五月雨江の顔が好きな審神者vs審神者が好きな五月雨江
「頭、荷物が届きました」
「あっ、五月雨。ありがとう」
私は荷物を持って来てくれた五月雨江と目を合わせぬままそれを受け取った。
60サイズの段ボールに貼られた伝票を確認して頬が緩む。開封するためカッターはどこだったかと文机をちらりと見やると、自室の入り口に立ったまま動かない五月雨江に気がついた。
「な、なに?」
「その荷物の中身は何ですか?」
「えっ、な、何でそんなこと聞くの」
刀剣男士と審神者の関係は人それぞれだ。家族のように和気藹々と壁を作らず接する者もいれば、あくまで主従、仕事仲間であるという姿勢を頑なに崩さない者もいる。
私はといえば、家族ほど親しくはないがそれほどビジネスライクに割り切れてもいない。人懐っこくて愛嬌のある刀には友人のように接することもあるし、無骨でお堅い性格の刀にはあまり踏み込めずにいる。
そんな感じだが、基本的に彼らは私のプライベートを重んじてくれるので、こんな質問をされたことはなかった。私は返事に窮し、質問に質問で返す。
「頭の表情が嬉しそうでしたので、そんなに素敵なものが届いたのかと」
「あっ、ああ! そういうことね。う、うん。素敵なものでは、あるかな? 中身は内緒なんだけど」
あえて最初から箱の中身を明かしたくない、ということで線引きをしたつもりだった。
五月雨江は頷いて納得した様子を見せると、「失礼します」といって部屋を出て行った。私はわずかに申し訳なく思いながらも、段ボール箱を文机に持って行って開封する。
箱の中には——五月雨江の顔があった。
五月雨江の顔が好きだ。美形揃いの刀剣男士の中で、はっきりとこの顔が一番好みだと胸を張って言えるくらいには。
ほっそりとした、しかし生真面目さを感じる眉毛。通った鼻筋、白い陶器のような肌、何よりあのミステリアスな瞳。どのパーツを見ても好みだったし、さらにいえばパーツ配置が完璧だった。
誇張なく、丸一日眺めていられる。眺めていたい。
が、そういうわけにはいかない。私の刀は五月雨江だけではないのだ。
私を慕ってくれる数十振り、それぞれを平等に愛している。ただ見てくれが好きだというだけで、贔屓することはできない。彼らは皆、命を張って人間のために戦ってくれているのだから。
その欲望を抑えるために、この箱の中身があるわけだ。
本丸に閉じ込められ戦争をさせられる審神者のために、時の政府はいくつかの娯楽を用意した。そのうちの一つが、複数存在するエンタメ特化本丸である。
そこの刀剣男士は歴史を守るために戦うだけでなく、舞台に立ち、演技やパフォーマンスを披露する。今日届いたのは、そこの本丸が売り出しているグッズだった。
単にアイドルの応援や演劇鑑賞を趣味とする審神者がほとんどだろうが、私と同じ悩みを抱えている審神者も少なくないはずだ。人の歴史を守るために顕現させられた彼らのことをコンテンツ消費することへの罪悪感が、よその本丸、しかもそれを生業としているなら幾分かマシだった。イベント会場には、いつも多数の審神者が詰めかけている。チケットの抽選に落選することも稀ではなかった。
同じ顔の本刃がすぐそばにいるのに、と思う人もいるかもしれない。けれど、私にはこの一枚の壁が何よりも重要だった。
うちの五月雨江に妙な気を抱くわけにはいかない。ただ、プロなら別。下世話な話、浮気じゃなくてお金払って処理してもらうならいいよねなんて言い出す男の人みたいだなと思った。
私は机の上に今回購入したグッズを広げて写真を撮影した。自分や端末の影が被らないように調整しながら、念のため何度もシャッターを切った。見れば見るほど顔がかっこいい。キラキラしている。
今回購入したのはブロマイドとアクリルスタンドだ。もちろん現地——エンタメ本丸が開催したイベントのことである——でも購入したが、事後通販します! という文字を見て、気がつくと何も考えずにぽちぽちと購入ボタンを押していた。綺麗な顔はいくつあってもいいし、このお金が少しでもそこの本丸の足しになれば幸い、みたいな気持ちで。
散々よその五月雨江の顔を眺めた後、私は押し入れを開いた。
上の段には両開きの鍵付きの棚を設置しており、その中には所狭しにグッズが飾られている。棚の扉を開けると、数十振りの五月雨江がこちらを眺めていた。全部、顔がかっこいい。
私はそこに先ほど買ったばかりの五月雨江の写真とアクリルスタンドを飾った。令和のオタク文化を知らないよく知らない人が見たらゾッとするだろうが、私に撮ってこれほど満たされる光景はない。プラスチックの板を並べているだけでたまらなく幸せな気持ちになった。
「……さて」
私は厳重に棚の扉を閉め、鍵をかけ、押入れの襖を閉じた。
そろそろ遠征部隊が帰ってくる時間だ。出迎えをしなくては、と私は頬を叩いて緩んだ顔を律する。みんなに慕われる主人らしい顔を装った。
それからふた月が経ち、私は数度“現場”に赴いてよその五月雨江相手に紫色の光る棒を振った。
よその五月雨江は私を数多いる観客のうちの一人としてしか認識しておらず、こちらを見ているようでいて視線が交わることは決してない。
それがまた、いい。こちらが金を出して観させて頂いている立場というのを分からせられている感じがして気持ちが良かった。そんな距離感だからこそ、遠慮なくキャーキャー言えるのだ。
イベント参加後の興奮冷めやらぬうちにオンラインでアンケートに答えていると、自室を五月雨江が訪ねた。私はよその五月雨江を褒めそやす文章を打ち込んでいた端末を慌てて仕舞い、「どうぞ」と声をかける。
障子を開けた五月雨江は、どこか緊張した面持ちで何か箱を手にしていた。奇しくもそれは、いつぞやに私が買ったグッズが届いた箱と同じようなものだったのでひやりとする。
「五月雨、どうしたの?」
「頭にこちらを贈りたく」
「贈り物?」
五月雨江の静かな頬には珍しく少しだけ朱がさしていた。
彼はこれまでも、時折贈り物をくれることがあった。それは彼が愛する季語にまつわるものがほとんどで、一緒にその季語で詠んだ句を添えてくれる。
教養のない私はその巧拙の判別もつかず、なんなら込められた意味すらろくに理解できていなかったが、それでも彼が私のためを思って贈ってくれたことを嬉しく思っていた。
しかし、今度は段ボールだ。「開けてもいい?」と問いかけると五月雨江は頷いた。
カッターナイフでガムテープの表面を撫でて、箱を開く。梱包材に包まれたそれを取り出して、私は全身が凍った。
「えっ?」
「頭はこちらが好きなようですので」
「えっ……えっ?」
梱包材の中身には、五月雨江がいた。正しくは、五月雨江がプリントされたアクリル板。
170mm×50mmサイズの彼は、やや緊張した面持ちで本体を佩いている。写真を見ただけで、今目の前にいるうちの五月雨江のものだと分かった。
「あの……これ、五月雨だよね? えっ、どうしたの? 作ったの?」
「さすがに私ではいらすとれーたー……? を扱えませんでしたので、篭手さんに手伝って頂きました」
「あ、イラレ入稿の印刷所なんだ。いやそうじゃなくて、えっ、な、なんで?」
私はありとあらゆる体表にだくだくと汗をかいた。なぜ五月雨江が自分のアクスタを自作している? そして私に贈る?
脳裏にひやりと、襖の奥、誰も知られていない秘密の棚の中身が浮かんだ。
「頭は板の私が好きなようですので」
「い、板の私……」
好きだが。めちゃめちゃ好きだが。1つ千円弱ブラインド販売のアクリル板を会計上限まで購入し、五月雨江が出るまで狂気の顔つきでアルミ蒸着袋を開け尽くしたこともあるほどだが。
否定できず、押し黙ったのが良くなかったらしかった。
「頭は私の見てくれが好きでしょう」
「………あの、はい」
「なのになぜか私のことを見てくださらない。それが寂しかったので、板の私なら見ていただけるかと」
「……………」
確かに、五月雨江の顔が好き過ぎるあまり無意識に凝視しないよう、意識していた。それが彼には、見てもらえないと感じていたらしい。
寂しい思いをさせていたことに反省しつつも、なら何故自作アクスタに繋がるのか? という疑問が残った。
彼の仲間の篭手切江はすていじに憧れる延長線で現代のエンタメへの理解が深いが、五月雨江はそうではないはずだ。
まさか、あの棚の中身を見たのでは? 本丸の刀剣男士は審神者の秘密を暴くような無礼な真似をしないはずだが、どこかで私が失態を犯したのかもしれない。もしくは、イベント後に同志と飲み散らかした帰り、グッズが入ったままのカバンの中身を見られたのでは。
「……なんで私が板の五月雨江が好きなこと知ってるの?」
自分で聞いていてどういう日本語だ、と思った。五月雨江は少し躊躇うようにして口を開く。
「先日の酒宴で、酔っ払った頭が『さみちゃん、煮卵だよ。煮卵、さみちゃんだよ』と言って板の私につまみの煮卵を見せていました。板の私を大層可愛がっているようでしたので」
「ごめん、その話初耳なんだけど」
「はい。篭手さんが頭がこのことを知ったら恥ずかしがるからなるべく内緒にと」
篭手切江、オタクに理解があり過ぎるだろ。そんでもって酔っ払ってオタクのSNSをやる自分、嫌過ぎる。
酒の席での失態に私はのたうちまわりたかったが、これ以上は恥の上塗りにしかならない。私は改めてまじまじと五月雨江のアクリルスタンドを見た。
「……あの、喜ぶと思って作ってくれたんだよね?」
「はい。……お気に召しませんでしたか」
「いや! そんなことない! 嬉しい、よ」
しゅんと尻尾と耳を垂れさせた犬みたいな顔をされれば、そう言う他なかった。
嬉しいか嬉しくないか? 嬉しいに決まっている。他でもない“五月雨江”がプリントされたアクリル板だ。何個あってもいい。現に何十個も持っている。
しかし、製造ルートが良くなかった。本刃が自ら、「私の頭は私が印刷された板が好き」と認識した上で作った自作アクリルスタンド。こんなに恥ずかしいことがあるだろうか。
「う、うん。ありがとうね。大事にする」
「この私にも食べ物を見せて下さいますか」
「見せる。めっちゃ見せる。カフェとか旅行にも連れて行くから」
特注の一品ものだ。絶対傷つけたり失くすわけにはいかないな、と私はアクリルスタンドポーチと保護フィルムの購入を決意した。五月雨江がアクスタは食べ物を見せるものと認識しているのはおかしかったが、今の私にはそれを訂正する気力がない。
「茶屋や旅なら、私を連れて行けばよろしいのでは」
「えっ?」
五月雨江は珍しく、少しばかり語気を強くして言う。アクスタを梱包材に包み直していた私はパッと顔を上げた。
「板の私を連れて行かずとも、この五月雨江がどこへでもお供します」
「えーっと……」
「それとも、板ではない私はお嫌いですか」
長いまつ毛に彩られた瞼が伏せられ、その整った顔が憂いを帯びる。
嫌いなはずがない。その顔を見るためにいくらかけたと思っている。いや、本丸でも同じ顔は見れるんだけど、そういうことではなくて。
「そんなわけない! 好き! 大好きだから!」
五月雨江の顔が好きだ。表情が乏しいように見えて存外感情表現豊かな唇も、子犬っぽく無邪気に喜んだと思えば静かに色香を匂わせることもある。瞳に被った髪がそのミステリアスさを強調している。彼が本丸へやってきてから、私はその顔に狂わされ続けているというのに。
口を滑らせた、と気付いたのは五月雨江の寂しげに伏せられていた瞳が策士のそれに変わった瞬間だった。
好きと言われた五月雨江は薄い唇に円弧を描いた。「好き、ですか」と満足げに呟く。「好きというのは顔の話でね」と弁明する隙もなく、「頭は私が好きなんですね」と言った。
大変なことになってしまった、と思った。
けれど開き直ってしまえばうちの本丸の五月雨江にキャーキャー言えるようになるのでは? しかし、贔屓はいけないし。でもバレてしまった以上は隠し立てした方が逆になんか別の誤解を招きそうだし。
思考がぐるぐると回りだす。今後のこと考えると頭が痛い。けれど、見下ろした手の中の五月雨江は変わらず眩暈がするほどの美形であった。
「た、たすけてさみちゃん……」
「頭の“さみちゃん”はこちらですよ」
アクスタを両手で握ったまま仰向けに倒れた私を、五月雨江が抱き止めて顔を覗き込んだ。
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