はその日、紛れもなく走馬灯を見た。 本丸の裏手にある山は四季折々、様々に表情を変える。はそこが一等気に入っており、ひとりでふらりと散歩に出かけることがよくあった。 ここ数日長雨が続いており、外出が出来ず憂鬱をため込んでいた彼女は、ついに訪れた晴れ間に意気揚々と繰り出したのである。 しかし雨を吸った土はぬかるみ、山肌は崩れやすくなっていた。土砂まみれになったいつもの散歩道、濡れた木の葉で足を滑らせたはそのまま重力に任せ傾斜を滑り落ちた。 何かを掴もうにも木々はの肌を傷つけるばかりで、転がり落ちる速度は増す一方だ。戦に身を投じる最中、まさかこんな事故で命を落とすことになるなんて。いよいよ諦めかけた時、は己を呼ぶ声を聞いた。 「頭!」 どこまでも転がり落ちていくはずだった体の動きがぴたりと止まり、何かに抱えられているように全身を体温が包んでいる。恐る恐る彼女が目を開けると、眉根を寄せ歯を食いしばった悲痛な表情で、五月雨江がの顔を覗き込んでいた。 放心状態のは、どうにかしてこのかわいい愛刀を慰めなければと思って、頭を撫でてやろうとした。 けれど、腕が重く持ち上がらない。それどころか、全身が激しい痛みを訴え始めた。打撲と切り傷で身体の内外がボロボロになっている。額を小石で切ったせいで血がだらりと垂れ、顔が燃えるように熱い。 「頭、こちらを。飲めますか」 五月雨江が懐から取り出した容器をの唇に宛がうが、そこから注がれた液体はの頬を滑っていくばかりだ。恐怖のあまり極度の緊張状態に陥ったの身体は、嚥下もままならない。 五月雨江はその飲み口を自らの唇に宛がうと、中の液体を口に含んだ。それから躊躇いなくに口付け、舌を使って器用に飲ませた。 「即効性の痛み止めです。すぐに楽になるはずですが、少し響くかと。急ぎます」 切羽詰まった彼の口調から、いかに自分の状態が良くないものかとは想像する。 刀剣男士が服用する痛み止めの効果はさすがのもので、の意識を叩き起こし続ける苦痛は次第に和らいでいった。 その対価とでもいうように、内側から何かが書き換えられるような不思議な感覚を覚える。それが麻酔のように心地よかったので、本丸へと走る五月雨江の背で揺さぶられながら、は意識を手放した。 ◆ ぴたり、と何か冷たいものが頬に触れる感覚では目を覚ました。 全身が重い。指先ひとつ動かすこともままならず、声を出そうにも錆びた金属のように喉ががさがさだ。 自分は一命をとりとめたのだ。ただ、その事実だけを彼女は認識していた。 「あ……主? 主っ? 聞こえる?」 ぼんやりとした視界の中、次第に焦点が合っていく。瞳を大きく開き、ぼろぼろと涙を流しながら彼女に声をかけるのは、この本丸はじまりの一振りである加州清光だ。 は彼を安心させようと頷こうとしたが、わずかに首が動いただけだ。それでも彼女の意図は加州清光に伝わったらしく、彼は首を横に振り、「ごめん、動かないで。痛いよね」とよりずっと苦しそうな顔で言った。 彼のいつもは整えられた爪が、今は先端の爪紅が欠け自爪が覗いている。の視線に気が付いた加州清光は、恥ずかしそうに手を隠して「見ないで、今かわいくないから……」と言った。彼が自分の身なりを整える時間を割いてまで懸命に看病してくれていたのだと分かって、は胸が苦しくなった。 それから時間をかけて、の身体は少しずつ快方に向かっていった。 運よく骨折や内臓への損傷がなかったおかげで、大事には至らなかったという。何より、「季語を探しに出掛けていた」という五月雨江が偶然彼女を発見したことが幸いであった。 通常治癒にかかる期間よりも直りが早かったのは、五月雨江の秘薬の効果だろう。四肢や額の切り傷は残ったが、それも時間と共に癒えていくはず、との医師の見立てだ。 の命の危機に肝を冷やした刀剣らに「これから外に出る時はたとえ本丸の敷地内でも誰か一振り必ず連れていくこと」という決まりを設けられたこと以外は、何事もなく日常へと戻っていった。 日々の生活を介助なくこなせる程度に回復した頃、は五月雨江を自室に呼んだ。 これまでも彼が見舞いに来る度に何度も何度も礼を言ったが、それでも感謝し足りないほどだ。彼女にとって、五月雨江は命の恩人だった。 彼も彼でしたたかな一面があるので、に頭を下げられるたびに「頭の犬ですので」「務めを果たしたまでのこと」「褒美をいただけるのであれば、撫でてください」と存分にかわいがられている。 「五月雨、その……しつこくてごめんね。何かお礼がしたいと思って。もうやっと自分一人で動き回れるようになったから」 「その件でしたら、既に何度も褒美をいただいています」 「でも、撫でてるだけでしょ。それじゃ私の気が済まなくて。何かない? いい筆が欲しいとか、旅行に行きたいとかでもいいから」 は申し訳なさそうに眉尻を下げながら、五月雨江に訊ねた。 彼の本心としては、仕えるべき頭が自分のことを想い、考えを巡らせてくれているという時間こそが心地良く、それこそが褒美足りえるのだが。言葉を尽くしてそう言って聞かせを引き下がらせることもできたが、あえて五月雨江はそうしなかった。 むしろ何か高価な褒美を貰ってしまっては、この至福の時が終わってしまう。そんな勿体ないことをしてたまるかとさえ考えていた。 真に忠心深い刀剣が五月雨江の真意を知れば強く咎めたかもしれないが、五月雨江はそれを悟らせるような手抜かりをしない。を慕う気持ちに偽りなどなかったが、それ以上に策を講じて己の欲を巧妙に貫ける刀でもあった。 「欲しいものはあるのですが、今は機ではないのです」 「そうなの?」 「はい。ですから、時が来た時に……その時に頂戴する、というのではいかがですか」 五月雨江の提案を、は何も疑うことなく飲んだ。四季の移り変わりを愛で季語を愛する彼である。五月雨江の欲するものは今ここにないのだろう。安易にそう解釈した。 「じゃあその時が来たらきっと教えてね。約束」 「はい。約束、ですよ」 は子供の遊びのように小指を立て、五月雨江のそれと絡める。は彼の働きに報いる機会が得られたことを無邪気に喜び、嬉しそうに微笑んだ。 ◆ 任務に復帰してしばらくが経った頃、この本丸に管狐から新たな任務が言い渡された。 これまでの任務は基本的に各本丸ごとに調査に当たり、その指揮をが取る形で進められた。同一の時代・場所に不特定多数の本丸から刀剣男士が送り込まれることはあったが、今度は特定の一審神者と連携して任務に挑め、とのことだ。 人見知りのきらいがあるはあまり気が進まなかったが、療養期間中休んでいたことを考えるとなるべく取り組みたいものである。その上、ずば抜けて報酬が良いのだ。悩んだ末に、は任務を引き受けることにした。 彼女と組むことになった審神者は、萱(かや)という三つほど年上の男審神者だった。 彼女と違ってこの合同任務に乗り気のようで、相方が若い女審神者であると知り喜んでいる様子だ。同年代の男性に苦手意識のあったは気落ちしたが、受けてしまった以上文句を言ってはいられない。報酬のためと割り切って、励むことにした。 萱との実力はほぼ同等だ。おそらく戦績を見て、近い者同士を政府が組ませたのだろう。 熟練者が新米審神者を引き上げる目的ならまだしも、これでは伝達の手間や齟齬が発生するだけではないか。はなおさらこの任務の意図に疑問を感じた。 審神者同士の顔合わせは、政府が一方的に決めたスケジュールで政府管理施設で行われた。 聞いてもないのに語り始めた経歴によると、彼はご立派な出自であるらしく、父親は政府にも顔が利くという。政府としてもこの任務は試験的なものであるようで、彼が選ばれたのもそれが理由だそうだ。 「要は身内をていよく使おうって魂胆です。報酬もいいし、お互い持ちつ持たれつってことで。せっかくの機会ですし仲良くやりましょうよ」 そう言って萱はに握手を求めた。 やらされているような口ぶりだが、彼女にはこの任務を楽しんでいるように見える。同年代の異性にいい思い出のないは、渋々ながらそれに応えた。 自意識過剰と言われればそれまでだが、萱の視線がどうしても、女として品定めされているような気がしてしまう。 ——せめて同性なら気負わず力を合わせられたかもしれないのに、何を思って政府は自分たちを組み合わせたのだろうか。 不満はいくつも浮かんだが、彼女にはどうしようもないことだった。 顔合わせ以降はオンラインでやり取りをするため、直接会う機会はなかった。 テキストでの業務連絡上は何の問題もなく、むしろ自分とは違う視点での意見から刺激を受けることもある。作戦について刀剣と相談することはあれど、審神者と意見を交わすことはこれまで一度もなかった。なるほど、こういった効果を想定してのことかと、は政府の意図に理解を示し始めた。 そんな中で、憂鬱だったのは萱から提案された毎晩の通話だ。 親交を深めて意見を言い合いやすくするためとのことだが、元より異性に不慣れな彼女だ。いつもなら一人でリラックスしたり刀剣たちとじゃれたりして過ごしているその一時間を拘束され、ストレスが溜まっていった。 実のある話ならまだしも話題の大半は萱の自慢話で、口下手なあまり聞き役にが回るものだから途切れることなくそれは続いた。 同業者としてのマウントならまだ可愛いもので、ここ最近は聞くに堪えないプライベートな話題にまで展開している。彼の下世話な事情を聞かされるだけに留まらず、の過去や恋愛事情、体について揶揄するように尋ねられるのが我慢ならなかった。 しかしそんな任務にもいずれ終わりが訪れる。大物を狩り終え歴史の歪みの修復を確認し、報告書を提出し終えたは、これまでにない達成感を感じていた。 任務をやり遂げたというよりは、ようやくあの男から解放されるという安心感である。これ以上関わりが続くなら気がふれてしまいそう、とまで思っていた。 あとは報告書の提出を今夜の通話で連絡すればおしまいのはずだ。個人的なやり取りの中では不快な思いをすることが多かったが、任務では助けられる機会もあった。最後に一言お礼くらいは言わなくては、とはいつも通り約束の時間に通話を繋いだ。 「いやーお疲れさまでした! 最初はどうなることかと思いましたけど、結果的には一緒にやれてよかったですねー」 萱の方はこの合同任務を随分楽しんでいたらしい。はもう二度と一緒にやってたまるか、と思いながらも相手に不快感を与えぬよう、世話になったことへの礼だけを言った。 試験的な任務なら後日アンケート回答を求められるはずだ。今は気持ちを飲み込んで、それに思いをぶつけようとは笑顔を取り繕った。 「でもぶっちゃけこれで終わりって寂しいっすよねー。俺たち、毎晩喋ってたし」 それはあなたが話そうというから無理をして付き合っていたの、とは言えず、は適当に相槌を打って聞き流す。それが不覚を取ったようだ。 萱はの返事をいいように受け取り、「せっかくなら打ち上げしませんか」と提案してきた。これで彼と関わるのは終わり、と思っていたは、思わぬ提案に「えっ」と声を上げてしまう。 萱はの意見など聞き入れないと言わんばかりに続きの言葉を畳みかけた。が断りの返事をする隙も与えられず、あっという間に話を進められてしまった。 「じゃあそういうことで! いやぁ、楽しみだなぁ」 「あ、あの、これってお互い近侍を連れて……でいいんですよね?」 まさか二人きりじゃあるまいな、とは意を決して口を挟んだ。 顔合わせの際も、加州清光を連れて行っている。一対一でなければまだ耐えられるかもと思ってのことだったが、萱はその言葉に声のトーンをぐっと落とし、露骨に態度を悪くした。 「あー、女の審神者って感じですね」 「は……?」 まるでが非常識であるかのような口ぶりで萱は言う。彼女は何を言われているか分からず、すっと指先の温度が冷えていくのを感じた。 「いや、すみません。はは、笑っちゃダメか。女審神者って、刀剣たちに囲ませてるって本当なんですね。やっぱお姫様みたいな扱い受けてるんですか?」 「な、何言ってるんですか」 明らかな嘲笑だ。侮辱だ。なぜこんなことを言われなければならないのか、は理解できなかった。 人間の歴史を守るために力を貸してくれる彼を欲望のままに侍らしているかのような物言いだ。は耐えられなくなって、声が裏返ることも気にせずに張り上げた。 「彼らは我々人間の戦いに力を貸してくれているんです! そのような言い方はやめていただきたい」 「いや俺だって刀剣男士には感謝してますし、うちの刀のことは信頼してますよ。でもさぁ、この場で近侍連れていくって言われたら、信頼ないのかなってがっかりするじゃないですか。こんなに長い間協力しあってたのにねぇ」 刀剣たちが審神者の身を案じることと審神者同士の信頼関係はまた別の話であったが、萱はうまくそれをすり替えてに罪悪感を押し付けた。 彼女は被害者ぶられることに滅法弱く、言い返せない。萱はここぞとばかりに言葉を続けた。 「こんなこと言うのもなんですけど、審神者同士だけで話せる機会ってなかなかないじゃないですか。演練でもそばに刀がいるし。たまには羽伸ばしましょうよ。俺もストレス溜まっちゃってるんです。付き合ってくれません?」 「……わかりました」 ダメ押しに弱ったような口調でそう言われてしまえば、は流されてそれを了承してしまった。刀剣がいなくては何もできないお飾りのお姫様なんて思われたことが鼻持ちならず、引っ込みがつかない。頭に血が上った上での軽率な判断だ。 裏山での事故の一件もあって、刀剣らはの外出に敏感になっている。悟られれば絶対についていくと言うだろう。 は萱との約束を刀剣らに明かさぬまま、本丸を抜け出した。 [newpage] 萱が指定した店は格式高そうな個室の料亭だった。外からは店内の様子が一切伺えない。聞けば会員制の店なのだと彼は誇らしげに言った。 「まぁ、そうは言ってもオーナーは親父の知り合いなんで。リラックスしてもらって」 良かれと思って言っているのか、は萱の言葉に苦笑いしか返せない。知人の店だと知ると、余計に居心地が悪かった。言葉に乗せられて迂闊についてきたことを、はもうすでに後悔していた。 ドリンクメニューを差し出されると共に、注文を聞きに来た店員が強めに自慢の酒を勧めてくる。「イケる口でしたよね? マジここのは美味いっすよ。飲まなきゃ後悔するっす」と萱に言われれば、今日はノンアルコールで、なんて言えず、どこまでも押しに弱い彼女は言われるがままにおすすめの日本酒を注文した。 酒と料理の味は非の打ち所がなく、それがより都合が悪く感じた。 毎晩通話でしていたような話を対面でされ、その上相手も酒が入っていた。過ぎた冗談を笑って流せば満更でもないと思われたのか、話題の過激さはエスカレートする。 の性経験についてまで踏み込まれそうになったところで、彼女は耐えかねて席を立ちお手洗いへと逃げた。 蟒蛇でもないがそう下戸でもないのに。自分の容量は弁えているはずが、便座から立ち上がると眩暈がした。 店員を捕まえて水を貰おうとお手洗いを出ると、萱が待ち伏せしていた。予想外のことに驚いては肩を跳ねさせ、その拍子に姿勢を崩し壁にもたれかかった。 「っと……大丈夫です?」 「離して……」 「そんなこと言ったって、フラフラじゃないか」 ——普段は少し飲んだだけでここまで千鳥足になることなんてないのに。 違和感を抱きながらも、酒が回ったのか次第には冷静な判断が出来なくなる。彼女は萱に支えられたまま、個室へと運び込まれた。 襖が締まると、横倒しにされたに萱が覆いかぶさった。さすがにこれには動揺して、は力の入らない手で萱の身体を押し返す。 「えっ……や、やめてください、なんなんですか」 「せっかくだから楽しみましょうよ。男との出会い、ないんでしょ?」 「いや、やめて、やめて……!」 の頬に熱い息がかかった。男の力で押さえつけられては争うこともできず、彼女はされるがまま体の自由を奪われる。 助けを呼ぼうにもこの店は男の知人のもので、ここまで大胆な行動に出るということはそれも織り込み済みなのだろう。助力は望めそうになかった。 どうして護衛を置いてきてしまったのかと、は自分の愚かさを嘆いた。プライドを傷つけられたくらいで相手の姦計に陥ってしまったことが情けない。悲観的になるあまり、こんなことになるならあの時死んでおけばよかった、とさえ思った。 男の手が服の下に入り込み、彼女の柔らかな肉を味わうように這い回る。 「五月雨……」 せめて痛みなく事を済ませたいと無抵抗になったが、最後に助けを求めるように彼の名を呼んだ。 いつかのように現れて、救ってくれないだろうか、なんて妄想が頭の中で繰り広げられる。現実逃避でもしていなければ、耐えられそうになかった。 命の危機に瀕したあの時、苦渋の策で重ねられた唇には不快感を感じなかった。自らの命を救ってくれようとする彼が頼もしかった。それが今、ただ恋しい。 ——わん、と声が聞こえたような気がした。 強いショックによる幻覚に決まっている。自己中心的な判断でこの状況を招いておきながら、今更救いを求めるなんて情けのない主だ。 そんな自己嫌悪を切り裂くように、は萱にのしかかられた体が軽くなるのを感じた。 「ッ……おまえ、何で……っ!? っっ……!? ………」 萱は声を上げようとしたところを口を塞がれ、そのまま意識を失った。何の術を使ったのか、ぐったりと崩れ落ちて横になっている。 彼——五月雨江はそれを邪魔だと言わんばかりに蹴り転がすと、未だ状況の読めないの元へ傅き、肌の露出を隠すように首巻きを巻いた。 「頭、……遅くなりました」 「さみ、だれ……」 ぽろりとさにわの瞳から涙が溢れた。恐怖と安堵が入り混じって、自分では感情の制御が出来そうにない。都合のいい夢ではないかと彼の顔に触れると、五月雨江はを安心させようと穏やかに微笑んだ。 夢ではない。あの時と同じように、彼が助けにきてくれたのだ。そう実感して、の鼻がつんと痛む。 五月雨江は簡単にの衣服を整えると、彼女を横抱きにして本丸へと帰還した。 出撃の予定のない夜だというのに、刀剣たちは戦支度を整えてたちを待っていた。 いざという時の備えだろう。怒りと心配、そして安心が混ざったような表情で、彼らはの帰りを喜んだ。 まずは無事の確認からだと加州清光が刀剣らを落ち着かせる。は五月雨江に抱えられたまま、自室へと戻り体を休めた。 翌朝、事情を聞かされたは唖然とした。 そもそも合同任務は、未婚の審神者同士を引き合わせ次世代の審神者を産ませるための計画であったという。つまり最初から、萱はその気で彼女と関わりを持っていた。 女性はロマンチックな出会いを好むから、なんて意味不明な理由で女審神者には事情を伏せられていたそうだ。合同任務を通じ心を通わせあった男女が結ばれる。政府の描いた筋書きはそんなところだ。 これが、行方不明になったを探す過程で、刀剣らが管狐に吐かせたことにより知り得た真実だ。五月雨江が管狐のしっぽを掴み宙吊りにした隣で、加州清光がそう説明した。 「で、でも無理矢理襲おうとしたからとはいえ、刀剣男士が審神者を攻撃したら処罰されちゃうんじゃ」 説明を一通り聞き終えたは顔を青くして五月雨江を見る。 謀反のみならず、演練場などで別の審神者に手を挙げた本丸は厳しく罰されるはずだ。審神者に直接手を下されることはなくとも、該当の刀剣男士の刀解を命じられた例もある。 彼女が心配そうに尋ねると、加州清光はやや気まずそうな顔で五月雨江に視線をやりながら「それは……なんか、一応大丈夫なんだって」と答えた。 「以前の事故の際、頭に秘薬を飲ませたことを覚えてらっしゃいますか」 「あぁ……あ、あれね。うん、覚えてるよ」 が言葉に詰まったのは、秘薬を口移しされた時の五月雨江の迫った顔と唇の感触を思い出したからだ。本来主人の唇に触れるなどあってはならないことだが、状況が状況なだけにその件について取沙汰されることはなかった。 「あの秘薬は私が調合したものですが、製造過程で私の霊力が注ぎ込まれています。その為、最も強い効果を発揮するのは私の身体ですが、同じ力で呼び起こされたこの本丸の刀剣と頭にもそれは作用するのです。他所の私に与えても、あれは効きません」 「五月雨の霊力の源は励起した私の霊力だから……ってことだよね」 「はい。そして、あの秘薬には多少肉体を回復する効果があります。頭も怪我の治りが早かったと感じてらっしゃったでしょう」 「うん。お医者さんにもびっくりされたけど」 「つまり、今の頭の体内には私の霊力が編み込まれている状態なのです」 は五月雨江の説明をぼんやりとながら理解した。詳細な理屈は知らないが、の身体を治癒した要因に彼の霊力があるならば、体内にその痕跡が残っていると言われても不自然なことではない。 「それはわかったけど……それが何で大丈夫なことにつながるの?」 加州清光が五月雨江の隣で頭を抱える。がちらりとそちらに視線をやると加州清光は「主、俺もうどうしようもないよ」と独り言のように呟いた。 「それは頭と私が——」 「あー、ストップ。やっぱ俺から言う。五月雨江余計な事言いそう!」 加州清光は五月雨江の口を塞ぐと言葉を遮った。五月雨江は不服そうにじっとりと加州清光を睨んだが、それ以上言葉を続ける気はないようだ。 加州清光は「あー」だの「えー」だのボヤいた後、すっごく言いづらそうに「今の主と五月雨はさ、その……恋仲に見えるんだって。霊力的に」と言った。 「え……?」 「私の体液が頭の体内に残っているのと区別がつかない状態になっている、という意味です」 「だから喋んなってば!」 加州清光が五月雨江の後頭部に手刀を食らわせた。 はぽかんとしたまま二振りの言葉を頭の中で咀嚼する。恋人、体内に残った霊力、体液——意味を理解して、はかっと赤面した。 「あーわかった? 主。ごめんね、下品なこと言って」 五月雨江がの居場所を探し当てたのも、その霊力の気配を追ってのことだ。どれだけ遠く複雑な場所であろうとも、犬の系譜を持つ彼にとって追跡は容易であった。 「う、うん。大丈夫……。その、五月雨の恋人を萱さんが襲ったってことになる……って認識でいいんだよね?」 「まぁ、大体そう」 刀剣男士は基本的に審神者に従順であるが、それは物と持ち物の主従関係があるからだ。たかが人間と付喪神となれば、その力関係は逆転する。 歴史修正主義者との戦いで助力を乞うにあたって政府と刀剣の付喪神はいくつもの誓約を結んだ。その効力は政府から審神者への約款を容易に上回る。 神の寵愛を受けた人間に手をかけようとする者がいたとしたら、それは審神者であろうと跳ね除ける権利がある。それもまた、人と神との誓約のうちのひとつであった。 「頭、いつか私に褒美をくださるとおっしゃいましたね」 「うん……? 言ったけど、」 「それを今こそ頂きたいのです。頭、私は貴方が欲しい」 五月雨江に見据えられ、は物を言えなくなってしまった。 いつか結んだ小指がじくじくと熱を持つ。体内を蝕む五月雨江の残穢が燃え上がっているようだ。 はその時、とんでもないことをしでかしてしまったのだとようやく気が付いた。 加州清光が「どうしようもない」と言ったのも今では理解できる。神との契はさらに上位の神格を持つ者でなければ覆せない。刀剣男士が束になったって、五月雨江との間の契には関与しようがなかった。 「私と頭は本当の恋人同士ではありません。政府が調べ上げればそのこともすぐに明らかになるでしょう。ですが、この契があれば誰であろうと手を出せない」 五月雨江がの手を取り、小指を絡める。いつかしたのと同じような子供っぽい仕草が、今では別の意味を孕んでいた。一言交わすだけで、の魂は彼に絡めとられてしまうのだ。 いつも頭を撫でてくれとかわいらしく甘える彼と同一人物だとは思えなかった。薄氷のような主従関係はままごとみたいなものだと、は今、身に染みて感じている。神を使役するということがどういうことなのか、今まさに理解させられていた。 「頭、どうか私に褒美を」 こんな風に乞わなくたって約束をしてしまったのだから、には拒絶しようがない。 それを分かっていて、五月雨江は彼女に選ばせるように訊ねた。いつまでも従順な飼い犬のふりをして。まるで自ら彼女が五月雨江を欲し、彼女の意思でその身を与えてやったのだと刻み付けるように。