、それがすごく不平等なことに思えた。
富田江も私の身体で気持ちよくなって欲しい。あわよくば、余裕のない顔が見たい。私だけがぐちゃぐちゃのとろとろにされているんじゃなくて、彼もそうあってくれたらいいのに。しばらく息を整えると、そんな欲が湧き上がる程度には私も余裕ができていた。
「富田にも、気持ちよくなって欲しい……」
「……私も十分、気持ち良くなっているよ」
「ほんとう……?」
訊ねたものの、富田江のことだから、私を気遣って本心を明かさないに違いなかった。どこまでも私のペースに合わせてくれる優しさが愛おしく感じると同時に、好きに求められたいと思ってしまう。私のそんな気持ちが顔に出ていたのか、富田江は足を抱え直して、「それなら、少し無理をさせるかもしれないけれど」と言った。
「ごめんね、動くよ」
「あっ、ん、んぅっ……」
中の富田江の物が抜ける感じがして、内側を擦られると鼻に抜けるような声が漏れた。束の間感じた切なさを押し返すように、再び富田江の物が奥を目指して入ってくる。
「~~っっっ……!」
ぞりぞり、と内側の壁の気持ちいいところが書かれて、声に出ないほどの快楽が走った。富田江は目を細め、眉根を寄せている。私が彼の顔を見ていると気付くとやわく微笑みを重ねたが、それでも普段より余裕の欠けた表情に、胸が高鳴る。
それから富田江はゆっくりと抽挿を始めた。先ほどまでずっと私の様子をうかがってくれていた富田江も口数が減って、気持ちいいのかな、なんて思う。外を触れられるような強い快感はないけど、彼のものが中を掻くたびにじわじわときもちいいのがずっと続いて、幸せだった。
人間ってなんでこんなことをしたがるんだろってずっと思っていたけど、それが少しだけ分かった気がする。大好きな人とぴったり触れ合って、その人が自分で快楽を感じてくれていることの多幸感は比類なきものだ。
「と、とみたっ」
「ん、……うん? どうしたの?」
「えと、えっとね、」
何か話していたくて、少しでも多く富田江とつながっていたくて、私は思わず彼を呼んだ。だけどこの場に適当な会話なんて知るはずもなく、言葉に詰まる。どこが気持ちいいとか好きとか、そういう言葉はうまく喉を通ってこなくって、迷った末になぜか出たのは、庭の睡蓮鉢で飼っているメダカの話だった。
最近卵が孵って赤ちゃんが生まれたの、とこの場にそぐわないことを言ったのに、富田江はそれを奇妙がることもなく、いつも通り相槌を返した。それどころか「あのメダカはいつから飼っているのかな」と世間話に乗るようなそぶりを見せる。けれどその声の合間には、熱っぽい吐息が混ざっていた。
「えっと、ん、ッ……とね、あっ、3年ぐらい前、……!」
誰かが買ってきてくれたの、とメダカを本丸に持ち込んだ男士の名前はあえて濁した。富田江とふたりの時間に他の人の名前を持ち出すのはマナー違反のような気がして。
富田江の動きが速くなって、言葉も途切れ途切れになる。揺さぶられるとうまく話せなくて、気持ちよくて、頭が回らなかった。富田江の顔を見ると、影がかかっているからか知らない人みたいに見えて、ちょっとだけ怖い。金色の瞳が闇の中できらきらしているのが、猫みたいだった。
「めだか、ちょっとずつね、っ、あ、あう、ッ、ん、ふえてるの、」
「うん、……」
「かわいい、よね、っ、ちっちゃくて……んんッ、まっ、まって、あ、」
「そうだね、……っ、かわいいね、」
「ん、んぅ、あっ、あ、だめ、まっ、とみた、ッ、あ、あ、……っ、」
激しく突かれると気持ちいいのがとめどなく流れ込んできて、私はもう喘ぐ以外出来なくなった。メダカの話をしているのに、富田江の口から聞いたかわいいの響きになかがぎゅっと締まる。体の自由が効かなくなってしまうくらい、びくびく激しく震えた。
さっき外を触られてイったのとは全然違うくらい長く気持ちいいのが続いて、喉から声も出ない。身を捩って手に力を込めて、腰がのけぞる。体の至る所に力が入ってしまって、それから崩れ落ちるように脱力した。
しばらくぼーっと天井を見ていると、中から富田江が出ていくのがわかった。もぞもぞ動いて彼を見ると、避妊具の始末をしている。刀剣男士と審神者の間では病気の心配もないと聞くけれど、そういう準備もしてくれてたんだなと思って、私がいかに考えなしにこんなことを言い出したのかをひしひしと感じた。
ぐったりしたままの私の身体をきれいにして、情事の跡を拭い去って、パジャマも着せなおして、富田江は私を抱いて布団に入った。もうどこも触られていないのに、まだ気持ちいいのが続いている気がする。
すぐそばに感じる富田江のぬくもりが心地良くて、幸せで、私はすぐに眠くなってしまった。
朝、目を覚ますと富田江はもう隣にいなかった。
二人分並んだ布団が虚しく、触れてみるも温もりは私一人のものだけ。私が目を覚ますより前にずっと、ここを出たのだろう。もしかすれば、夜明けを待つことなく私が眠ってすぐに出たのかもしれない。エッチなことをしてほしい、とは頼んだけれど、朝まで一緒にいてとは言っていないから。
二組分の布団を畳んで押し入れに仕舞って、私はちょっとだけ泣いた。
虚しかった。自分にあげられるものを全部あげて、彼のことを手に入れた気分になって、その実、私の手中には何も残らなかった。
富田江は私の持ち刀として私の願いを叶えてくれたけれど、そこに彼の意思など微塵も介在していない。ただ、望まれたから応えただけ。気付いていたけど目を背け続けていた事実が、肌同士を触れ合わせてことによって浮き彫りになって、ひどい悲しみに包まれた。
……どうせ、刀と人間だし。結ばれることはないから、せめてこの恋心を紛らわせるような恋人ごっこをすれば、胸の空虚な穴が満たされると思っていた。
見つめあって、手を繋いで、キスをして、抱き合って。なのに、その結果残るものなんて、何もなかった。
顔を洗って涙の跡を誤魔化して、朝食を食べようと食堂に行くと、奥の机で富田江がひとりでご飯を食べていた。
いつもなら彼の隣が空いているのを見ると大喜びで駆け寄って、一緒に食べたいと言っていたけれど、今はとてもそんな気分になれない。私は一番手前の、富田江とは反対側の席に座って、ぽそぽそと朝ごはんを食べ始めた。
しばらくすると粟田口が何振か連れ立ってやってきて、私の周りを取り囲む。「今日は主君と朝餉をご一緒できてうれしいです」と無垢な笑顔で言われて、罪悪感が募った。
——そんなふうに思われるような、立派な主君じゃないのに。あなたの主君は持ち刀に命令して、ひどいことを強要したんだよ。
そう、もう一人の私が耳元で囁いて、うまく笑顔を返せなかった。
その日から、私は富田江を避けるようになった。
富田江は私の本丸では比較的最近来た刀で、修行から帰った頼もしい刀が他にもいるから、戦力面では替えがきいた。接点を断とうと思えばあまりに簡単で、これまでのつながりがいかに自分が付きまとうことで成り立っていたものであるかを理解する。彼から私を追うことはなかったから、毎日のように話していた富田江とは、あっという間に顔を合わせることもなくなった。
……これでよかったのだと思う。富田江が視界に映らない日々は、穏やかだった。まるで、彼が顕現する前に戻ったかのようだ。
幼稚な一目惚れで富田江のことを好きになってしまった私は、彼が現れて以降、気が付けば彼のことを考えてしまうようになった。今となってはそれが当たり前で、けれど日常から彼の存在を排除してみると、拭うのは存外簡単なことだった。
富田江への気持ちなど所詮その程度だったのか、と自分に失望すると共に、こんなに早く気持ちを捨て去れるなら、彼に恥ずかしいお願いをする前にこうすればよかった、とも思う。もっとも、私がこの気持ちに整理をつけたいと思うようになったのは彼とそういうことをしたのがきっかけだから、きっと過去に戻って今の私がそう告げたとして、過去の私はそんなことはできないだろう。
ずっと富田江で固定していた近侍を日替わりに変えて、今日の担当は豊前江だった。
彼はあんまり事務仕事が好きじゃないらしく、「わかんねえ」「字がちっちぇーんだよな」「しかも多い」とボソボソ言いながら眉間を揉んで、仕事に向き合ってくれている。近侍の役目はなんの規則性もなくランダムに決めていたけれど、彼が頭を悩ませている様子を見て、ある程度実務向けの刀に絞って頼んだ方がいいのかもしれない、と思った。
富田江はこういう細かい仕事を頼んでも、「やってみるよ」と二つ返事で請け負って、私が期待した以上の成果を出す。器用で、聡明で、機転が利いて、お願いしたことはなんだってやってくれた。
すごいねと褒めるたびに返ってくる答えは謙遜とはまた違った、自分の持つ能力や出した成果をを事実としか捉えていないようなものだった。「君の役に立てたならよかった」とか、「なんとかなるものだね」とか。
他の刀ならば、嬉しそうにしてくれたり、萎縮して謙遜したり、はたまた当たり前だと威張ったりする。けれど、富田江の答えはいつもそんなものばかりで、私はそれを聞くたびに、私が褒めたこと自体が無かったことにされて、言葉の意味を削り取られているように感じていた。もちろん、彼はそんなつもりはなかっただろうけれど。
きっと、私は私の言葉や行動で彼の心が動くところが見たかったのだ。純粋に彼に触れたいという気持ちもあったけれど、手を繋いで、キスをして——なんでも望みを叶えてくれる彼に、主従の枠を超えたお願いをして、その反応が見たかった。
動揺でも、嫌悪でもいい。私が彼に何か変化を与えられるような存在であればいい。なんて偉そうなことを考えていたのだろう。結果、富田江は動揺するどころか全ての願いを当たり前みたいに叶えて、私ばっかりがドキドキして、翻弄されっぱなしだった。
「……——じ、主!」
「っ!」
「うおっ、でーじょーぶか?」
豊前江にしばらく声をかけられていたことに気付かなくて、私は大袈裟に肩を跳ねさせた。呼んだ豊前江も心配そうに首を傾げている。
こんな風に富田江のことばかり考えるのをやめるために距離を取ったのに、気が付けば彼のことで頭がいっぱいになってしまって、これでは全く意味がない。私は取り繕って、ぎこちない笑顔を豊前江に向けた。
「な、なに?」
「ちっと休憩しねーか? こう……目がさぁ、しぱしぱして……」
「あはは、そうだね。買い出しにも行かなきゃいけなかったし、気分転換に外出ようか」
豊前江が綺麗な眉を寄せて、眉間を摘む。いつも爽やかで男前な彼だが、事務仕事は想像以上に苦行だったようだ。滅多に見ない険しい表情に、私はつい笑ってしまった。
外出の提案をすると、豊前江は待ってましたと言わんばかりに立ち上がって、私が支度を整えるのを待った。では出発、と執務室を出ると、行き先を塞ぐように松井江に鉢合わせる。この辺りには執務室しか人のいる部屋がないから、私に用があったのかと思い訊ねると、松井江は豊前江を睨んで「これから外出?」と聞いた。
「おう。松も着いてくっか?」
「悪いけど、先にしてもらわないといけないことがある。先月分の費用請求書の——」
「おー、篭手切に言われてたやつな。それがどうした?」
ちらりと松井江の手元を盗み見ると、さっきまで見ていた豊前江の——ペンの素早い動きを思わせる臨場感溢れる筆跡で記された書類がある。しかし抜けや間違った記入が多く、これでは受理することができない。
先月分の書類は本日が締め切りで、松井江としてはお出かけするならこれを直してから、と言いたいのだろう。豊前江は「松がチャチャっと直してくんねーか?」とかごねていたけれど、普段豊前江に甘い松井江もそれだけはNOと言って聞かなかった。
「豊前、私一人で行ってくるからいいよ。先に書類の修正してあげて」
「悪いな」
「僕が代わりに付き合おうと言いたいところなんだけれど、まだ経理の仕事が残っているから……」
買い出しといっても次の催事に備えて細々したものを買うだけで、さほど大きな荷物にもならない。一人で行ってくると言えば、二振りは申し訳なさそうに眉を下げた。
「あなた一人で行かせるわけにはいかないな。……そうだ」
松井江は何かひらめいた様子で表情を明るくすると、「代わりを呼んでくるからここで待っていて」と言って豊前江を引っ張っていった。
私は言われるがまま、その場にぽつんと立ち尽くす。なんだか待っているのが寂しくて、このままひとりで行ってしまおうかな、なんて考えたけれど、身を案じてくれた松井江の厚意を無下にするのも気が引けた。
そうして考え事をしながらぼーっと壁のシミを眺めているうちに、やってきたのは富田江だった。
松井江は私が富田江を避けていることに気付いていないらしい。もしくは、それを知ったうえで仲を取り持とうとしたか。
「待たせてしまったね。それでは、行こうか」
「え、あ、富田……?」
周囲はともかく、あれだけべたべたしていた私がぱったり寄ってこなくなったのだ。本人が気付いていないはずがない。避けていた後ろめたさから、私の視線が泳ぐ。
「松井に買い物の付き添いを頼まれたのだけれど、違ったかな」
「あっ……う、うん。そうだけど」
富田江は明らかに挙動不審な私に動じず、当たり前のように手を差し出した。
これまでの私は、富田江と外出するたびに「手をつないでほしい」とお願いしていた。その意を汲んでいつしか向こうからそうしてくれるようになったので、彼にとっては自然な行動だ。けれど私は以前のようにその手を取るのが躊躇われ、それを無視して先を歩いた。
富田江はそれに嫌な顔一つせず、「それで、何を買いに行くのかな」と訊ねる。動揺から咄嗟に言葉が出てこなくて、私はわざともたもたとポケットから電子端末を出して、買い物メモを開いた。
お守りとか、催事の道具とか、後はちょっとした日用品。そのリストを読み上げればよかったのに、緊張して声が震えてしまうから、私は「いろいろ」と短い言葉ではぐらかした。
すると、私の少し後ろにいた富田江は上半身を乗り出して、肩越しにメモの中身を覗き込む。肩がぶつかって、面白いくらい心臓が跳ねたのが分かった。
あの夜以降、私は富田江に触れていない。会話すらろくにしていなかった。距離を置くうちに彼への気持ちは落ち着いていったのに、今こうして僅かに触れただけで情けないくらいに彼が好きだと思ってしまって、どうしようもない。
すぐそばにある大きな手で私の手を包んでほしいと強く思ったけれど、あんなひどい拒絶の仕方をした手前、やっぱり手をつないでなんて言えなかった。私はその気持ちを誤魔化すために、はじめてのおつかいで不安な子供みたいに、ショルダーバッグのひもを両手で握って、行き場のない手の居場所を作った。
私のように催事前の買い出しに来た審神者が多いのか、店の立ち並ぶ通りは人でごった返していた。
何とか目当ての店を回って買い物を終えた頃には人混みに揉まれたせいで疲れ果ててしまって、人通りの少ない裏道に抜けて息を吐く。背の高い富田江と違って私は小柄だから、人に囲まれると息がしにくくなって苦しかった。
右に左にと流されているうちに何度も富田江を見失いそうになって、その度に彼は肩を叩いて居場所を知らせてくれる。以前なら「はぐれてしまうから手をつなごうか」と私が喜びそうなことを言ってくれただろうけれど、先ほどの出来事やここ数日避けまわっていたことを察しているらしい彼は、最小限の接触以外をしてこなかった。
それがなんだか寂しく感じて、私は自嘲する。触れてほしいと望んで何度もそうさせてきたのに、いざとなると突き放して、今度は向こうから触れてくれないことに拗ねるだなんて。あまりにも幼稚で自分勝手な考えに、嫌気がさした。
「つ、つかれた」
「どこかで休もうか」
「うん……」
町へ向かっている間は気まずくて早く帰りたい、と思っていたはずなのに、人混みの疲れが気まずさを上回り、私は富田江の提案に頷いた。
てっきりどこか喫茶店にでも入るのかと思っていたが、富田江が向かう先はどんどん店の並びから遠ざかっていく。どこへ行くんだろうと思っていると、着いたのは広い公園だった。
ここのところ時の政府は審神者の健康維持に躍起になっているようで、審神者体操なるものを考案したり、散歩などの軽い運動を推奨している。この公園もその一環で作られたものなのだろう。
人も少なく、開けているため風の通りが良くて心地いい。開放感に思わず目を細め、深呼吸をした。
「ここだよ」
「わ……」
富田江に案内されたのは、公園の中に作られた小さなバラ園だった。といっても、一角にアイアンアーチを並べただけのとても小ぢんまりとしたものだ。
けれど手入れは丁寧にされている様子で、私は綺麗に咲いた薔薇一輪一輪の美しさに圧倒される。すぐ側には薔薇が一望できる位置にアイアン製のベンチがあって、私たちはそこに腰を下ろした。
背もたれに体重を預けてリラックスしていると、追いかけるように疲労に襲われる。どうやら自分が困っているよりもずっと、人混みで体力を奪われていたようだ。横目でちらりと富田江の顔色を伺うと、彼は真っ直ぐ薔薇を見つめていた。
しばらくの間座り込んだままぼーっと薔薇を眺めているうちに、疲れが取れてきて、私はせっかくならともっと近くで薔薇を見ることにした。私が立ち上がると、富田江は当たり前みたいにその後ろをついてくる。
端から歩きながら品種の名前と説明書きと共に並ぶ色とりどりの薔薇を眺めて、私はある花の前で足を止めた。
「綺麗……」
「ペネロペという品種だね」
「えっ、富田知ってるの?」
説明書きの札を探すと、そこには『ペネロープ』と書かれている。読みが違うのかな、と考えていると、富田江は私の思考を読んだかのようタイミングで「英語読みペネロペ、フランス語読みがペネロープだったかな。女性の名前が由来だそうだよ」と補足した。
「詳しいね」
「君が以前、見せてくれたから」
「え?」
私は思わず、富田江を振り返った。
そんなことあったっけ、と記憶を掘り返すと、以前通りがかった先で見つけた薔薇を、富田江みたいだと思って写真を撮ったのを思い出す。白い花弁と黄色い萼の色、そして華やかに開いた姿が彼を思い出させて、ついシャッターを切ったのだ。
「富田を思い出したから」なんて本当の理由は言えなかったから、「好きな色だったから撮った」と誤魔化した。富田江は確かに高貴で西洋画から出てきたような顔立ちをしているけれど、別に薔薇に縁なんてないのに。それでも、どうしても見せたくなってしまって。
それも一ヶ月以上前のことで、特に記憶に残らないような他愛無いやりとりだったはずだ。現に私はさっぱり忘れ去ってしまっていたというのに、富田江は私がこの花が好きなんだと思って、わざわざ調べてくれていたらしい。私は、その名前すら知らなかったのに。
薔薇の盛りは過ぎたと思っていたけれど、その花はまだ綺麗に咲いていた。側にある札に、繰り返し咲く品種だと説明が記されている。
思わず、私の富田江への気持ちみたいだなんて考えてしまって、私はその思考を振り払う。こんな綺麗な花と、私のどす黒い欲望を重ねるなんてあまりにも失礼だ。
「福島に聞いたら、この薔薇園に咲いていると教えてもらったんだ」
「それで、連れてきてくれたの?」
富田江がこくりと頷く。私のために薔薇の品種を調べて、見られる場所を探してくれて。以前なら、幸せすぎて飛び上がっていただろう。
でも今は、これまでの私が強欲にもそれだけのことを求めていたのだと感じられて、罪悪感が募った。それでも嬉しいのは確かで、自然に上がる口角を隠したくて、私は富田江と反対側に顔を背けた。
「こっちのはちょっと色が違う……。別の種類?」
「咲き始めの花は桃色で、開くにつれて白くなるそうだよ」
「へー……かわいい」
「うん」
私が視線をやった先には、ペネロープによく似た形の、少し小ぶりで根元が桃色がかった薔薇が咲いていた。色が違うせいで別の花にも見えるけれど、どうやら同じ品種であるらしい。色が変わる花があるなんて知らなくて、私は小さなペネロープに顔を寄せた。
「君によく似ているね」
「えっ!?」
富田江の思いがけない一言に、私はのどかな公園に似合わぬ大声を上げてしまう。周りに人がいないからよかったものの、近くで地面をつついていた鳩がばさばさと飛び去って、恥ずかしくなった。
「ど、っど、どこがっ!?」
「この……小さくて桃色のところが」
「全然こんなんじゃないよっ……」
富田江からしたら、ほとんどの人間は小さく見えるだろうに。もう一度花を眺めたが、可憐という言葉がよく似合う小ぶりな薔薇を自分に重ねるのが到底烏滸がましいと思えて、私はとても頷けなかった。
「私ってこんな、かわいいピンクのイメージあるかな……」
自分で言うのもなんだけれど、私はわがままでそそっかしい人間で、こんなピンクが似合うのはもっと、純真でおしとやかな人だろうと思う。大きく開いた花が富田江を連想させたように、咲き始めの薔薇は上品で可憐な印象だ。とにかく自分とは掠る部分すら見当たらなかった。
「私を見上げる君の頬が、いつも赤いからかな」
「っ!!」
どく、と心臓が跳ねて顔に熱が集まるのがわかった。君は私が好きだよね、と明言されたみたいで、動揺を隠せない。
それから、富田江がこんな直接的な口説き文句みたいな、ロマンチックなことを言い出したことにも驚いていた。うちの富田江は少なくとも、可愛いバラを見て君みたいなんて口説き文句をさらりというような刀ではなかった。
「何、急に! 長船みたいなこと言う! 誰に変な影響受けたの? ふ、福島でしょ!」
「どうだろう。……肌を合わせれば心が伝わると思っていたけれど、言葉にしなければいけないこともある——と学んだからかもしれない」
「っ、」
忘れ去ろうとして、地中深く埋めた熱をはらんだ夜を、富田江は容易く掘り返してしまった。私は顔を覆って、きっと今も富田江の言うように染まっているであろう頬を隠そうとする。
富田江が朝になって隣にいなかったのは、てっきりあの出来事をなかったことにしようと思ってのことだと私は捉えていた。望まれれば応えてしまう性分だから了承したものの、主従として明らかに一線を越えた行為をやっぱり後ろめたく思ったのかもしれないと。そんな大人のやり方なんだと私は受け取って、飲み込もうとしていたのに。
「そういうこと言われるから、赤くなっちゃうの……やめて」
「ふふ、ごめんね」
謝罪の言葉が形だけの音だったのは、私がちっともいやそうな顔をしていなかったからだろう。耳まで熱くなってきて、両の手では到底隠せそうにない。横目で盗み見た富田江は、彼の言葉にいっぱいいっぱいになる私を微笑ましげに見ていた。
「私の瞳には、君はこういう風に見えているんだ」
「うそでしょ……」
「本当だよ。小さくて、かわいくて、目が離せなくて……何だって応えたくなってしまう」
つらつらと語られる流暢な口説き文句に、私はもうお手上げだった。もうやめてと伝えたくて顔から手を離し、彼の口を覆う。富田江は私の願った通り甘い言葉を連ねる唇を閉ざしてくれたけれど、私は見上げたその顔から目が離せなくなっていた。
「あ……」
「やっとこちらを見てくれたね」
金色の、あの夜猫みたいだと思った瞳と視線が絡まる。陽の光の下で見るとそれはきらきら輝いて、宝石みたいで美しかった。
長いまつ毛が木漏れ日のように影を作っている。そんな宝物みたいな眼差しが、真っ直ぐ私に向けられる。それには少しだけ、安堵が滲んでいた。
富田江は、それ以上言葉にしなかった。それでも、瞳を見るだけで分かってしまう。伝えようと、そうしてくれていた。
富田江は望んだ言葉を返すのが上手で、だから私は彼の言葉に翻弄され、そして心の底では信じられていなかったから。それが——彼にもどかしい思いをさせていたなんて、想像もしたことがなかった。
富田江は器用で、大抵のことは一回教えたら満足にできてしまう。でもそれは、何の努力や工夫もしていないというわけではないことを、私は今になって気がついた。
出かけるたびにエスコートしてくれるのも、どんな仕事を頼んでもそつなくこなすのも、あの夜のことも。確かに彼には昔の持ち主から影響を受けた包容力と知性があって、それをうまく使いこなしているように見えるけれど、それはただそこに、当たり前にある才能ではないのだ。
私の願ったことに応えてくれるのも、私が話したことをどんな些細な内容でも覚えていてくれるのも、そこには明確に彼の意思が存在していなければあり得ないというのに。
そんな当然のことに、私は彼がいつも王子様らしく完璧に振る舞ってくれるあまり、気が付かなかった。——同じ気持ちでなかった時に心が傷つかないために、目を逸らしてしまっていた。
「富田って、私のこと結構好き、だよねー……」
「そうだね。……好きだよ」
当たり前みたいに言われた言葉に、私は泣き出してしまいそうになる。目元が熱を持って、涙を拭っているとバレないようにさりげなく、だけどきっと富田江にはお見通しなんだろうなと思いながら、指先で抑えた。
ずっとずっと、ずっと欲しかった言葉だった。あんなに焦がれていたのに、求めた瞬間意味を失ってしまうからと口に出せなかった望み。同じ音、同じ響き。けれど今鼓膜を震わせたそれは、確かに彼の心であると素直に受け入れられていた。
「……もっと早く言ってくれても、よかったんじゃない」
「私が言ったところで、きっと君は自分が言わせてしまったと責めるだろう」
「………………」
潜在的な恐怖心まで見抜かれてしまっていたことに驚くと同時に、それがどんなに彼を窮屈にさせただろうと想像した。私の心はずっと彼の手中にあったのだ。きっと富田江は、私の気持ちに私よりずっと詳しいのだろう。
くだらないわがままも、強がりで突き放したことも、きっと富田江はわかっている。わかっていて、私のことが好きだから受け入れてくれていたのだ。私が富田江に、ちゃんと向き合えるようになるまで。
「なんで、朝いなかったの」
「私と閨を共にしたと知られたら、君が恥をかくと思って」
「別に、いいよ。私が富田のこと好きなの、みんな知ってるし……」
「ごめんね。……次は朝まで一緒にいようか」
次とか、あるのかな。臆病な私の頭はまたそんなことを考えてしまったけれど、気が付けば素直に頷いていた。富田江の形にしてくれた〝次〟を、私が信じなくては誰が信じるというのだろう。
明確に欲しかった言葉を貰ってもやっぱり頭のどこかには富田江の気持ちを疑ってしまう自分がいて、ああ、だから彼は言えなかったんだとひとり納得する。
結局のところ、富田江のことを分からないと諦めて、理解しようとしていないのは私だったのだ。私の話したこと、見た景色、美しいと思った花。そんな些細なことも富田江は気にかけて、私のことを理解しようとしてくれていたのに。
それを愛と呼ばないならば、きっとこの世界はすべて間違っている。私が富田江に向けた身を焼くような情熱的な恋慕と形は違っていても、彼の包み込むような愛はきっと本物だ。
今不意にそう思って、それがすとんと腑に落ちた。私の心の空虚な穴がその愛で満たされて、体の内側が熱くなる。
「ねえ、富田」
「何かな」
「やっぱり手、つないでほしい……」
彼の顔を見られないまま、すっと手を差し出す。言葉より先に指の合間に彼のそれが絡んで、ぎゅっと握られた。
「勿論、君が望むなら」
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