五月雨江単騎現代任務
並ぶ建物は銀色か鼠色ばかりなのに、広葉樹の並木道と花壇だけはよく整備されている。そんな取ってつけたような彩りは、この街を歩くのは皆洗練されて心の余裕がある人ばかりだと主張しているようにも見えた。
実際すれ違う人々は皆背筋をしゃんと伸ばしていて、その姿形には隙ひとつ見当たらない。自分の体に合ったオーダーメードスーツだとか、シンプルだけど素材とシルエットに拘っているであろうコーディネートだとか、下品になりすぎない程度に存在を主張するブランドバッグだとか。私と村雲江は手と手を取り合いながら、己の場違いさに震えあがっていた。
地下鉄3B出口、指定された待ち合わせ場所で棒立ちになっていると、慌てた様子で待ち人がやってくる。五月雨江だ。私が顕現させた刀剣男士の一振りで、今回は特別に現代調査任務に単騎で当たってもらっている。一か月にも及ぶ潜入期間、ちょうど真ん中の今日に私と村雲江は中間報告を聞くために現代へとやってきていた。
「頭、雲さん。お待たせして申し訳ありません。ご足労おかけしました」
「ううん。えっと……五月雨、だよね?」
「? はい、そうですが」
私と村雲江は顔を見合わせた。目の前に立つ男の声は確かに五月雨江で、その顔立ちも体型も見知ったものだが、妙に別人であるような印象を受ける。目立たないよう暗く染めた髪はさておき、佇まいや所作、身に着けるものひとつひとつが五月雨江らしからぬ様相を呈していた。
「雨さん、なんか知らない人みたい……」
「雲さん、見た目で欺くのは、忍びの術の初歩の初歩ですから」
そうやって相棒に微笑む様は、確かに私たちのよく知る五月雨江だ。しかし、出で立ち一つでこうも変わるだろうか。この街の人々と並んでも遜色ないそのスーツ姿を私はまじまじと眺める。任務中の衣服はすべて篭手切江に見立ててもらったもので、事前に本丸で試着をしているのを見たことがあった。その時はただ、五月雨江がカッコいい服を着ている、としか思わなかったのに。忍びってすごいのかも、と思いながら、私はふと膨らんだ胸ポケットに気が付いた。
「五月雨、たばこ吸うの?」
「え? これですか。対象は喫煙所で口が緩む性質のようですので」
「そうなんだ……。体とか、大丈夫?」
「御心配には及びません。毒の類には耐性があると自負しています」
私は「そうなんだぁ」と弱弱しい返事をしながら村雲江を見やる。彼も同じ気持ちのようで、ぱちりと目が合った。
——五月雨江が知らない刀みたいで、怖い!
一瞬のアイコンタクトで気持ちを共有し合った私と村雲江を五月雨江は不思議そうに眺めた。
「頭、ここにいるのもなんですし、場所を移動しましょう」
「あっ、そうだね。五月雨、この辺詳しい? 任せていいかな」
「勿論です。こちらへ」
私と村雲江が五月雨江についていくと、到着したのはとあるビルの一階にある有名チェーンのカフェだった。下層階には飲食店が立ち並ぶが、中層以上はすべてオフィスが入っているためカフェの利用客はほとんどがそこに勤めている人のようだ。二人だけラフな私服姿の私と村雲江は、あまりにも場違いなのではと戦々恐々としながら入店した。
「ここなら人目に付きにくいかと。……どうかしましたか?」
「あ、雨さんが都会の男になってる……」
無意識に繋いだ村雲江の手を握りながら私もこくこくと頷いた。初めて現代へこの二振りを連れてきたときは、カスタムドリンクの呪文染みた注文をする私に拍手を送ってくれたというのに。あの頃の可愛げのある姿は遠く彼方へ、五月雨江は私と村雲江を並んでソファ席に座らせるとさっとメニューを差し出した。店員を呼び、注文する様まで手馴れている。普段はきっちりと揃えられた膝が開いていることすら気になってしまう。村雲江は淀みなくブラックコーヒーを注文する五月雨江を見て「お腹痛くなってきた」と私の腕をぎゅっと掴んだ。
ドリンクが届くと、五月雨江は「早速ですが、任務の進捗を報告いたします」と話を切り出した。デザートドリンクの上澄みの生クリームをぺろぺろ舐めていた私は、そういえばそのために来たんだったと本来の目的を思い出す。私たちは五月雨江が現世でイケイケやってるのを見にきたわけではなかった。
今回の任務はとある人物の身辺調査だ。歴史修正主義者と繋がっている可能性があり、その素性を調べるために五月雨江が送り込まれていた。秘密裏に人を集め何かを行っているとの疑いがあり、その内容を踏まえて潜入調査せよとの時の政府からのお達しである。
「今のところ連中との関連性は見えません。しかし、調査依頼書にあった私的会合についてはまだ尻尾を掴めてないため、引き続き調査を続けます」
「そっか。五月雨の所感では、どう?」
「何か隠しているというのは間違いなさそうですが——今のところ、私たちの出る幕はなさそうです」
その後いくつか任務に関する質問を投げかけたが、今のところ問題なく順調なようだ。さすがというか、自分で得意だというだけあって潜入任務に関しては私の想定の上を行く結果を出している。これは帰ったらしっかり褒美を出して労わなくてはならない。
「あとは……ほかに何か困ってることはない? 任務じゃなくっても、現代での生活とか」
「困っていること、ですか」
五月雨江は顎に手を添え考え込む仕草を見せると、「強いて挙げるとすれば……頭や雲さんと離れて暮らすのは、少し寂しいですね」と苦笑する。村雲江がたまらず「俺もだよ雨さん……」とぽろりと涙を零したので、その後は彼を慰める時間になった。
引き続き任務にあたる五月雨江とは店の前で別れることになり、結果私に費用請求が下りるとはいえスマートに会計を済ませた彼に礼を言う。五月雨江は依然として彼らしからぬ佇まいを崩さぬまま、「頭、少しよろしいですか」と本丸で頼みごとをする時と同じ声色でささやいた。
例えばそれは、季語を一緒に見に行きませんかだとか、れっすんの成果を披露したいですだとか、そんなささやかな願いが続く。一体何だろうと首を傾げると、五月雨江は「失礼します」と私の手を取った。それから村雲江とも彼は手を繋ぎ、大人三人で輪を作るこの街らしからぬ奇妙な構図が出来上がる。
「五月雨、これなに? どうしたの?」
なんか新しい遊びでも始めたのかと手をゆらゆら揺らしてみる。村雲江もよくわかっていないようで、頭上にはてなを浮かべていた。五月雨江は少し照れ臭そうに笑って、「雲さんと頭が手を繋いでいるのが羨ましかったのです」と言った。
「あ、雨さん!」
「五月雨……!」
急に可愛らしいことを言い出した五月雨江にじいんと感動した私と村雲江は、二人で五月雨江の手をぎゅっぎゅと強く握る。「ご褒美に何が欲しいか考えておくんだよ」「早く帰ってきてね、雨さん。体には気を付けて」と十分に労いの言葉をかけて、私たちは五月雨江を見送った。雑踏に消えた彼はあっという間に姿を晦まし、目で追うことができなくなる。現代でも忍びの術は十分通用するんだなと尊敬のまなざしを人ごみに送った。
それから半月も経たずして、五月雨江は本丸へと帰還した。深夜とも呼べる時間、珍しく夜更かしをしていた私は近侍から帰還の知らせを受け五月雨江を出迎えに行く。ひと月ぶり程に本丸で見たその姿は、私のよく知る姿をしていた。紫陽花のような美しい髪、忍びを思わせる戦装束。その姿にほっと胸を撫でおろす。
「おかえり! お疲れ様。どうだった? 随分早かったみたいだけど」
「はい。例の会合についての確固たる証拠を掴めたためこれ以上の潜入調査は不要と判断し帰還しました。夜も遅いですし、報告は明朝行います」
一人での任務は堪えたのか、さすがに五月雨江の顔にも疲れの色が見える。不慣れな場所で一か月弱、常に気を張りながら生活していたのだから無理もない。
「そうだね。ゆっくり休んでからにしようか。明日ならいつでも大丈夫だから、急がなくてもいいよ」
「いえ、朝に伺います」
「そう? うん、じゃあ待ってる。」
五月雨江は言葉通り、翌朝朝食を食べ終えた頃に私の元へやってきた。先に口頭で報告を受けるつもりでいたのだが、彼はもう正式な報告書を携えている。ちゃんと体を休めたのだろうかと不安に思い「報告書、あとでもよかったんだよ」と言うと、五月雨江は少しばかり気まずそうな面持ちでそれを手渡した。
「お読み頂ければわかるかと」
「うん? じゃあちょっと目を通させてもらうね」
五月雨江の所感通り、例の人物と歴史修正主義者との関連性は一切認められなかった。五月雨江は一体どんな手を使って彼の懐に潜り込んだのだろうか。見知って一か月の仲では到底知りようも無いことまで、詳細に記されていた。
細かな調査内容についてはまた後程きちんと読み込むことにして、私は五月雨江が濁した例の会合についての段落まで報告書を読み飛ばす。そしてすぐに、五月雨江がどうしてわざわざ急いで報告書を作ってきたのかを理解した。結論から言えば、例の会合で行われていたのは児童買春の斡旋だった。買う側についての情報は秘匿されていたようだが、そのうちの一人が例の人物であるという。これにより歴史修正主義者との関係性が否定されたのは確かだが、その内容の凄惨さについ息を飲んだ。確かにこれは、口頭で報告するのも憚られる。
「五月雨」
「私情を挟むとすれば、正直頭の耳には入れたくもない内容です。しかし任務ですので」
「こっちこそごめん。その、報告しにくかったよね……」
内容の細かさから、五月雨江がその会合の現地に赴いたのは間違いなさそうだ。知らなかったとはいえ、こんな任務に充てがってしまったことへの罪悪感が募る。
「気になさらないでください。私は頭が忍びの術を買ってこのような任務を任せてくださったことを嬉しく思っています」
「五月雨……」
俯く私を気にかけてか、五月雨江は声をかけてくれる。調査対象の人物は社会的地位が高く、もしこの報告書をマスコミにでも流せば世間は大騒ぎになるだろう。しかし、彼の罪を裁くのは私の仕事ではない。今私が五月雨江にすべきは謝罪ではなく感謝と労いだと気持ちを切り替え、私は文机に報告書を置いた。
「ご苦労様。よく務めを果たしてくれました」
五月雨江は恭しく頭を下げ、しばらくすると何かを求めるようにちらりとこちらを一瞥する。何か足りなかったっけ? と首を傾げると、控えめに「頭を撫でていただきたいのですが」と要求された。私は胸いっぱい微笑ましくなって、両手でわしゃわしゃと髪をかき回すように撫でる。すっかり乱れてしまったが、五月雨江はどこか満足げだ。
「ああ、そうだ! ご褒美、何か考えておいてくれた? 何か欲しいものがあるなら今回大変だったし、無理じゃないことなら大体何でも聞いちゃうよ」
「物ではないのですが」
頭を撫でていた私の手を五月雨江が優しく掴んだ。彼の手が指を絡めるように私の手と繋がって、確かめるように優しく握った。手を繋ぐのが犬の間でのブームなのだろうか? されるがままになっていると、五月雨江は私との距離を少し縮めた。
「この一か月間、頭と離れていた分傍に置いていただきたいのです」
「えっ……そんなことでいいの?」
「はい。頭の傍で様々な景色を見て、季語を愛でる。それが今の私の至上の喜びですから」
中間報告の時といい、随分可愛いことを言うものだ。彼のお願いを聞いて、昔、今剣の褒美で『一日中遊ぶ』をやったことがあるなと思い出す。当時は体力を使い果たしてもまだ遊ぶと言ってきかない今剣のお願いを軽い気持ちで聞き入れたことを少しばかり後悔したが、今となってはそれもいい思い出だ。
私が思っている以上に私と過ごす時間を刀たちは大事にしてくれているらしい。私は気分が良くなって、二つ返事で了承した。五月雨江が嬉しそうに花がほころぶような笑顔を浮かべる。現代で会ったときはまるで別人だった彼は、今ではすっかり私の知る五月雨江だ。たった一部とはいえ、その仕事ぶりを知るいい機会だったのだと思うことにした。
その晩、枕を持って「頭、傍においてくださるんですよね」と五月雨江に共寝を要求され、刀の可愛いお願いを何でもかんでも聞くもんじゃないと後悔することになるのだが、それはまた別の話だ。
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