Sink

縄張り争い

微ホラー。直接的な表現はありませんが、動物がかわいそうな描写があります。苦手な方は読むのをお控え下さい。

 きたる敵からの大規模襲撃に備えて健康な体作りを! と言い出した管狐の提案により、ここ数か月審神者は毎朝『審神者体操』なる体操を毎朝させられている。燭台切光忠の溌剌とした掛け声に合わせて数分間身体を動かし、その後朝ご飯の準備が終わるまで、本丸周辺を散歩するのが審神者の習慣であった。
 日中は三十度を優に超える真夏。朝方はまだ日差しも柔らかく、木陰に入れば過ごしやすい気温になる。この本丸の土地は広大で、母屋を中心に四方を雑木林で囲まれていた。せせらぐ小川を越える橋から伸びる散歩道は林を切り開くように続き、それに沿って歩いていると、進めば進むほど木々が生い茂っていく。足元には雑草が生い茂り、進むのも危険な状態だ。
 普段ならばそこで引き返して、朝食の香りが漂う本丸へと戻っていたはずである。しかし、審神者は言い知れぬ好奇心に唆されたというのか、何かの思い付きでその先に進んでみることにした。
 この本丸に就任して五年経とうとしている今でも、彼女はこの林の全貌を知らない。整備されていなくて危険だからあまり近寄らないように、と先代の審神者――彼女の叔父によって顕現された刀剣男士らに厳しく言いつけられていた。
 先代から継いだ本丸の地図では、林の先は紙面の外となって省かれている。それでも面積と照らし合わせれば、地図の先までもがこの本丸の敷地内であるはずだった。
 審神者は足で背の高い雑草を踏み分けながら、この先の景色を想像した。どこまでも続く林は切れ目すら見えない。散歩道沿いに生えている木々には樹木名を示す札が下がっていたが、林の奥深くまで進むとそれも見当たらなくなった。
 審神者はいつしか時を忘れ、来た道を覚えることすら頭から外れるほどに夢中になって先を進んだ。何かの衝動に突き動かされるように、何かに招かれるように。その先に、何があるか知りもしないのに。
 ふと、彼女の足に固いものがぶつかった。審神者はその場で立ち止まり、地面を見下ろす。金属製の器だった。海外の監獄モノのドラマに登場する食器によく似ている。一部は腐食していることから、相当古いものだと伺えた。
 審神者は恐る恐る、それをスニーカーの先で蹴るようにしてひっくり返した。アルミか何かで出来ているのか、非常に軽い。裏にも表にも文字らしいものは記載されておらず、一体どこからやってきたものか見当がつかなかった。
 物自体は何の変哲もない金属製食器のようだが、問題はそこではない。審神者が五年間も立ち入ることのなかった場所になぜ人工物が落ちているのか、ということだった。
 林の奥に行ってはいけない、と言われていたのは彼女だけだ。先代、もしくは刀剣男士の誰かがここへ来て、その時に落としたものだと考えるのが最も自然だろう。けれど、そう解釈するには違和感があった。
 先代はとても几帳面な性格で、そして彼の下ろした刀剣男士らもそれに倣うように真面目な気質を持っていた。よほどうっかりしていなければ、こんなところに忘れ物をして置き去りにするだなんて考え難い。
 それに、本丸の食卓で使用される食器は、木製と陶器製がほとんどだ。一部の刀剣男士が私物としてサーモタンブラーなどを使っている姿を目にしたことはあるが、このような風情のない器が使われているところは見たことがない。修行の一環として山籠りを好む刀剣男士らのキャンプ用品かと思ったが、それにしては年季が入りすぎている。
 本丸で見かけないものをこんなところに持ち出すには相応の理由が必要で、ならば猶の事特殊な事情なしには納得のいかない状況だった。あるはずのない器が、審神者の好奇心をより駆り立てる。彼女は器があった場所を通り過ぎ、さらに奥へと歩いていくことにした。
 足場は進むごとに悪くなり、伸び切った雑草は審神者の太ももの高さまで及んだ。一歩踏み出すだけでも一苦労で、審神者は時折木に手をついて先を進む。体操をするために、上下長袖長ズボンのジャージを着ていてよかった、と彼女は思った。
 足元を入念に確認しながら進むも、あの器以降落し物は見られない。やはりあれは誰かが忘れていってしまったものだったのかもしれない――と、思い直しかけた時だった。
 犬の鳴き声が聞こえた。
 大型犬だろうか、よく通る低い声だった。この本丸には、管狐と虎と亀と鵺と狐と虎柄の猫と――色々な生き物がいるけれど、犬はいないはずである。
 まさか野犬でも住み着いているとでもいうのだろうか。幼い頃、田舎の祖父が野犬に噛まれて大怪我をした、と聞かされた話が頭を過る。本丸の敷地内とはいえこんなところまで一人で歩いてきて、今更審神者は恐ろしくて堪らなくなった。
 木の葉に遮られた空は薄暗いものの、太陽の位置は随分高いところにあるように見える。早く戻らなくては、と振り返ると、どこまでも同じような林が続いていて来た道がわからなくなってしまった。それに気付いた途端、自分はとんでもないことをしてしまったのではないかと恐怖心が足元から競り上がってくる。審神者は頭が真っ白になった。
 不安でくらくらとする頭の中に、動物の鳴き声が響いている。犬に限らず、複数の獣の声が混ざっていた。
 次第に眩暈がしてきた審神者は、思わず近くの大木に背を預けて座り込んだ。獣の声は大きくなる一方で、それは耳を塞いでも消えることはない。記憶を思い返すときのように、脳内で繰り返し再生されている。
 その声の合間に、草木をかき分ける音がした。誰かが近づいてきている。審神者の耳元ではずっと、獣の荒い息が聞こえていた。
 熱い呼気と滴る唾液すら想像できるようなリアリティを伴って、それは審神者を恐怖の淵に追い込む。雑草に紛れて見つかりませんようにと祈りながら、彼女は背を丸くして身を屈めた。足音は、すぐそばに迫っていた。
「頭、こんなところまで来ていたのですか」
 俯いたまま、きゅっと閉じた目を恐る恐る開く。すぐそばにあった足は二本で、きちんと靴も履いていた。爪が剥き出しの獣のものではない。顔を上げると、そこにいたのは犬は犬でも、五月雨江だった。
 こんな険しい林の中を、例のごとく腹を剥き出しにしたTシャツを着て歩いてきたらしい。何度も枝をジャージに引っ掛けながら歩いてきた審神者は、よくこんなところを無傷で、と思った。
「五月雨……、どうして」
「朝食の時間になっても姿が見えなかったので、探しに」
「どうやってここを?」
「頭の匂いを辿ってきました。犬は鼻が利くのです」
 冗談か本気か、そんなことを言って五月雨江は「わん」と小さく鳴いた。先ほどまで彼女の鼓膜を震わせていた獣の大合唱は、いつの間にか聞こえなくなっている。五月雨江が差し出した手を取り、審神者は立ち上がった。
「……いつもみたいに散歩してたんだけどね、ちょっと先に行ってみたくなって。気が付いたらこんな奥まで来ちゃってたんだ」
「そうですか。この林は迷いやすいですから、頭一人では危険です。興味がおありなら、ぜひ供に私を呼んでください」
「うん。……ありがとう」
 五月雨江は、林の奥に立ち入ったことを咎めなかった。彼は先代から引き継いだ刀剣男士ではなく、彼女が自ら励起した者である。この林に近寄るな、と彼女が言われていたことすら知らなかったのかもしれない。
 審神者は怒られなくてよかった、と思いながら、なぜか離されないまま繋ぎっぱなしの手に導かれ、林の中を歩いた。
「あ、この器」
「何かありましたか。……これは」
 しばらく歩くと、道中見かけた器が転がっているのが目に入った。審神者にとってはどこまでも同じ景色だが、五月雨江ははっきりと本丸の方角が分かっているらしい。見つけた当初は散々怪しんだその器が今や見知った景色として安心材料になったのがなんだかおかしくて、審神者はつい口に出した。
「ここに来る途中でも見かけたの。ちゃんと来た道を戻れてるんだと思って……」
「頭、これに触れましたか」
「えっ?」
 審神者の言葉を遮って、五月雨江は鋭い声色で彼女に問いかけた。一瞬にして張り詰めた空気に、審神者は物怖じする。心なしか、手を握る力が強められていた。
「えっと……、何かなって思って、ちょっと蹴っちゃった」
「そうですか」
 この器が何であるか聞かずとも、自分はまずいことをしてしまったのではないかと思わせる気配が五月雨江の声からは滲んでいた。長い睫毛に縁どられた目が細められ、瞳が思考の淵をなぞって左右に動く。緊迫した空気に耐え切れず、審神者が「五月雨」と呼ぶと、彼は「戻りましょう」と言って、何事もなかったかのように先を急いだ。
 背後から何かの気配を感じ、審神者は振り向こうとする。しかしそれを制するように「頭」と呼びかけられ、彼女はそのまま進行方向を見つめ直した。

 ひとりで歩いていた時は、林の奥まで歩くのに随分長い時間を要した気がするのに、そこから本丸の母屋に戻るまではあっという間だった。戻った彼女を待ち受けていたのは、先代のはじまりの一振りであり、審神者にとっては父親同然の存在である歌仙兼定だ。彼は長々と如何にあそこが危険な場所であるか、朝食の時間になっても姿を見せない審神者をどれほど心配したかを説き伏せ、二度と林の奥にはいかないようにと約束をさせた。
 厳しく言いつけられずとも、あんな恐ろしい体験をしたのだ。審神者はもう、二度とあの場所に近づくつもりはなかった。
 歌仙兼定の剣幕が恐ろしいあまり、結局審神者はあの器や場所については訊ねることができなかった。恐らく、聞いても答えてはくれないだろう。先代から「この子をよろしく」と任されたはじまりの一振りは、人一倍過保護で心配性なのだから。
 本丸に帰ってすぐに着替えたジャージには、心当たりのない汚れや傷がついていた。枝を引っ掛けたところやひっつき虫と呼ばれる類の植物がついているのはともかく、何か液体が跳ねた後や、爪でひっかいたようなほつれが特に下半身に多く見られた。
 元より、数年間着古していたジャージである。審神者はそれを処分することにして、新しい物を買いなおそうと通販サイトを開いた。

 一日を終え日が暮れて、審神者の部屋を誰かが訪ねた。
 審神者は既に、短刀に整えて貰った寝具に入って寝支度を済ませていた。誰かが修行の申し出にでも来たのだろうか、と襖を開けると、そこに居たのは五月雨江である。今朝のお礼をきちんと出来ていなかったことを心残りに思っていた審神者は、丁度良いと彼を部屋に招き入れた。
「どうしたの、こんな時間に。何かあった?」
 出陣の予定もないのに、五月雨江は戦装束に身を包んでいた。今朝の今で修行に? と違和感を覚えながらも訊ねると、続いた言葉は審神者の思いもよらないものだった。
「はい。出来ることならば、理由を聞かず頷いて頂きたいのですが」
「うん?」
「今夜一晩、ここに置いては頂けないでしょうか」
「えっ」
 審神者は目を丸くし、口をぽかんと開けた。
 しかし、そんな間抜けな反応をした彼女に対し、五月雨江の様子は真剣そのものである。変な冗談や癖の強い甘え方をしているわけではないのだと一目で分かって、審神者は表情を取り繕った。
「いいけど……。理由は聞かない方がいいんだよね? えっと、それって一緒に寝る……ってこと?」
 一応は、年頃の女である。忠臣深い彼が妙な気を起こし彼女に不躾な真似を働くとは考えにくいが、成人男性の姿をした五月雨江と添い寝をするのには躊躇いがあった。今朝、歌仙兼定を怒らせたばかりで、これ以上彼の気を揉ませたくはない。そんな思いで恐る恐る問いかけた審神者の言葉に、五月雨江は首を横に振る。
「出来ることなら室内に控えさせて頂きたいのですが、厳しいようでしたら天井裏や床下でも構いません。とにかく、今晩は頭の傍にいたいのです」
「天井裏って……」
 傍にいたい、の一言に不必要な色っぽさを感じて、審神者はむっと下唇を噛む。
 唐突にも程がある五月雨江の申し出に、審神者は当然ながら疑問を抱いた。五月雨江は従順で甘え上手な忠犬のような男だ。怜悧な顔立ちに不釣り合いな人懐っこさがあり、常識的なことを言っているような顔と声色で仔犬みたいにおねだりをする。一緒に季語を見に行きましょうとか、褒美をくださいとか、その褒美がただ頭を撫でるだけだったりだとか。
 しかし今夜の要望は、そんな戯れとは訳が違うようである。変な遊びを始めたわけでもなさそうで、本心から審神者の身を案じ、何か理由があって――例えば、何かから審神者の身守るためにこんなことを申し出たように見えた。
 頭に浮かぶのは、今朝の出来事だ。林を離れて以降、不思議なことにあの時感じた恐怖心やすぐそばに迫っていた獣の気配は、嘘のように遠ざかっていた。まるで一連の出来事が悪い夢だったかのように、審神者の記憶は薄れている。故に彼女は、あの出来事を経ても危機感を抱いていなかった。五月雨江の行動の理由の一例として思い当たりはすれど、彼が警戒する『何か』に怯えることはない。
 五月雨江の提案についてしばらく考え込んだ末、彼女はこくりと頷いた。
「わかった。いるだけならいいよ。そのかわり、寝顔とかはあんまり見ないでね。恥ずかしいから!」
「ありがとうございます。頭を裏切るような真似は、決して致しません」
「…………」
 五月雨江は審神者の布団と襖の間に座り、傍に『五月雨江』を横たえた。彼女は五月雨江に背を向けて、目蓋を下ろす。変な寝言とか言わないといいけど、と自室とは思えぬ落ち着かなさに身動ぎするも、眠りに落ちるのはあっという間だった。

 その夜、審神者は奇妙な夢を見た。
 舞台は見知らぬ建物だ。壁面がコンクリートで出来ており、薄暗く冷たい印象を受ける。小さな窓から覗く外の景色は、四方を木々に囲まれた山奥だ。訪れたことのない場所のはずが、審神者は迷うことなくその中を歩いていた。
 長い廊下の先にある鉄製の重いドアを開けると、部屋の中には獣の臭いが充満していた。
 開けると同時に、中にいる犬たちが一斉に吠え始める。鼓膜が破れそうなほどの大合唱には、どこか聞き覚えがあった。
 夢の中の審神者は、慣れた手つきでそこにいる彼らに餌をやっていた。噛み跡が付き一部が変形した使い込まれた金属製の皿にフードを流し込むと、彼らは必死になってそれを食べ始める。その光景が微笑ましいようで、後ろめたいようで、言葉にし難い思いを夢の中の彼女は抱いていた。
 審神者は別段、愛犬家というわけではなかった。祖父の野犬の話のせいで、幼い頃は必要以上に怯えていたし、今でも身近に飼っている人もおらず馴染みがないため、特別思い入れはない。
 けれど目の前の彼らを見ていると、不思議と愛おしさが湧いてくる。こんなにたくさんの犬の世話をしたことなどないのに、それが彼女に課せられたの役目だと思えてならない。まるで、かつてここにいた誰かの記憶を追体験しているようだった。
 餌が足りなかったのか、犬のうちの一匹が「ワン」と吠えた。本当はいけないとわかっていて、審神者はもう少しだけと餌袋に手を伸ばす。その手首を、誰かが掴んだ。
「頭」
 耳元で囁かれ、驚いた審神者は餌袋を掴み損ねた。扉が開く音はしなかったのに、どこから入ってきたのだろうか。すぐ後ろに、ぴったり彼女に張り付くように五月雨江が立っている。
 そういえば犬に馴染みはないと思ったけれど、本丸には五月雨江と村雲江という犬がいたんだった——と、不意に彼女は思い出した。
「五月雨もごはん?」
「……頭、私はご飯を貰いに来たのではありません」
「拗ねないでよ。ちゃんとあげるから」
「頭」
 鋭くそう呼ばれ、ハッとする。振り返った先で見上げた顔、五月雨江の目元には、赤い紋様が浮かんでいた。眉間には深く皺が刻まれ、開いた口の中には鋭い牙が見える。まるで本物の犬だ。それどころか——
 五月雨江が、グルルと喉を鳴らす。審神者の奥にいる何かに、明らかな敵意を持って威嚇していた。五月雨江は何を警戒しているのだろう。だって、ここにいるのはみんな、——あれ、ここにいるのは誰だったっけ?

 浮かんだ疑問と同時に、審神者の意識が浮上する。目を覚ますと、滝のように全身に汗をかいていた。
 あまりの暑さに冷房をつけ忘れたか、とリモコンを探し身じろぎすると、彼女に引っ付くようにして別の熱の塊が布団の中にいることに気がついた。審神者が恐る恐る掛け布団を捲ると、審神者の腹に抱きつく形で五月雨江が眠っている。その目元には、夢の中と同じく赤い紋様が刻まれていた。
「五月雨……?」
 五月雨江は唸るように歯を軋ませていた。背中にちくりと痛みが走る。五月雨江の爪が食い込んでいるのだろう。時折喉を鳴らす音が聞こえることから、魘されているらしい。
 審神者は彼の肩を掴んで揺り起こそうとして、浮かせたその手をそのまま下ろした。刀剣男士の中でも人一倍気配に鋭い五月雨江が、こうして審神者が目を覚ましたにもかかわらず気付かないのだ。何か訳があるに違いない。——勝手に布団に忍び込んだことも含めて。
 審神者は五月雨江の頭に手を添え、頭皮を掻くように撫でた。しばらくそれを続けていると、唸りは安らかな寝息へと変わっていった。


 帰省に乗じて先代審神者——叔父と顔を合わせる機会を得た審神者は、例の林について彼に訊ねた。叔父はあれこれとうまく言いくるめ、はぐらかそうとしたものの、審神者も一歩も引かない。根比べの末に勝利したのは彼女の方で、叔父は渋々ながらあの林の秘密について語った。
 歴史修正主義者との争いが始まった当初の話だ。時間遡行軍に対抗する術として、刀剣男士以外での戦力増強が検討されていた。そのうちの一種を造るための実験が行われていたのが、今は林となったあの場所だという。
 かつてあの場所に建てられていた研究施設は、計画中止のとある事故をきっかけに封鎖され、取り壊された。その場に閉じ込められた、いくつもの魂の嘆きを見殺しにして。
 その後怨嗟渦巻く呪いの地となったものの、元は強い霊脈の通う土地だ。完全に捨て去り封鎖するのは勿体無いと判断したときの政府は、力ある審神者であった叔父に命じて呪いを封印させ、そこに本丸を築くことで生まれた呪いを抑えていた、とのことだった。
 先代が離れたことで封印の力が弱まり、そこに残った魂が審神者を呼び寄せたのだろう——叔父はそう語り、巻き込んだことについて審神者に詫びた。
 実験、魂、封印——あの林で聞いた声と夢で見た景色が、その場で起きたことを審神者にいやでも想像させる。知りようもない、審神者が生まれるずっと前の出来事だ。それでも歴史遡行軍と戦う者として、同じ立場にあった人間の傲慢で残忍な行いに、彼女の胸が痛んだ。夢の中で重なった誰かの記憶は、審神者の心に深く刻まれていた。
「近いうちに封印をかけ直しにいくよ。俺の時に相当やったからな、近付かなければ害はないだろうが」
「はい。よろしくお願いします」
「そんな暗い顔しなくても、大丈夫だって。それが付いてるうちはお前に悪さはしないだろうよ」
「……それ?」
 叔父は審神者の暗い顔色を、怖い話を聞かされたことによる怯えだと捉えたらしい。心配事を笑い飛ばすように明るい調子で言われた言葉が引っかかり、審神者は聞き返した。
 すると同時に、「頭」と呼び止められた。
 ——ここのところ、彼の声をよく耳にする気がするな。
 ふと浮かんだ考えは、取るに足らない何気ないものである。声の主は、叔父と話すから少しだけ二人にしてほしい、と控えさせていたはずの五月雨江だ。
 先代の審神者であることは知っているはずだが、彼にとって叔父は初対面の相手である。審神者のすぐそばに控えたその表情には僅かに警戒が見られた。叔父はそれを見て、主を守ろうと必死な番犬を愛らしく思うみたいに、気持ちのいい声をあげて笑った。
「縄張り争いには勝ったのか」
「当然です。頭を守るのが私の使命ですので」
「そうかそうか、頼もしいよ」
 叔父は「じゃあまた後日」と言い残し、手をヒラヒラ振って去っていった。
 彼の姿が見えなくなったのち、審神者は五月雨江を見上げた。その視線に気付いた五月雨江が審神者を見つめ返し、何か言いたげに目を細める。審神者はそれだけで彼の意図を理解した。
「……季節限定パフェだっけ? 駅前で通りかかったお店の」
「はい。頭、私に褒美をくださいますか」
「うん、いいよ。ここまでついてきてもらったし」
 ——それに、何かから守ってくれてるみたいだし。
 審神者は口にしなかった言葉を飲み込んで、五月雨江の背中に手を添えた。それを合図に身を屈めた彼の頭を、くしゃくしゃと雑に撫でる。腰に下がった尻尾が、楽しげに左右に揺れているように見えた。


WaveBox
感想頂けると嬉しいです。