かわいい仔犬
かぼちゃのキッシュとかいう聞いたことがない料理が出るというので、村雲江は今日の昼食を楽しみにしていた。朝布団を上げた時にその話をしたルームメイトの五月雨江も「きっしゅ、とはどういう料理なのか気になりますね」とはにかんでいたので、彼もまた自分と同じく心待ちにしていると思っていたのに、予想外に彼の表情は険しい。
本丸畑で収穫されたらしいかぼちゃを使ったその料理は優しい味つけで、村雲江は珍しくおかわりをしてたほど気に入ったのだが、五月雨江の口には合わなかったのだろうか。彼が好き嫌いをしているのを見たことがなかった村雲江は、「雨さん、きっしゅ苦手?」と小声で訊ねた。
「そんな、とても美味しいですよ」
「じゃあ……お腹痛いとか? 顔色悪そうだけど……」
「! 雲さんにはそう見えますか?」
五月雨江はさも意外だという反応を示したので、村雲江は頷いた。
普段お腹が痛い時にそばに寄り添って癒してくれる相方の不調なら、なんとかして力になってやりたい。しかし二束三文で売られた自分にできることなんてあるのだろうか……と悶々としながらも、村雲江は勇気を振り絞る。
「俺なんかが役に立てるかわかんないけど、困ってることとか、悩みとかあるなら、聞くだけならできるから……」
「雲さん……。ありがとうございます」
村雲江の気遣いを受け、五月雨江は穏やかに微笑んだ。
彼はちらりと食堂の奥、わいわいと一番賑やかな席に視線をやる。その中心にいるのは彼らの主である審神者で、彼女は五月雨江の好い人だ。これは公然の事実で、あの五月雨江が何か思い悩むとするならばきっと彼女のことだろうと村雲江もあたりをつけていた。
「私が狭量なだけかもしれません」
「いいよ、いつも、雨さんにはたくさんお世話になってるし。……主となにかあった?」
「今日、このあと頭と現世のご友人のお宅へお邪魔するのです」
五月雨江の話をまとめると、つまりこういうことだった。
審神者には幼馴染であり親友とも呼べる深い仲の友人がいる。近々彼女の誕生日があるらしく、例年通り祝いの品を贈るつもりではあったのだが、それが今年は直接彼女の元へ赴くことになったそうだ。
その供として五月雨江が選ばれたのは当然のこととして、問題はその理由だ。最近、その友人宅のペットが仔犬を六匹産んだらしい。せっかくなら見に来てよと言われ、どうしても見たいと無理に都合をつけて祝いに行くことになったそうだ。
審神者が強火の犬派で実家に住むココちゃん(雑種・八歳)の写真をありとあらゆる電子端末の壁紙に設定しているほどに犬が好きなのは本丸中が知るところである。しかし、まさか生まれたばかりの犬を見るためだけにそんな行動力を起こすだなんて。
もちろん友人を祝福したいという気持ちが一番であるということ、仔犬はなかなか会う機会のない親友の元を訪ねるきっかけにすぎないというのは理解していたが、五月雨江はどうもそれが気に食わないらしかった。
「頭は私たちだけでは不満なのでしょうか」
大真面目に唇を尖らせる五月雨江に、村雲江はなんと声をかけていいかわからない。
確かにこの二振りを形作る伝承として犬の系譜があり、また昂った時にはその色が様相に表れるのも確かなことだが、村雲江は本物の犬に敵対意識を持ってはいなかったため五月雨江の気持ちに共感することができなかった。
もし自分が五月雨江の立場だったら——と置き換えて考えてみたものの、自分を売った金で可愛い仔犬をぺっとしょっぷとやらで買い上げてしまったらどうしよう、なんて不安に襲われたが、五月雨江には無用な心配のはずだ。
結果、頭を抱えた村雲江はどんどん暗い気持ちになってきて、「雨さんが悩んでいるのに気の利いた一言も言えない俺なんて……」とお腹が痛くなってくる始末だった。
「ごめん、雨さん。俺からは何も言えないや……」
「いえ、いいのです。これは私の問題ですから。雲さん、気にかけてくださってありがとうございます」
村雲江はくぅん、と力なく喉を鳴らした。
五月雨江の視線の先、審神者は隣に座った短刀たちと楽しくやっている。悩める恋刀に気付くことのない彼女は、友人から送られてきた仔犬の写真を見ながら頬を緩ませていた。
友人宅への来訪を終え、本丸へと帰る前に本丸の刀たちに現代土産を買って行こうと審神者と五月雨江は近くのデパートへと寄り道していた。
五月雨江は片腕に友人からの審神者の荷物を持ちながら、もう片方で審神者と手を繋いでいる。彼女の外套についた茶色い仔犬の抜け毛が気になっていた。
「仔犬かわいかったねー、みんなころっころしてて……。ココちゃんの小さい時を思い出すなあ」
「ココさんは子供の頃から頭の家にいらっしゃったんですか?」
「そう。お兄ちゃんが近所の人からもらってきたんだよね」
五月雨江は平静を装いながらも、仔犬の愛くるしさに興奮冷めやらぬ、という様子の審神者に冷たい視線を向けた。
五月雨江は犬が嫌いなわけではない。むしろ普段は好意的に接するし、外出先で会った際には積極的に挨拶をする。任務で犬から情報を得ることもあり、仲間意識に近いものを持っていた。
が、しかし審神者にこうもチヤホヤされているとあっては黙ってはおけない。ただ生後間も無いだけで出不精の彼女を動かしたという事実が、五月雨江にとっては鼻持ちならなかった。
先日、早朝に霜が降りた花壇の葉を見ようと誘った時は「寒いからまた今度ね」と躱わされてしまったというのに。同じ犬として、ただ見た目が愛くるしい以外なんの取り柄もない若輩者が自分より優先されたということに、言葉にはし難い不満があった。
「あの子達、みんな里親に出すから一緒にいられるのは今だけなんだって。寂しいね」
「頭は、そんなにあの犬がかわいいですか?」
「えっ? なに、五月雨妬いてるの?」
自身で思うよりずっと棘のある声が出て、五月雨江は不覚をとったと眉根を寄せた。
審神者は彼を見上げ、驚き半分からかい半分で目を丸くしている。五月雨江が素直にはいと頷けば、彼女はにやにやと軽薄な笑みを浮かべながら五月雨江の頭に手を伸ばしたので、彼はわずかに首を下げて彼女が撫でやすいようにした。
「かわいいなぁ。大丈夫だよ、今のとこうちの犬は五月雨と村雲だけだって」
「今の所——ですか?」
「ほ、ほら。今後また犬系刀剣男士が顕現しないとも限らないじゃん? そしたら五月雨が先輩犬としてちゃんと躾けるんだよ」
「はい、頭の命とあらば」
五月雨江は頭を撫でられたことと家臣として頼られたことで幾分か機嫌を良くした。
審神者の実家付近に本店があるという有名なパティシエの店で刃数分のお菓子を買い、包んでもらっている間ショーケースを眺める。イラストレーターとコラボしているらしいクッキー缶が並んでおり、その中に先ほど見たばかりの仔犬と同じ犬種の犬が描かれているのを発見し、審神者は指差しながら「あの子たちにそっくり」と仔犬の話を蒸し返した。
今度こそムッとした五月雨江は繋いでいた手を解き、審神者の腰に腕を回し抱き寄せる。突然のことによろめいた審神者が五月雨江の胸に身体をぶつけた。なんなんだと彼の顔を見ると、五月雨江は審神者の耳元で囁いた。
「——そんなに仔犬が好きなら、私の子でも抱きますか」
その瞳があんまりにも冗談を言うに適さないものだったので、審神者が仔犬の話を口にすることは二度となかった。
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