というのは平凡極まりないどこにでもいるような平和ボケした小娘で、伝承を肉付けして人の身をくれてやるから異形と戦え、と呼び起こされたはずのへし切長谷部は困惑した。 これまで彼を所有した名だたる武人とは似ても似つかぬ細腕は、彼を振えぬほどの虚弱なものだったが、それでも彼はどこまでも『物』で、所有されているというだけで彼女に情を抱いたし、刀剣男士として、家臣としての働きぶりを認められれば、天にも昇る心地だった。 自身がそう感じるということは、他の刀も同じことだろう。ならば最も使える刀は自分であることを成果を以て示し、そばに置くに相応しい刀はこのへし切長谷部を置いて他にあり得ないと思わせるほかない。そういった信念で、彼はによく尽くした。 日々増え続ける新たな刀に気を取られるを見るたびに、彼の心を黒い物が蝕む。けれど、幾度も繰り返すうち、それすらも飲み込めるようになった。新参者の刀がどれだけ華やかであろうと、長きに渡り主を最も近くで仕えてきたのはこの俺だ、という自負が彼を支えていた。 「もう長谷部がいないと何も出来ないかも」 冗談交じりにが笑ったあの日を、へし切長谷部は忘れられない。 「ご安心を、地獄までお供致します」 そんな言葉を平静を装って返したが、その顔は到底人には見せられないものだった。 情、好意、忠誠心——すべてが混ざり合って、それはもはや執念に近い。手放してやるものか、と彼は思う。 握れる手を、追える足を与えたのは他でもない彼女だ。忠義を以て尽くし何事も怠らずにいれば、きっと永久に使ってもらえる。へし切長谷部は、そう信じ切っていた。 「審神者殿は本丸を去られました」 斬った管狐の数は百を超え、それでもへし切長谷部の留飲は下がらなかった。何度も同じことを告げるだけの畜生を模した伝達役は次から次へと替えが現れ、きりがない。 気が付けば彼は手入れ部屋で眠っていて、恐らく身内につけられたであろう傷は癒えていなかった。当然だ、手入れをするがいないのだから。そのことを実感し、彼は泣いた。 理由は、明かせないという。複雑な事情が絡み合い、彼女は審神者を辞めた。自分の意思だったのか、強制された辞職だったのか、それすら不明なままだ。 刀剣男士らは移籍か刀解、二択の選択を迫られ、それぞれを選んだ。へし切長谷部は他所への移籍を希望し——そのまま、本丸を後にした。 手段は問わない。形はなんだっていい。ただとにかく、知りたかった。 なぜ彼女が本丸ごと自分を捨てたのか。捨てざるを得ない事情があったのか? ならばどうして、相談もしてくれなかったのか。これまで積み重ねてきた信頼はそれに足りないものだったのか。なぜ、何故—— が話した一言一句を、へし切長谷部は覚えている。忘れようもない。些細な一言も聞き漏らさず、彼女という人物を理解し、求められる前に応える。それが彼にとっての当然だったからだ。 生まれ育った地のこと、趣味嗜好、言葉の選び方、僅かな訛り——全ての情報から、の今の居場所を推測する。生きているかさえ分からない、今代の主をへし切長谷部は追い続けた。 最初こそ彼女の身を案じていたへし切長谷部だが、時が経つにつれて執着は黒く濁り、憎悪に似た感情が生まれていった。なぜという自問自答に、黒い影が答える。お前が役立たずだから捨てられたのだ、と。 死んでいたって構わない。探す場所が現世から地獄へと変わるだけのこと。数年が経って、もはや何のために彼女を探しているのか、へし切長谷部は見失っていた。 けれど、それをやめることなど今更出来ない。彼の魂は変質し、本霊にかえることは叶わないだろう。執着だけを糧にたったひとりを探し続ける姿は、妖怪か悪霊そのものだった。 そうして数十年が経ち——ついに、へし切長谷部はを探し当てた。経った年月分年老いているが、けれど彼が見間違えるはずはない。そこにいるのは紛うことなき、本人だった。 ——主、俺がいないと何も出来ないと仰ったのは嘘だったんですか。あの時、俺はどれほど嬉しかったか。この先一生、主の肉体が朽ちるまで——いや、朽ちてもお側にいるつもりだったのに。使ってさえ貰えれば、どんなことにも手を染める覚悟があったのに。どんな思いで俺があなたを探して回っていたか、少しも知らないでしょう。その間もあなたはたったひとりでのうのうと、俺のことなど忘れて生きていたのでしょうね。俺無しで。俺がいないとだなんて言ったくせに。あんなことを言われていなければ、俺だってもう少し聞き分けのいい従者であれたかもしれないのに。あんな言葉で俺を縛るから、俺は、俺は—— 「……長谷部?」 濁流のような思考を、たった一言が打ち止めた。 鼓膜の奥で幾度も反芻したものよりずっと落ち着いた声色だが、響きはまるで変わらない。彼の知るものと全く同じ、澄んだ瞳がへし切長谷部を見据えていた。 「もしかして……探しに来てくれたの?」 あの頃、役目を果たした彼を褒めてくれたときと同じ口調だ。目尻に重なった皺以外は何も変わらぬ笑顔が、へし切長谷部に向けられる。 平和ボケした、気の抜けた笑顔だ。精神も肉体も擦り減らし、そこまでして追い求める存在になぜ容易く笑いかけられるのか、彼は理解できない。理解できないから——ここまでたらし込まれてしまった。 再び彼女に逢い見えたら、何と言おうか。へし切長谷部はずっと考えていた。 ずっと疑問だったことを訊ねるべきか、捨てたことへの恨み言を吐くべきか。鬱々とした思考の中で時が経つにつれ彼女を責める言葉ばかりが浮かぶようになったが、いまのへし切長谷部の頭にはたった一つしか思い浮かばなかった。 魂も肉体も変質した自分を見て、一目で己に気付いてくれた。自ら声を掛け、喜ばしげに微笑んでくれた。それが、全ての答えである気がしたのだ。 「もう一度、一目でいいのでお会いしたく。ここまで追いかけて参りました」