頁を捲るその前に

学パロ

 否定しないのと肯定するのは、まったく別のことだ。それに気付いたから私はああならずに済んだのだと思いながら、教室の中心で顔を覆う彼女を見る。  午後一番最初、体育の授業の後の更衣の時間。クラスで一番かわいいあの子は、女子生徒しかいないこの空間でクラスメイトに慰められていた。「豊前くんに振られちゃった」のだという。彼女と親しいクラスメイト達は「こんなにかわいいのに振るなんて勿体ない」「もっといい男捕まえられるよ」だなんて耳障りのいい言葉を口にするが、本当はここにいる全員がうっすら豊前という男を好きなので、本心ではないというのが明らかだった。  うっすら好きとは、明確な片思いとまでは言わないまでももし万が一何かしらのアクションが起こればあっという間に恋に転び落ちてしまうような感情だ。何せ、豊前という男は片想いの相手として非の打ちどころがなさすぎる。  顔も良くて背が高くていつも笑顔で明るくて親切で、成績も結構いいし運動神経はめちゃくちゃ良い。時々出身地の方言が出るのも女子の心を掴んで離さない一因で、少女漫画から出てきたと言われても何の疑問も持たないような、女子の考える『かっこいい』の概念を形にしたような男だった。  嗚咽交じりに語られる、豊前とあの子の思い出に聞き耳を立てる。彼女には夢があって、何かのきっかけで彼にそれを打ち明けたことがあったのだそうだ。夢見がちな子供の妄想と一蹴されてもおかしくないそれを笑顔で聞いて、応援するよと言ってくれたのが恋に落ちたきっかけだったという。  あの子と豊前が少女漫画の登場人物なら、間違いなくその夢を追う過程で縮まる距離が点描多めの柔らかなタッチで描かれたのだろう。しかし現実はそう上手くはいかない。悲劇のヒロインとなった彼女は、長いまつげから雫を滴らせていた。  豊前は気のいい男で、頼まれればなんだって笑顔で引き受けた。その快活さはクラスの中心にいるに相応しく、誰からも厚い信頼を得ている。  しかしそれは、裏を返せば残酷に平等だった。可愛いあの子に親切にするのと同じように、教室の隅で一人で本を読んでいるような陰気な男子生徒にも同じように接する。そこが彼のいいところでもあり、難儀な部分だ。  せめてあの容姿でなければ、もう少し涙を流す女子は少なかったのだろうと思う。罪作りなほどに、その姿形は異性の心を惹きつけた。  放課後、夕日の差し込む図書館が私は好きだ。本の貸し出しカウンターに座り、手元の本のページを捲る。  今読んでいるのは話題のホラーミステリーで、ラストのどんでん返しが話題になっている。その時点でネタバレもいいとこじゃないかと思いながらも、ここからどう物語が展開していくのか想像を膨らませ、食い入るように文字を追っていた。  図書委員はあまり人気のある委員会ではない。週に一度とはいえ拘束時間が長いし、地味な割にやることが多い。けれど私はこの仕事を気に入っていて、一年の前期から二年の後期の今まで継続して立候補していた。  単純に読書が好きなのもあるが、本を通してその人の意外な人となりを知ることが出来るのが面白い。図書館といえば物静かな読書好きや自習場所を求めた優等生ばかりが集まりそうなイメージがあるが、意外にもそんなことはなく、多種多様様々な人が訪れる。  わが校の図書館はちょっとした自慢になるくらい図書館の蔵書が豊富で、ジャンルも多岐に渡り流行り物もしっかり押さえられていた。  例えば、スポーツ刈りの二年生が指導についての指南が記されたビジネス書を借りに来る。きっと新しく運動部の部長になって、後輩指導について悩んでいるのだろう。  例えば、来月から人気アイドルが主演を務めドラマ化される少女漫画をやや強面の男子生徒が借りに来る。これまで少女漫画を借りている履歴はなかったから、もしかしたらそのアイドルのファンなのかもしれない。  淡々と貸し出し処理を進めながら、そんな想像を膨らませるのを私は楽しんでいた。  図書委員の仕事はもう一つあって、それは月に一度壁新聞の記事を書くことだ。委員おすすめの本を紹介文と共に載せるそれは、誰も目に留めていないと思われがちだが、意外にも時々それを読んで本を借りに来る人がいる。自分の紹介した本が貸し出し中になっているのを見てほくそ笑むのも、私の小さな楽しみだ。 「よ、返却と貸出いいか?」 「あ、うん。どうぞ」  声をかけられて本から顔を上げると、話題の彼がいた。豊前だ。彼もまた、意外にも図書館に足繁く通う生徒の一人である。  剣道部エースの彼は部活動で多忙なはずだが、週に一度、私が担当する火曜日は剣道部が休みなこともあって、必ず図書館を訪れていた。  借りる本は多種多様で、園芸・家庭菜園の本から裁縫の本、著名な俳人の句集だったりと統一性がない。しかし月に一度は必ず私が壁新聞に書いた本を借りにきてくれるのである。  何を隠そう、私がこの仕事にやりがいを感じるきっかけとなったのが彼だ。自分の書いたものにリアクションがあるのは、何事にも変え難い喜びがあった。単純な私はそんなことですぐに豊前なことが気になってしまって、事務的な内容といえど毎週話す機会を与えられれば、単純接触効果に踊らされるのも仕方のないことだった。  豊前が返却したのはまさしく今月の壁新聞に載せた小説だ。陰鬱な展開が続くサスペンス小説で、目を覆いたくなるようなグロテスクな描写が多いものの結末が気になってページを捲る手が止められず、私は二日で読破した。  万人向けと言い難いそれを、あの太陽みたいな笑顔の豊前が読んでいるだなんて誰が想像できようか。クラスメイトの知らないそんな一面を私だけは知っているということに、優越感を覚える。 「これ、どうだった? かなり暗いしグロかったと思うけど」 「おー。最初はジメジメしてて最後まで読めっか不安だったけどさ、五章の主人公の姉が死ぬとこあるだろ? あそこから一気に読んじまった」 「わ、わかる! 序盤結構冗長な展開が続くなって思ってたけど、あとから生きてくるんだよね。あれがなかったらラストもあそこまで深みを感じないっていうか」  豊前の感想が嬉しくてつい大きくなった声に、はっとして周囲を見回す。幸いにも夕方遅い時間の図書館には私と豊前のほかに生徒は残っていなかった。ほぼ無人とはいえ図書委員が図書室で騒ぐなんてあるまじきことだ。恥ずかしくなって、私は声も身も小さくした。 「ごめん、あの本のこと誰かと共有できたのが嬉しくて。こっちは貸出ね」 「おう。……なぁ、今読んでるそれ、面白いか?」 「これ? えーっと……」  豊前が指さしたのは私が読んでいる途中の本だった。  壁新聞を書くようになってから、もしこれに紹介文を付けるとしたらと考えながら読むのが癖になっている。しかしこの本は、どうしても前情報なしで読んでほしいと思ってしまってそれが思いつかなかった。  読み終えればまた浮かぶのかもしれないが、何かが起きると分かっていながら読むのと不意打ちに起こるのでは全く受ける印象も衝撃も違ってくる。私自身はどんでん返しのレビューに引かれて手に取ったものの、誰かに勧めるならやっぱり先入観を抜きにして読み進めてほしい。そう思ってしまった。 「……面白いか面白くないかで言うなら面白いけど、これは感想とか聞かずに読んでほしいかも」 「そっか。じゃー来週はそれ読んでみっかな」  レビューと呼ぶには拙すぎるその言葉を、豊前は訝しんだりせずに受け入れた。  貸し出し用バーコードを読み取り、パソコンで必要事項を入力して豊前に本を手渡す。 「はい、貸出手続きできたよ」  今日豊前が借りたのは交渉術に関するビジネス書である。豊前が何を交渉するのだろうか、あの顔で両手合わせて頭を下げられれば、どんな頼みだって聞き入れられそうなものだが。  そんな想像をしながら本を手渡すが、豊前は本を受け取ってもそこを動こうとしなかった。 「あれ、まだなんかあったっけ?」 「ん? いや。……なぁ、今ちっと時間いいか?」 「大丈夫だけど……どうしたの?」  そう言うと、豊前はすぐ近くの長机から椅子を引っ張り出してカウンターの前に座った。  少し高いカウンターのテーブルに、どこかアンニュイな表情で頬杖をつく。夕日に照らされた彼は、そのまま切り取って雑誌の表紙にしてしまえそうなほどに綺麗だった。 「今日さ、女子の間で俺の話とかしてたか?」 「えっ」  私はついぎくりと顔を強張らせた。これでは肯定しているに等しい。豊前は「だよなぁ」とため息交じりに漏らした。  確かに自分が告白されて振られたことをただのクラスメイトが知っていたら、憂鬱な気持ちになるだろう。クラスの人気者というのも楽じゃないんだな、と同情した。 「その、ごめん……」 「なんでアンタが謝るんだよ。いーって、どうせそんな気してたからさ」  プライベートなことを公にされて決していい気はしないはずなのに、豊前は私のことも告白してきた女子のことも決して悪く言わなかった。ただ困ったように、珍しく眉を下げている。  私はどんな言葉をかけていいかわからなかった。何せ、あの子と同じ気持ちをひっそりと胸に抱く女子のひとりだ。彼を励ましてやることなんて出来るはずもなく、何を言ったって我が身可愛さの言葉になってしまう気がした。 「それでさ、どこまで聞いた?」 「えっ」 「俺に気ぃとか使わなくていいからさ、教えて」 「…………」  私はわずかに逡巡して、それからすべてを洗いざらい吐くことにした。あの子には申し訳なかったが、ああも大っぴらに話すのだからそのリスクも承知の上だろうと罪悪感に言い訳をする。私は豊前に、あの子が昼休みに告白して振られたこと、豊前を好きになったきっかけを話していたことを伝えた。 「そんだけ?」 「そんだけ、です」 「ほんとだよな?」 「ほんとです……」  豊前が珍しくそんな風にしつこく訊ねるので、他に何か言ってたっけと思い出そうとするが、元々会話に参加していたわけでもない。それ以上思い出せず、もう何も出ませんと言わんばかりに万歳をして降参の意を示した。 「そっか、じゃあいいよ。悪かったな、変なこと聞いて」 「う、ううん」  私の返事に豊前は満足したらしく、いつもの明るい笑顔へと戻った。  一体あの子と豊前はどんな話をしたのだろう。こうも執拗に確かめられては、気になってしまうのが人の性というやつだ。そんな好奇心が顔に出ていたのだろうか。豊前は少し顔を近づけて、囁くような声で言った。 「な、俺がなんでこんなことわざわざ聞きに来たか知りてーか?」 「えっ? そりゃ、これだけ聞かれたら気になるけどさ、言いたくないんでしょ。聞かないよ」 「……あー、そうだよな。アンタならそう言う。今のは俺が悪かった」 「どういうこと?」  豊前は言葉を選ぶように視線を彷徨わせ、後頭部を掻いた。 「告白、なんて断ったか……聞いたかと思って」  彼らしくなく歯切れの悪い返事だった。どうしてもそれを言いふらされたくなかったのだろうか。それならそんな大層な理由があるのかと、つい私も食い入るように彼を見つめてしまう。 「部活に集中したいからとかじゃないの?」  探りを入れるような私の問いに豊前は嫌がる素振りも見せず首を横に振った。  じゃあなんだろう、多様性の世の中だし人には言えない秘密があるとか? だとしたら今ここで打ち明けようとしているのは不自然だ。言いふらされたくないようなことを密かに明かされるほど、私たちの仲は親密ではない。  豊前は辺りを見まわし他に人がいないことを確認してから、衝立を立てるように口の横に手を添えて囁いた。 「……好きな人いるからって、言うたちゃ」 「えっ」  つい大きくなりかけた声を、私は口を手で塞いで制した。  どくんと心臓が大きく高鳴る。彼の秘密を知ると同時に恋心が打ち砕かれ、私は一瞬表情を失った。指先の先から冷たくなっていって、自分の体じゃないみたいだ。変な沈黙を作っては不自然だと思うのに、言葉がうまく出てこない。 「そ、……う、なんだ」 「おー」 「その……うん、応援してる……」  私が言えたのはそんなありきたりな一言だけだった。  応援なんて、ほんとはしてないけど。あの子が振られたって知ったときも心の中で安心していたし、この関係が特別だなんて勘違いをずっとしていたかった。壁新聞だって、彼が読んでくれていると知らなければ毎月あんな熱心に書いたりしない。いつか実ると思ってやっていたことではなかったけれど、それでも衝撃は大きかった。 「応援してくれんの?」 「えっ、うん。……するよ。豊前だったら多分、私が応援しなくっても好きになってもらえると思うけど」  カウンターテーブルの下、豊前には見えない位置で私は手を強く握って俯いた。皮膚に爪が食い込む感覚が痛くて、それが今にも溢れ出しそうな涙を何とか食い止めていた。ここで泣いたら、あの子と同じになってしまう。  私は私のこの気持ちを晒し物になんてしたくなかった。たとえ、好きな人相手だとしても。 「……そうだったらこんな回りくどいことしねーって」  豊前が呟いた言葉に、私はつい顔を上げた。豊前はどこか悔しそうな、けれど諦観も混ざったような表情で窓の外を見つめる。  ちらりとこちらを一瞥して、目が合うとふっと微笑んだ。 「正直さ、本とかあんまよくわかんねーよ。でもさ、アンタがいいって言うから読んでみたら――結構面白かった。俺が読んだって言ったら嬉しそうにすんのも、かわいかったし」 「え」 「毎週わざわざアンタの担当の日にさ、読みてー本もないのに来んの、絶対バレてると思ってた。……なぁ、わかんねえ?」 「あ、あの」  夕日が図書館の壁も床も、豊前の顔も、そして私のことも全部真っ赤に染め上げていた。  放課後、図書館、夕日、ふたりきり――それらがまるで、ここが少女漫画の世界なんじゃないかと錯覚させる。そんなことあるはずないのに。じゃあ、目の前にいる彼は? どうして私のことを、こんな表情で見つめているんだろう。  五時の鐘が鳴る。部活動も委員会活動も終わりの合図だ。その大きな音が、私を現実に引き戻した。 「……悪い、遅くまで居座っちまった。帰るか」 「えっと……うん、そうだね」  私は何と返せば良かったのだろう。どんな言葉を期待して、彼はあんなことを言い出したのだろう。  豊前との間に横たわった気まずさから逃げるように、私は片付けを始める。鍵を閉めて職員室に返せば、図書委員の仕事は終わりだ。豊前はそれまで付き合ってくれる気らしく、椅子を元に戻してカバンを肩にかけて私のことを待っていた。 「明日、ちっと時間くんねーか。……アンタに分かってもらえるように、ちゃんと言うからさ」  図書館の鍵と一緒にスクールバッグのハンドルを強く握りながら、私は無言で頷いた。  衝撃的な展開に頭が付いていかないまま、私たちは図書館を後にする。あれだけ気になっていた小説の続きのことなんて、もう頭に残っていなかった。

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