――こんなことなら、雨さんに忍びの技を教わっておけばよかった。 植木鉢の影に隠れながら、村雲江は嘆く。壁とずらりと並んだ観葉樹に阻まれた薄暗い場所で、膝を抱えて息を潜めていた。 すぐ傍に並ぶベンチには、ふたりの男女が腰掛けて楽しげに談笑している。その会話を盗み聞きながら、村雲江は自分のシャツの胸あたりを掴んだ。 女の表情は草に隠れて覗えないが、男の様子を見るに会話は盛り上がっているようである。ふたりの間でどっと笑い声が上がるたび、村雲江の血の気が引いていく。 思わず滑った足が、コンクリートと擦れて音を立てた。しかしふたりは会話に夢中で気付かない。自ら隠れ忍んでおきながらも見つからないことが惨めで苦しくて、嫌だった。 村雲江と審神者は恋人同士である。交際期間は半年を過ぎて、互いがいる暮らしに慣れきった頃合いだ。 その日、ふたりは時の政府の招集によってある場所へとやってきていた。登壇した誰かしらの話を聞き、アンケートに答えるだけで資源がたんまり貰えるというありがたい催しである。先日の鍛刀キャンペーンで札も資材も使い果たした審神者は、恋人兼近侍である村雲江を伴ってその会へ出席した。 二時間ほどのプログラムを経て会場を後にしようとしたところ、男が審神者を呼び止めた。 男の姿を見たときから、村雲江は胸騒ぎがしていた。彼の近侍であろう刀剣男士と並んでも見劣りしない体格、甘さと男らしさの共存する顔立ち。美男子揃いの刀剣男士と並べば埋もれるほどだが、男は異性を惹きつける容姿をしていた。 そして何より、少し似ているのだ。村雲江と。 ふたり並んで見比べて瓜二つ、とはいかないが、纏う雰囲気が何処か似通っている。要は、審神者の好きそうな顔だった。 村雲江は「村雲の顔大好き、毎日見てたい。もちろん顔以外も好きだけど……」と審神者に毎日のように囁かれている。それこそ、癖になった卑屈な言葉で卑下するのも億劫になるほどに。 村雲江は警戒心を剥き出しに彼を睨んだ。それに気付いてか気付かずか、へらへらと笑いながら男は手を振って審神者に近付いてくる。 不意に、審神者が村雲江のジャケットの裾を掴んだ。村雲江が「どうしたの?」と訊ねる前に、男が目の前にやってくる。すると審神者はその手を離し、まるで何もなかったかのように男と会話を始めた。 ふたりは数年ぶりに再会した知人のようだ。村雲江は下唇を噛みながら、ほとんど同じ位置にある男の顔をまじまじと見つめた。 そうして会話を聞く内に、村雲江の中で点と点が繋がっていく。最初に感じた嫌な胸騒ぎは、ただの勘などではなかった。 村雲江の推理が当たっていれば――男は、審神者の昔の恋人である。 思いの外話が弾んだためか、男はどこかで腰を落ち着けて話さないか、と提案した。審神者はそれに同意して、近侍である村雲江と相手の刀剣男士に席を外すように言った。 喉まで出かかった「嫌だ」を重い唾液といっしょに飲み込んで、村雲江は「わかった」と彼らから距離を置く。……ふりをして、ふたりの背後に隠れ忍んだ。 時間にして三十分ほど、数百年の時を生きた刀剣男士にとっては瞬きの間に過ぎる一瞬のことである。それが今の村雲江には、永遠のように感じられた。 ふたりの会話は審神者になった経緯や共通の知人の近況についてが主な話題で、過去について触れることはなかった。それでも言葉の端々に見える気安さが、どうにもふたりが過去ただならぬ関係であったことを示唆させる。 村雲江の前でとびっきり甘えた笑顔を見せる審神者が、別人のように落ち着いていた。知らない人のようだ。俺以外の恋人の前ではこんな顔をするのか、と思うと途端に腹が痛みを訴え始めたが、この場を離れるわけにはいかない。 程なくして村雲江の腹痛が限界を迎える前に、男はその場を後にした。審神者はひとりになっても、ベンチに座っている。 「村雲、出ておいで」 村雲江がどうやって戻ろうか、と考えていると、審神者がそう口にした。 恐る恐る立ち上がり、観葉樹の葉の合間から顔を覗かせる。振り向いた審神者とばっちり目があって、村雲江は眉根を寄せた。 「気付いてたの?」 「うん。だってちっちゃい声でヤダ〜って言ってたでしょ」 「嘘、俺……声に出てた?」 審神者が堪えきれないといった様子で、クスクス笑いながら頷く。 村雲江は情けなさと恥ずかしさで頭がいっぱいになり、植木鉢を回って先程まで男が座っていたベンチにどかっと腰を下ろした。男の体温が少しだけ残っているのが不快だった。 「ごめんね、時間もらっちゃって」 「………………別に」 審神者の手が村雲江の腕に絡む。拳一つ分程あった隙間を詰めて、審神者は村雲江にぴったりと寄り添った。往来で恋人らしいことをするのを恥ずかしがる彼女らしからぬ行動だ。ご機嫌取りのつもりだろうか、と思ったが、彼女の表情を見るにそうではないらしい。 村雲江は自分の腕にしがみつく審神者の手を取ると、恋人つなぎに握り直した。 「さっきの人、………もとかれ、ってやつ?」 「そう。バレてたんだ」 「うん、なんとなくだけど……」 自分の勘が当たっていたことに、村雲江は喜ぶべきか嘆くべきか迷った。しかし審神者の反応は、彼が思っていたものと違った様子である。 昔好きだった相手との再会ともなれば、もう少し喜ぶものだと村雲江は思っていた。今の審神者は意気消沈とでもいうのか、生命力を吸い取られたような疲れ切った顔をしている。 盗み聞いていた限りでは、男の言葉には審神者を傷つけるようなものがなかったように思える。一体なぜこんなにも気疲れしているのかが不思議で、村雲江は「大丈夫?」と声をかけた。 「こういうこと、村雲に言うべきじゃないかもしれないんだけど、すごく疲れちゃって」 「何で……?」 「怖い、のほうが正しいのかな。……あんまり良い終わり方じゃなかったんだよねー……」 審神者は村雲江の様子を探るように、少しずつ男との過去を語った。 偶然にも今の村雲江との関係と同じく、男と審神者は半年ほど恋人関係にあった。しかし互いに若かったために、ぶつかり合うことも多かったのだという。「お前みたいなわがままな女と付き合えるやついないよ」の捨て台詞と共に喧嘩別れして、それ以来言葉を交わしていなかったのだと審神者は語った。 「だからさ、昔の嫌な思い出とか思い出してきちゃって」 嫌な気持ちを振り払うように、審神者が無理に笑顔を作る。自分の価値で他人と比べてしまう村雲江に、過去の恋人の話をしてしまったことを後悔している様子だった。 村雲江はそんな審神者の不安をどうにか拭ってやりたくて、繋いだ手に力を込めた。 「……俺は別に、わがままだと思ったことない」 「あはは、ありがとう。でも今は私もおとなになったし、結構我慢できるようになったよ」 「いいよ、俺には言っても」 「……………」 目を丸くした審神者が、ぽかんと口を開けたまま静かになった。ふたりはしばらく見つめ合い、言葉を探ることもせず時が流れるのを待っていた。カラスの声が大きく響いて、審神者が笑みを零す。にらめっこに負けてしまったような困り笑いだった。 「いいの? 抱っこで本丸まで連れて帰ってーとか言うかも」 「本当にしてほしいなら……。でもそういうの見られるの、嫌でしょ」 「うん。……ごめんね、もう帰ろっか」 審神者が勢いをつけてベンチから立ち上がる。手を繋いだままの村雲江も釣られて腰を上げた。 審神者は村雲江に引っ付いて、歩きにくそうにしながら帰路を進んだ。時々頭をぶつけてくるので、「これって甘えてるのかな」と村雲江は思った。 「村雲」 「なに?」 「帰るときは抱っこしなくていいから、……今日ベッド行くとき抱っこして」 本丸までの道中、審神者はずっと恥ずかしそうに俯き、普段の賑やかさが嘘のように静かだった。それでもか細い声の世界で一番かわいいわがままを、村雲江は聞き逃したりはしなかった。