「……うん、うん。こっちは大丈夫だから心配しないで。ごっち……後家のこと頼んだよ。それじゃ」 通話を切断して、は耳元からスマートフォンを離す。その動作を見て、姫鶴一文字がの顔を覗き込んだ。 「大丈夫そ?」 「うん。とりあえず向こうは問題ないって」 「そ。まーごっちんいるなら大丈夫っしょ」 「そうだね」 二つ並んだベッドが部屋のほとんどを占めるこの場所は、ビジネスホテルの一室だ。扉側のベッドに姫鶴一文字が、奥のベッドにが腰掛け、ふたりは向かい合っていた。 はリモコンに手を伸ばし、テレビをつけた。 画面に映し出されたのは、真っ白に染まった大都会の街並みだ。この日、都市部は前例がないほどの大雪に見舞われていた。その影響で交通が麻痺し、と姫鶴一文字は近場のビジネスホテルに一泊する羽目になったというわけである。 「すごい雪だね」 「主はあんま馴染みないんだっけ?」 「うん。実は本丸に来るまで、積もってる雪って見たことなかったんだよね……。姫鶴は見慣れてそうだね」 「ん、上杉の領地にいれば毎年のことだからねー」 カーテンを少しだけめくって窓を覗くと、外はテレビに負けず劣らずの雪景色だ。予報では明日の朝までこの雪は続くとのことである。 「心配?」 「え?」 「ごっちんと妹」 窓に映った姫鶴一文字がに向かって問いかけた。は振り返り、首を横に振る。 先ほどの通話でこちらの状況を伝えたとき、妹は不安がるどころか滅多にない大雪にはしゃぐ素振りさえ見えた。ついいつまでも子供扱いしてしまうが、彼女は次の春から立派な新社会人である。定期的に帰省しているといってもここ二年は一人暮らしをしていて、審神者が気を揉む必要はなかった。 護衛として帰省に何度か帯同したことのある姫鶴一文字は、その状況をよくわかっているはずである。そんな彼がわざわざ訊ねたのには、別の意図があった。 「んな顔してたらさ、気になって気になって仕方ないですって言ってんのと一緒だからね」 「べ、べつに普通だし」 「顔真っ赤。かあいー」 「もう! やめてよ!」 は近くにあった枕を引っ掴み、姫鶴一文字に投げつけた。姫鶴一文字は笑いながらそれを腹の前で受け止めて、ゆるりとした弧を描いてに投げ返す。枕はぽすんとの腕の中に収まり、彼女はそれに顔を埋めた。 「そりゃ気になるよ? 当たり前じゃん。だって一晩二人きりなんだよ? 何にもないってわかってるけどさ、もし帰って私の知らない間に仲良くなってたらどうしたらいいの? ごっちんのことだから主の妹に手出すわけないって信じてるけどさ、妹はわかんないじゃん? それで妹がアピールしたら? 好きになっちゃうよね? だってかわいいもん。好きになっちゃうじゃん!」 「めっちゃ喋んね」 「家帰ったときふたりの距離が縮まってたらどうしよう……」 ひとしきり喋ったは、枕に顔を埋めたまま転がるようにベッドに横になった。姫鶴一文字はのマシンガントークがツボに入って、声を上げて笑っている。他の一文字の刀がいる前では、滅多に見せない顔だった。 「姫鶴笑いすぎ」 「ごめんって。はー、ほんとおもろい、主のごっちんマシンガントーク」 「こっちは真剣なんだけど!」 が枕から目元だけ覗かせて姫鶴一文字を睨むと、彼は指で目元を拭っていた。心底愉快で仕方がないといった様子である。はへそを曲げて、寝返りを打ち姫鶴一文字に背を向けた。 の母は幼い頃に他界し、父も二年ほど前にこの世を去った。現世に取り残されたの妹は持ち家の一軒家にひとりで暮らしている。広いあの家でひとりきりでは寂しいだろうと、は頻繁に帰省していた。 そんな住み馴染んだ生家を、妹の就職を機に手放すことになった。 家にはまだ父の遺品が残されており、不要な家具の処分も含めると妹の手に余る。は一週間程度の時間を作って、後家兼光・姫鶴一文字の二振りを連れて実家へと帰ってきた。 今後のことは、不動産業に詳しい叔父に任せることになっている。今日は多忙な彼から話を聞くために、姫鶴一文字と共に都市部へとやってきていた。 雪の予報は前日から報じられていて、本来であれば夕方には帰る段取りだった。しかし予想外に話が長引いて、ふたりは帰りの足を失ってしまった。 叔父の元へ向かうと引き続き家での作業を進める妹の二手に分かれることになったとき、後家兼光を置いて家を出たのは、妹が彼に懐いているからである。刀派らしくあることを嫌う姫鶴一文字だが、根の柄の悪さは払拭しきれないらしく、妹は少しだけ姫鶴一文字を怖がっている素振りがあった。としても、気心の知れた姫鶴一文字と過ごす方が気楽であったので、彼を連れて出たのだった。 その結果、想い人と妹がふたりきりで一夜を過ごす状況が生まれてしまった。 こうなることが最初から分かっていれば——は今隣にいるのが後家兼光だったら、と想像してみた。 仮に後家兼光と共に帰宅難民になったとしても、きっと今と同じように一泊しようなんて言い出せなかっただろう。同じく立ち往生している人のことを考えて今回はツイン一室を借りたが、恋い慕う相手と同じ部屋で一夜を過ごすだなんて、想像するだけで心臓が破裂してしまいそうだ。むしろ、妹を心配するふりを装い、無理にでも帰宅しようとするかもしれない。 などと考えを巡らせているうち、は今の状況が最良だったように思えてきた。再び寝返りを打って姫鶴一文字の方を向くと、彼とぱちりと目が合う。 「主、お風呂はいる?」 「入る……」 「ん、用意してくる」 雪のこと、家に残したふたりのことに気を取られ忘れかけていたが、権利やら法律やらの難しい話を一日中聞かされ、は疲労困憊だ。現世にいられる期間は限られていて、明日からもやらなければならないことが山積みである。少しでも頭と体を休めなくてはならない。は姫鶴一文字の言葉に甘えることにした。 こういう時に気兼ねなく過ごせる相手と一緒で良かった。はしみじみそう思い、浴室へと消えていく姫鶴一文字の背中を見送った。 [newpage] が後家兼光への恋心を自覚してから——否、それよりずっと前から、姫鶴一文字は彼女の後家兼光への気持ちに勘付き、ふたりを見守っていた。 面白いのだ。今代の持ち主で、居心地のいい巣の主が分かりやすく恋慕している様が。 審神者として、立派に務めを果たそうとあくせく小さい体で働く傍ら、時折ぼーっと綺麗な花でも眺めるように、後家兼光にきらきらした眼差しを送っている。後家兼光の隣にいた姫鶴一文字がそれに気付かぬはずがなかった。 そして更に面白いことに、後家兼光の方もに特別な想いを抱きながら彼女の熱視線には気付いていないのである。 愛の戦士を名乗り、懐に入れた相手を特別大事にする男だ。のことも大切に思っているようだったが、姫鶴一文字に言わせると後家兼光がに向ける愛とやらは上杉の面々に向けるものとは形が異なっている。しかし本人はそれをあまり自覚していないらしく、あくまで忠誠心だと思い込んでいるようだ。 そんなふたりの関係を傍観しているうちに、姫鶴一文字は情が湧いてきた。 彼としても、居心地の良い巣を守り続けるためにもには長生きしてもらわねば困る。後家兼光に彼女の傍を任せるのは、そういう意味でも理にかなっていた。 そして、ふたりの関係に勘付いているのは姫鶴一文字だけではなかった。本丸発足初期から彼女を支えてきた長船派の燭台切光忠と、姫鶴一文字と同じく上杉一派で一文字の頭、山鳥毛である。 彼らはそれぞれに強い庇護欲を抱き、姫鶴一文字に言わせれば『父親ヅラ』をしていた。半端な男と結ばれることをよしとせず、初の頃の燭台切光忠に至っては彼女に気のある同業者の虫除けをやっていたという話が語り継がれている程である。 そんな彼らも後家兼光ならばを任せて不足なしと認めたらしく、長船派と一文字一派は揃ってその恋路を見守っている。暑苦しいほどの熱気を放つ野次馬に、当人らが全く気付いていないのが、姫鶴一文字は不思議で仕方がなかった。 今回の帰省の帯同者に姫鶴一文字と後家兼光の二振りが選ばれたのも長船、一文字からの強い勧めがあったからだ。出立前に山鳥毛に「小鳥を頼んだ」と強く肩を叩かれたのも、そういうことである。 狭いバスルームで湯を張りながら、姫鶴一文字はの生家に思いを馳せた。 ホテルへの宿泊を決める前に、帰りが遅くなるから夕飯は先に食べておいてほしいと伝えている。ならば今頃、その後片付けをしている頃合いだろう。 彼女の妹は無邪気で、父と歳の離れた姉に甘やかされて育ったのがよくわかる性格をしていた。謙信景光や五虎退を可愛がっている姫鶴一文字には、その気持ちがよくわかる。かぁいい子には、世話を焼きたくなるのだ。妹を愛おしくかわいらしい存在だと思うからこそ、はあんな不安に襲われているのだろう。 だが、姫鶴一文字からしてみれば哀れなのは後家兼光の方である。 現世に滞在している間、姫鶴一文字と後家兼光は共にリビングに布団を敷いて眠り、妹は普段通り自室で過ごしている。しかし、今夜と姫鶴一文字は同じ部屋、すぐそばのベッドで過ごすのだ。 が電話口で直接話したのは妹で、今の状況がどのように彼に伝わったのかまでは定かではない。けれど、気が気でないはずだ。惚れた女が、異性と一晩を共にする。自分が後家兼光の立場なら、無理を通してでも殴り込み——ではなく、迎えに行っていただろう。姫鶴一文字は思った。 今頃、煮えたぎる嫉妬心が信頼という重石をひっくり返しそうになるのを、下唇を噛んで耐えているに違いない。愛とか大切なものを守りたいだとか、綺麗な言葉で欲を抑えつけ続けている彼の我慢の限界は目前だ。 の前ではおくびにも出さないが、あれで後家兼光は戦場では短気な男だ。身内が傷を負えば仇を追って、引き際を失うことだって珍しくはない。 停滞し続けたこの関係も、今夜を機にようやく変化が起こるかもしれない。ユニットバスの鏡に映る姫鶴一文字の表情は、楽しげに笑みを浮かべていた。 [newpage] 「お姉ちゃんたち、今日はホテルで泊まるみたいです」 「そっか、この雪じゃ仕方ないね」 「だから早く帰ってきてって言ったのに……」 炊飯器のご飯にラップをかけて冷蔵庫に移しながら、後家兼光は苦笑した。 の妹は顔は姉によく似ているが、性格は正反対だ。何かと気負いがちな彼女と比べて素直で思ったことを口にする。そういう無邪気なところをは可愛がっているらしく、傍目に見てもふたりはとても良い姉妹だった。 の妹は後家兼光に状況を伝えると、二階の自室に引っ込んだ。 この家に滞在して四日目になるが、風呂に入ってからは「すっぴん見られたくない」と言って部屋にこもっているのが常である。口を滑らせてもそれを指摘してくれる者がいない今、ひとりでいる方が彼にとっても都合がよかった。 昨日の同じ時間、リビングで一緒に過ごしていたと姫鶴一文字は、雪の向こう側だ。残った二人分の夕食を冷蔵庫に仕舞った後、後家兼光は皿洗いに着手した。 女の子の一人暮らしらしい動物型のスポンジを濡らして洗剤を出して揉むと、白い泡が立つ。それが不思議と雪に見え、その奥に大小二つの人影が見えた。 大きな影が小さな影を抱き寄せ、なにかから隠すようにすっぽり体を包み込む。後家兼光の苛立ちを受け止めて、スポンジは無惨に形を変えた。 大きな手の内側でくしゃくしゃになったそれが目につき、後家兼光はハッとする。シンクに溢れた泡が流れている。汚れた皿を片手に取り、スポンジで磨いた。頭の中では、まだ二つの影が寄り添っていた。 後家兼光は己の気持ちに戸惑っていた。 かつての主が育んだ愛、上杉家への愛、仲間への愛。愛とはなんたるか、この本丸生活を通して彼は少しずつ理解を深めた気でいた。 に向ける感情も、同じく愛である。飢えることなく、健やかに幸せで、いつも笑っていて欲しい。そう思える存在を守りたい。それが、彼の中での愛だ。 しかしいま、後家兼光の腹の中でぐつぐつと煮え沸る感情は、そんな暖かい物ではない。 不安、嫉妬心、独占欲。どす黒く、人にとても見せられないような醜い感情が、どれほど強く願っても消え失せてくれなかった。 そして何よりも信じ難いのが、嫉妬心を向ける先が守りたいと願う仲間の一人である姫鶴一文字だということだ。なんの恥じらいもなく、心から信頼しあっていると言い合える仲だというのに、大切な存在であることに違いないのに、二人が寄り添って笑い合っている様を想像すると腑が煮えくり返る。そんな自分が恐ろしくて、理解できなかった。 仲間や守るべき存在と同じく、彼女を愛している。その言葉に偽りはない。ならば、何が違うんだろう。 お腹いっぱい食べて、毎日笑って幸せに過ごしているのを見守るだけではいいはずなのに。彼女のことを思うと心が満たされる反面、どこかが飢えていく感覚がある。他とは違うなら、この気持ちは一体—— 「……あ、やば」 手元で小さな音がして、後家兼光は視線を落とした。白い泡の中に赤色が混じっている。丸い皿は真っ二つになっていた。 水で泡を洗い流すと、手のひらには一筋の切り傷ができている。「手入れができないから怪我には気をつけて」と、大型家具を運び出す際にに言われたばかりだ。 なんと言い訳をしようと考えながら、後家兼光は傷を水に晒したままでいた。ヒリヒリとした痛みが、邪心溢れた己を慰めてくれているように感じて心地よかった。 「ただいまー」 翌朝午前十時頃、と姫鶴一文字は積もった雪を用心深く踏みしめながら帰宅した。 昨日途中だった家具の解体の手を止め、後家兼光は玄関で出迎える。ふたりは昨日と変わった様子は見られなかった。 「おかえり。朝ごはんは?」 「ホテルのモーニング食べてきちゃった。え、まさか用意してくれてた?」 「一応ね」 「ご、ごめん! 今日のお昼に食べる!」 「昨日の晩御飯もあるよ」 「そちらも後ほど頂きます……」 が申し訳なさそうにする隣で、姫鶴一文字がじとりと後家兼光を睨んだ。罪悪感を植え付けるようなことを言うなと主張している。後家兼光はそれに見て見ぬ振りをした。 階段を降りてくる小さな足音が聞こえ、がリビングへと向かう。その背中を視線で追う後家兼光の肩を、姫鶴一文字が強く叩いた。 「どーした、おつう」 「いやどーしたはこっち。ごっちんさ、その顔やめな。怒られてると思って主びびってたじゃん」 「…………」 あまりご機嫌な顔をしていない自覚はあった。後家兼光は眉間を揉み、ため息を吐く。姫鶴一文字に肩を叩かれて、ようやく呼吸が出来るようになった気分でいた。昨晩知らせを受けてから、内側で渦巻く後ろめたい感情が臓器を全部塞いだみたいに息苦しくて堪らなかったのだ。 「……おつう」 「なに?」 「昨日、なんもなかったよね」 断定系で訊ねた後家兼光に、姫鶴一文字はあえてすぐに返事をしなかった。焦らされて耐えかねた後家兼光が、「おつう」と小さく名前を呼んで催促する。 「風呂上がったら髪の毛濡らしたまま爆睡。心配なら本人にも聞きな」 「………………………うん」 自分でも驚くくらい大きく脈打つ心臓を深呼吸で押さえつける。後家兼光が髪をかきあげると、手のひらに痛みが走った。結局あの後ろくに手当もせず、自然に血が止まるのを待ったのだった。 手のひらに目をやると、傷はほとんど塞がりかけていた。隣にいた姫鶴一文字もそれに気付き、「ダサ」と一言吐き捨てた。 「んな動揺するなら最初から唾つけとけよ。長船ぶらざーずなんだから、そういうの得意だろ」 「お恥ずかしながら昨日気付いたものでして」 「ダサすぎて言葉がねぇわ」 後家兼光は姫鶴一文字の背中を叩き、らの話し声が聞こえるリビングへと向かった。