君にその手を伸ばす理由

 本丸全焼事件とは、この本丸に代々伝わる珍事件のことである。その全貌とは、が審神者に就任して数日も経たない頃に火の不始末で大火事を起こし、その名の通り本丸の母屋を全焼させたというものだ。  火にトラウマのある刀剣が顕現していなかったことと、発足数日だったために失う物も少なかったこと、全員怪我ひとつなかったことが不幸中の幸いだろうか。建て直しが終わり数年経った今でも、オリエンテーションの一環として、新しい刀が顕現するたびにその事件は語り継がれている。  これは別に、古参が新参相手に昔話がしたくてしているわけではない。そのエピソードが今尚笑い事では済まない程に、この本丸の主は不注意と不運が過ぎるのだ。彼女の性質を新刃に教え込む上で、その事件を口伝することが最も手っ取り早かった。  そのため、が涙目で「もうその話やめてよ」と言っても、当時からいる古株たちはは頑なにこの慣習をやめない。今代の主の命がいつ潰えるか、気が気でないのである。だからこそ、彼らは新参者にきつく言って聞かせるのだ。 「主には絶対手入れ以外で刃物に触れさせないでください。それから重いものや壊れやすい陶器なんかも。あと、高いところのものを取ろうとしていたら絶対手伝って、どんなに急いでいても走らせないで。やむを得ない時は担いであげてください。それから、庭に散歩に出たいと言ったときはきちんとすにーかーを履かせて、絶対に目を離さないであげてください。どうしても離れるときは、どこかに座らせてじっとしているように言ってくださいね」 「うん、わかったよ」  本日めでたくこの本丸に顕現した富田江も、例外なくその洗礼を受けていた。事件当時を知り、幾度となくの危機を目にしてきた篭手切江は、何度も繰り返したその注意をつらつらと並べたてる。  篭手切江の今代の主は、審神者としてはようやく中堅と呼べるかといったところで、ここはまだまだ成長過程発展途上の本丸だ。限られた資材や戦力の中で「篭手切がすていじのために仲間を集めたいなら協力するよ」と言って、積極的に江の刀を顕現している。そんな主に報いるために尽くすうち、篭手切江はこの本丸の要となった。今では、教育番長の役目まで任命されている。  期待されれば応えたくなるし、忠義を尽くせば情が湧く。物としての主を思う気持ちとはまた別に、篭手切江はひとつの魂として、審神者である彼女を一人間を守ってやりたいと思っていた。  それは敵から味方から、そして降りかかる厄災からも。だからこそ、教育番長としてできることに手を尽くす。その内の一つがこの新刃教育だ。 「今代の主はずいぶんと難儀な星の元に生まれたんだね」 「星の元……そうですね、主の場合はそういう捉え方をした方がいいのかもしれません。とにかく、気を付けて見てあげてください」  富田江は先ほど顔合わせをしたばかりの今代の主を思い出す。まだうら若き少女だ。確かにこれまで富田江を所有した歴史に名を残す主たちと比較すると少しばかり頼りなくは見えたが、それでもこれほどまでにしつこく念押しをされる必要があるとも思えない。まるで赤子か老人に対する扱いだ。  富田江が素直にそれを口に出すと、篭手切江が「そのくらいの心構えでいてもらった方がいいかもしれません」と深刻そうな顔で言うので、富田江も「これは大変なところへ来てしまったかもしれない」と思った。  この本丸に顕現してから約一週間、富田江は篭手切江と同じ部屋で寝起きし、寝食など人の暮らしに慣れるために時間を使った。  交渉名人である元の主の来歴を色濃く受け継ぎ、何事にも柔軟な富田江は、比較的早く人の身に馴染んだ。人の話によく耳を傾け、未知を理解しようとし、現代文化の飲み込みも早い。これはすていじでも活躍が期待できるのでは、と篭手切江は既に顕現している稲葉江との双璧シンメデュオに思いを馳せながら、それをしっかり心のうちに秘め、教育番長としての務めを果たした。  人の身に慣れたら、今度は刀剣男士としての戦いと本丸を運営する役割について学ぶことになる。約半月ほど、日中はの傍で過ごし、適宜危険の少ない任務をこなし戦場に出ることで、この本丸での暮らしに馴染んでもらう段階だ。近侍や実務など、審神者を支える仕事に適性があるか見定める狙いもあった。 「——と、まあこんなところかな。何か質問はある?」 「いや、とても分かりやすかったよ。ありがとう、松井」 「なんかこの二振りがいると部屋がきらきらするなあ」  執務用に機材を設けられた一室。勘定番長の松井江が熱心に新刃教育をしているのを、は頬杖をついてにへにへ笑いながら暢気に眺めていた。  松井江は富田江の前でに対しどう振舞うか迷った。  江の刀の方が富田江も気軽だろうと、実務に長け説明が丁寧だと定評のある松井江が指導役に選ばれたわけだが、身内かつこの本丸では先輩という微妙な立場だ。これが他の刀派の刀なら「新刃の前なんだからもう少ししゃっきりとして」なんて小言を言ったものだが、が自分や篭手切江のために江の刀を熱心に顕現させているのを知っている手前強くは言えない。  彼としても仲間が増えるのは喜ばしいことで、それを微笑ましく見つめるには面映ゆい気持ちがあった。 「……質問がないなら、少し休憩しようか。お茶を淹れてくるよ」 「あ! じゃあ私お菓子出してくるね」 「それなら私が手伝おう。どこにあるのか教えてくれるかな」  気まずさから逃げるように席を立とうした松井江に合わせて、が腰を上げる。松井江がアイコンタクトを送る前に、富田江が彼女を制した。  二振りは視線を交わらせ、こくりと頷く。その一瞬のやりとりで、松井江は「頼もしい刀が来てくれたものだ」と思った。  松井江が用意した茶との両親が送ってきたお菓子で一息ついたのち、もうひと踏ん張りしたところで、松井江による近侍教室一日目は終いとなった。  細川の刀と約束があった松井江は執務室を離れ、その場には富田江とは二人きりになる。顕現して一週間が経つとはいえ、ふたりがこうしてきちんと話すのは顕現初日ぶりだった。  松井江がいるうちは気楽でいられたが、ふたりきりになった途端緊張し始めたは、近場にあったクッションを抱き締めながら、富田江に「本丸はどう? 慣れた?」と既に耳にたこができるほど訊ねられているであろう質問を投げかけた。 「戸惑うことも多かったけど、今では楽しく過ごしているよ」 「そっか、よかった。篭手切からは富田さんは覚えが早くて助かります! って聞いてたけど、ほんとにそうみたいだね」 「人に合わせるのは慣れているから。といっても、他に比較対象を知らないけれど」 「んふふ、それなら今度稲葉に聞くといいよ。稲葉はけっこう苦労したほうだから」 「あぁ、稲葉は……はは、そうだろうね」  刀剣男士も種々様々で、富田江のように容易く人に馴染む者もあれば、そうでない者もいる。彼と江の双璧を成す稲葉江も後者のうちの一人だった。真面目で無骨で頑固な気質がそうさせるのか、人より武器としての意識が強いのか。時々そういう刀剣男士が現れる。  仲間の話を聞いて気が緩んだのか、富田江が楽しそうに笑ったので、次第にの緊張の糸も解けていった。 「そうだ、庭にはもう行った? うちの庭すごいんだよ」 「ここを案内してもらったときに篭手切に簡単に紹介してもらったよ。ちゃんと歩き回ったことはないけれど」 「よし、じゃあ行こう!」  が意気揚々と立ち上がり、障子に手をかけた。  彼女が木枠に肩をぶつけそうになったのを見越して、富田江は先んじて腕を伸ばし、障子を開く。突然距離を縮めた富田江をは不思議そうに見上げたので、彼が微笑み返せば、彼女は照れくさそうにしてそれ以上何かを言ってはこなかった。  富田江は彼女と半日ほど過ごしただけで、彼女の〝星の元〟を心得ていた。  油断するとすぐにどこかに体をぶつける、物を落とす。篭手切江のあの言い分も決して大袈裟ではなかったのだと理解した。  篭手切江に言われた通りスニーカーを出して、にそれを履かせようとすれば「さすがにそれくらいできるから」と恥ずかしそうに辞されたので、彼女がもたもたと靴ひもを結ぶ様を富田江は見守った。庭までのわずか三段の階段でも手を差し出すことを欠かさない。は子ども扱いを渋る幼子のような顔つきで「篭手切になんか吹き込まれた?」と苦笑した。 「江の刀の王子様、らしいから。それとも傅いた方がいいかな?」 「あはは、似合ってる」  富田江がそう冗談交じりに言えば、彼の王子様ごっこをお気に召したらしいは、容易く彼の言葉に乗ってその手に自身の体重を預けた。  が自信満々に言うだけあって、確かに庭は立派なものだった。とはいえ、富田江が知るような雅な庭園とは全くの別物だ。  とにかく敷地が広く、屋外設備が多い。大きな池には立派な橋がかかっていて、その先には藤棚があった。桜の木を繋ぐようにハンモックが吊るされていて、誰かが休んでいるのが見える。その奥へ少し進むと手作りの看板が複数立った花壇が現れ、色とりどりの花が咲いていた。  庭園としては非常にちぐはぐで、美術的観点から見ればあまりにも稚拙だ。けれど随所に人の営みを感じ、賑やかで楽し気な場所だった。刀剣たちに慕われる彼女らしい場所だと富田江は思った。 「篭手切に聞いたかもしれないけど、昔本丸の建物が火事で燃えちゃって。しばらくキャンプ生活だったんだよね。だからその名残でお庭でも楽しく過ごせるようにしようと思って色々建てたら、なんかこんな感じになっちゃった」  の口調はいたずらっ子のようで、どこら誇らし気でもあった。  彼女が駆けださないよう手を取りながら庭を歩いていると、洗濯当番の男士一行が取り込んだ衣類を大量に抱えているところに出くわした。彼らは手を繋いだと富田江を見つめ、微笑ましそうに温かい視線を送る。そのうちの一振りであった乱藤四郎がに駆け寄ってきて、「あるじさん、いちにいが手を繋ぎましょうって言ったときはあんなに子ども扱いするなって怒ってたのに!」と茶化した。 「あ、あれは一期が弟とかと同じ扱いしてくるからだし。それにこれは、富田がまだ道を覚えてなくて、はぐれるかもしれないからって……」  上手く言ったものだと感心した乱藤四郎は富田江をチラリと見上げる。富田江は微笑み、肩をすくめた。  と乱藤四郎が年の近い同性の友人のようにきゃらきゃらとじゃれていると、身振りが大きくなったがバランスを崩す。転びかけた彼女を前に両手が衣類で塞がった乱藤四郎が「あるじさん!」と声を上げると同時に、富田江がの肩を抱いて体を支えた。 「元気なのはいいことだけれど、足元には気を付けてね」 「と、とみた。……うん、ごめん……」  その様があまりに少女漫画のワンシーンのようだったので、乱藤四郎はハート付きの黄色い歓声を上げた。  富田江は彼女を立たせると、丁寧な所作で再び手を握りなおす。その流れの鮮やかさたるや、遠くでその様子を見守っていた洗濯部隊らも、手が塞がっていなければ惜しみない拍手を送っていただろうという仕上がりだ。  その秀逸なエスコートが本丸に知れ渡ると、富田江の研修期間が終わり本格的に部隊に組み込まれるようになってから、彼は常に近侍としてのそばに置かれることとなった。  古株たちの差し金である。お転婆で子ども扱いを嫌うそそっかしい彼女が、富田江の忠告は大人しく聞き入れるのだ。王子様と称されるその佇まいに加えて、底なしの包容力はあっという間にの心を解きほぐし、彼はするりとの懐へと入り込んだ。  彼女のことを主君でありながら我が子の如く見守ってきた古参の刀達の胸には、当然、一抹の寂しさが募った。しかし、それで彼女の身の安全が担保できるのであれば願ってもないことだ。走って転ぶ、滑って転ぶ、階段から足を滑らせる——富田江がそばについているだけでそんなハプニングから遠ざかるなら、それに越したことはない。  いつしかの隣に富田江がいるのは当たり前の光景になっていった。 [newpage]  太陽が燦燦と照り付ける夏。がダリアの花壇に水やりをするのを、富田江はすぐ後ろから見守っていた。  彼女は油断すると土だけでなくスニーカーにまで水をやるため、土いじりをするときは長靴を履かされている。その分転びやすいので、いついかなる時も支えられるよう、富田江はごく自然に背後を場所取っていた。 「このお花はね、ちょうど富田が来たくらいに植えたんだよね」 「そうか、じゃあ同期……ってことになるのかな?」 「ふふ、そうかも」  は、植物図鑑を見てこの丸い花に一目惚れしたらしかった。本丸で花壇を作ることになり、たっての希望で球根を取り寄せ、毎年育てているそうだ。  長い時期に渡って何度も花が開く種類だが、暑さに弱く夏の盛りには花を休ませるという。に刃物を持たせてはならない、という戒律染みた決まりがあるため、剪定は桑名江が手伝っている。先日、節を切りながら桑名江が話していたそのことを、富田江はよく覚えていた。 「そろそろ戻ろうか。今日は暑いから、あまり外にいては体に障るよ」 「あ、うん。ありがとう」  富田江はから如雨露を受け取り、日陰への移動を促す。富田江と同じように髪を輪っかのお団子にして露になった彼女のうなじには、汗が伝っていた。  夏っぽいからという理由で設置されたカラフルなビーチパラソルの下には、プールサイド用の青い長椅子が置かれている。ただでさえちぐはぐな庭の景観は、ゴキゲンな原色でさらに乱れていたが、はそれらを甚く気に入っていた。  軒下にぶら下がった風鈴は本丸の誰かが絵付けしたものだ。風に揺れ、夏らしい涼しげな音を立てた。  富田江は長椅子に彼女を座らせ、「飲み物を取ってくるから、ここで座って待っていてくれる?」としっかり言い含めた。は素直に頷いて、彼の言う通りにしている。ぷらぷら足を揺らしながら待っている彼女が何かに興味を惹かれてどこかへ行ってしまう前に、富田江は急いでタオルと冷えた麦茶を持って彼女のもとへと戻った。 「お待たせ。これで汗を拭いて」 「ごめんね、ありがとう」  いつもならもっと他に人の声が聞こえるものだが、複数の遠征任務の日程が重なっているせいで、今日の本丸は閑散としていた。蝉の声が響く庭を、は彼女専用のタンブラーに刺さったストローをすすりながら眺めていた。 「なんか、富田にはいっつもしてもらってばっかりだね」  がらしくなく、申し訳なさそうにする。日頃から手厚い待遇を受けている彼女だから、そういう扱いをされることには慣れているものだと富田江は思っていた。これだけ尽くされても尊大な態度を取ることなく、日頃から礼を欠かさない。そんな彼女を本丸の面々は慕っている。 「応えることは嫌いじゃないんだ。そのために私はここに呼ばれたのだから、遠慮はいらないよ」 「嫌いじゃないって好きでもないってこと?」  富田江を見上げたの瞳は丸かった。富田江がつい返答に窮し、沈黙が流れる。ぱちくりと瞬く幼子のような無邪気な目は、天下に押し上げられたことによる富田江の孤独を理解しているとは思えない。 「どうだろう」  それでもこんな訊ね方をするのだから、何かを感じ取っているのかもしれない。無邪気で無垢で外連味がないからこそ、表面的な評価に惑わされず向き合えるのではないか――なんて、希望的観測が過ぎるだろうか。富田江はいくつか浮かんだ考えを追い払う。  彼がその気になれば、いくつだってを気分良く納得した気にさせる耳障りのいい言葉を用意できた。それでもそうせず、黙り込んで言葉を丹念に選んだのは彼女に正面から向き合いたいと思ったからだ。純粋に富田江を頼り、信じ、望んでくれる彼女に。 「こういう性分なんだ。嫌いじゃない――と言ったけれど、君に望まれるのは好ましいと思う。これは本心だよ」 「本当に? 無理してるわけじゃない……ってことでいいんだよね。よかったぁ」  富田江が頷くと、は安心したように笑った。彼の回答は満足を得られるものであったらしい。  風が吹いて、汗ばんだ肌を冷ましていく。パラソルが大きく揺れたので、が心配そうに見上げた。何か事故が起きては事だと必要以上に重しをつけて設置されているはずだが、念のためにと富田江はパラソルの足元を見た。  括りつけられた土嚢や丈夫な紐など、こういった些細な工夫からいかに彼女を慕っているのかを感じ取ることができる。最初は過剰だと思った彼らの気配りの源を、富田江は今ではすっかり理解していた。  過保護は否めないが、それほどまでに彼女の笑顔を曇らせたくないという思いが強いのだろう。知略や武力には乏しいが、加護欲を煽るあの気質は天性の刀たらしだ。それはもはや、彼女の才能であり武器だった。 「主ー! 富田せんぱーい! ……あっ、こんなところにいらっしゃったんですね」 「篭手切? どうしたの?」  ジャージ姿の篭手切江が物陰からひょっこり顔を出す。富田江とは同時に彼へと視線をやった。篭手切江はメガネのブリッジを押し上げながら「ふふふ」と期待を持たせるような含みのある笑いを漏らした。 「かき氷機を蔵から発掘してきたので、かき氷ぱーてぃーをしようかと! さっきりいだあと五月雨さんが大きい氷を買ってきてくれたんです」 「かき氷か、いいね」 「えー! やったぁ!」  が喜びのあまり飛び上がるようにして立ち上がった。彼女の動きを目で追うのは、もはや富田江の癖になっている。その視線は、椅子の足から小石まで、彼女の動きを妨げるものを何一つ見逃さなかった。 「しろっぷもたくさんありますよ」 「ミルクは?」 「当然、準備しています」 「最高! 富田、早く行こ行こ!」  の方も富田江と手を繋ぐのが癖になっているらしく、彼女は当たり前みたいに富田江に手を差し出した。彼がの手を引いて立たせることが多かったから、今ばかりはいつもと逆の構図になる。富田江はなんだか胸がくすぐったくなって、微笑みながら待ちきれない様子のに手を引かれ立ち上がった。  篭手切江の後ろをふたりは付いて歩く。かき氷への期待で弾む彼女の足取りをそれとなく制しながら、富田江はの体温の高い手をぎゅっと握りなおした。 [newpage]  日差しが和らぎ朝夜は冷え込むようになった秋のはじめ、は珍しくすべての刀を大広間へと呼びだした。  こんな仰々しい召集は滅多にかからない。一体何事かと騒々しい彼らを前に「えー、ごほん」とがもっともらしく咳ばらいをすると、大広間は水を打ったように静まり返った。 「一か月ほど家庭の事情で本丸を離れることになりました」  の言葉に、誰かが「えっ」と声を上げた。彼女は気にせず、言葉を続ける。  には実家を出て遠く離れた場所に住む既婚の姉がいた。めでたく第一子を授かった姉は、里帰り出産のために帰郷することになり、それに合わせても現世へと戻るのだという。 「お母さんがこれを逃したら家族団らんなんてもうできないかもしれないから、なるべく長く帰ってきて欲しいってお願いされて」  そんな風に言われれば、刀剣らは何一つとして意見出来なくなった。  を本丸に繋ぎ留めているのは戦争だ。歴史修正主義者の存在は一般には伏せられているため、彼女の母もが何をさせられているか知らない。そんな母親の気持ちを思えば、無理もないことだった。  が本丸を離れている間は、希望者を中心に遠征任務や演練を予め組んでおくことになっていた。生活面については、各番長と打ち合わせを重ね一任するとのこと。  簡単な説明を済ませたのち、は「何か質問ある人」と募った。誰よりも先にへし切長谷部がすっとまっすぐに挙手する。 「はい長谷部」 「護衛は誰が務めるのでしょうか」 「つけないよ。実家だもん」  これにはさすがに、刀剣たちもどよめきを隠せなかった。日頃の彼女を知っている者ほど反発は大きい。はそのリアクションを予想していたらしく、耳を塞いで聞こえないふりをした。 「一か月も実家に置いておけるわけないじゃん。赤ちゃんも生まれるのに」 「ご心配なく。その程度でしたら野宿でも問題ありません」 「大アリだよ。長谷部がホームレスしてるとこ見たくないよ」  へし切長谷部を中心に忠心深い刀や心配性の刀たちはいつまでも食い下がったが、は頑として折れなかった。釘を刺すような「勝手にこっそりついてくるとかも無しだからね」の一言に、忍ぶつもりだったらしい五月雨江が「えっ」と声を上げる。護衛を連れて行く・連れて行かないの言い争いは、どこまで言っても平行線だ。 「富田せんぱい、なんとか説得してくれませんか」  小声でそう声をかけた篭手切江と共に、その隣にいた松井江もうんうんと頷いて富田江の顔を見る。彼であればを説き伏せることなど容易いだろうと見て、助力を求めていた。  富田江がの様子を伺うと、彼女は「せめてキツネかトラか亀吉だけでも」と小動物に取り囲まれて困惑している。が助けを求めるように視線を彷徨わせた先でふと、富田江との目が合った。  彼女は一瞬、富田江に助けを求めるような表情を浮かべた後、すぐさま顔を背ける。その仕草には諦めの色が滲んでいた。日頃からを支え、寄り添い、応えてきた彼だからこそ端から助力は得られないと思っているのだろう。富田江の心が、知らぬ音を立てて軋む。 「……心配なのは私も同じだけれど、ご家族もいるようだし、ここに来るまでは一人でやっていけたんだから」 「富田せんぱい!?」  つい、そう口走った富田江に、周囲が目を剥いた。他の刀剣らも、と同じく彼こそ強く反対するはずだ、と考えていたようだ。はきょとんと信じられないと言わんばかりの顔で彼を見つめる。富田江の達者な口を頼りにしていた篭手切江は、まさか富田江が側につくと思っていなかったので、その返答に狼狽えた。 「家族団欒に水をさすものではないよ。次はいつ会えるかわからない、滅多にない機会なのだから。その分ゆっくり羽を伸ばしてきてもらわなくては」  暗に二度とない機会であることをちらつかせれば、篭手切江はぐっと押し黙る。他の刀剣も、反論しようにも言葉に詰まっていた。  彼女が審神者になってから帰省した回数は数えるほどで、それもごく短期間である。そのことを知っている古参であればあるほど、帰省を楽しみにする彼女の邪魔をすることが憚られた。 「それに、君だって何も考え無しでというわけじゃないんだろう?」 「あっ……うん。時の政府からは緊急用の刀剣呼び出し道具を用意してもらうつもり」 「その道具について詳しく聞いてもよろしいですか?」 「えっとね――」  富田江とのやり取りの間に頭が冷えたのか、先ほどまでより冷静さを取り戻したへし切長谷部が再び挙手をする。その道具がどの程度信用できるものなのか熱心に確かめた後、最終的にはの意志を汲んでやりたいと意見が傾いて、は一人で帰郷することになった。 「……富田、良かったのか」  無事話がまとまりほっとした様子のを見つめる富田江に、珍しく稲葉江がそんな言葉をかけた。  この生真面目で堅物な相棒がそのようなことを言うとは思わず、富田江はとっても意外そうな顔をする。賢い彼は、その一言で口数少ない彼の言わんとすることを察した。 「あの子の望みにはなるべく応えてやりたいんだ」 「そうではない。貴様が良かったのか、と問うている」  稲葉江が鋭く睨む。王子様らしい微笑と共に張り付いたのらりくらりとした姿勢に苛立ちを隠せないでいた。富田江は稲葉江のそのまなざしを眩しそうに受け止める。 「もちろん、あの子の身は気がかりだけれど。あんな表情をされちゃ、ね」  自分の感情との望みを天秤にかけ、後者を選んだわけではない。ただ彼が、応えることを選んだのだ。  その横顔が存外晴れやかだったので、稲葉江はそれ以上追及しなかった。  その後は忙しなく、彼女が不在の間の段取りが進められた。  通常の任務をこなしながら各種手続きを行い、準備するうちにあっという間に時が経ってしまう。日常生活も滞りなく過ごせるよう一時的に一部の権限が各番長に委任され、近侍である富田江にはいざという時にに連絡がつく端末が用意された。  本丸の中では新参者の彼は、自身が持つべきではないと一度それを辞退した。が、この本丸のはじまりの一振り自ら「いざという時主を口で言いくるめられるのは富田江しかいない」と言われ、彼はその役目を受け入れることにした。  直前まで粘りなんとか帰郷中の備えを済ませ、刀剣らに見送られながらはひとり本丸を発った。  護衛をつけろとあれこれしつこく言っていた刀剣らは、準備期間中に気持ちを切り替えて「主がいなくても十分やっていけることを証明しましょう」と息巻いて、ここぞとばかりに張り切っていた。鍛錬や業務を普段以上に熱心にこなし、その様は不在の寂しさを埋めるようだ。  しかしそれも長くは続かない。日が過ぎるごとに、次第に本丸全体の空気は弛緩していった。主君の目がない中で怠惰に溺れるようなことは決してなかったが、静寂に彼らが耐えきれなかった。そそっかしい彼女の小さな悲鳴が恋しくて仕方がない。口に出さずとも、誰もがそんな思いを抱えていた。  こういう状況だからこそと気を張る者、退屈でやってられんと露骨にだらける者、退屈だからこそ新たな驚きをと企む者と、皆それぞれ大なり小なり影響を受けている。近侍としてと過ごす時間が長かった富田江もまた、例外ではなかった。  入念な下準備の甲斐あって刀剣だけの生活は恙なく回っている。すっかり人の身に慣れた富田江はもう誰の助けを借りずとも決まった時間に起床し、身支度を整え、その日の当番や任務をこなし、食事を取り、身を清め、そして眠ることができる。顕現してから数か月間、それらに困ったことはない。  けれど少しずつ、歯車が噛み合わなくなるように取りこぼすことが増えた。  誰かと組み合わされた任務や当番ではそんなへまをすることはないため、本人ですら自覚するのに時間がかかった。けれど注視すればその歪みは明らかだ。  些細な傷が出来ても気付けない、一人で過ごしていると意識しないうちに時間が経っている、ふらりと出た散歩で道に迷う。本丸では先輩の加賀っこや江の刀たちに助けられ大事になることはなかったが、そんな彼の欠落を双璧の片割れである稲葉江だけが気付いていた。 「夕飯の時間だ」 「……稲葉か」  酷暑を乗り越えたダリアが盛りを迎えている。ひとりになると、富田江は花を見にふらりと花壇を訪れた。  彼がここへやって来たときはまだ日が高かったはずだが、いつの間にか橙に染まり、沈みかけている。  といた頃は、夕食の時間を失念することなんて一度たりともなかった。空腹を訴え夕食の献立に空想を膨らませる彼女と言葉を交わしていたから。それが失われただけで、富田江は日々に無頓着になってしまった。こうして呼ばれなければ、空腹であることにも気が付かなかったかもしれない。 「随分腑抜けた顔だな」 「元からこういう顔だけれど」 「茶化すな」  稲葉江が眉間の皺を濃くする。彼女が好んだ丸い花を富田江は見下ろした。  ダリアは、初夏に見た時よりもずっと色鮮やかで大きな花を咲かせていた。夕日を受けた花弁が眩しい。華やかなそれを、彼女が好んだ訳が分かる気がした。  けれどどこか物足りない。この花を愛でた彼女の横顔が恋しかった。富田江の心を動かすのは、花の美しさではなくそれを求めたの心だ。 「稲葉も退屈そうだね」 「我が本分は軍場にある。腕が鈍っては困るのでな」 「いいじゃないか。素直に寂しいと言えば」 「その言葉、そっくりそのまま貴様に返す」  富田江は曖昧な笑みで返事を誤魔化した。  稲葉江にここまで言わせるのだから、おそらく相当今の自分は良くないように見えるのだろう、と彼は考える。天下一と持て囃され、ひとりになる度に感じた虚無感を、富田江はこういうものだと受け入れたつもりでいた。  しかし、人の身とは際限なく欲深い。そして一方的に評価を宛がわれるだけだった鋼の塊だった頃と違い、今の彼には自由に動く肉体と人よりよく回る口が付いている。それらを使って求めるべきものが自分にはないと、そうまでしてまで欲するものはないと――富田江は思っていた、はずだった。 「……認めよう。あの子が恋しいよ」 「我に言うな」 「ははっ、そうだね。……そうだった」  これまで感じたことのない感情が湧き上がり、富田江は瞼を伏せる。この身、この心、この感情をくれた彼女が、ただ恋しい。側に寄り添って、その手に触れて、望みに応えてやりたい。  が帰るまでは、あと半月ほどの時間があった。  本丸中が待ち望んだ帰還の日がようやく訪れた。  数日前に「そろそろ帰るからね」と連絡を受けて以降、刀剣らは熱心に本丸中の大掃除を行っている。せっかく送り出したからには彼女の不在中も立派にやっていたと思われなくては、と誰かが提案したのがきっかけだった。  屋敷中ピカピカに磨き上げられた本丸を見て、ははしゃいでいた。足取り軽く近侍の待つ自室へと向かい、すぱんと障子を気持ちよく開け放つ。 「富田、ただいま!」  久方ぶりに聞いた弾んだ声に、富田江はつい頬を緩ませた。怪我もなく病気もしていないと連絡を受けていたものの、それでも元気そうな顔にほっと安堵する。  荷物は既に出迎えた刀剣に預けてあるらしく、彼女は手ぶらだった。その表情には喜色が滲み、帰りが待ち遠しかったのは彼女も同じだと思うと富田江は胸がくすぐったくなる。 「ふふっ、おかえり。どうしたの、そんな顔をして」 「え? そんな変な顔してる?いつもと変わんないと思うけど」  はきょとんとして首を傾げた。むにむにと自分の頬を手で摘んだり伸ばしたり挟んだりしている。そんな子供っぽい仕草が彼女らしくって、富田江はその光景に心が満たされるのを感じると共に、無自覚なのか、はたまた別の理由なのか——彼女の顔を、改めてまじまじと見た。 「……そうか、私の心がそう見せるのか」 「えぇ?」  呟いた独り言を誤魔化すべきか迷って、富田江は唇を閉ざした。  そんな様子の彼が気に掛かったのか、は少し浮かれた調子で「もしかして寂しかった?」と尋ねる。 「ああ。君が無事に帰ってくるか気掛かりで、ずっと待ち遠しかったよ」 「えっ、うそ。なんかごめん、富田ってそういう感じじゃないと思ってた……」  茶化しておいて肯定されると思っていなかったのだろう。が悪いことをした、と言わんばかりに口をぽかんと開けた。富田江は首を横に振る。 「気にしないで。それより、帰省はどうだった? 君の話が聞きたいな」 「あっうん、あのね、いっぱい話したいことある! あとで聞いて!」  彼女がぱあっと花が咲いたように表情を明るくする。その笑顔が眩しくて、富田江はつい目を細めた。 「そうだ、まだダリア咲いてる? 今年は見れないかもって心配だったんだ」 「まだ咲いているよ。一緒に観に行こうか」 「うん!」  庭のダリアはまだ辛うじて花をつけているはずだ。散るまいと懸命に耐える姿は、彼女の帰りを待っているようだと、富田江はひとりでそれを眺めている間ずっと考えていた。  富田江が手を差し出すと、は躊躇いなくそれを握り返す。鞘に刀身が収まるように心地いい。は確かめるように手に力を込めて握ったり緩めたりを繰り返していた。 「どうかした?」 「えっとね、富田とこっちの手繋ぐといつも指輪が当たるでしょ。この感じが久しぶりだなーって思って」 「ごめんね、気が付かなかった。痛かった?」 「ううん、違うの。なんか……帰ってきたなーって思ったの」  の中指が富田江の金の指輪をなぞると、自分ものとは違う白くて柔らかな皮膚がくすぐったく感じた。手を解き指を絡め合う繋ぎ方に変えると、は驚いて顔を上げる。 「こちらの方が私を感じるかと思ったのだけれど」 「は、恥ずかしい……」  繋いでいない方の手では顔を覆った。指の隙間から見える照れ臭そうな笑顔が愛おしくて、ずっと眺めていたいと富田江は思った。  ふたりが庭へ向かうと、ダリアが彼らを出迎えた。  はキラキラした表情でそれを眺め「私がいない間もお世話してくれてたんだね」と嬉しそうに笑う。彼女がこの花を大事にしていることは本丸中が知っていたので、この隙に花壇に何かがあっては申し訳が立たないと普段よりも熱心に手入れされていた。  少し茶色く変色して俯きかけた物もあるが、概ね真っ直ぐと咲いている。富田江の瞳に映るダリアは、ひとりで眺めていた見頃の物よりもずっと鮮やかだった。  彼女が身に纏う薄手のトップスは、少しばかり心許ない。彼女が本丸を離れていた間にひと月が過ぎ、それに伴って気温もぐっと下がった。  あまり外には長居できないなと富田江が思っていると、が小さくくしゃみをする。 「もう戻ろうか。風邪を引いてしまってはいけないからね」 「うーん、もうちょっと。奥の方も回ってもいい?」 「構わないけれど……日が暮れそうだ」  富田江の言葉を退けて彼女が食い下がるのは珍しいことだった。の身を案じながらも、彼は彼女の要望へ応え共に花壇を回る。冬を前に枯れてしまった花も多く、辺りは寂しげだ。富田江の言葉通り少しずつ暗くなっていく。 「……ごめんね。そろそろ戻ろっか」 「見たいものは見られたかな」 「ううん。そうじゃないの。……なんか、久々に会ったら富田とこのままずっとここにいたいなって思っただけ」  指を絡めて赤面していたが何の気無しにそんなことを言うので、富田江は人知れず瞠目した。  僅かな表情の変化は、夕暮れの闇が覆い隠してしまう。彼の変化に気が付かないまま、は公園で遊び足りなそうにする子供のような表情をしている。自分がどんなことを言っているのか、よく理解していないようだ。  陽だまりのような刀たらしの彼女は、同時に薄氷のように危うい。人と神、持ち主と物。その縁さえ覆せば、どうなるかわかったものではないのに。彼女の望まぬことを決してしないという信頼のある富田江の前だからこそ、はそんな言葉を溢してしまった。 「……そんなことを言われると帰せなくなってしまうよ」 「ごめん。富田が付き合ってくれるのわかってて引き留めちゃって……」  申し訳なさそうに眉を下げたを見下ろしながら、富田江は首を横に振った。  ——私が、帰したくなくなってしまうから  秋の虫の鳴き声が響く中、辺りはもう真っ暗だ。ぽつりぽつりと着き始めたガーデンライトだけが頼りの中、そんな言葉を富田江は飲み込んで、を母屋へと導いた。  その様子を、物陰から見守る者がいた。おかえりパーティーの準備ができたと呼びに来た篭手切江だ。彼は二人を眺めながら、声をかけることもできず、頭を抱えてそっと気配を消していた。

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