雨の日の不機嫌

 明け方から降り続く雨は午後になっても止む気配がなく、屋根を打つ規則的な音が心地よく響いている。今朝その音で目を覚ましたは、窓の外があまりに薄暗いので夜明け前かと思ったほどだった。空は厚い雲に覆われ、途切れることはない。今日一日、晴れ間を見ることは叶わないだろう。  髪はうねって広がるし、庭の土で足元は汚れるし、外出は億劫になるしと面倒ごとの多い天気だが、は以前ほど雨を嫌いになれなかった。可愛い髪留めとレインブーツを買ったから——ではなくて、こいびとが雨を名に冠しているからかもしれない。  加えて、この時期は彼と彼の相方を思わせる色の花が美しく咲くのだ。青々とした葉の上に花は開き始めたばかりで、本格的な見頃はまだ少し先になるだろう。先日、かわいいこいびとはにその花を愛でる約束を取り付けて、「こちらの雨も可愛がってくださいね」と目を細めていた。  ——はずだが、どうも今日の彼は虫の居所が悪いらしい。  いつも通り名前を呼べば、忍びよろしく音もなく現れて、彼はそばに控えた。頭、と呼んだ声の僅かなとげを、彼女は聞き逃さない。見慣れた怜悧な澄まし顔は僅かにから視線を逸らして、意図してその感情を悟らせようとしている風にも見えた。 「五月雨、まだ怒ってるの?」 「怒ってはいません。ただ、納得が出来ていないだけです」 「…………」  ——つまり、怒っているのでは?  思ったままに口を開けば、余計に機嫌を損ねてしまいそうだとは唇を閉ざす。その癖、近くにおいでと手招きをすると、つんとした表情は崩さぬまま傍に寄って撫でられようとするので、「かわいいのかたまりだ」とは思った。  手触りのいい髪は光によく透けて、雫に打たれながら見頃を待つ花の色によく似ていた。頭だけでは不満だと言わんばかりに彼は首を動かして、に頬を撫でるよう誘導する。これではまるで、物言わぬままわがままを貫く犬そのものだ。  頭が私のご機嫌を取って下さるまでこの態度は崩しません、と言わんばかりの行動に、の胸中は困惑が半分、愛おしさが半分を占めていた。今出来るのは、彼が満足するまで撫で続けることくらいだろう。  五月雨江の不機嫌の原因は、昨日までさかのぼる。  一昨日までも雨が続いており、昨日は束の間の快晴であった。この機を逃さず本丸では布という布と洗って干して、も買い出しへと出かけた。男手には困っていないから片手を傘で塞いでも人員で補えばいいのだが、いかんせん彼らは嵩張るので。引率するのも大変だからと託けて、は五月雨江一振りを伴って町へ出た。——まあ、それらはていの良い言い訳だ。要は、デートの口実である。  と同じ考えの者が多いらしく、商店の並ぶ通りはいつもより賑わっていた。五月雨江は荷物を片腕にぶら下げて、の手を握っている。想いを伝えあう前は「はぐれてしまいそうですね」なんて忍びにあるまじき弱音を言い訳にしていたものの、今では手を繋ぐのに理由など必要なかった。  他愛無い話をしながら歩いていると、は突然誰かに呼び止められた。振り返るとそこには、近侍を伴った同業の友人が立っていた。  同じ時期に審神者に就任した同年代の同性で、本丸生活に慣れない頃は親しくしていたものの、多忙が故に今では電子端末で連絡を取り合うだけの関係になっていた相手だ。久々に顔を見たいなと思ってはいたものの、互いに都合がつけづらいのは承知の上だったので、なかなか会おうと言い出せずにいた。  そんな相手とばったり鉢合わせたものだから、妙齢の女性特有のはしゃぎっぷりに近侍の二振りは置いてけぼりとなったわけである。  ——久しぶり、元気してた? そっちはどう? ほんと久しぶり! 会いたいなって思ってたの。  そんな言葉の応酬で、ふたりは周りの目も憚らずきゃあきゃあとはしゃぎ、軽い抱擁さえしあっていた。  それが、五月雨江の気に障ったらしい。  近いうちにお茶でも行こうね、と約束し合って友人と解散した後も、の興奮は冷めなかった。喜びを繰り返し口にして、だから隣の、強く手を握る男の表情がぬかるんでいたことに気付かなかったのだ。いつもより雑な相槌に気が付いて、違和感を感じたが顔色を窺った時には、もう手遅れである。 「何かあった?」と訊ねたに、五月雨江はこう答えた。 「人前での抱擁は品がない——のではありませんでしたか」  経緯を明らかにすれば、先日人前でもスキンシップを憚らない五月雨江をが諫めた、という背景があった。五月雨江が引用したのは、その時のの言葉である。  ただでさえ、刀と人のカップルは人目を引く。せめて外で[[rb:盛 > さか]]った下品な男女だと思われぬよう、衆目の前では慎ましやかに過ごしたい。そう、は思っていた。自分一人が持ち刀に手を出した人間と思われるだけなら構わないが、五月雨江まで悪く思われるのはとても我慢ならない。  五月雨江は従順な犬と見せかけてその実我が強く、それを通すためなら忍びの狡猾さを持ち出すことを躊躇わない。そんな彼を言いくるめるには、多少強い言葉を使う必要があった。  その甲斐あってその時の五月雨江は身を引いてくれ——ついでに「ではその分、密室でなら思う存分睦み合っていただけるということですね」ととんでもない言質を取っていったが——は外で盛った下品な男女の汚名を逃れたわけである。  同性が再会を喜んでハグをするのと男女が抱き合うのではわけが違う、とは主張した。すると五月雨江は「では私が女性の格好をすれば万事問題はないと」と答える。  彼のことだから、変装も忍びの嗜み、とでも言って完璧な女装を披露してくれるだろう。——そんな想像がついたが故に、結構見たいな、と思ってしまったのでダメだった。こんなことで、は常識人から足を踏み外すわけにはいかないのである。  自分がきつく断られたことが——たとえ五月雨江よりも古い付き合いで、同性だったとしても、他の者には許されるのが、彼は鼻持ちならないようだった。 「五月雨、まだ機嫌治らない?」 「はい。治りません」  一刀両断する割に、薄い唇はやわく弧を描いているように見えた。  しばらく動かしていた手は、疲労を訴えて始めていた。甘えん坊の犬を飼っている人もこのような気持ちなのだろうか——とは現実逃避をする。  するとその隙に五月雨江が身を寄せて、の胸元に擦り寄るような姿勢になった。腕の位置が近づいた分、これならば多少は撫でやすい。彼の肩に肘を置いて髪の隙間を指ですいてやると、五月雨江はうっとりと目を細めた。  そんな距離を許したせいか、は自分がいつの間にか彼の下敷きになっていることに気が付かなかった。  畳の上に仰向けになって、その上に五月雨江が乗っかって胸に顔をつけている。色っぽさなど未だ微塵も乗らぬ空気だが、場所が場所だ。服の下を暴かれているが故に、は妙な気になって、じわりと汗をかく。湿気て蒸し暑いのにくっつきあっているせいと、ひとり胸の内で言い訳をした。  しかし、しばらくそれが続くとその熱さにも次第に耐えかねて、は五月雨江の肩を押した。 「五月雨、ちょっと暑いかも」 「そうですか。蒸し暑いですし、風を通した方がいいかもしれません」 「うん、だからちょっと……」 「丁度いいですし、先日の約束を果たしましょう」 「うん?」  先日の約束ね。ああ、紫陽花を見に行くんだっけ——といえすっとぼけは通じそうにない。  五月雨江はの下半身に馬乗りになったまま上体を起こし、肩にかけていたジャージを解いて、体のラインを強調する薄手のTシャツを脱ぎ捨てた。肉体自慢の大男たちとは質の違う、実用性だけを追い求めた筋肉質な体が露わになる。胸元から割れた腹筋を視線で下ると、へそのそばには小さな黒子があった。  その先、さらに下のことをは知っていて——だから、これは良くない流れだなと思った。 「頭もいかがです。暑いのでしょう」 「うん……流れが急というかさ、嵌めたよね」 「なんのことでしょう」  五月雨江のことだから、ここへ呼ばれた時点でその気だったのだろう。そして、そのための手筈は整えている。おそらく小一時間ほど、不思議なことにこの部屋には誰も寄りつかないに違いない。そういう根回しに手を抜かない男であった。  は我慢の効かない犬がうずうずと彼女の腹を撫でているのを感じながら、そんなところも可愛いと思えてしまって、要望通り彼のご機嫌を取ってやることにした。 「五月雨」 「なんでしょう」 「こういうこと許すのは、五月雨だけなんだからね」 「……わん」

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