もう沈まなくたっていいね

 オレの主は元カレに振られて、自暴自棄になって自殺を図っていたところをスカウトされ、審神者になったらしい。どうせ死ぬなら歴史とやらのために命を使ってやる、と一念発起した主には隠れた素質があったようで、今では優秀な審神者として表彰されたりと立派にやっている。  ただの主と刀だったオレたちの関係が変わったのはある夜のこと。本丸の宴会を抜け出してばったり縁側で会ったオレに、酔った主は身の上話をしてくれた。  ヘラヘラ笑いながら喋るくせに、なんだか泣きそうな主がほっとけなくて、オレはなんとなしに主の手を握った。するとそれが大層嬉しかったらしく——その場で何かあったわけではないが、その日を境にオレたちの関係はちょっと変わって、ひとつきかふたつきほど経った頃には恋人同士になっていた。  主には親友がひとりいて、現世で唯一今でも連絡を取り合う間柄である。そんな彼女が、今度結婚式をするらしい。招待された主は心底嬉しそうで、浮き足だった様子でオレにパーティドレスを選ばせてくれた。  主が楽しそうなのはオレにとっても嬉しいことだが、懸念事項がひとつ。どうやら、その親友とやらの配偶者は、主の[[rb:件 > くだん]]の元カレとも親しい仲であるようだ。主とその元カレが顔を合わせる可能性があることに気付いて以降、オレは冷たい海に沈められたみたいに体の芯が冷え切った心地でいた。  ドレスの通販サイトをうきうきで眺める主に「元カレも来るの?」なんて訊ねて、水を差すような真似はしたくない。主の方からその話をしないのもオレを不安にさせまいとしているのかもしれず、結局オレはそのことを言い出せないまま結婚式当日を迎えた。  器用なヤツがセットした髪にいつも以上に気合の入ったメイク、それとオレが選んだドレス。いつも以上に着飾った主は可愛くて、正直行かせたくないなぁ、なんて思う。けれど、主がこの日をどれほど心待ちにしていたかはオレが一番よく知っている。心を殺して笑顔を張り付け、「楽しんできて」と送り出した。  主不在のため今日の出陣はなし、本丸の連中は当番にあたっているもの以外、好き勝手過ごしていた。  オレはといえば予定はフリーで、何もしてないと主のことが気になって狂いそうになる。演武場で刀を振ってもよかったが、あそこには間違いなく最近ウチにやってきた身内がいるため、今は近寄り難かった。  オレは自室の押し入れの奥から一升瓶を引っ張り出してきて、広間で掲げた。いつだったか、何かしらの褒美として買ってもらったやつだ。するとわらわら[[rb:刀 > ひと]]が集まってくるのがここのいいところである。暇を持て余したヤツらで酒盛りをやっていたら気の利く刀が簡単なつまみを作ってくれて、その場はちょっとした宴会になった。  しかし、昼から飲んでいたせいで主が帰ってくる前に次々とつぶれてしまって、その場にはイマイチ酔いきれなかったオレだけが残った。泥酔者の屍が部屋の隅に蹴り飛ばされていく中で居場所を失ったオレは、主の部屋を訪ねた。  本来は主人の部屋なんて勝手に入るものではないんだろう。けれど付き合って間もない頃、距離感を掴みかねていたオレに主が「好きに来ていいから」と言ってくれたことがあったので、遠慮なしに襖を開く。とはいえこれは[[rb:恋人 > オレ]]の特権というわけではなく、寂しがりやで主好きの刀には誰にでも言っているようだったが。  主のいない部屋に来るような物好きは当然いない。主の部屋は雑然としていて物が多いが、その全てが審神者になってから買った物だったり、刀たちからの贈り物だ。審神者になると決めた日、主は命の代わりに現世に関わるものをほとんど捨ててきてしまったのだという。  日が落ちて随分経ったこの時間でも、締め切った部屋の中には日中の熱が籠っていた。あまりにも蒸し暑いので勝手に冷房をつけ、畳の上に横になる。冷たい空気によって汗ばんだ肌が次第に乾いていった。  こちこちと音を立てる壁掛け時計に目をやると、聞いていた披露宴の終了時刻はとうの昔に過ぎていた。久々の現世だからいろいろやりたいこともあるだろう。すぐに帰ってこないのは織り込み済みだったが、それでもじわじわと不安は質量を増していく。  あれだけ酒を浴びるように飲んでも意識ははっきりしていたというのに、主の匂いと霊力に満たされたこの部屋だからだろうか。突如、急激な眠気に襲われた。瞼を下ろし、深く息を吸う。肺の空気を吐き出すと、そのまま沈んでいくような気分だ。  秒針の規則的な音に耳を傾けて微睡んでいると、小さな足音が聞こえた。聞き間違えるはずがない、主のものだ。  ふわふわしていた頭が一気に覚醒する。しかしオレはあえて横になったまま、近づいてくる足音を待った。主の部屋で寝っ転がったオレを見て彼女がどういう反応をするのか、そんな好奇心に駆られてのことだった。 「あれ、笹貫?」  襖を開いてすぐの第一声で、主はさほど酒を飲んでいないことがわかる。酔っぱらった主の声はとろんとしていて、語尾の伸びた甘えた口調になるからだ。オレはひとまず安心して、狸寝入りを続けた。 「さーさーぬーき」 「……お、もう帰ってきたの? おかえり。早くないか?」 「ただいま。ちょっと買い物してきただけだからね」  オレはたった今目を覚ましたふりをして、横目で主を見た。  買い物の荷物とやらは、主の帰りを心待ちにしていた忠犬染みた連中がさっさと持っていったのだろう。主はここを出た時と同じく、何も入らなさそうな小さいカバンとトートバッグだけを肩から下げていた。  荷物を畳の上に置き、主はオレの隣に腰を下ろす。流石に体を起こそうかとも思ったが、主がオレの捲れ上がったTシャツを整えて腹を隠してくれたので、それが嬉しくて横になったままでいた。 「で、どうだった?」 「すごく良かったよ。久々に会えたのも嬉しかったし……綺麗だったなぁ」  主は式を思い出すように、うっとりと目を細めた。  オレはといえば「久々に会えた」の部分が引っかかって、なんと返すか言葉に詰まる——が、自分が思っていたよりもずっと酒に酔っていたらしい。飲み込むつもりだった問いが、無意識に口から滑り出していた。 「それって元カレも?」 「え? 元カレ?」  主は素っ頓狂な声をあげ、目を丸くする。まるで眼中になかった、とでも言いたげだ。それからすぐに何かを思い出した様子で「ああ!」と手を叩き、今度はトートバッグをがさごそとやり始めた。  やっぱりいたのか、と思うと同時に鼓動は速くなり、どっと汗が噴き出す。酒しか入っていない腹がなんだか痛くなってきて、オレは手でそこを摩った。腹を出していたからかもしれない、と現実逃避をして天井を睨む。  動揺するオレをよそに、主がトートバッグから取り出してきたのは封筒だった。ご祝儀袋に移し替える前の金が入っていたのと同じ、銀行のやつだ。しかしその中身は紙幣八枚。主が下ろしてきた額よりも多い。 「金?」 「そう、元カレに会ったの。それで、五年越しに貸してたお金返してもらってきた!」  思わず起き上がったオレに、主は自慢げに紙幣を見せつけた。 「これでさ、いいお酒買おうよ。連隊戦お疲れ様会と波平の歓迎会で!」 「……いーんじゃ、ない」 「え? 何その反応」  オレのリアクションに納得がいかなかったのか、主は不満げに唇を尖らせる。ああかわいい、じゃなくて。オレが気がかりだったのはそんなことではない。  主は元カレに心底惚れていた。金にだらしなく浮気性、約束もすぐ反故にするし些細なことで怒鳴る。でも、そういうとこを許せるくらい好きだったんだと。それこそ、捨てられて命を絶つか迷う程に。  そんな男と再び顔を合わせて、また心惹かれてしまうんじゃないかって。オレはそれが不安で堪らなかった。  手足があるから、今度は捨てられても戻ってこられる。だけど主がこっちを向いていなきゃなんの意味もない。  ——そう、そんなことを心配していたはずなんだけど。 「元カレに、会ったんだよな?」 「そうだよ。だから二次会前にとっ捕まえてATMでお金おろさせた」 「っと……それだけ?」 「え、やっぱ利子つけさせるべきだったかな」 「いや、そっちじゃなくて」 「どっち?」  ぽかんとしたオレを気に留めず、主は封筒をトートバッグに仕舞い直した。  主の心はすでに宴会にあるらしく、「波平ってやっぱり芋焼酎が好きなのかな? 笹貫詳しいし、なんか見繕ってよ」とわくわくした様子で左右に揺れている。主も結構イケる口だから、歓迎会の名目でいい酒を飲みたいだけなのが透けていた。  式の余韻か臨時収入への喜びか、オレの抱えていた不安なぞ取るに足らないものであるかのように彼女は振る舞う。弥次郎兵衛みたいな動きを見ていると、小さな不安は波にさらわれ、砂粒と共に消えていく。 「主」 「なに?」 「キスしたい」 「急すぎない?」  いいけど、と言って主は目を瞑る。こういう話の早いところが好きだな、と思う。唇が触れ合うと気持ちが良くて、泣きそうになった。 「笹貫めっちゃお酒の匂いする」 「はは、……バレた? 主がいなくて寂しかったんだ」 「ごめんってば」  もう一度だけ口付けて、主を抱きしめる。そのまま体重をかければ、主は背中から畳に倒れた。頭をぶつけないように後頭部に手を添えてやれば、主もオレの背中に腕を回してとんとんと叩いてくれる。 「今日飲んだやつ、好評だったよ」と隠し持っていたとっておきの話をすれば、主は「私も飲みたい」とくすくす笑った。

WaveBox
一覧へ