ただ愛ってだけ
本丸での生活に不満はなかった。上杉の面々と再会を果たし、皆が飢えずに毎日腹いっぱい飯を食べられる暮らし。田畑は先に顕現していた桑名江を中心に整備され、朝昼晩の食事は厨当番によって栄養・彩り共に文句なしの献立が組まれている。戦うために得た身ながら、笑顔が溢れる充実した日々を、後家兼光は楽しんでいた。
そんな彼には唯一、不満——とまでは呼ばないまでも、気がかりなことがあった。この本丸の長であるのことである。
すっと伸びた背筋が印象的な凛とした美しい娘だ。これだけの刀剣男士を従え、率いることに物怖じしない姿は、素直に立派だと思えた。
後家兼光が気にかかるのは、彼女の采配でも人柄でもない。効率主義というのか——そういう性分であるらしく、は瞬間的な判断よりも、数字や過去の実績を重視して編成を組み、策を選ぶ傾向にあった。それが戦や実務にだけ発揮されるならば、将のやり方として彼も飲み込める。
は、食事の楽しみ方を知らなかった。
本丸の献立は、戦場で刀を振う刀剣男士が十分に栄養補給が出来ることを基準に組まれている。本丸をほとんど出ることなく、激しい運動も行わないにとっては栄養過多だ。そのため、量を調整するというのは理にかなった話だが、その量が後家兼光にしてみれば、信じられないほどに少なく思えた。
彼がそれに気づいたのは、人の身に慣れ、厨の手伝いをするようになって間もない頃の話だ。最初こそ、間食のしすぎか体調不良か、もしくは苦手な食材があるのかと思った。しかし、茶碗側から物足りないと訴えかけてきそうな小盛の白米を見ているうちに、後家兼光の方が耐えられなくなった。
ある日、上品な小鉢用の量みたいな主菜を盛る彼女に、声を掛けてみたのだ。「主、もーちょっと食べない?」と。お腹が空いていないとか、苦手な料理だと言われたら引き下がるつもりの、軽い気持ちで。の返答は、後家兼光の想像もしていないものだった。
「大丈夫です。必要な栄養は摂取できてるので」
後頭部に投石を受けたような衝撃が、後家兼光に走った。
後家兼光にとって食事は愛だ。用意するのも、食べるのも。腹いっぱいに飯を食べて幸せそうな顔をしている上杉の面々を見ていると心が満たされたし、後家兼光本人も食べることが好きだった。
本丸の食事の席はいつも賑やかで、厨当番が頭を捻って組んだ献立を、刀剣男士たちが美味しい美味しいと言って食べている。そんな光景を見て、いい場所だと思ったのだ。そして、こんな場所を作り上げたのことを、後家兼光は一目置いていた。
彼女は、戦における兵糧の重要さを軽視しているわけではない。それは、人の身を得て日が浅い彼にだって十分伝わっている。畑当番や厨の手伝いをする中で、資金や手間を惜しまず注力してきたことが、よくわかった。
ただ——本人が、栄養摂取以上の意味を食事に見出せていないだけ。その日の食後、厨番長である燭台切光忠から、後家兼光はそう教わった。栄養管理アプリで一日の食事を記録し、計算によって導き出された一日に必要な栄養素、摂取カロリーをきっちり守って食べているのだという。彼女にとって食事は、メンテナンスや燃料補給に等しいものだ。
「僕もずっと気にはなっているんだけど、審神者になる前からずっとそうだっていうから。それに、健康面には問題がないみたいだし。僕たちとは体のつくりも違うから、あまり勝手を言うのも気が引けてね」
後家兼光の衝撃は、燭台切光忠——否、この本丸で厨に携わるすべての者が一度は通った道だった。刀を包丁やフライパンに持ち変えた者は、皆思うものである。せっかく腕に寄りをかけて作った料理なのだから、おいしく楽しんでほしいと。
しかし彼女にはその素養がない。味の好みの問題かと献立に変化をつけても変わらない。話をしてみても申し訳なさそうに謝られるばかり。ならばこれ以上は手の打ちようがないと、ある種人間らしくない彼女の食への価値観は、変えられないままだった。
新参者の後家兼光の考えることなど、すべて先人が実践済みである。分かってはいたものの見過ごせなかった彼は、あの手この手でに食事を楽しませようとした。しかし、策はどれも不発に終わる。肩を落とす後家兼光にが申し訳なさそうにするので、より居た堪れなかった。
は一般的価値観として食事は楽しいもの、とは理解しているようだ。外出の折りに菓子の土産を持ち帰り、見目の幼い者や甘味好きに配ってやることもあった。
ある日、一つ余ったからという理由で、土産の塩大福がその場に居合わせた後家兼光にも配分された。最初こそ辞した彼だったが、大所帯の本丸で全員に行き渡る数を用意するのは難しく、かといって誰かを選んで渡しに行くのも角が立つ。「行き場がないから苦手じゃないなら食べてくれると助かります」と言われれば、断る理由もなかった。
当たり前のように自分を頭数に入れていないに、後家兼光はひどくもどかしさを感じた。短刀らにお礼を言われて、浮かべる笑みに偽りはない。仲間に美味いものを食べさせてやる喜びは、彼女も知っているらしい。
後家兼光の頭に、ある考えが浮かぶ。彼は一度厨に引っ込むと、塩大福を半分に切り分けて、皿にのせての元へ戻った。
「せっかくだから主も食べようよ。半分にしてきたからさ」
「後家、そんなわざわざ」
「もう切っちゃったし、食べて。ボクはこっちもらうね」
丸ごと一つ食べるように言っても、押し付けあいになるのは目に見えていた。だからわざわざ半分に分けて、断る理由をなくしてやったのだ。後家兼光の目論見通り、はもう切ってしまったのなら、と塩大福に手を伸ばした。
が白い皮に歯を立てるのを見届けてから、後家兼光は半分の大きさの塩大福を一口で頬張った。餡に混ざった塩気が絶妙に上品な甘さを引き立てる。有名なお店らしい、とが言っていた通りの名品だ。
彼女の反応は、と後家兼光は隣にちらりと視線をやった。
唇に白い粉をつけた彼女は、手に歯型のついた大福を持ったまま、咀嚼しながら何か難しそうに眉根を寄せている。一口で食べきれない彼女の口の小ささに驚きながらも、後家兼光は彼女の顔を覗き込んだ。
「どした? 口に合わない?」
「いえ、大福なのにしょっぱくて、びっくりしただけで」
「……もしかしてキミ、塩大福食べるのはじめて?」
「はい。というより、甘いもの自体あまり食べないので。塩大福って本当に塩の味がするんですね」
甘味を楽しむ習慣のないは、『有名店の名物、塩大福』という暖簾だけを見て土産を選んだらしい。後家兼光にとっては当たり前のことに驚きながら、ひとくち、また一口と塩大福を食べ進めた。
「あの、そんなに見られるとちょっと食べ辛いです」
「あっ、ごめんね」
後家兼光はに指摘され、自分がまじまじと彼女を見ていたことに気が付いた。
小さい頬が咀嚼のたびに動く様子から、妙に目が離せない。予想外の味に顔を顰めたと思えば、味が舌に馴染んできたのか、今度はうんうんと頷いている。その百面相をいつまでも眺めていたい、と思ったものの、確かにじっと見られていては食べ難いだろう。後家兼光は名残惜しく思いながらも、五虎退ら粟田口の短刀の輪に混ざりに行った。
最初こそ予想外の塩気に驚いていただが、口に合わなかったわけではないらしい。後家兼光が一瞬で平らげた半分の塩大福を、彼女は時間をかけて完食した。
短刀らに囲まれ、輪の中では嬉しそうに笑っている。が塩大福がしょっぱいことを知らなかったと聞いた彼らは、先輩ぶって口々に「こんなお菓子があって」とに教えてやっていた。
人のために生みだされた甘味の味を、刀の付喪神である彼らが人であるに教えるのは奇妙な光景だ。けれどは嫌な顔一つせず、季節の花の名前を教わるような顔つきで、短刀らの話に耳を傾け、頷いていた。
「丸の方じゃないけどさ、もうそれってただの驚かしじゃね?」
「えっ、そーかな?」
後家兼光の手によって入浴後の濡れた髪を乾かされた後、櫛で梳かれながら姫鶴一文字はそう言った。
ルームメイトである彼の髪を梳いてやるのが、後家兼光の日課だ。姫鶴一文字の髪は手触りが良く、手入れをしながら彼と話をしていると、頭の中がすっきりと整理される。この時間を後家兼光は気に入っていて、ここ最近は次に後家兼光が担当する日の献立について話すことが多かった。
あれからひと月以上経っても、塩大福を食べた日のの顔を、後家兼光は忘れられずにいた。
思えば、彼女が食べ物の味に対し真剣に向き合っている姿を見たのはあれが初めてだ。味が気に入って、というわけではなかったが、驚愕だとしてもあの塩大福はの心を動かした。
それに着想を得て、ここのところ後家兼光は『意外性』をテーマに献立を立てている。本丸全体に振る舞うものだから、ただとんちきなだけではいけない。味、栄養バランス、彩り。それらを兼ね備えた上であっと驚く一品を。
元々後家兼光の料理は米を軸にした和食が中心であったが、今では多種多様なジャンルに手を出している。ついマンネリ化しがちな食卓で、後家兼光の取り組みは、作る側にも食べる側にも歓迎されていた。
先日はピザにパイナップルを乗せた結果、賛否が分かれ物議を醸したが、それも一興。しかし、当の本人であるからは、何を出しても塩大福の時ほどの反応を得られずにいた。
「ごっちんさー」
「ん?」
「なんでそこまで執着すんの? 主が飯に関心ないのなんて、今に始まったことじゃないでしょ」
姫鶴一文字から投げかけられた問いに、後家兼光は手元から顔を上げ、鏡越しに彼の顔を見た。
何故だろう、と考えて、すぐに思い至る。後家兼光の願いは、に身体を貰ったあの日からなにひとつ変わらない。至極当然かつ、単純な答えだった。
「なんでって……大切な人に腹いっぱい飯食わせてあげて、それで幸せになって欲しいのはさ、当たり前のことじゃない?」
後家兼光がそう答えると、姫鶴一文字は苦いものを噛み潰したような顔をした。眉根を寄せて目を細くし、口を横に開いて歯を見せている。信じられない、とでも言いたげだ。そんな顔をされる覚えがなく、後家兼光は首を傾げる。
「長船。マジ長船。ほんとそーゆーとこ」
「え? ボク変なこと言った? あっ、もちろんおつうもだよ」
「そういうんじゃねーから」
後家兼光と同じく、姫鶴一文字もまた上杉の刀を大切に想っている。見目の幼い短刀たちはかあいいから、尚のこと。今の居場所である本丸、そして今代の主であるにも同じ感情を抱くようになるのも何ら不思議なことではない。この巣を気に入っているらしい姫鶴一文字も同じ気持ちを抱いているものだと思っていた後家兼光は、それを噛み砕いて話したが、説明すればするほど彼は顔を歪ませる一方だった。
「んとさ、ほんとにわかってねーなら本人に直接言ってくれば? あ、おれに唆されたとかは絶対言わないでね、絡んでるってばれたら面倒なことになるから」
姫鶴一文字はそう言い残すと、「ごことけんけんと約束あるから」と部屋を出て行った。
櫛を手にしたまま取り残された後家兼光は、まだ温もりの残るドレッサーの椅子に腰かける。鏡に映る顔は見慣れたものである。先ほどの姫鶴一文字の言葉を回想し、もう一度考え直してみたが、言葉にした通りの思い以外、に食を楽しんでほしいという願いの所以は思い当たらなかった。
後家兼光にとって食事は愛だ。用意するのも、食べるのも。一等幸せを願う相手が自分の飯で腹を満たし、笑っている様子を見たい。身体の内側をやわく擽るそんな欲に、疑う余地などひとつもなかった。
——その場の空気は張り詰めていた。
陽の光の入りにくい部屋は薄暗く、向かい合うはじまりの一振りの表情をより一層険しく見せた。
姫鶴一文字はこの場に、上杉一派代表として山鳥毛と共に呼び出されている。名目は、『後家兼光の問題発言について』。衝撃のあまり小鳥が倒れたと聞いて以降、山鳥毛の猛禽類を思わせるまなざしは、視線だけで人を射殺さん勢いである。呼び出しを受けてからは、更に拍車がかかっていた。
予想した通り、面倒なことになったと姫鶴一文字は思った。仲間思いの後家兼光が、姫鶴一文字の口止めを無視するはずがない。ただ、長船は聞いていた通りの放任主義で——その責任が上杉一派に問われただけだった。
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