Sink

非合理的恋愛育成論

 審神者が演練場へ行くと、親しい同期に出くわした。定期的に連絡は取っていたものの顔を合わせるのは久々であったので、時間が許すこともあり、併設されている喫茶店で話をすることになった。
 近況報告や仕事についての愚痴などもそれなりに語った後、同期の女審神者は身を乗り出し声を潜めるようにして、「それで、どうなの」とこれが本題と言わんばかりの期待に満ちた目で見つめてくる。
 主語を言わずとも、審神者にはわかった。先日報告した、桑名江との交際の件だった。

 刀剣男士と審神者の交際や婚姻については、賛否ありながらも現在時の政府からは黙認されている。秘密裏に今後の審神者人材確保のために適性のある本丸ではそれに関する試験が行われているとも聞くが、それは都市伝説程度の話。結婚まで至ったケースもいくつかあり、そう珍しい話ではなかった。かくいうこの同期も、初期刀と交際関係にある。
「でも桑名江って想像つかないかも」
「そうかな?」
「うん。うちの桑名江、口開けば畑野菜大地の話ばっかりだし。口説いてるところとか想像つかないな」
「うちも畑の話ばっかだけどね」
 歴史修正主義者との戦いが始まってしばらく経つが、実のところ刀剣男士についてすべてが明らかになったわけではない。ただ確実なのは本丸によって個体差があるということだ。
 同じ刀を依り代とする刀剣男士が何人か集まって話し合ったとき、全員の意見は必ずしも一致しない。元の持ち主や伝説に由来する個性が大きく揺らぐことはないが、篭手切江の目指すすていじの方向性や加州清光の好きな爪紅のブランドはそれぞれ異なるといった具合である。
 とはいえ、審神者は自身の恋刀が一般的な『桑名江』と大きく違うと感じたことはなかった。農業が好きで、ちょっと理屈っぽくて、蜻蛉切を敬愛している。ほかの審神者から聞く桑名江も同じであった。
「うち、近侍は交代制なんだけどさ。桑名が近侍の時に買い物ついてきてよって言ったら僕が作れるからって渋られたんだよね」
「えっ?」
「そうじゃないんだけど! って思わない? そっちの桑名江はそういうことないのかな」
「……うちの桑名江は荷物持ちに立候補してくれるけど」
「えぇ、ほんとに?」
 審神者の恋刀は、情熱的に愛の言葉を囁く気障な男ではない。ただ、確かな愛をわかりやすく与えてくれる刀であった。
 好きだと言えば「僕も主が愛しいよ」と答えるし、何かしようとすれば率先して手伝おうとする気遣いを見せる。同じ刀でもこうも違うか、それともこれが個体差というやつか? と審神者は驚いた。

 気付けば結構喫茶店に長居をしていたようで、近侍に促され審神者らは解散し、本丸へと帰った。
 出迎えに来たのは桑名江だった。いつもの見慣れたジャージ姿に軍手が土で汚れているから、農作業の途中だったのだろう。わざわざ作業の手を止めて来てくれたことに、審神者の胸が温かくなった。
「随分遅かったね。何かあったの?」
「審神者学校時代の友達に会ってお茶してたの。ごめんね、連絡入れるの忘れてた」
「ううん、何事もないならいいんだけど」
 うちの桑名江ってこうだよな、と審神者は思う。
 その後は、何事もなく一日が過ぎていった。夕飯を食べ、お風呂に入り、少し仕事を片付けてから自室でまったりしていると桑名江が訪ねてくる。晩酌をして気持ちよくなったところで「主、布団行こうか」と誘われるのもいつものことだった。
 桑名江に口付けをされながら、審神者は虚ろに考えた。
 彼からの愛を疑ったことはない。桑名江の刀剣男士としての戦力にも恋人としての態度にも不満は何一つありはしない。だがしかし、思うのである。これが”桑名江の望んだ形“なのか? と。
 刀剣男士は顕現させる審神者の霊力とそこでの本丸の暮らしぶりによって、少しずつ個体差が出るという。戦いを好まない穏やかな刀剣男士でも、軍人気質な審神者の元では己が武器であるという自覚が強い。逆に、温かい家族のような関係性を育む本丸では、戦いさえできれば何でもいいという気性の刀剣男士も平和を愛するようになるという。
 ――では、この桑名江は?
 審神者は突然、ひどく恐ろしくなった。桑名江という刀の価値観を歪めているのは自分ではないか。足元が抜けたような恐怖が審神者を襲う。目の前で審神者を女として愛する桑名江は“桑名江”足りえるのだろうか。最中も気がそぞろで、審神者は快楽を与えられながらも、いつものように溺れることができずにいた。
 腕枕をされていても頭がさえて眠れない。近くで桑名江の寝息を感じながら、審神者は考えを巡らせ続けた。
 外が白み始めた頃にはさすがに寝落ちたのだろう、気が付けば朝七時で、隣に桑名江の姿はなかった。これはいつものことで、彼は一夜を共に過ごした後も遠慮なしに畑へと出る。
 むしろ今の審神者は、この『桑名江』らしさに安堵した。己の桑名江が、『桑名江らしい』姿をしていることに。

 日中は眠くてとても仕事になりそうになかった。審神者があくびを繰り返すので、見かねた堀川国広が「主さん、あとは僕がやっておくので気分転換にお出かけでもどうですか?」と進める始末だ。
 審神者は遠慮したものの、急ぎの仕事もないから大丈夫だと押し切られ、最終的には堀川国広の言葉に甘えることにした。
 買い物の連れをどうしようかと考えていると、桑名江が「出かけるの? 付き合うよ」と審神者に声をかけた。
 桑名江は今日は非番で、当番にもあたっていないので手が空いている。恋刀であるから、普段なら喜んで連れて行くところだ。しかし、どうしても審神者の頭に昨日の同期の言葉が過った。
「何か買いたいわけじゃなくて、気分転換なの」
「いいと思うよ。僕支度してくるから、ちょっと待ってて」
 どうやら桑名江の中に断られるという想定はないようである。審神者もこの場でわざわざ別の人を連れて行くからとも言い難く、おとなしく桑名江を連れて町へ出ることにした。

 審神者がいつも寄り道する通りへ出ても、彼女の心は浮かないままだった。
 考えるのは、過去の後悔である。万屋に用があって桑名江を連れ立ったとき二人でいられるのが嬉しくていつも長い寄り道をしていた。それが彼にとっては迷惑だったんじゃないかと、そんなネガティブなことを考えてしまう。
 いつもと様子が違う審神者にさすがに気付いた桑名江が彼女の身を案じるが、審神者は首を横に振るばかりだった。
「主、どこかで休む? 体調が良くなさそうだけど」
「そういうわけじゃないの。えっと……」
「悩みがあるなら話してほしいんだけど、僕には言えない?」
 また首を横に振る。審神者は次第に、どうしたいのかわからなくなってしまった。町を彩る秋の新作スイーツも、コスメも、新しい防寒具も、彼女が大好きでいつも心が惹かれるものだ。けれど、それに恋刀を、桑名江を付き合わせることへの抵抗が大きくあった。
 そういうことを考えているととうとう涙が溢れてくる。零すまいと目を開く努力も空しく、雫がぽろりと落ちた。
「えっ、どしたん、えっ!?」
「う、ううぅ……」
 桑名江は情事以外で初めて見た審神者の涙に大きく動揺した。
 めそめそと泣き始めた審神者に周囲の視線が刺さる。このままでは桑名江が審神者を泣かせる悪い刀だと思われてしまう、と思ってもそれは止まらなかった。
 桑名江は審神者の涙を拭いてやって、手をつないで町の人気のないところへと彼女を連れて行く。日陰にベンチを見つけたので、そこへと座らせた。
 普段こんな風に涙が止まらなくなることなんてないのに今だけどうして、と審神者は己を呪う。悩みによる精神的不調に加えて寝不足による自律神経の乱れもあって、彼女の体は彼女の自由にならなかった。
『桑名江』って、急に泣き出す面倒な女、絶対嫌いそうなのに。そんな考えが、より彼女の心を痛めつける。自己嫌悪の連鎖が止まらなかった。
「ごめん、先帰ってて」
「そんなことしないよ。どうしたの? ……僕に話せないことなら、無理に聞かないけど」
 こんな時でも、審神者の恋刀は優しかった。背中をさすって、威圧感を与えないように大きな体を屈めて、恋人に寄り添うような男である。
 審神者は悩んで悩んで、もう自分で自分がどうしようもないと諦めて、胸の内を打ち明けることにした。
「……桑名江に、迷惑かけてるかもって」
「何が? 僕、そんな風に思ったことないけど」
「買い物とか、いまとか」
 審神者は、幼児のような拙い言葉遣いで己の感情を吐露し始めた。
 友人の審神者から別の桑名江の話を聞いて、自分が『桑名江』を変質させてしまったのではないかと恐ろしくなったこと。審神者の恋心が、桑名江をおかしくしたのではないかと、本当はこんな恋人ごっこに付き合わされるのも迷惑だと思っているんじゃないかと不安になったこと。そんなことを考え始めたら全部が怖くなって、桑名江のことを信じられない自分すら嫌いになり始めたこと。
 一息に気持ちを吐き出し切ると、審神者は今度は羞恥に襲われた。幼稚な悩みを一方的に言われてさぞ呆れただろうと、恐る恐る桑名江を見やる。
「……ごめん、忘れて」
「それはできないけど」
 桑名江は気付けば審神者の手を取っていた。不安にならないようにとぎゅっと、強く繋いでいる。審神者は、彼のこういう優しいところが好きなんだと思った。草花に丁寧に手入れするみたいに、自分を大事にしてくれるところが好きだった。
 けれどこれは、桑名江のものなのだろうか。それとも、持ち主たる審神者が望んだから? 今の審神者には、そんな疑心すら浮かぶ。桑名江と過ごした時間や与えてくれた愛情を疑いたくもないのに、そうしてしまう自分がいた。
「これって僕、怒ればいいのかな」
「お、怒ってますか」
「怒ってないよ。でも」
 でも、の先が恐ろしかった。桑名江の表情は、重い前髪に隠されて見えない。
「仮に僕がよその本丸みたいな合理主義者だったとしたら、主は自分で悩むよりそれを僕に相談した方が合理的で主の考える“僕”が望むとは思わない?」
「えっと……そう、かも?」
 桑名江の言葉を、審神者は少しずつ自分の中でかみ砕く。確かに審神者の考える『桑名江』がそうであるなら、こうやって一方的な当て嵌めで思い込まれるよりも、さっさと思いのたけを打ち明けて疑いを晴らすことを望むだろう。確かに、と審神者は頷いた。
「それについて来るって言ったのは僕だし、嫌だと思ってたらそもそも行こうって誘わないよね」
「……そうかも」
「僕は主のこと独り占めできるから、でーとは好きだよ。一緒にいる時間を引き延ばしたくてうろうろしてるのも愛らしいなあって思う」
「…………」
 審神者は明け透けな物言いとデートの時間を引き延ばしたくて無駄に歩き回っていたことを指摘され、二重に赤面した。照れて何も言い返せず、ただ無言を貫く。
「確かによその“僕”が言うこともわかるよ。でも、僕は主が好きやし、……愛しい人がやりたいことに付き合いたいって思うのって変かなあ」
「へん、じゃないです」
「主も畑仕事たまに付き合ってくれるけど、嫌だと思ってやってる?」
「いやじゃないです」
「じゃあ、いいんじゃないかな」
 ――今、すごい理屈っぽく口説かれてる?
 桑名江に言葉を並べたてられ、是としか言うこともなく、審神者はうんうんと頷きながら考える。
「……でも」
「まだある?」
 桑名江は審神者の不安全部論破します、の姿勢で訊ね、審神者はそれに身動ぎした。
 彼女は少し迷って、これは言うべきことではないかもしれないと悩みながら、しかし先ほど言われた通り合理性を重んじる『桑名江』を思えば、と考えて言葉にすることにした。
「私が好きだから、桑名が私のことを好きになったんじゃないかって」
 身を得て、心を得て、思い悩み、それを乗り越え成長し、そこに戦力としての価値を見出し、ここまで時の政府は刀剣男士を戦いの武器として使っている。恋愛感情はそれに伴って生まれたバグみたいなもので、人を愛しそのために尽くすならと見逃されているだけの感情だ。
 審神者の霊力に呼応して顕現する刀剣男士にそれが生まれるのは、審神者がそう望んだからではないのか、彼女はそう考えるとたまらなく苦しくなる。桑名江に審神者を『求めさせている』ような気がして、恋愛なんて非合理的な感情を抱かせたことを申し訳なく思った。
「それに関しては僕は自覚ないから何も言えないけど……主のことは、ずっと愛しいって思ってるよ」
「…………」
「たとえば、ちゃんと畑の状態を適切に保ってきちんと手入れしたって、芽が出ないこともあるよね。だからいろいろ試行錯誤する。収穫の直前で日照りが続いて枯れてしまうことだってある」
「……うん?」
 審神者は何の話? と一瞬呆気にとられた。桑名江はそれを気にも留めず、話を進める。
「でも僕はそれも含めて、農業だって思ってるよ。主も同じ」
「は、畑と同じってことですか?」
「主が急に泣き出して、不安になってるのを見て動揺するし、なんとかしてあげたいなぁって思う。人の身って難しいけど、僕はこれが嫌じゃないよ。愛するってこういうことなんだな、って思ってる」
「…………」
「人の身を与えてくれた主にはすごく感謝してる。それとは別に、“僕”は、女の子として主のことが愛しいって思ってるんだけど……伝わらないかなあ」
 嘆くように言われたら、それをもう疑うことなんて出来なかった。こんなに言葉を尽くされては、もう反論のしようがない。しようものなら、それ以上の理屈と熱量でもって返ってくるのだろうと思った。
 桑名江は審神者が与えた人の身を、非合理的な恋愛感情を含めてこんなにも楽しんでいる。そこには持ち主としての思慕と、人としての愛情があった。
 それを否定するというのであれば、審神者が桑名江を愛することだって疑わしくなるのだから。この気持ちにだけは、審神者は確固たる自信と覚悟を持っていた。
「つ、伝わってます」
「本当に?」
「ほんとに」
「じゃあもうきすのときに上の空にならない?」
「……………はい」
 やっぱり昨夜から異変に気付かれていたんだ、と審神者は思った。
 桑名江は目ざとい男だ。あんなどこを見てるかわからない成りをして、葉っぱ一枚の色の変化にも気付くように、審神者の不調にだって見て見ぬふりをしない。だからこうも無理やり町へついてきて、二人になる時間を作ったのかもしれなかった。
「主が眠れないくらい不安だと、刀の僕も恋人の僕も心配になるよ。わかってくれるよね?」
「はい……」
 桑名江は審神者の手を取って王子様がお姫様にそうするみたいに彼女を立たせた。審神者は耳まで真っ赤にして、されるがまま、桑名江に連れられ本丸へと帰る。夕飯前だからか、どこからか美味しそうな香りが漂っていた。
 審神者の部屋の前へやってきて、彼女は「じゃあ、ありがとう」と桑名江を帰そうとする。年甲斐もなく泣いてしまったこと、不安な胸の内を明かしたことで気恥ずかしい思いをして、今はひとりになりたかった。
 しかし彼女の意図に反して、桑名江は彼女を押し込むようにして、審神者の部屋へ一歩足を踏み入れた。
 驚きのあまり抵抗できずにいると、審神者はあっという間に手首をつかまれ、部屋の壁に押し付けられる。一見すれば乱暴だがその手つきは優しく、審神者は余計に混乱した。
 何かを訊ねる前に、言葉ごと飲み込むようなキスが降ってくる。戦場から帰って昂ぶりを押さえられない時の彼によく似ていた。
「な、なに、どうしたの」
「このまま飲み込もうと思ったけど、難しいと思って」
 先ほどまでの審神者に寄り添った態度から一変し、桑名江は自らの欲望を振りかざすように彼女を追いやる桑名江を審神者は理解できなかった。照明もつけられていない薄暗い部屋で、激しい口づけによって乱れた前髪の隙間から、桑名江の金色の瞳だけが妖しく光って見える。
「僕、よその“僕”と比べられるん好きじゃないみたい」
 桑名江の腕が腰に回った。審神者はその時、「これはまずいやつだ」と理解する。腰を擦り付けるその行動は、交尾を強請る動物みたいに野性的だ。審神者は激しい鼓動が指先まで血を巡らせているのお全身に感じた。恐る恐る、彼の背中に腕を回す。すぐ近くで顔に感じる吐息が、あまりにも熱い。
「主にわかってもらえるまで、ちゃんと僕の気持ち伝えるから」
「く、桑名、あの」
 彼の熱を止めるにはもう遅かった。審神者は抵抗する気もなくして、ただ夕飯の支度ができたと近侍が呼びに来るまでに終わればいいな、とだけ思った。〝これ〟を人の子ごときがどうこうできると思う方が傲慢であると、その時理解する。末席であろうとも、神に見初められるということが真にどういう意味なのか――審神者はあまりにも無知であった。
 結論から言うと、審神者はそれ以降桑名江の想いを疑うことはなくなった。まぁ、それだけのことが起きたというだけだった。


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