Sink

拷問する双璧

※直接的な描写はありませんが残酷な表現を含みます。可哀想なのはモブだけです。
筆者は拷問素人なので雰囲気でお読みください。
恋愛要素なし、カプ要素薄め

 時の政府も一枚岩ではないのです、と管狐は言った。
 そんな戯言は言い訳にもならないと、主を攫われた刀剣男士らが立ち上がったのが先刻のこと。同様の被害に遭った別の本丸の者たちと協力し、手分けして審神者らを捜索していたところ、稲葉江と富田江は当たりを引き当てた。
 幾つか挙がった疑わしい場所の内、彼らが向かった先は連中の巣窟で、そこには連絡役兼実行犯らしき男がひとり残っていた。
 いくら武器があろうと、人間風情が立ち向かったところで刀剣男士に勝てるはずもない。銃の引き金を引く前に、あっという間に制圧された。おそらくは蜥蜴の尻尾切だろう。それでも情報を引き出すには十分だった。
 元々は廃工場であったらしいそこは、増改築が施され、お誂え向きに牢獄と拷問用の部屋があった。床や壁には赤黒い液体が飛散した痕跡が染みとなって残っている。部屋の角を見ると、白い花弁のような爪が何枚も落ちていた。
 部屋の中央にはボルトで床に固定された椅子があり、手すりと脚、背もたれに沿うように革製のベルトが取り付けられている。木製の手すりにはまだら模様に血が滲んで、四本の溝が刻まれていた。
 四方を取り囲む壁には杭が飛び出していて、それに引っかける形で様々な拷問器具が飾られている。古来より日本に伝わるものから、一見して使い方の見当もつかないものまで、多種多様さまざまな道具が揃っていた。余程強い嗜虐趣味を持つ者がここを管理していたのは間違いなさそうだ。
 稲葉江は抵抗されぬよう気絶させた男を椅子に座らせ、ベルトで四肢を拘束した。
「こういうのは私よりお前の方が得意だろう。任せるよ」
 壁にかかった器具のうち、ひとつを富田江は手に取り、稲葉江に渡した。初めての厨当番で、ゴムべらを握り「これは便利だね」と言っていたのと同じ顔つきである。
 何をもって稲葉江がこういうのが得意だと判断したのかは定かではないが、恐らくは戦よりも交渉の方が向いていると自負する富田江自身と比較しての話だろう。別に稲葉江だって、好き好んで他人を痛めつける趣味はない。
 そんな問答をする時間すら惜しんで、稲葉江は言いたいことを飲み込む。拷問器具を受け取り、実行役を引き受けることにした。
 稲葉江は男の顔を数度叩いたが、彼は目を開かない。しかし、呼吸は明らかに意識がない者のそれではなかった。
「狸寝入りはやめておけ。己の首を絞めるだけだ」
 稲葉江が低声に凄みを利かせてそう脅せば、男は悲鳴を上げて目を見開いた。
「おはよう。目が覚めてよかった」
「ヒィッ! なっ、なんだお前ら、お、おれはなにも」
「君が末端でしかないことは知っているよ。けれど、いろいろ聞きたいことがあるんだ。教えてくれるかな」
 薄暗い拷問部屋で、全身白い装束を身に纏った富田江は浮いていた。稲葉江が拷問器具を握り直すと、手元で金属音が立つ。その音にまた、男は悲鳴を上げた。
「素直に答えてくれさえすれば、手荒な真似はしないと約束するよ」
「な、ッ……何も知らねえ、俺はっ……」
「稲葉」
 富田江に指示されるがまま、稲葉江はその器具を男の身体の一部、目的に応じた場所へと取り付けた。後は稲葉江の思うが儘、苦痛を味わわせることが出来る。しかしその裁量を持つのは、彼ではない。
「審神者誘拐の実行犯は君たちだね」
「っ……」
「どこへ攫ったの?」
「し、知らねえ。おれじゃない、俺はなにも……」
「本当に知らない?」
 富田江は身を屈めて男の顔を覗き込む。さらりと落ちた金糸が、琥珀のまなざしを遮った。
 その隙間から覗く瞳に灯ったのが殺意なら、男もまた選択を誤ることはなかったのかもしれない。彼は虚偽の主張を覆すことなく、首が捥げんばかりの勢いで頷いた。
「そう。わかったよ」
 指先で小鳥を遊ばせるような優雅な声色が、男にとっての許しではないことに気付いているのは、この場では稲葉江だけだった。
 富田江は稲葉江を一瞥する。それを合図に、稲葉江は一思いに手元の梃を引いた。
 痛みに怯える間もなく、男は耳を劈くような悲鳴を上げる。耳を塞ぎたくなるほどのそれを聞いても、二振りは眉一つ動かさなかった。
 拷問の一手目は、対象に苦痛を与えるためではない。心を折るためのものだ。
 この男が素直で軽薄で自己保身に容易く走る人物であれば——富田江の言うところの『話の出来る相手』ならば、稲葉江はこれ以上手を下す必要はなかった。しかし、男は存外仲間思いであったようで、上下の歯をがちがち鳴らして、今度はだんまりを貫いた。そのせいで稲葉江は、これ以上触れていたくもない鉄製の棒を握り続けなくてはならない。
 それから富田江は、歯の根が合わない男を相手に、童話の読み聞かせをするような声色で問いかけ続けた。それは歌声じみていて、呪文めいてもいる。
 尚も男は答えない。答えられない。今度また『知らない』と嘘を吐けば、また同じ目に遭わされるからだ。
 たちまち男は俯いて、顔を上げられなくなった。そんな男の顎を片手で掴んで、富田江は彼を上向かせた。琥珀の視線に射抜かれて、男は顔の穴という穴から体液を流す。それが伝って、富田江のすらりと伸びた指を汚した。
 ぞっとするほどに美しい見目をした富田江がそうすると、傍目からは宗教画のように見えた。神々しい程の惨状を、稲葉江は傍観していた。
 ふたりは暫し見つめ合って——やがて富田江は、彼の頬から手を離した。
 男の首がガクンと折れて下を向く。男は己を救う道を少しでも見出そうと、辺りを見回した。不意に視線が稲葉江とかち合い、男は激しく目をしばたたかせた。
「た、たすけ、助けてください! し、死にたくない、」
 拷問器具を手にしたままの稲葉江に、恐怖に駆られた男は陳腐な命乞いを並べ立てた。恐怖のあまり咥内を噛んだか、飛散した唾液には血が混じっている。富田江相手にもう碌に口を利けなくなったはずの男は、急に言葉を思い出したように思いつく限りの言葉で稲葉江から情を買おうとした。
 稲葉江が瞼を細めると、刃文を思わせる虹彩が陰りを見せた。
「懇願する相手を見誤るな。それを決めるのは我ではない」
 人の骨肉を断つために鍛えられたそれと同じ鋭さが殺気を帯び、再び男は言葉を忘れた。
 これだけ富田江が『話して』尚、頑なに口を閉ざし続ける以上、気が進まずともやることはひとつである。この部屋にも男にも、稲葉江は用はないのだ。主の身が無事で元に戻りさえすれば、天下に続く道への足しにもならぬ雑兵など、斬って捨てる価値もない。ましてや、刀の錆にもならぬ悪趣味で非道な拷問など。
 稲葉江が器具を握り直す。と、同時に、富田江はふと顔を上げ、男に背を向けた。
「どこへ行く」
「奥の部屋に。稲葉、後はお前に任せるよ」
「……勝手な」
「ま、待っ——」
 富田江はここにはもう用はないと言わんばかりに、ブーツを鳴らして扉へと向かった。男にはその音が死神の足音に聞こえているようだった。
「だっ……ッ、ぐ、い、言います! 全部言うから、お、お願いしますッ!」
 富田江が〝奥の部屋〟という言葉を出した途端、男は血相を変えた。これ以上に怯えしろがあったのかと驚くほどに顔を青白くしている。刹那の間に十か二十は年老いて見えた。よほどそこに見られたくないもの、もしくは知られては不味いことがあるらしい。
 男の必死の懇願に、富田江は踵を返した。彼は思わず口を滑らせたことを今更後悔しているようで、犬のように呼吸を浅くしている。
「話をする気になったようだ」
「そう。よかった」
「ヒッ……」
 再び富田江が男の前に立つ。男の瞳孔は、恐怖のあまりか開き放しになっていた。
 うっそりと微笑む富田江の姿は、その目にあまりにまばゆく映る。光そのものを直視するかの様に眩しいのに、瞼を閉じることは許されない。男の目の際から、血が伝った。

「あの部屋にはなにがあった」
 男から聞き出した場所へ向かう道中、稲葉江は富田江に問い掛けた。
 稲葉江に分かったのは、あの男が何かをしきりに恐れていたということだけだ。それを富田江がどのような理由をもって〝奥の部屋〟に何かがあると突き止めたのかまでは、見当がつかなかった。恐らくは、彼の得意とする交渉術の領分であろう。なぜと訊ねたところで、「交渉相手と心を重ねて」などと具体性のない答えが返ってくるのは分かりきっていた。
「さぁ、何だろう」
「……ふん」
 あの後、男は富田江に訊ねられるがまま、知っていることを洗い浚い吐き出した。
 引き出した情報と共に場所を時の政府へと伝達したため、今頃捜査の手が入っているはずである。素直に話をしてくれた男の処遇については「私から口添えしておこう」と言ってはいたものの、最終的にどうなるのかは彼らの知ったことではない。男が情報と引き換えにしてまで守ろうとしたあの部屋の秘密も、同じことだった。
 男が明かした審神者の行き先——先んじて二振りが到着した場所には、十数人が密室に閉じ込められ、手足を縛られて横になっていた。目測で数えた限りでは、誘拐された審神者の数と一致する。稲葉江は転がった審神者らの身体を跨いで、己の主の元へと急いだ。
 床に膝を付き、うつ伏せになった審神者を抱き起す。首筋に指先を触れさせると、皮膚の下で血管が脈打っている。その肌は拍子抜けするほどに暖かかった。
「息はある。眠っているだけだ」
「そう。……よかった」
 その声に宿った温かさに、稲葉江は思わず富田江の顔を見た。
 富田江は審神者の穏やかとも間抜けとも呼べる、己の身に迫った危機すら知らぬまま安らかな夢を見続ける寝顔に、慈愛の眼差しを送っていた。
 片割れの、安堵により弛緩した生ぬるい表情を目の当たりにし、稲葉江は眉根を寄せて口を横一文字にきつく結ぶ。万が一にも、己の顔が目の下の印と同じく、鏡写しに緩んでいては示しがつかないと思ったからだった。


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