Sink

双璧と出られない部屋

※合意の上での刀剣同士の暴力描写あり。やや物騒。なんでも許せる方向け。

 審神者、稲葉江、富田江の一人と二振りは、気が付けば十畳ほどの密室に閉じ込められていた。
 扉らしき壁の切り替えや取手すらなく、斬りつけても殴りつけても傷ひとつつかない。部屋は床も壁も天井も眩しいほどの白で塗りつくされ、唯一の色は床に置かれた小瓶とそれに添えられたメモだけだ。

【この薬瓶の中身を飲み干した後、一時間で扉は開きます。薬瓶の中身は興奮剤で、刀剣男士には100%、人間には10%の確率で作用します。中身を飲み切りさえすれば何人で分けて飲んでも構いません。故意に中身を零すなど、飲む以外の方法で薬瓶を空にした場合は無効となります。】

 メモの内容を何度も読み返し、一人と二振りは長考した。
 審神者が恐る恐る「あの、私が飲むよ。10%なら、効かない可能性の方が高いし」と提案すると、間髪開けず稲葉江が「ならん」とその案を切り捨てた。
「じゃあ、どうすれば……」
「我が飲む」
 審神者の言葉を遮って稲葉江が薬瓶に手を伸ばす。「構わんな」と一瞥された富田江も「そうだね。これが最善かな」と稲葉江の案に同意した。
「ま、待って! 勝手に決めないで、何かあったらどうするの」
「だったらどうする。その身体で運試しでもするつもりか? 下策もいいところだ」
 稲葉江は地を這うような低い声で言った。富田江も「この部屋の素性と目的が知れない以上、君に効果がないとしても飲ませるわけにはいかないよ」と頷く。稲葉江に睨みつけられ、顔色を悪くした審神者を安心させるように、富田江の手が彼女の背中を摩った。
「怒っているわけではないよ、君の身を案じているんだ。私が飲んでもいいのだけれど……」
「時間潰しの相手なら我より貴様の方が向いていよう」
「そうだね。飲んだ後はどうする?」
「我の意識を落とさせろ。最悪、四肢を切り落としても構わん」
「わかったよ」
 審神者の頭上で物騒なやり取りが交わされ、彼女はガタガタ震え始めた。任務の結果報告をするのと同じ口調で、稲葉江は恐ろしいことを提案し、富田江も当たり前のように請け負っている。
 彼女は戦争をしているつもりで、彼らが斬り合っているのを目の当たりにしたことはなかった。彼らにとってこの部屋と日々の任務は地続きであると思い知らされて、己の迂闊さに自己嫌悪する。何か言わなくては、と口をぱくぱくさせたが、現状彼女に言えることもなく、情けなく眉を下げるばかりであった。
「なるべく穏便に済ませよう。少しだけ、これを預かっていてくれるかな」
 富田江は身を屈めて審神者に視線を合わせ、穏やかな口調と微笑みを心掛けて彼女に言い聞かせた。幼子に対するそれと全く同じ扱いだ。白い外套を頭から被せると、審神者の視界は富田江の顔しか見えなくなった。
「少しだけ耳を塞いで、あそこの端で屈んでいて。できる?」
 審神者がこくこくと激しく頷く。言われた通り、稲葉江の位置と対角になる角に三角座りをして、壁に寄りかかって耳を塞いだ。
 富田江は「いい子だね」と囁いてから、稲葉江の方へと向かう。耳を塞いだ審神者には、朧げに二人の会話と殴打音のようなものが聞こえた。
 しばらくして、富田江が戻ってきて審神者の隣に腰を下ろす。片手には稲葉江の本体が握られていた。
「……い、稲葉は?」
「少し寝かせているよ。これ、君が持っていてくれるかな。その方が稲葉も安心するだろうから」
 寝かせている、という言葉ほど平和的な状態ではないということは、審神者にも理解できた。言われるがまま、手渡された稲葉江を抱きしめるようにして、鞘を両手で握る。
「一時間か……長いね。何の話をしていようか」
「…………」
「そうだ、篭手切に君の時代の歌を習ったんだ。聞いてくれるかな」
 審神者が頷くと、富田江が歌い出す。彼女もよく知る、国民的男性アイドルのヒット曲だった。その美しい歌声の合間を縫うように、稲葉江の呻き声が聞こえる。審神者はもう二度とこの曲を今まで通り聴けないだろうな、と思った。
 富田江は時折歌声を止めては、稲葉江の様子を伺った。稲葉江のがなるような声が大きくなると、審神者に「少しだけ待っていてね」と言い置いては、彼女の視界の外で何かしている。そちらを見る勇気は、彼女にはなかった。
 知る限りの歌を歌い尽くしたあと、富田江は審神者の気を紛らわせるように様々な話をした。江の仲間や加賀ゆかりの刀剣、それから本丸に顕現してから親しくなった者たちとの些細な出来事を一方的に語って聞かせる。審神者が相槌を打てなくなってもそれを続けて、一時間が過ぎた。
「あっ……」
「開いたようだね」
 いつの間にか、壁に人ひとりが通れそうな大きさの長方形の穴が開いている。審神者は滲んだ涙を拭って鼻を啜った。
 あの紙切れに書かれていることが偽りで、稲葉江を苦しめたまま二度とここを出られなかったらどうしよう、という想像がずっと彼女の脳裏を離れないでいたのだ。出口が開いた安堵から、わんわんと声をあげて泣き始めた。
 富田江が稲葉江を担ぐと、稲葉江は意識を取り戻したのか薄らと開いた目で審神者を見た。
 掠れた声で「無事か」と訊ねられたので、審神者は激しく首を縦に振る。彼は安心したように、らしくなく唇だけで微笑んで、再び意識を落とした。
「稲葉、大丈夫……?」
「すぐに目を覚ますような寝かせ方はしていないんだけれど。ごめんね、ひとりで立てる?」
「わたしは、平気」
 審神者は立ち上がって、腕の中の重い稲葉江を抱え直す。稲葉江を担いだ富田江と審神者が部屋から出ると、そこは本丸の一室であった。
 振り返ると白い部屋はなく、ただ押し入れが開いている。まるで悪い夢を見ていたようだが、意識を失った稲葉江と脈打つ鼓動は変わらない。
「手入れを頼めるかな」
「は、はい」
 稲葉江を手入れ部屋へ運び出して、審神者は時間をかけて彼を手入れした。富田江が如何にして彼を寝かせたのか知りたくなかったから、なるべく身体を見ないようにして。

 数時間後、無事に目を覚ました稲葉江に審神者はたまらず飛びついた。
 押し返されるかと思いきや、稲葉江は審神者の抱擁を受け入れじっとしている。審神者は稲葉江の胸元を濡らしながらわんわん泣いて、「稲葉ごめん、ごめんなさい」と何度も謝罪を口にした。
「謝るな。我がすべきことをしたまでよ」
「で、でも」
 審神者が稲葉江の胸元から顔を上げると、彼と目が合った。普段撫でつけられた前髪が眉間に降りて、その顔を少しだけ穏やかに見せた。
「我と富田があの場に居合わせたことは僥倖だった。それだけだ」


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