純愛に底は無し

転生もの。これらの内容はフィクションであり、実際の行為を推奨するものではありません。

 悪い友達に唆された——というのは私の言い訳に過ぎず、成人した以上すべての行動、選択には責任が付きまとう。身に余る大金が必要になったのも自分の責任、そしてそれを手っ取り早く稼ぐためにこんなところに立っているのも自分の責任だ。  私と同じ目的で並んで立っている女の子たちにも、それぞれ事情があるのだろう。突き刺さる好奇の視線が素肌を暴くように這い回り、ただ立っているだけで死にたくなってくる。  しかし、逃げ出したところでどうしようもないので、せめてここから連れ出そうとしてくれる人を待つしかなかった。その先が地獄なのはわかりきっていたけれど、手段が選べない状況まで陥ったのは自らの行動が招いた結末だ。  品定めするような視線のひとつと目が合った。自分に父親という存在がいたならば、同じ歳くらいだろうか。着古しただらしない格好の、いかにもな中年男性だ。男は私をじろじろと凝視すると、油っぽい笑みを浮かべて、私の方へと向かって歩いてきた。  この人が私の初めてになるのかと思うと、嫌悪感で足がすくんだ。どくり、どくりと心臓が脈打つ音が耳のそばで聞こえる。怖くなって視線を下ろし、つま先を見た。擦れ傷がたくさんついて汚れた厚底のローファーが、私みたいだと思った。 「ここにいたんだね」  顔に似合わぬ声の人だ、と思った。ぎとぎととした欲望を滲ませた笑みからは想像も付かない、優しく、甘く、そして落ち着いた低い声。けれど、〝そういう流れ〟にしては言葉が奇妙だった。  勇気を出して顔を上げると、そこにいたのは先ほどの中年男性ではなかった。顔があると思った位置には逞しい胸板があって、すぐ側にいたから見上げなくてはならなかった。  まず目に入ったのは痛々しい傷跡で、そして次に印象に残ったのはそれを霞ませるほどの整った顔立ちだ。ネクタイを締めたスーツ姿なのに勤め人には見えないのは、夜に不釣り合いなサングラスのせいだろうか。明らかに普通の人ではない。  彼の後ろに中年男性を探せば、その人はバツが悪そうに別の女の子を物色しに踵を返していた。当然だろう、こんな綺麗な顔の男の人がいて、近づけるはずがなかった。 「えっと……」 「ここにいるということは、お金に困っているの?」  なんなんだろう、この人は。嘲笑うような言葉ながら、声色からはそうは思えなかった。本当に親切心から、私を思ってそんなことを訊ねているようだ。  生憎とこの顔の男を忘れるほど私の記憶力は悪くはないはずで、心当たりのない気やすさに狼狽える。男は私の返事を待ったまま人当たりが良く見えるような、しかしその容姿が明らかに異質であるがゆえにそうは見えない笑みを浮かべていた。  私にできるのは頷くことだけだった。  男は「いくら?」と続けて訊ねる。口がうまく開かないから、私は片手で出せる一番大きな数字を示した。  あれよあれよと流されて、私たちは道沿いのラブホテルの一室に入っていた。  男は「僕のことは実休と呼んで欲しい」と名乗って、有無を言わせぬ口調で呼び捨てを強要した。聞き覚えのないその名を口にすると、実休は満足げに微笑む。言葉を覚え始めた子供を見るような視線が、居心地悪かった。  実休は部屋のほとんどを占める大きなベッドに腰掛けると、ドアの前で萎縮したままの私を手招きした。自分の意思に反して引き寄せられるように彼へと近づき、隣へ座る。  私の顔を見る彼はずっと楽しそうで、それが恐ろしい。捕食者と同じ檻に入れられた小動物のような気持ちだ。一体何をさせられるんだろうと、私は縋るように最低限の荷物が入ったカバンの紐を握っていた。 「こういうことはよくしているの?」 「い……いえ、初めてで」 「そうなんだ。僕も初めて」  その顔ならこんなところの女を買う必要もないでしょうねだとか、だったらなぜ私に声をかけたのとか、言いたいことは山ほどあった。けれど彼と視線が合うと言葉の全てが押し殺されてしまって、私は訊ねられたこと以外に答えられなくなる。  目立つ傷と整った顔だけでも常人ならざる雰囲気を纏う彼だが、それだけではないような気がした。こちらに向ける視線が異常に庇護染みているというのか、まるで子犬を見るような眼差しだ。およそ、対等な人間に向けるものではない。尤も、金に釣られてこんなところへ連れ込まれている時点で対等も何もないわけだが。 「あ、あの」 「ん?」 「おかね……」  絞り出した声は聞くに堪えない情けないものだ。こういう場所では、まず金を受け取らないと事が済んだ後では支払いを渋られる事が多いという知識を聞きかじっていたので、私は恐る恐るそう口にした。  すると実休は何の後ろめたさも感じさせない声で「ああ、ごめんね」と財布を[[rb:弄 > まさぐ]]って、あるだけの紙幣を手渡した。数えずとも、部屋へ連れ込まれる前に示した金額よりも多いことがわかる。 「あまり現金を持ち歩いていなくて、持ち合わせがこれだけしかないんだ」  躊躇なく差し出された大金に私が驚いて彼の顔を見上げると、実休は申し訳なさそうに眉を下げる。私は震える手で金を受け取って、カバンの奥底にくしゃくしゃに押し込んだ。  行為の相場を考えれば、たった一度で取引される金額としては破格である。これだけの額に見合う対価を差し出せる自信はまるでなく、どうしようと私は膝を擦り合わせた。  何をさせられるのだろうか。変なものを食べさせられたり、変なところに物を入れられたりだとか、そんな想像が頭の中で広がっていく。  実休の様子をちらりと盗み見れば、彼はずっと変わらぬ、穏やかな眼差しを私に向けている。どこにでもいるような小娘でしかない私をじろじろと見つめて、一体何が楽しいんだろう。 「……そ、その。しますか?」  こういう場ではてっきり好き勝手求められるものだと思っていた私は、行為をリードすることになるなんて全く想像していなかった。いかにも素人くさい初心な女を捕まえて、無様な姿を見るのが好きなタイプの男なのかもしれない。  勇気を出して彼の膝に手を置いてみると、実休はその手に自身の手を重ねた。びくりと震えた私の手は覆い隠されてしまって、指の隙間に彼の指が絡められる。 「素敵な誘いだけど、今日はそういう気分じゃないかな。もっと君と話がしたい」 「は、はなし……ですか」 「うん。……じゃあ、まずは僕のことを話そう」  実休は繋いだ手を離さないまま、ぽつりぽつりと自身のことを話し始めた。といっても身分が特定できるようなことは巧妙に避けて、話の内容は主に趣味や兄弟のことである。  スマホで見せられた写真に映る弟たちは実休に負けず劣らずの美形で、私は思わず「芸能一家とかですか?」と訊ねた。彼は心底面白い冗談を聞いたみたいに笑って「そんな大層なものじゃないよ」と言う。仮に人前に出る仕事だとしたらあんなところで女を買うはずがなく、やっぱり実休という男のことはよくわからないままだった。 「あ、あの。違ったらすみません」 「ん?」 「どこかで、会ったりしましたか? その……申し訳ないんですけど、私は心当たりがなくて。人違いとかじゃないかなって」  少し話をして気が緩んだ私は、話しかけられた当初から違和感を抱いていたことについて思い切って訊ねてみることにした。  実休の態度は最初から、まるで旧知の間柄であるような気安さがあった。私のことを一方的に知っているみたいな態度だが、地元を飛び出し上京して間もない私にこんな都会に知人がいるはずがない。よく似た誰かと間違っているのかもしれないと思ったのだ。  私の言葉に、実休は寂しげに眉を顰めた。瞼を伏せ、不思議な色の瞳が長いまつ毛に隠される。憂いを帯びた表情に、私はとても悪いことをした様な気になっていた。 「覚えていないんだね」 「…………すみません」 「僕も同じだったから、気にしないで」  握っていた手に力を込められて、骨が軋む。痛みについ顔を顰めたが、大金をもらった以上振り払うことはできなかった。  実休は私の肩に体重を預けた。甘えているみたいな仕草なのに、ずっしりとした重みは私から逃げ道を奪うようだった。  すり、と頭を擦り付けられ、何かが香る。整髪料とも洗剤とも違う匂いが鼻を掠め、不意に懐かしさを感じた。  知らないのに、知っている。この男と話せば話すほど、私の中のない部分の輪郭が浮き彫りになっていくようだ。今まで存在を感知したことのない空洞がぽっかりと開いているみたいで、けれどその存在が指を掠めた以上、見て見ぬふりはできない。 「覚えていなくてもいいから、また会ってくれる?」  縋るように訊ねられれば、私は頷くしかなかった。頭の動きでそれを感じ取った実休は、私の肩から頭を上げた。  繋いでいた手が解かれ、肩に回される。抱き寄せられて、すぐ近くに顔が迫った。  整った顔立ちに走った傷跡は痛々しく、けれどその美しさを損なうどころか蠱惑的な雰囲気を引き立てて異質な美貌を作り上げている。瞳から目が逸らせずにいると、実休は私だけに聞こえるような小さな声で「口付けしてもいい?」と訊ねた。  返事の前に目を閉じると、唇が重ねられる。  触れるだけの優しいキスなのに、抱いたのは恐怖心だ。この男に身体を、心を与えることに対して、本能が警鐘を鳴らしている。その根幹がどこにあるのか、彼を知らない私にはわかるはずがなかった。 [newpage]  また会いたいと言ったのは本心だったようで、実休はすぐにまた連絡を寄越した。  今度指定されたのは繁華街の小汚いラブホテルではなく、都心の三つ星ホテルである。SNSでしか見ることのない、私が一生足を踏み入れることのない場所だと思い込んでいたそこに招かれ、心底居心地が悪かった。  実休は部屋に入るや否や「この前は準備が悪くてごめんね」と封筒を手渡した。中身を見ると、すぐには数えられない枚数の紙幣が入っている。私は信じられなくて、封筒の中身と彼の顔で視線を行き来させた。 「足りない?」 「お、多すぎます……」 「でも、僕と会ってくれるのはお金のためだよね? 多くて困ることはないんじゃないかな」 「いえ、でも……」  この人はどこまでわかっていて、どこまでそのつもりでいるのだろう。底知れない恐ろしさに身が竦む。  彼のいう通り、金銭を目的として呼ばれた場所へやってきたことは否定できない。だけど、こんな綺麗な場所に招かれて、これほどの大金を手渡されて平然としていられるほど価値観は歪んでいないつもりだ。身売りをしていて、今更何をとは思うけれど。 「前に僕と会ってから、他の人からもお金を受け取った?」 「それは……してない、です」 「なら良かった。このお金も、その分だと思って受け取って。君が必要なだけの額は渡せると思うから、他の人とこういうことをするのはやめてほしい」 「…………わ、わかりました」  引き下がったのは彼の言葉に納得したからではない。私のようなちっぽけな人間では、太刀打ちできないと身の程を知ったからだ。  彼の本質はいまだ見えぬままだが、どうやら私に危害を加える気はないようである。この気の緩みがいつか取り返しのつかない事態を招くことは想像に容易いが、私の足りない頭ではもうどうしようもなかったし、陥った状況から脱するためにもまずは目先の金が必要だった。 「どうする? お風呂、先に入ろうか」 「えっ! あっ、……はい」 「そんなに怯えなくても、君が怖がるようなことはしないよ」 「……は、い」  この状況全てが恐ろしいのだと言っても、きっと彼には伝わらないだろう。てっきりどちらかが先に入浴するのだと思っていたが、どうやら実休は一緒にお風呂に入るつもりらしかった。  彼は私を脱衣所に押し込めると、一緒に入ってきてシャツを脱ぎ始める。元々こうなるつもりであの場所に立っていたのだから、今更怖気づいてはいられない。私もブラウスのボタンに手をかけたが、指が滑って上手く外すことが出来なかった。もたもたしていると頭上で実休がふっと笑い声を漏らす。 「僕が脱がせてもいいかな」  問いの形をしたそれは、要望である。私は彼の方を向いて、されるがままに服を脱がされた。  衣服だけに留まらずその手は下着にまでかかって、実休は正面から抱き締めるような形でブラのホックを外した。ブラを取り去った後に彼が屈もうとしたので、膝を付く前にそれを辞す。 「下は、自分で脱ぎます……」 「そう?」  愉快さと残念さを滲ませた声が、私の惨めさを際立たせた。 「じゃあ先に入っているから」と実休がバスルームに入ったのを見送って、私は一人深呼吸をする。ガラス張りだからここから逃げ出すことは叶わず、私はラックから取ったタオルで前を隠してバスルームの扉を開けた。  すでに湯船に浸かった実休に招かれ、私は足先を湯につける。体格のいい彼がゆったり足を伸ばせるサイズのバスタブはふたりが入ってもゆとりがあって、けれど実休は距離を取ることを許さなかった。  彼は自分の足の間に私を引き寄せると後ろから抱きすくめ、背中が彼の胸板に張り付く。湯の温度はさほど高くないのに、のぼせ上がってしまいそうだ。 「これ、外してくれる?」 「は、はい……」  胸元を隠したタオルの端を摘んだ実休は、絞り出した私の返事を合図にそれを取り去った。私は身体を隠すものがなくなって、膝を折って胸元に寄せ、少しでも隠そうと背を丸くする。けれど実休は私の腹と太ももの間に傷の残る腕を忍び込ませ、ぎゅっと抱き寄せた。肌が触れ合う面積が増えることが恥ずかしく、私は膝を伸ばすしかなくなってしまう。 「恥ずかしい?」 「……はい」 「かわいいね。……もっと触ってもいいかな」  あれだけの大金を支払ったのだから有無を言わせず好き勝手してくれれば私の中でも整理がつきそうなものなのに、実休はどこまでも私の許しを得たがった。そうして彼のひとつひとつの問いに応えていると、その行為がどんどん自ら望んでいたことのように錯覚させられる。  最初からそのつもりだったのか、彼の——こう形容することは非常に抵抗感はあるが——優しさが無自覚にそうさせるのかは分からない。何にせよただひとつ確かなのは実休とは底なし沼のような男で、足を踏み入れたが最後、気を許した隙から沈んでいくばかりということだ。  実休という男の行為は、他に比較対象を知らない私でも分かるほどに執拗だった。  バスタブの中でのぼせてしまうほど胸を愛撫した後、私を鏡の前に立たせて湯とごまかしのきかないほど滴った愛液を舐めとった。舌先で陰核をつついて皮を剥き、敏感なそこをちろちろと嘗め回す。力が抜けると彼に陰部を押し付ける形になって敏感な場所を吸い上げられるので、何とかして立っていなくてはならなかった。  足に力を籠めれば舌先の責め苦がより強く感じられ、自分のものとは思えぬ喘ぎ声がバスルームに反響する。上半身すら支えられなくなるほどに何度もイかされ、泣いて懇願するまで愛撫は続けられた。  お願いだからやめてくださいと言えば実休は呆気なく下半身から口を離して、信じられないくらい甘い声で「ごめんね」と囁く。先ほどまでの悪魔的な舌技からは想像もつかないような優しい口付けを落とした。  息も絶え絶え、顔も涙やら鼻水やら唾液やらでぐちゃぐちゃの私を、実休はベッドへ抱えて運んだ。  赤く尖った陰核が絶頂の余韻から抜け出せず、ずっと内腿が震えている。仰向けに寝そべった私に重なるようにして、実休はちゅ、ちゅと顔中に口付けた。  この男の口付けは、やっていることに対してあまりにも甘く優しい。唇にキスを落とし、舌を絡めながら彼の手が陰部へと伸ばされる。熱くほぐれた中に指を差し入れて広げられると、自然と腰が揺れた。  過ぎた快楽を与えられて、もはや何でもいいから楽になりたかった。膣内は収縮し指を招き入れ、奥が期待にきゅんきゅんと疼く。  実休はだらしなくベッドに落ちた私の手を掴むと、そのまま股座へと持っていき、自分の性器を握らせた。入浴中目を逸らしていたそれは、察していた通りに立派なものだ。彼の手で包んで上下させられると、意識させられて下腹部が熱くなる。 「君の中に入りたいな……」  そう言いながら、先端はもう入り口に当てがわれていた。  ぬめりを帯びたそこを前後して、亀頭が陰核に押し付けられる。くりゅくりゅと潰すような動きに感じてしまって、入り口がひくひくと戦慄いた。  彼を招き入れようとする動きが、先端を咥え込む。つぷりと中に沈んで入り口が目一杯広がるのを感じたが、散々蕩されたそこに感じたのは痛みではなかった。 「あっ、あ、……ッ!」 「ん……はぁ、あつい、ね」  苦しさに喘ぎが声にならなかった。太い性器に貫かれ、はくはくと息をするので精一杯だ。実休は私の締め付けを堪能するように目を細め、少しずつ腰を奥へと進めていく。 「これが、君の……っ、……もっと、奥に入りたい」 「んんっ、う、あ……っ、」  腰を持ち上げられてその勢いで根元まで挿入され、内臓が迫り上がるようだった。奥までみっちりと入ったその形を覚えようと無意識に中が動く。体に馴染むと今度は物足りなくなってきて、腰がもどかしく揺れた。 「動くよ」 「……っ、ふ、んんぅ……っ、あぅッ……あああっ!」  ぞりぞりと肉襞をかき分けるように引き抜かれた後、先端で腹の裏側の感じやすい部分を掻かれて情けのない声が漏れた。緩慢な動きは火照りを増長させ、体が強い刺激を求め始める。実休は出し入れの度に声を漏らす私を楽しむみたいに、私を見下ろしながら腰を動かしていた。 「ここ、押されるの好き? 声が出てる」 「っ、お……! ッうぅ、ン……」  特に感じる部分を先端でえぐるように押し上げられ、くぐもった喘ぎが漏れた。突かれる度にぎゅうっと締まって、答えなくてもわかっているはずなのに実休はそれでは物足りないらしく、私に言葉を求める。 「ひぐっ……!? ッッ……!」  下腹を指二本で指圧され、外からも中からも圧し潰されると視界に火花が散った。陰核の鋭いものとは違った、内側から滲むような熱い快感に頭が支配され、腰が仰け反る。それはもはや、幸福感に近かった。実休に与えられる感覚ひとつひとつが気持ちよくて、与えられた端から更なる強い快感を求めてしまう。 「好き?」 「っ、すき、すきですっ、じっきゅうの、すき……っ」 「うん、よく言えました。おりこうだね」 「じっきゅ、……いっぱい、してくださ……っ」 「ふふ……うん、いっぱいしよう」  言葉に違わず、その後は壮絶なものだった。気を失うまでまぐわって、深夜に意識を取り戻してまた抱かれ、今度は空が白むまで続いた。  私の喉が枯れてしまうと入れたまま動かずぎゅっと抱きしめて、あの声色で愛を囁く。金銭を介した関係でなければ濃密で堪らない極上の夜だっただろうが、生憎と私たちの関係はそういった甘いものではなかった。  昼前に目を覚ますと、実休はひとり身支度をしていた。  私は裸のまま布団に埋もれて、腕時計を付ける彼の様子をじっと眺める。私の視線に気付いた実休は「おはよう、体の調子はどう?」と訊ねたが、声が掠れて返事は音にならなかった。  実休が小型冷蔵庫から冷水を取り出して、キャップを緩めて手渡す。上半身を起こすだけで腰に痛みが走って、昨夜の行為の激しさを身に沁みて感じた。 「大丈夫? 飲ませてあげようか」  首を横に振り容器を引ったくり、私は冷水を飲み干した。潤った喉は辛うじて音を発せる状態になったが、それでも出るのは掠れた情けない声である。 「どこか行くんですか」 「うん。ちょっと用事が。ごめんね、君を置いていくのは心苦しいけれど」 「……大丈夫です。私も、帰ります」 「車を手配してるから、フロントに声を掛けて。僕はもう出なくちゃ」  私がヘッドボードに水の容器を置く間も、実休は私のことを見ていた。出かけるんじゃなかったのか、と首を傾げると、彼はベッドの淵に腰を下ろして私の髪を撫でた。 「名残惜しいな。もう一度抱き締めてもいい?」 「……はい」  きっちりとスーツを着込んだ彼に裸のまま抱き締められるのは奇妙な感覚だった。彼は私の首筋で息をして、私の身体を確かめるようにぎゅっと背中に腕を回した。  今生の別れでもあるまいし、と思って、私はまた彼と会う気でいたことに気付く。そんな関係でもないのに。彼が望んで、金銭を渡して、私が受け取らなければ続かない関係なのに。 [newpage]  その後も、私たちの縁は切れるどころかより太くなる一方だった。  毎度大金を現金で手渡してくるせいで、当初必要だった額は数度会っただけで溜まってしまった。自分ひとり慎ましやかに生きていくなら今まで通りの生活でいいはずで、得体のしれない男に体を売る必要なんてない。それが分かっていて、私は別れを切り出せなかった。  お金はもういらないですと言ったら、彼はどんな顔をするだろう。包み隠さず言えば、そんなことを想像するのが怖いほどに私はこの男に嵌って、情を抱いてしまった。  それだけでなく、彼の執拗な愛撫に慣らされた私は、きっともう他の人では満足出来ないような身体にされてしまっていた。気持ちいいところを全部知っている指と舌先が私を暴いて、あの声で囁かれると堪らない幸福感と快感に満たされる。投げやりに使い捨てようとした身体はたっぷりと時間をかけて育てられ、今や彼以外に委ねることは出来ない。  彼が私を欲しがる理由は、未だにひとつもわからない。わからないけれど、それでもいいと思えるくらいに私に向けられる視線が甘く優しいのだ。  それはベッドの中だけでなく、日中外で会うようになってからも変わらなかった。どんなに鈍くとも察しとってしまうほどに、彼の眼差しは愛を語っていた。  会う場所がホテルから、彼の所有するマンションの一室に変わった。広いバルコニー付きの部屋は生活感はないのに、緑だけが豊かだ。  私の住む地域が賃料は安いが物騒な土地だと知ると、彼は「部屋を余らせているから」とそこに住むように言った。部屋が余るとはどういう状況だろうと貧しい私は理解が出来なかったけれど、その頃になると私はもう彼を疑うことがなく、自然に同棲が始まっていた。  デート中にスマホを壊してしまってその場で最新機種に買い替えられ、スマホの名義すら彼になった。頼れる先のない私の生活すべてが実休頼りになるのには、そう時間はかからなかった。  それでも今、間違いなく幸せだと言える。頭の悪い私が犯した失態がこんな結末に繋がっていただなんて、誰が想像しただろう。あの日死ぬ覚悟で汚い道に立っていなければ、彼と出会うことなどなかったかもしれない。  そんな話をすると、実休は笑って「あの場にいなくても、きっと君のことを見つけていたよ」と言った。今が幸せなのだから、経緯など今となっては些細なことだ。——そのはずだ。きっと。 「……あれ?」 「っ、……!」  夕飯の買い物を済ませてエレベーターで部屋のある階まで登ると、扉の前で見知らぬ男性に鉢合わせた。  このフロアには実休の部屋しかないはずで、そもそもカードキーを使わなければエレベーターはここへは止まらない。ということは、彼は実休の知人のはずだ。  その顔にどこか見覚えがある気がしてまじまじ眺めていると、はたと気がつく。彼はいつか実休が写真を見せてくれた弟のうちのひとりではなかったか。片目が隠れた髪型の彼は写真と違わぬ男前で、どこか実休の面影を残していた。 「弟さん?」 「……ああ。君は——」 「えっと……実休の、恋人です。ここに住んでて」 「恋人?」  実休の弟さんは目を丸くして私の顔を見つめた。  実休は家族に私のことを話していなかったのだろうか。少しだけ胸が痛んで、こくりと頷く。彼は私の反応に失礼な態度を取ってしまったと思ったのか、取り繕うように首を横に振った。 「ああ、ごめんね。君のことは——知っていたんだけど、面と向かって恋人って言われると思ってなかったから」 「あっ……い、いえ」  確かに、初対面の相手に堂々と宣言するものではなかったか、と私は先ほどの自分の態度を少し恥じた。  弟さんは実休に頼まれて忘れ物を取りに来ていたらしく、先を急いでいるようだ。簡単に挨拶をして別れようとすると、エレベーターに乗り込もうとした彼が振り返る。 「変なことを聞くようでごめんね。……その、君は今、幸せ?」 「えっ?」 「いや、なんでもない。ごめんね、忘れて。それじゃ、また」 「あ……」  エレベーターの扉が閉まって、疑問を抱いたままの私が一人、その場に取り残された。  問いの答えは、肯定に決まっていた。身に余るほどの愛を注いでくれる恋人がいて、彼に不自由なく暮らせるよう尽くしてもらえて、これ以上の幸せがあるだろうか。二十余年生きてきた中で、今が一番幸せだと胸を張って言えるはずだ。  モヤモヤとした蟠りが残ったまま、私は部屋へと戻った。  あと数時間もすれば、実休が帰ってくるはずだ。それまでに夕飯の支度とお風呂の掃除を終えて、彼を出迎えなくてはならない。  窓の外からは明るい太陽が差し込んで、植物が床に影で柄を作っている。ふと視線を落とすと、蔓が足に絡んでいるように見えた。

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