私のためだけの殺人鬼

以下の要素を含みます。

・後家の嘔吐描写
・夢主の性被害を匂わせる描写

 誰もが認めるおしどり夫婦の元に生まれた影響か、幼いころから恋への憧れは人一倍強かった。  けれど、憧れと人を好きになる才は全く別のものだったらしい。父さんが母さんを愛するように、ボクもいつか心から愛おしく思う人に出会えると信じていたけれど、結局それらしい人に巡り合うことはなかった。  好きだと言ってくれる女の子は何人かいた。いつか愛が芽生えると信じて応えてみても、それも長くは続かない。偽りの愛を見透かされては「もういい」と別れを切り出されて、次第に恋愛自体が億劫になっていった。  友達の惚気を聞いたり知人同士の関係を取り持ったりするのは好きだ。幸せそうに愛を噛みしめる様子を見ていると、ボクまで胸が温かくなる。だけど「後家も彼女作れば?」と話を振られてはぐらかすたび、胸が痛んだ。  そんな折、ボクは同じ大学に通うちゃんという女の子に出会った。  共通の友人が多くて、よく名前は耳にしていた。だけど顔を合わせる機会に恵まれず、初めて対面したのは大学二年目の夏だった。  噂を聞いて抱いた印象通りの柔らかい雰囲気の子で、人の良さが表情に出ている。頼まれてなくても何かしてあげたいと思うような雰囲気をまとっていて、目立つ容姿をしているわけではないのに自然と目が引かれた。素直に、かわいい子だと思った。  付き合いで作ったろくに更新もしないSNSで繋がって、ボクらは校内ですれ違っては挨拶をする程度の、友達とは呼ぶには少し遠い仲に収まった。  異性が苦手なのか、あまり目を合わせてくれない。同性の友達と話す時はよく笑うけれど、ボクに対しては怯えを誤魔化したような不安げな顔で接する。身体が大きい分子供や女の子に怖がられることには慣れていたけれど、なぜだかちゃんにそうされると苦しかった。  所作が特別洗練されているわけでも、食いっぷりが良いというわけでもないのに、ちゃんが食事をしているところを見ると胸が満たされた。ボクの前で笑っているのがおいしいものを食べているときだけだったからかもしれない。彼女の姿を思い出すとき、頭に浮かぶのは幸せそうに食事をしている姿だった。  ボクが料理を振る舞う機会に、「後家くんって料理上手なんだね、おいしかった」と滅多に見せない柔らかい表情で見上げてくれたことが、今でも忘れられずにいる。その頃にはすでに、どうしようもないくらいちゃんのことが好きになっていた。  怖がられているのは分かっていたから、少しでも警戒を解きたくて、時間をかけて距離を詰めた。おつうには「必死すぎ」と馬鹿にされたけれど、どんなにかっこ悪く見えたってよかった。その甲斐あって半年後には目を見て話してくれるようになって、一年後には同性の友達と同じように笑いかけてくれるようになった。  それだけで幸せだったのに、近づくほどに欲深くなっていく。真っ向から彼女に愛を伝えられる立場が欲しくなった。  ほかの誰より先にボクを頼って欲しい。一緒に居たい。幸せにしたい。  ふたりで出かけるくらい親しくなって、ボクは早々に思いを伝えた。ちゃんからの返事は、「大学を卒業するまでは誰とも付き合うつもりはない」というものだった。 「卒業したら、もう一回告白してもいい?」  そう訊ねたボクに、彼女は目を丸くして驚いていた。  体のいい断り文句を言葉通り真に受けて、迷惑な男だと思われても構わない。万が一彼女がストレートで卒業できなくても、いつかチャンスが巡ってくるというなら何年でも待てた。  しつこく縋るボクに、ちゃんは小さく頷いた。  よかった、嫌われてるわけじゃない。  その安堵で、体からどっと力が抜ける。思わずその場にしゃがんで、手で顔を覆った。 「後家くん、……ごめんね」 「なーんでキミが謝るのさ」 「……」  顔を上げると、ちゃんは今にも泣き出しそうな顔をしていた。  こうして顔を見上げたのは初めてで、俯きがちな彼女の見慣れぬ表情に困惑する。こんな顔をさせたいわけじゃなかったのに、自分勝手に突っ走ってしまったことを後悔する気持ちと、気持ちを伝えたことの達成感が、胸の内で複雑に渦巻いていた。  以前から相談に乗ってもらっていたおつうに告白の結果を伝えると、おつうは励ますでも笑い飛ばすでもなく視線を泳がせた。  ボクもおつうも、自慢じゃないが互いを腹を割って話せる仲だと自負している。らしくない反応を不思議に思って首を傾げ、「なんか言いたそうだけど?」と理由を聞いても、おつうは頑なに話そうとしなかった。  一週間後、ある教室で顔見知りの男子たちが輪になっているのを目にした。  ただならぬ気配を感じて、何か事件でも起きたのかと様子を窺うと、ボクに気付いたそのうちの一人が「後家もこいよ、いいもん見せてやる」と手招きする。ボクは誘われるままに輪に加わった。  人の壁で覆い隠すようにして彼らが囲んでいたのは、一台のスマートフォンだ。こぞって食い入るようにして、ある映像を観ていた。  手のひらサイズのディスプレイの中の景色は薄暗く、その映像は規則的に揺れていた。不明瞭で、一見しただけでは何が起きているのかわからない。注視すると、そこに映っていたのは信じがたい光景だった。 「……え?」  着衣を乱したちゃんが、苦悶の表情を浮かべる姿が映し出されていた。  声にならなかった息が喉で掠れる。スマートフォンを持つ男が、得意げに動画の出所を仄めかしていた。  下品なささやき声に眩暈がして額に手を添えると、滲んだ汗で指の腹に額の皮膚が吸い付いた。衝撃のあまり立っているのが精いっぱいで、何も言葉が出てこない。輪のうちの一人が下卑た笑みを浮かべ、ボクに話しかけようと口を開いた。  それと同時に、きゃいきゃいと盛り上がる女の子たちの声が近づいてくる。スマートフォンの持ち主は「やべ」と言ってあわてて電源ボタンを押してスリープ状態に切り替えた。  輪は何事もなかったかのように散らばって、ボクは女の子の集団と入れ違いに教室を出た。なりふり構わずトイレの個室へと駆け込み、便器の中に胃から迫り上がってきたものを吐き出す。食べたばかりの昼食が、胃液と混ざって口の中を汚した。  トイレの薄汚れた白い壁に目が眩んでチカチカする。先程目にした絶望的な光景とボクに見せてくれたかわいい笑顔が重なって、また吐き気を催した。  やり場のない怒りで目の奥が熱くなる。眼球が燃えているみたいだ。腹の中身も息も何もかも吐き出して、それでも体の内側に気持ち悪いものがパンパンに詰まっている気分だった。  髪の色も長さも今とは違うが、見間違えるはずがない。動画の女の子は、間違いなくちゃんだった。  これまで不思議に思っていた点と点が頭の中で結ばれて、嫌な想像が広がっていく。これだけ共通の知り合いがいて会うことがなかったのも、出会った頃の怯えた様子も、おつうの煮え切らない態度も、告白を断られた理由も、すべてはあれが原因だったのだと考えると全てに納得がいった。  咄嗟に反応できずにいたせいで、あの場で取り乱したり、怒りで我を失って余計なことを口走らなくてよかった、と思った。口を拭って息を整え、個室を出る。  手を洗って顔を上げ、鏡を見た。人殺しのような顔をした男が、ボクを睨んでいた。  ◆  インターホンの音を耳にして、姫鶴はソファから腰を上げた。オートロックのモニターもろくに見ずに玄関へと向かい、扉を開ける。すると、目の前にサスペンスドラマから飛び出してきたような物騒な顔つきをした大男が現れた。 「…………」 「おつう、ごめん。急に」  幼馴染の後家である。ついさっきまで降っていた通り雨によって、つむじからつま先までびっしょりと濡れていた。廊下の天井に等間隔に並ぶ照明に照らされ、なんとも不気味だ。  しかしそれ以上に、特筆すべきは彼の顔だ。作り笑いはあまりに歪で、瞳孔が開き切ったブルーグレーの瞳がぬらりと揺れている。家族よりも長い時間を過ごしてきた姫鶴ですら、その顔にぞっとさせられた。 「……なに、人でも殺してきた?」 「やーなこと聞く。まだ何もしてないよ」  後家が自嘲気味に笑う。  ——まだ、て。  突っ込みどころはいくつもあるが、彼の形相を見るに、茶化している場合ではなさそうだ。 「とりあえず上がれば? あ、待ち。先風呂な」  姫鶴は後家を部屋へと上げ、脱衣所へと押し込んだ。バスタオルと適当なスウェットを引っ掴んでからそちらへ戻ると、後家は既に上裸になっていた。水を吸って重くなった服を握ったまま、ぽたぽたと床に落ちる雫を焦点の合わない目で見つめている。 「ごっちん、着替え」 「ああ、……ありがと」  姫鶴に声をかけられ、貼り付けた笑顔で後家は応える。  ——相当キてんな、これは。  姫鶴はリビングのソファに座り直し、考え込んだ。  まず頭に浮かんだのは、後家が想いを寄せる女の顔だった。  彼女にまつわる下衆な噂が姫鶴の耳に入ってきたのは一年以上前の話だ。当時の姫鶴は彼女と一切関わりがなかったし、後家と彼女が親しいということを知った後も、この目で見たわけでもない不確定な噂で要らぬ不安を与えるものでもないと口を噤んで、記憶の彼方へ追いやっていた。  後家が肩を落として「振られた」と報告してきた時、姫鶴はふとその噂を思い出した。  話を聞く限り、例の彼女も後家のことを憎からず思っているのは間違いなく、全くの脈なしではなさそうだった。にもかかわらず振られてしまったということは、何か理由があるはず。『大学にいる間は』という言葉からも、[[rb:件 > くだん]]の噂を彷彿とさせた。  本人がどの程度自覚しているかは定かではないが、後家は相当想い人に入れ込んでいるようだ。彼女の噂を耳にしたのであれば——あるいは、直接目にしたのであれば。  日頃朗らなあの男らしからぬ、恨み以外の感情を忘れたような表情も腑に落ちる。  あれこれと勝手に推量立てていると、後家がリビングへとやってきた。  シャワーを浴びて頭が冷えたか、多少冷静さを取り戻しているようだ。剣呑な目つきは多少和らいで、代わりに不安が宿っていた。  後家は定位置である姫鶴の隣、ソファの上に腰を下ろした。 「お願いがあるんだけど」 「何? そんなかしこまって」  膝の上に乗せた腕に上体の重心を預け、前屈みになったまま手を握ったり開いたりして、居心地悪そうに話を切り出す間を探している。姫鶴が早く言えと仕草で促せば、後家は覚悟を決めたように瞬きを一つした。 「……おつうの叔父さん、紹介してもらえない?」 「日光くん?」  姫鶴の頭に、生真面目な眼鏡の大男の顔が浮かぶ。次に脳裏を掠めた派手な男を、無理やり思考から追い出した。 「いや、法律とかに強い方の……」 「うわ最悪、絶対嫌」  後家が指したのは、姫鶴にとって親戚の中で最も関わり合いになりたくない男だった 口をへの字に曲げ眉を顰めて全力で嫌悪を顔に示したが、後家は「お願い」と頭を下げて食い下がる。  ほかでもない後家の頼みだ。聞いてやりたいのは山々だが、姫鶴からあの男に連絡を取り、一通りうざったく絡まれるのが面倒だった。しかし、後家の深刻そうな顔を見るにそうこう言ってられる状況ではなさそうだ。  姫鶴の親戚には何故かやたら人相の悪い大男が多かった。地元ではヤクザだと噂され悪目立ちしているくせに、付き合いは良いものだから、姫鶴が幼い頃は親戚一同揃って学校行事に参加しては周囲を怯えさせていたものである。  実際のところ、社会的に関わりを持ってはいけない人種に分類される者は親戚にひとりもいないはずである。皆、上手く立ち回っているので。一応、まだ親族から逮捕者は出ていなかった。  ただ、こうして「紹介してくれ」と頼まれて、誰彼構わず連絡先を渡せるかといえば、答えは否である。特に、叔父——道誉の方は。  肩書はただの弁護士だが、さまざまな場所を渡り歩いた結果、怖いくらい多方面に顔が利くのだ。大学生のいざこざなど、彼にかかればあっという間に片付いてしまうだろう。それだけの力を持っている男である。  そういう男を、いま後家は頼らざるを得ない状況というわけだ。 「ごっちんさ、悪いこと言わないからやめときな。おれ、ちゃんと面会行くから。自首しな」 「安心して、警察の厄介になるとしたらボクじゃない」 「……はぁ」  頭に浮かんだ分岐のうち、いくつかの最悪な選択肢が消える。後家がそう言い切るということは、姫鶴が心配するようなことは起こらないのだろう。  姫鶴は額を指で叩きながら、あれこれと考えを巡らせた。  後家の力になってやりたいという気持ちは、叔父に連絡を取る面倒さを大きく上回る。しかしあの男の名前が出た以上、簡単に終わる話ではないのは間違いなさそうだ。そんなことに首を突っ込むなと言ってやるべきだとは分かっていても、あの後家の顔を見たら下手なことは言えない。  姫鶴はソファに背を預け、観念して「……わかった」と呟いた。 「すんのは紹介だけ。繋いだらおれは関わらないからね。あと、身内贔屓とかしない主義だから金はけっこー取られるよ」 「わかってる。なんとかする」 「……………」  姫鶴は大袈裟にため息をつき、ソファから腰を上げた。本棚の1番上、貴重品類を仕舞い込んだファイルボックスの隙間から、角の折れた名刺を引っ張り出し、後家に差し出す。  士業とは思えぬ派手な名刺だ。赤と黒の箔押しが仰々しい。そして本人の[[rb:形 > なり]]は、これ以上に派手である。  無理矢理押し付けられて、人の名刺だからと雑に捨て置くこともできず取っておいたのがこうして役に立つとは、まったく想像していなかった。こんな日が来てほしくはなかった。  後家は大事そうに名刺を手に取り、姫鶴に礼を言った。

【蛇足】
この後叔父貴パワーで事態が収拾したのち後家さには在学中に付き合うし、おつうを彼女に紹介したら自分の初対面の時と違ってあんまり怖がってなくて後家がモヤモヤする回とか大切&トラウマが心配でなかなか手を出せない後家とああいう映像が出回ったから後家がそういう気になれないと思ってる彼女がギスる回があってもいい
WaveBox
一覧へ