Sink

三万円の成果

 奇怪な街だ、と稲葉江は思う。駅は来るたびに改修工事が行われ、天井も低く窮屈だ。先日は一番出口が封鎖されていたのに、今度は五番出口が使えないという。戦場で地理を理解し布陣を敷くのとは、まるでわけが違った。
 おまけに、今日は連れがいる。稲葉江はあちらこちらに視線をやる富田江に、始終気を配っていなくてはならなかった。
 稲葉江の今代の主は、一身上の都合により審神者でありながら現世と本丸を行き来する暮らしを送っていた。そのため、彼女の下ろした刀剣男士たちは護衛のための付き添いや迎えのために現世への渡航の機会が多い。人の身に慣れたと判断される顕現一周年を機に、『はじめてのおつかい』と称し、現世に審神者を迎えに行くことがお決まりとなっていた。
 今日のおつかい担当は富田江。そして、その補助として稲葉江がついている。相手が富田江でなければ、稲葉江はこんな子守り染みた役目など引き受けなかっただろう。
 双璧と並べて謳われる以上、片割れの恥を他の身内——ましてや他の刀派に晒すのは耐えがたい。己を置いて他に適任もいないと、受け入れるほかなかった。
 歴史に手を加えぬよう注意を払う過去への遡行と違って、記録に残りやすい現世ではまた違った注意が求められる。なるべく目立たずやり過ごせ、というのが主な行動指針だが、常人ならざる美貌を持つ刀剣男士にはとっては非常に難易度が高い。数年前、『おつかい』で数十分間原宿を歩いた豊前江が、百人一首が作れるほどの芸能スカウト名刺を持ち帰ってきたこともあった。
 今回の目的は富田江を現世に慣れさせることである。そのため審神者には「ふたりで小一時間くらい時間を潰してから迎えに来て」と言われており、二振りは時間を持て余していた。
 ぼーっと公園で鳩を眺めて過ごす者もいる中で、稲葉江は律儀にもわざわざ人の多い繁華街に立ち寄って、富田江に現世のいろはを叩き込んだ。
 交通ルール、店の利用方法、見知らぬ人間に声を掛けられた時のあしらい方、過去への遡行以上に暴力沙汰には気を付けること、しつこく連絡先の交換を迫られたら「スマホを持っていない」と言うこと——など。
 富田江はお利巧に「わかったよ」と返事をする。涼し気な顔がどこまで理解しているのか、稲葉江は疑わしく思った。
 しかし、自身に対する感性だけが著しく欠けているという一点を除いて、富田江とは有能な男である。目的が明確に定められてさえいれば、大抵のことは器用にこなせた。当てもなく現世に放り出されることさえなければ、なんとか上手くやるだろう。
 稲葉江が一通り説明を終えた頃、審神者が指定した時間にはまだ余裕が残されていた。
「稲葉、あの店は?」
「あれは……」
 富田江が指差した先には、多数のガラス張りの檻が並ぶ店があった。中には機械がぶら下がっていて、ぬいぐるみが並べられている。くれーんげーむだったか、と稲葉江は篭手切江に教わった知識を掘り返した。
「げーむせんたーだ。くれーんげーむという遊戯を置いている店だと聞くが」
「くれーんげーむ、私も聞いたことがある。これがそうなんだね」
 趣味らしいものは無く、強いて言うなら交渉の手段としての茶道を嗜んでいる程だろうか。そんな富田江が自ら何かに興味を示しているのが珍しく、稲葉江はその横顔を盗み見る。
 生憎、彼はゲームセンターでの作法を知らない。先導することに不安はあるが、折角の機会だ。「入りたいのか」と尋ねると、富田江は頷いた。
 彼が興味を示した——というのは、正確には稲葉江の誤解であった。店の中を回るのかと思えば、富田江は店頭に置かれたクレーンゲームに近寄って「この中身はどうすれば買えるのかな」と言う。
 富田江の視線の先にあるのは、動物を模した巨大なぬいぐるみだ。審神者が好んでコレクションしているキャラクターの物で、同種のぬいぐるみが彼女の部屋に飾られているのを稲葉江は見たことがあった。
「同じものを持っていなかったか?」
「よく見ると表情が違う。泣いているんだ」
「…………」
 確かに、ガラスの檻の背面に張り出されたポスターではキャラクターの仲間たちは揃いも揃って泣き顔を晒していたが、無意味に場所を占拠する綿の塊の顔の造形など、稲葉江が覚えているはずがない。彼はよくわからん、と口を横一文字に結び、黙り込んだ。
 しかしまあ、戦果としてクレーンゲームの景品を持ち帰るというのは悪くない。これならば現世を楽しんだことを形にして表し彼女を安心させられるし、手土産にもなる。考えたものだ、と稲葉江は思った。
「百円硬貨を投入するようだ。富田、金は持っているな」
「ああ」
 富田江は手持ちの硬貨を投入口に入れた。軽快な音と共に1のボタンが光る。現代文化には疎くも頭のいい彼らは、すぐに仕組みを理解した。
 しかし、理解したとてそう上手くいかないのがクレーンゲームというものである。財布の中にあった小銭はあっという間に尽き、富田江は「小銭がなくなってしまった」と稲葉江を見た。
 カツアゲである。稲葉江はしばらく険しい顔で渋ったが、最終的には財布を開いた。
 手持ちの百円硬貨は八枚。それは、あっという間に機械の中に吸い込まれてしまった。
「難しいね。どうしても頭が持ち上がらない」
「軟弱な。壊れているのか?」
「お困りですかー? 良かったら調整いたしますよー」
 大男二人——それも、文字通り国宝級の容姿を持つ彼らが可愛らしいぬいぐるみの入ったクレーンゲームの前で唸っている姿はそれなりに目を引いていた。
 慣れた口調の派手なベストを羽織った店員が、話しながら二人の前に割り込んでくる。良かったら、と言いながらその手は鍵を手にしており、富田江が「お願いするよ」と言う前にショーケースの扉が開けられて、富田江がいじくりまわして出口から遠ざかったぬいぐるみは最初の位置よりも少しだけ近くに置かれた。
「紙幣は使えないのかな」
「両替機はあちらになりまぁす」
「ありがとう」
 店員がせわしなく立ち去った後、富田江は「私は両替をしてくるから、お前はここにいて」と言って、数分後には大量の百円玉を抱えて帰ってきた。けれどそれもすぐにクレーンゲーム機に吸い上げられて尽きてしまう。稲葉江は再び両替に行った富田江を待ちながら、ぬいぐるみを睨んだ。
 元よりこの情けない泣き顔を可愛いと思う感性を稲葉江は持ち合わせていなかったが、これほどまでに手こずらされ、遂には憎悪を覚え始めた。特に、丸くて重い頭部が。綿ばかりパンパンに詰まったそれが何の役に立つというのか。
 稲葉江が険しい顔でぬいぐるみを睨んでいると、「待たせたね」と戻ってきた富田江の手には、先ほどの倍の量の百円硬貨があった。
「お前もやってみたら」
「我には向かん」
「そう言わずに。ね」
 硬貨を躊躇いなく投入口に入れる富田江に半ば無理矢理促され、稲葉江はボタンの前に立った。
 1のボタンを押して横軸を決め、2のボタンで奥行きを定める。これでもかと富田江のプレイを見ていたから、勝手は分かった。
 しかしどうも上手くいかず、耳や手が引っ掛かってアームは頭を奥まで掴むことができない。数センチの差で持ち上げ損ねるもどかしさは、稲葉江のプライドに火をつけた。
 投入していた硬貨分のゲームが終わり、稲葉江は「富田」と振り返る。富田江は言われずとも、とまた百円玉を投入した。三十回分ほどプレイして、稲葉江の成果はというと、ようやく5センチばかり出口に近付いたか、という体たらくだった。
「……このような遊戯、下らん」
「そう言って、楽しそうだったじゃないか」
「どこがだ」
「お兄さんたちまだやってたんですか!?」
 再びやってきたのは先ほどの店員だった。位置調整をしたにもかかわらず今だに景品を入手できずにいるふたりを見かね、声をかけてきたようだ。
「ちなみにいくらくらい使いました?」
「三万円くらいかな」
「く……苦戦してますねー」
 三万円、という金額を改めて耳にし、稲葉江は一回目の両替分を使い切ったあたりで止めておくべきだったかと後悔する。他に使いどころもないとはいえ、この綿の塊一個に使っていい額ではない、というくらいは理解できた。
「うーん、じゃあこれでどうですか? 足のあたり、ひっかけて貰ったら」
 もはや、それは情けであった。重い頭を出口の内側に置き、身体さえ持ち上がれば後は重心で転がり落ちる配置である。
 二振り合わせて三百回近くボタンを操作したのだから、ここまでお膳立てされれば何の問題もなかった。呆気なく転がり落ちたぬいぐるみを、稲葉江は排出口から取り出す。綿はガラスの檻の中にいたときから変わらず、根性を感じられない情けのない泣き顔を晒していた。

 約束していた場所で待ち合わせた審神者に富田江がぬいぐるみを手渡すと、彼女はそれはそれは大袈裟に喜んだ。「嬉しい! 欲しかったんだけど、クレーンゲーム苦手だから諦めてたの」と言いながら満面の笑みを浮かべ、ぎゅうぎゅうとぬいぐるみの体を抱きしめてはしゃいでいる。
 喜ぶ審神者を見つめる富田江の横顔は、満足げである。失ったものは大きいが、得られたものは確かにあった。これだけ喜ぶならば、あれだけ時間と金銭を費やした甲斐もあった——と、思い込むことしか稲葉江には出来なかった。
「ちなみにいくらくらいかかったの?」
「君が気にすることではないよ。財布の中身で事足りる程度だ」
「へー、富田ってクレーンゲーム上手いんだ」
「………………」
 稲葉江は余計なことは言うまいと固く口を閉ざした。審神者が実際にかかった金額を知れば、このぬいぐるみと同じ顔で泣き出すに違いなかったからだった。


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