舌先から確かめて
食卓の空気がいつになく淀んでいることに気が付いた豊前江は、いつも共に食事を取る桑名江と松井江に訊ねた。
豊前江はついさっき遠征から帰ったばかりで、ここ数日の本丸事情に疎い。松井江と桑名江は顔を見合わせ、気まずそうに「実は……」と口を開いた。
富田江が顕現してしばらくが経ち、戦いにも慣れた頃だろうと、は案内を兼ねて演練へと挑んだ。
部隊長は前田藤四郎。不慣れな富田江の緊張を和らげようと、馴染み深い加賀っこや江の仲間を中心に部隊は編制された。
景気よく連戦を重ねたものの、結果は五戦目で敗退。「通常の戦場とは勝手が違う中、よく頑張ったよ」とは彼らを労った。
せっかく本丸を出たのだし、と短刀たちと寄り道の計画を立てていたに、初老の男が声をかけた。
最後の一戦を争った男審神者である。演練のあと、ベテランが新米審神者に助言することはよくあることだったので、彼女は何かアドバイスでも貰えるのかと期待し愛想よく振舞った。
しかし、彼女の思惑に反し男は尊大な態度で彼女をこき下ろした。
編制、刀装の配置、布陣、戦術——ありとあらゆる要素でもって彼女の策を貶し、嘲笑する。彼の審神者証に記された『熟練』の文字が、彼女を黙り込ませていた。
見かねた前田藤四郎が痺れを切らし「主君はこの後も用がありますので」と彼らしからぬ乱暴さで話を切り上げようとした頃に、男は捨てセリフのように言い放ったのである。「主がこんなんじゃ刀剣男士もかわいそうだ」——と。
すっかり寄り道をする雰囲気ではなくなってしまい、はとぼとぼと肩を落としたまま帰路を歩いた。あの状況を招いたのは最後の敗北であると自責した刀剣男士らも下手に慰めの言葉をかけることもできない。
そんな中で、が「不甲斐ない主でごめんね」なんて口にしたのが、稲葉江の怒りを買った。
「何故謝る」
「えっ……」
「言ったはずだ。今回の目的は富田を組み込むことであり、錬度の差は端から明らかだった。その中で策を弄し実力以上の成果を発揮したと——お前自身が今日の戦いをそう評価したはずだ。それがあの痴れ者の言葉一つで覆すと?」
「稲葉」
いつになく饒舌になった強面の稲葉江に見下ろされ、は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまった。富田江の制止も聞かず、稲葉江は怒りを隠さない。は俯いて、ただ小さく震えていた。
「随分と安く見られたものだ」
失望、落胆。そんな言葉がの頭を過ぎる。これ以上情けない姿になるまいと、必死に込み上がる涙を堪えた。
「お覚悟!」
「っ!?」
声と共に稲葉江の膝裏を突き、動きを止めさせたのは前田藤四郎である。
が初めてその手で呼び起こした彼は、修行の旅を経てその強さに磨きがかかり、この本丸では最も高い錬度を誇る。まさに文字通りの懐刀だ。そのひと突きで稲葉江は容易く軽傷を負った。
帰還後「なんで演練に行ったのに怪我してるの?」と訊ねられたことにより、この出来事は本丸中に広まった。
部隊が帰還し数時間が経った今でも蟠りは解けず、しょんぼりと肩を落としたを誰も慰められないまま、気まずい空気が続いていた。しかし、彼らにはどうすることもできない。
主を侮辱され、今すぐ斬り殺してやりたいという衝動。責任を負わされるのが彼女だと分かっていてそれを飲み込む理性。そして原因となった敗北への悔しさ。それら全てを刀剣同士はよく理解し合えたので、一概に稲葉江を責め立てたり、無責任ににやさしい言葉をかけたりすることができなかった。
「それは稲さんが悪ぃーな」
「りいだあ!」
複数の刀剣から事情を聞き、状況を把握した豊前江はすっぱりと言い放った。
その夜、篭手切江、豊前江、桑名江、松井江の四人部屋に江の八振りは集められていた。件の演練での出来事についての話し合いだ。彼らは他の刀派から「落ち込んでる主を見てられないからどうにかしてくれ」とせっつかれていた。
松井江が豊前江の意見に賛同するように頷く。
「そうだね。主だって言い返したかっただろうに、飲み込んだんだから。謝罪だってあの子なりの気遣いだろう」
「稲葉の気持ちも分かるけど、こういうのは理屈じゃないから。誤解を受けるのは仕方のないことだよね」
稲葉江にとって、あれは一種の励ましのつもりであった。
他者からの一方的な評価に圧し潰されず、自らの働きを認めるべきである。それに足る実力が彼女にはあるのだから。そういうエールが込められていた。
彼は、あの少女が似合わぬ小難しい文献に目を通し、戦のいろはを学び、時には自分を含め戦術に精通した刀剣から教えを乞うていたことを知っている。
戦況の読み方、兵力で劣る時の対処法、効果的な奇襲の策、士気を上げるための心配りまで、少しでも戦況が良くなるようにと力を尽くしていた。そんな向上心の高さに天下を目指す稲葉江は共感し、付き従ってきたわけだ。
が、それも心無い叱責により弱った彼女には裏目に出た。
志高い稲葉江に呆れられ、見放されたと思ったのだろう。自身に相応しくない、共に天下を目指すに値しない愚者だと、言外の意味を勝手に想像して落胆している。
いつかはこの空気も時間が解決してくれるかもしれないが、言葉足らずな稲葉江は誤解を受けたままこの先を過ごすことになるだろう。稲葉江がそれを良しとしても、同じ刀派の仲間として彼らはそれを見過ごせなかった。
「とはいえ、稲葉さんが謝っても頭はその場しのぎで言わされたのだろうと思うでしょうね」
「それで仲直り、ってわけにはいかないよね……。稲葉の意見が全面的に間違ってるとも俺は思えないし……」
稲葉江を除いた七振りは腕を組み、うーんと頭を悩ませた。
「こういう時はまずお互い話を聞くことだね。稲葉、お前の気持ちを私たちは理解できるけれど、あの子はまだ他人から一方的な評価を受けることに慣れていないようだから」
「ただ話す、にしても……しちゅえーしょんが大事ですよね」
「茶室はどうだろう。静かで心が落ち着くと思うのだけれど」
「稲さん相手にか? 落ち着くどころか震えあがっちまうだろ」
「でも、何かを飲み食いしながらっていうのは悪くないと思うよ。僕と松井もよく意見が割れるけど、食事しながら話し合えば大抵落ち着くしね」
「不本意だけど同意見だよ。あの子は甘いものが好きだから、ご馳走してやれば敵意はないって分かってもらえるんじゃないかな」
「私は綺麗な景色や季語を見ていると心が安らぎます」
「俺も……雨さんと同じものを共有してるって思うと、お腹の痛みもマシになる……気がする」
「食事……甘いもの……景色……なるほど」
篭手切江が出た意見を手元のメモ帳に書き留める。それを隣の豊前江が覗き込んだ。
「いっそ全部やっちまえばいーんじゃねーか?」
「全部……ですか?」
「おう。美味いモン食っていい景色見て話し合う! そしたら仲直りできっだろ!」
ぱんと景気良く豊前江は膝を叩いた。七振りの視線が彼に集まる。
「いいんじゃないかな。確か明日は歌仙と買い出しの予定だったはずだから、護衛を代わってもらえないか僕から頼んでみよう」
「景色のいいところなら心当たりが。雲さん、先日行ったあそこはどうですか」
「あっ……いいと思う。俺たちが行った時はまだ蕾も多かったけど、今が見頃かも」
「決まりだね。稲葉、明日の畑当番は僕が代わるよ」
「稲葉、良かったじゃないか。あの子ならきっとお前の話にも耳を傾けてくれるよ」
「…………」
ここまで一言も言葉を発してこなかった稲葉江は、怒涛の展開に頭を痛めていた。
彼がに向けた言葉を後悔してはいない。それでもどうしてか、あの俯き涙を堪えようと下唇を噛む姿を思い出すと胸がざわついた。
鋼だった時と違い、慰めてやれる手足はあるのにそれが叶わないもどかしさ。それどころか、その心に傷をつけたのが自分であるという虚しさ。その二つが、稲葉江の胸に渦巻いていた。
どうにかしようにも富田江のように人の心に寄り添って言葉を尽くすのに向かない性分だったものだから、彼らの助力はまさに渡りに船だ。
しかしその船が予想外の規模になりつつあるのを彼は感じていた。とんだ千石船である。
そんな彼の険しい表情を不安と取ったのが、豊前江はいつも通りの快活な笑顔を浮かべ「心配すんなって稲さん! 俺たちが手貸してやっからさ、大船に乗った気でいろよ!」と言う。
彼の予想と違う方向に舵を切った展開に、稲葉江は「痛み入る」とただその厚意を受け入れることしかできなかった。
翌日。刀剣たちの心配に反し、はさっぱりとした顔で目覚めていた。
熟練審神者の心無い言葉と己の未熟さに落ち込みこそすれど、稲葉江の指摘も真っ当だ。
審神者数年目の彼女には、その言葉を受け入れてばねにする覚悟があった。一城の主たる自分がいつまでも気落ちしていてはそれこそ刀剣たちに迷惑がかかる。
本日の業務らしいものは万屋への買い出しくらいだったので、今日は外出ついでに心身をリフレッシュして明日から心機一転頑張ろう、なんて考えていた矢先のことだ。歌仙兼定から、野暮用が出来たので買い出しの護衛の代理を立てたいと申し出を受けたのは。
歌仙兼定との外出を楽しみにしていたは内心気落ちしたが、それを態度に出しては代わりを務める者に失礼だからとぐっとそれを飲み込んだ。
代理は、約束の時間になったら迎えに来るという。はその時を待ちわびながら、一体誰が来てくれるんだろうと予想していた。
小夜左文字か松井江か、はたまた厨仕事で親しくなった燭台切光忠か——和泉守兼定や人間無骨かもしれないと想像を膨らませる。
そんな折に現れたのが稲葉江だったので、予想外のあまり彼女はリアクションが一拍送れた。
「い、稲葉。なんか用……?」
「万屋へ買い出しへ行くと聞いたが」
「え゛っ、まさか……稲葉が代理?」
「……我では不満か」
「いやいやそんなまさか! 滅相もない!」
は「寄りにもよって稲葉かよ」と思うと同時に、歌仙兼定の意図を感じ取った。
どうせ、「僕が気を回してやったんだからさっさと仲直りなさい」ということだろう。過保護な彼らしい。本丸発足からの付き合いは伊達ではないな……とは考えた。
実際言い出したのは江の面々だが、この状況が続けば結局歌仙兼定が何かしらの策を講じたはずなので、彼女の予想は強ち間違いではなかった。
外出の護衛は特に理由がなければ古株である歌仙兼定や前田藤四郎が付き合うことが多い。人懐っこくに構われるのが好きな刀の希望で連れていくことはあれど、稲葉江はそのタイプの刀剣ではなかった。
言葉を選ばずに言えば、一緒にショッピングがてらおしゃべりを楽しめるような男ではない。無言の時間を自分のコミュニケーション能力不足と捉えてしまう彼女は、出発する前から気が重くて仕方がなかった。
案の定、道中の会話が弾むことはなかった。
が会話下手なりに目に付いた看板の文字を読み上げてみたり、本丸であった面白エピソードなんかを語って聞かせたが、稲葉江のリアクションは「そうか」「うむ」のどちらかである。まるで年頃の娘と全く話題の合わない父親のようだ。途中からは話すのもばからしくなって、無言の時間が続いた。
万屋へ着きが発注していたものを受け取ると、稲葉江は店先の商品棚を見ていた。
武具か何かだろうかと思いが彼の視線の先を覗き込むと、華美な装飾品が並んでいる。
「稲葉、何見てるの?」
「……珊瑚は売っているかと思ってな」
「珊瑚?」
稲葉江がアクセサリーに興味を示すと思っていなかったは驚いた。
しかし、今日の装いを見た時も思ったが、無骨な気性の割に身に纏うものには彼なりのこだわりがあるようだ。普段の戦装束と違い、墨を垂らしたようなデザインの、おしゃれに疎いでもいいものだと分かる着物を着こなしていた。
歌仙兼定は自分が拘る以上にの服装に口うるさかった。その為、出かける際は彼の贈ってくれたものを着るようにしている。
は面倒だと思っていたその習慣に今日だけは感謝した。普段着のまま、この格好の稲葉江と並んで歩く勇気はない。
珊瑚と言えば、戦装束の下に珊瑚の数珠を下げていたことを思い出す。彼の好みなのだろうか。
はやっと会話らしいやりとりが出来るかもと「買って欲しいの?」と訊ねたが、稲葉江は何か言いたげにを凝視したのち、「贈るなら我がお前にだろう」と言った。
「稲葉が? 私に?」
「……趣味に合わんか」
「そんなの貰えないよ。悪いし。……買わないならもう出よっか」
は「なんかお互い会話かみ合ってないな」と思いながら店の軒先を出た。
普段なら茶屋に寄るなり土産を買うなり寄り道して帰るところだが、稲葉江は見るからにそういった無駄な時間を嫌いそうだ。
今日はまっすぐ帰ろうとが元来た方へ足を向けると、「待て」と稲葉江が制止した。
「なに? まだ用事?」
「寄る場所がある。ついて来い」
「えっ!? いいけど……」
一体どこへ連れていくというのだろう。まさか、高価な武具でも買わされるんじゃあるまいな? はそんなことを考えながら稲葉江の後ろをついて歩く。
昨日の今日、彼女の中であの出来事を飲み込んだとはいえ、思わぬところがないわけではない。
——人気のないところへ連れ出してめちゃめちゃ怒る、なんでしないよね?
は彼らしくない行動に訝しみながら、行き先を予想した。
「うーん、会話が弾んでいる様子はないね」
一方その頃、篭手切江、松井江、五月雨江、村雲江、富田江の五振りは、と稲葉江を尾行していた。畑当番の代わりを請け負った桑名江と「桑だけじゃ悪ぃだろ!」とそれに付き合った豊前江は留守番である。
篭手切江は立案者として、五月雨江と村雲江は行き先の提案役として、富田江はいざという時のフォロー役……と、片割れが気を揉んでいるのが面白かったので。そして、松井江はこのまま本丸に残っていては豊前江共々畑仕事を手伝わされかねない、と思ったので着いてきていた。
「富田せんぱい! はみ出してます!」
「ごめんね、体が大きいから嵩張ってしまって」
五振りは物陰からそっと、らの様子を伺っていた。
アクセサリー売り場を眺めているところから、稲葉江が詫びの意味も込めて何か贈るのだろうか——と思えば、特に何も買うこともなく店を出る。帰ろうとするを呼び止め、ふたりは五月雨江が指定した茶屋へと向かっていた。
「篭手さん、私は雲さんと一緒に店の前に先回りしています」
「わかりました。富田さん、松井さん、私たちはこのまま尾行を続けます。いいですか?」
「もちろん」
「あっ、角を曲がってしまったよ。私たちも急ごうか」
彼らは二手に分かれ、五月雨江と村雲江は店への近道を走った。
姿が見えなくなったたちを追うべく、篭手切江らも慌てて後をつける。に気付かぬほどのわずかな隙に、稲葉江は彼らを振り返ってため息をついていた。
と稲葉江が店に入るのを見届けてから、五月雨江たちと篭手切江たちは合流して入店した。店主の妻らしき婦人は五月雨江と村雲江の顔を見ると、待ちかねたと言わんばかりにぱあっと表情を明るくする。
「いらっしゃいませー……あら! 先日はどうもありがとうね」
「こちらこそ、今日は無理を聞いていただきありがとうございました」
「いいのよ、そんなの。またいらしてくれて嬉しいわ」
彼らは既知の間柄であるらしい。五振りは店内の案内された席に着き、「お茶と団子を五人前いただけますか」と注文する。
皿に盛られた団子は見るからに五人前以上で、サービスされたのが明らかだった。
「それにしても、よく前日に予約が取れたね」
「実は先日、この店に入った泥棒を雲さんと共にひっ捉えたのです」
「それで、普段はお得意様にしか貸してない個室を開けてくれたんだ」
村雲江は待ちきれない様子で団子の山に手を伸ばした。
この店は前庭に立派なモミジの木とツツジが植えられている。そこだけでも見応えのある美しい光景だが、奥には庭付きの個室があるそうだ。
五月雨江と村雲江は先日、謝礼としてその席に通してもらった際に見たその景色を甚く気に入っていて、この場所ならきっと安らげるだろう、と提案したのだった。店に連絡したところ恩人たっての願いなら、と快くたちに特別な個室を貸してくれたというわけだ。
「この団子は美味しいね。加賀っ子たちへの手土産にしようかな」
「僕も融通を利かせて貰ったし、歌仙とお小夜に買って帰ろう」
「お留守番してくれているりいだあと桑名さんにも食べさせてあげたいですね」
個室の様子は窺えない。五振りは尾行していることも忘れて、美味な団子に舌鼓を打った。
一方その頃、稲葉江とは咲き乱れる美しいツツジとそれに光のコントラストを齎す青紅葉に圧倒されていた。
美しく雅な光景だが、聊か不釣り合いだ。何がって、ふたりの関係に。
見合いか逢引にしか使わないような格式高い間に通され、は狼狽えていた。この場所へ通してくれた給仕の顔を見るに、間違いなく恋人同士だと思われている。男女がこんな場所へ来たのだからその誤解もやむなしだろう。
ただ仲直りをするだけのはずでは? やりすぎだよ歌仙! とははじまりの一振りに冤罪をかけた。
景色は美しい。出された甘味もこれまで食べた中でも五本の指に入りそうだ。それでも、隣にいるのが仏頂面の稲葉江であると言うだけで全てが色褪せて感じた。
彼がどう考えているのか、その無表情からは窺えない。何を思って連れてきたのか、誰かのお節介に付き合わされているだけなのか。
はただ黙り込んで上品な餡子の甘さを舌で感じていた。
「……昨日は」
「はいっ!?」
稲葉江から話を切り出されると思わず、こんな状況でも味わわなければ失礼か、とあんみつに集中していたは肩を跳ねさせて大きな声で返事をした。
稲葉江はバツが悪そうに木匙を咥えたままの彼女に視線をやる。
「言葉が過ぎた。お前の気持ちを汲み取りきれなかった我にも非がある」
「えっ」
「許せとは言わん。ただ……自信を損なうな。努力は認めている」
はぽかんとして、しばらくその険しい顔を見つめていた。
嫌々言葉を捻り出した、というより、自分の意図が伝わっているのか自信がないのだろう。そんな気持ちが見て取れる、苦悩の浮かぶ顔つきだった。
彼の言葉は虚飾を嫌う。口数は少なく、言葉遣いは端的で鋭い。けれど、それらは全て真実だ。
嘘偽りない彼の本心で褒められて、は目頭が熱くなった。自信をなくした自分ごと包まれているような、そんな気持ちで胸がいっぱいになる。
「……ごめ、じゃないね。ありがとう。情けないところ見せちゃったのに」
「……」
「稲葉も私のこと、思って言ってくれたんだよね」
返事はないが、肯定だろう。そう判断したはお椀の中のあんみつに視線を落とした。その口元は、緩く弧を描いている。
柄じゃないだろうに、彼がわざわざこんな場所にまだ連れてきてくれたこと。口下手ながらに言葉を尽くしてくれたこと。それから、きっとこの時間を画策して用意した本丸の誰か。その全ての気持ちが温かく、彼女の胸に沁みていった。
ここまでしてもらえるような主なのだから、胸を張るべきだ。そうでなくては、彼らの伝説に傷がつく。今の主は、自分なのだから。そう思うと心がスッと晴れていくのを感じた。
「これからも頼りにしてるから」
そう微笑みかけると、稲葉江の表情が僅かに穏やかなものになる。凝視していなくては気が付けないような些細な変化だ。それが嬉しくて、は「へへへ」と気の抜けた笑みを漏らした。
「ところで、このお店は誰の紹介? まさか稲葉が知ってるはずないもんね?」
「無礼な。……と言いたいところだが、五月雨の紹介だ」
「歌仙じゃなかったんだ。五月雨かぁ、さすがだね。季語がいっぱいある」
心のつっかえが取れ景色も楽しめるようになったは、改めてまじまじと庭園を見た。
青楓と躑躅色が鮮やかで目に眩しい。隣に座る男が一切の色彩を欠いたような色合いなので、それとの対比にくすくす笑った。
「稲葉、お茶だけでいいの? あんみつ美味しいよ。一口あげる」
「いらん」
「そんなこと言わずに」
「…………」
が無理矢理匙を稲葉の口に押し当てると、彼は渋々口を開いて甘味を受け入れた。「どう? 美味しいでしょ」と綻ぶような笑顔を見せる彼女に、「……甘い」と無愛想に返す。
があんみつを食べ切ったところで、給仕の女性が部屋を訪ねた。
退店を促されるにはあまりにも早い。こんな立派な個室なら借りられる時間も短いのだろうか、と思っていると、驚くほどに立派な甘味の盛り合わせが運ばれてくる。
「あの、頼んでないです」
「いえ、お連れ様からで……」
お連れ様? とが見上げた先、稲葉江は首を横に振った。
まさかと思いが「それって、紫陽花みたいな綺麗な髪の男の人ふたりですか」と訊ねると、給仕は「その方々と、あと三人いらっしゃいました」と答えた。
「さすがに一人では食べきれないなぁ……。稲葉、手伝ってくれる?」
「甘味は好かん」
「だよね。……すみません、その連れってここに呼んでもらうことできます? あと、お茶もう一杯ください」
給仕は頷いて下がっていく。しばらくして個室にやってきた五振りは「仲直りできたみたいですね」とたちの柔らかくなった雰囲気から察したようだった。
「ふたりじゃこんなに食べきれないよ。稲葉、甘いの苦手だし。みんなで食べよう」
「俺まだ食えるよ」
「雲さん、食べ過ぎには気をつけてくださいね」
「美味しそうだ。私も頂こうかな」
ひとりでは到底食べきれない量の甘味は、六振りで囲めばあっという間になくなってしまった。
この店の甘味の味に感動したは本丸の刀剣全振り分の団子をお土産に購入した。深々と頭を下げる店主にまたいらしてくださいねと丁寧に見送られながら、と六振りは刀剣たちの待つ本丸へと帰っていった。
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