花の愛で方を知っている
豊前江は、が初めて遂行した秘宝の里調査任務の報酬として顕現した刀剣男士だった。本丸を立ち上げて間もない頃の話で、今でも彼女にとって――いや、当時本丸に顕現していた刀剣男士らにとっても印象深い任務の一つである。
まだ戦力の揃っていない中、泣き言をいいながら出陣を繰り返した末にやってきた豊前江は、それはそれは手厚く迎えられ、刀剣の数が増え本丸としての力をつけた今でも、に徴用されていた。
「豊前、主は?」
「おう、中で着替えてんよ。さっき学校から帰ってきたとこだ」
の部屋の前で、豊前江は胡坐をかいて待っていた。
作成を頼まれていた戦績表のことでを訪ねた松井江は彼の言葉に得心し、彼女が出てくるまで豊前江と一緒に待とうと彼の隣に腰を下ろす。新しい参考資料という名のライブ映像を手に入れたらしい篭手切江が次のれっすんでみんなで見ましょうと言っていたよ、という話を松井江がしていると、身支度を終えたが部屋から出てきた。
「豊前、お待たせ! あれ、松井も? どうしたの?」
「ああ、主。頼まれていた戦績表ができたから持ってきたんだ。確認してくれるかな」
「もうできたの? すごい、さすが松井! 後でちゃんとチェックしておくね」
「それだけだから。じゃあ……」
「あ、待って!」
用は済んだとその場を去ろうとする松井江をが呼び止める。は一度自室に引っ込むと、小さな箱を持って戻ってきた。持ち手のついたそれはおしゃれな横文字のロゴが箔押しされており、一目で洋菓子の類が入っているのだと松井江にもわかる。
「おばあちゃんにケーキ貰ったんだ。三つしかないから、よかったら一緒に食べない?」
「僕でいいの? 短刀たちの方が喜びそうなものだけど」
「いいの、いつも戦績表作ってもらってるお礼! いちごのムースもあるよ、ほら、赤いやつ」
「……それならご相伴に預かろうかな」
の部屋には小さなローテーブルがあり、豊前江は手馴れた様子で皿を出し茶の用意を始めた。身の回りの世話に向く刀は他にもいるにはいるが、長い間の傍で過ごしたこの本丸の豊前江にはそれが染みついている。はそれを待ちながら箱を広げ、嬉しそうに松井江にケーキを見せつけた。
「久々の帰郷はどうだった?」
「楽しかったよ。友達とも遊べたし、おじいちゃんおばあちゃんのとこにも顔出せたし」
「主、茶が入ったぜ。ほら、松も」
「あ、豊前。ありがとう」
三人分のケーキと茶を広げるには手狭なローテーブルだった。正方形の天板に、コの字になるようにを挟んで三人は腰を下ろしている。
が帰郷中に起きた出来事を身振り手振りつけながら楽し気に話す様子を眺めながら、松井江は思考する。血を流し流されることが刀剣男士の本分だと考える彼にとっては些か長閑すぎる光景だったが、これはこれで悪くない、と思う。の明朗快活な人柄を、松井江は気に入っていた。
は未成年の少女で、学業に勤しむ傍ら審神者業もこなしている。
以前――それこそ豊前江が顕現した頃は、まだ学業に重きを置き日々現世と本丸を行き来していたが、彼女が審神者としての立場を確立し時間遡行軍との戦争が厳しくなる中で、比重は少しずつ審神者業へと傾いていった。
今では最低限卒業資格を取れるだけの課題を本丸でこなしながら、月に一度帰省も兼ねて登校している。その時の護衛は毎度変わらず、豊前江が務めていた。
*
「……じ、……、……るじ、おい、主」
「わっ!?」
豊前江に揺り起こされたは、飛び跳ねるようにして顔を上げた。つけっぱなしの部屋の照明が寝ぼけ眼に眩しい。窓の外は闇一色だった。
課題をしていたはずだが、いつの間にか居眠りをしてしまったらしい。ノートや教科書を枕にしていたせいで顔や腕に跡がついていた。よだれを垂らしていなくてよかった、とは胸を撫で下ろした。
「居眠りしてっと風邪ひくぜ。寝るんなら布団ひくからよ」
「ごめん……」
卓上の時計を見ると、もう日付が変わっている。便宜上設けられている――これは成長期ののために初期刀が制定したものだが、彼女は知らない――消灯時間を遠の昔に過ぎていた。
「課題か? 今日貰ったばっかだろ、明日にしようぜ」
「うん……でも、やっておきたくて」
「無理すっと体壊すぜ。今日は休め」
「ん……」
豊前江に押し切られ、は渋々勉強道具を片付け始めた。その様子が気にかかり、豊前江は「なあ」と問いかける。
「学校でなんかあったか?」
「…………」
元来、は真面目な性格だ。子供っぽく遊びで羽目を外すことはあれど、コツコツ努力をして目標を達成するのを好む性分で、その姿勢も含めこの若さで審神者としては華々しい評価を得ている。
霊力に恵まれていれば杜撰であろうとそれなりに戦果を挙げられる職業柄、審神者という職業はむらっけのある者が多い。そんな中、時の政府としては彼女のような優等生タイプの審神者は扱いやすく、好まれていた。
その気質は学業にも出ており、審神者としても学生としても手を抜いたことなどない。毎日通学できなくなってからも、より一層熱心に勉学に取り組んでいる。
それでも、試験前でもないのに無茶をするなんてことはこれまで一度もなかった。彼女の行動に違和感を覚えた豊前江が訊ねると、は言いづらそうに重い口を開いた。
「新学期になって担任が変わったんだけどさ、ちょっと……合わなくて」
が通うのは県内有数の進学校だ。部活動のみならず校外活動での活躍にも意欲的で、芸能人も通っており、そのあたりに融通が利く。
それを理由には進学先を選んだが、歴史修正主義者並びに時間遡行軍の存在が一般人に伏せられている以上、「歴史を守るために命張って戦争してます」だなんて言えやしない。その結果は、学校側に『よくわからないが政府直属の校外活動をするために不登校気味の生徒』として認識されていた。
昨年度の担任は彼女の『校外活動』と学業の両立を尊重してくれたが、新しい担任はどうにも理解を示していない。それが彼女の気に障った。
がそのことをぽつりぽつりと溢すと、豊前江は首を捻って後頭部をかいた。戦のことや本丸内のことならどうにかしてやれるが、現代の学校の勉強ともなれば豊前江は門外漢もいいところだ。それに、現世のことに刀剣男士が介入するのは基本的に褒められたことではない。
「……なるほどな」
「だから、成績上げて見返そうと思ったの」
「気持ちはわかったけどよ、俺――俺らにとっては主の身がいっちゃん大事なんだよ。なんかできることあんなら手伝うからさ、今日はもう寝ようぜ?」
「うん、そうする。ごめんね、豊前」
「いーって。……寝付けねえなら膝貸してやっけど、どうする?」
「もう、子供扱いしないでよ。ちゃんと寝るから」
豊前江が軽口を叩けば、は元の明るい調子を取り戻してくすくす笑った。その様子に豊前江は安堵し、寝具を整えてやってから部屋を出る。
側仕えの真似事は柄じゃないと思いながらも、長年彼女に付き添っていれば板に付いてくる。色々手をかけてやって気持ちよさそうにしているのを見るのは、豊前江にとっても悪い気がしなかった。
一か月後、は定期考査を受けるために一週間ほど長めの帰郷をしていた。今度の護衛の伴も変わらず豊前江だ。彼がの実家に滞在するのも、もはやお決まりとなっていた。
の家族は豊前江に対し好意的を通り越してもはやメロメロの域なので、彼を手厚く持て成した。が帰省中の食卓はいつもより豪華になる、というのはの兄の言葉だ。かくいう兄も、男から見てもカッコいい豊前江にメロメロである。
刀剣男士は皆美しい容姿を持って顕現するが、ここまで骨抜きにするのは彼の人柄あってのものだろう。にとってはどちらも大切な家族なので仲がいいに越したことはなかったが、彼女は内心「多分これってちょっとおかしいんだろうな」とも思っていた。
定期考査の最終日、豊前江はを学校まで迎えに行った。校風柄、大人が校門で生徒を待っているのはそう珍しいことではない。だが、あれだけ整った容貌をしていれば、視線が集まるのも止む無いことだった。
友達と校門に向かっていたは、その光景を前にしてぎょっと目を剥いた。少女漫画よろしく、豊前江が女子生徒に取り囲まれている。「誰待ってるんですか?」「アイドルですか?」「彼女いますか?」――そんな問いかけを何のことなさそうに往なしていた。
に気付いた豊前江が「主」と呼びそうになり、それを飲み込んでから「よ!」と手を挙げる。黄色い歓声が上がると共に、幾十もの視線がへと突き刺さった。
「え、証明写真の人ってマジ家族だったの? アイドルじゃなかったんだ」
「う、うん、そう」
証明写真の人――とはのスマホケースに挟まれた豊前江の証明写真のことを指している。
いつだったか、街を歩いている時に証明写真の機械を見つけて悪乗りで豊前江に撮らせたものだ。顔の造形がとにかく整っているものだから、撮影機のアナウンスに従うがままに撮られているだけでアイドルのグッズみたいなシールが刷り上ったわけである。それがカッコよくて面白かったのでスマホに挟んだままにしていたのを、友人に目ざとく指摘されていた。
ちなみにが持っているもの以外の証明写真は、江派の面々に分配され、各々の好きなところに貼られている。
「……豊前、迎えに来てくれたの?」
「おう。……って思ったけど、約束してっか?」
豊前江がの隣の友人に視線をやる。友人は彼の赤い瞳に見つめられるがいなや、ヒッと小さく悲鳴を上げた。にとっては見慣れた顔だが、やはり耐性がない人間には美しすぎるがあまり恐怖を与えるらしい。
「い、いえ! ないです!! じゃーね、また明日!」
「あっうん、またね」
友人は豊前江に彼女を押し付けると、逃げるようにして走り去っていった。豊前江はその背中を「はえーな」と暢気に眺めている。
が彼をちらりと見上げると、視線に気づいた豊前江はにやりと笑い、「主、ちっと時間あるか?」と訊ねた。
気が付けばはバイクの後ろに跨っていた。
黒くてぴかぴかのそれは兄の愛車だったが、どういうわけか今、豊前江が乗り回している。馬の後ろに乗って遠乗りに行ったことは何度かあるものの、バイクは初めてで、はおっかなびっくり豊前江の腰に腕をぎゅっと回していた。
どうやって運転方法を学んだのかとか免許はどうしたとか色々聞くべきことはあったが、相手は神様だ。人の理など取るに足らないものなのだろう。せめて事故は起こさないでくれよと祈るばかりだった。
「着いたぜ、降りれるか?」
「だ、だいじょうぶ」
バイクが止められ、は恐る恐る地面に足を付けた。
豊前江は跨った状態で平気で地に足をつけているが、それより何十センチも足の短いではそうはいかない。ヘルメットを取り特有の閉塞感から解放されると、頬を撫でる風がより気持ちよく感じた。
「わ、すご……」
「どうだ、いい景色だろ」
「うん、綺麗。お兄ちゃんに教えてもらったの?」
「ん? まあな」
豊前江に連れてこられたのは河川敷だった。県一番の大きな川が流れるそこら一帯は、散歩などに最適な広場にもなっている。景色を遮る建物がないせいで、風がよく通り空も広く清々しい場所だった。
先ほどまで酸欠になりそうな狭い教室に閉じ込められて頭を働かせていたは、心地よさに深呼吸をした。
「つーりんぐ、どうだった? 疾かったろ」
「うーん、緊張してそれどころじゃなかったかも」
「勿体ねーなぁ。じゃあ帰りはもっと楽しめるように遠回りすっか」
「いいって! それより、急にどうしたの?」
どちらともなく芝生に腰を下ろす。川のすぐそばで遊ぶ子供の声があたりに響いていた。
小型犬が二匹連れられて尻尾を振り回しながら散歩しているのを目で追っていると、は不意に目頭が熱くなった。こんなありきたりで美しい平和を守るために自分は戦っているのだと、ふと思ったからだった。
「試験お疲れ様、ってことで。どーだ? 手ごたえは」
「うん……がんばった、がんばったし、結構いけたと思うけど」
「にしちゃ、浮かねー顔だな」
が足元の小石を拾って弄ぶ。豊前江の方を見ないまま、「豊前って私のこと全部わかってるの?」と聞いた。
「わかんねーよ。わかんねーけどさ、だからなんとかしてやりてーっつーか。わかってたら、最初からそんな顔させねぇよ」
「……豊前は優しいね」
三角座りをしたが立てた膝に顔を埋めたので、その声はくぐもって聞こえた。
「担任の担当強化のテストが今日あったんだけどさ、『テストの点が悪かったら校外活動やめて学校来た方がいいんじゃないか』って言われたんだよね。先生、クラスの平均点が下がるの嫌みたい」
の身を案ずる豊前江を心配させないよう、軽い調子で言ったはずの言葉は震えていた。
一担任教師ごときに、審神者の任を退かせるような権力はありはしない。それだけ大きなものを、は背負っている。
そんなことはわかりきっているが、己の力不足がゆえにその役目を軽んじられるのが、にとっては何より耐え難かった。自分ひとりではなく、本丸の刀剣男士全員と、共に戦う他の審神者も馬鹿にされているように感じる。それが悔しくてたまらなかった。
「……やめろって言われたら、どうしよう」
――がその任務にどれだけ真剣に取り組んでいるか、一番近くで見てきた豊前江はよく知っている。
彼を出迎えたあの日の彼女の顔が、今でも忘れられないのだ。目標を達成し任務を無事成し遂げたこと、豊前江を本丸に迎えたこと、何もかもが嬉しくて堪らないというその笑顔が、綺麗だと思った。
人の身を得て初めて心が動いた瞬間だ。〝この俺〟は、これを守るために喚ばれたのだと、彼は間違いなく確信した。何事にも一生懸命で直向きな様を、傍で支えてやりたいと思った。
「でーじょうぶだよ。アンタはよくやってる。俺も、本丸の奴らみんな知ってっから」
「そうかな……」
「もし、さ」
豊前江の手がの背中に回った。慰めるように、大きな手がそっと添えられる。
ぽんぽんと優しく叩かれて、はなぜ豊前江が江派の面々にああまで慕われているのかが分かった気がした。それを実感させるほどに、豊前江の手は大きく温かい。
「もし辞めさせられそうになったらさ、俺が攫ってやんよ。そのセンセーも俺には追い付けねーだろ」
が顔を上げ、豊前江の方を見た。光を取り入れてきらきらした赤い瞳が、燃えているみたいだった。
まっすぐ見つめられてそんなことを言われて、これで愛の言葉でも囁かれようものなら、老若男女問わず誰もが彼のとりこになるだろうな、とは思った。そんな様で励まされたのだから、不思議と勇気が湧いてくる。さっきまでの弱気が心の中で小さく縮んで、なぜだか何とかなる気がしていた。
「……ふふ、豊前でもそんな冗談言うんだ」
「冗談やなかって」
「そこまで言わせるんじゃ、私も頑張らないわけにはいかないね」
いつの間にか滲んでいた涙を拭い、は立ち上がる。なんとなく力が有り余るような感じがして、斜面になっている河川敷を下るようにして走っていった。
豊前江が「おい主、あぶねーぞ!」と声をかけたのと当時に、傾斜に足を取られの体が傾く。「言わんこっちゃなか」と豊前江は慌てて彼女に駆け寄って、腕を掴んだ。
「ったく、気ぃつけろよ」
「大丈夫だよ、豊前がいるもん」
季節は巡って、春が来た。篭手切江が着付けた袴を着たは、卒業証書を手に学友との別れを惜しんでいた。
その様を少し離れて、豊前江が見守る。家族の了承を得て、彼も卒業式に参列していた。
この日のために仕立てたスーツを着て、に贈られた花束を手にしている。その姿が異様に様になっており、周囲では「芸能人が来てる」と噂になっていたが、そんなことは気にも留めなかった。
それよりは、篭手切江に持たされた高画質ビデオカメラによる撮影の仕上がりが気がかりだ。優秀な成績を収めた者として、は卒業生代表のあいさつを任されていた。今代の主君の晴れ舞台、本当であれば本丸全員で見守りたいところだが、さすがにそうはいかない。せめて映像だけでもと託されたわけだった。万が一撮影に失敗していたら、本丸中から非難を受けることになる。
「豊前、ごめんね、待たせて。もうちょっとだけいいかな」
「ん? いーけど、どした?」
さっきまで友人と話していたはずのが、わざわざ豊前江にお伺いを立てに来た。何かと思えば、彼女が友人と話していた場所に、胸に花の咲いた男子生徒がそわそわと待っている。豊前江はああなるほどと理解して、じっとりと目を細めた。
「ちょっと呼ばれちゃって……。その、すぐ帰ってくるから」
「おう、すぐな。あんま遅いと心配すっから」
「ごめんね、ありがとう」
豊前江の了承を得るや否や、はそそくさと男子生徒の元へと走っていく。二人が校舎の影へと並んで歩いて行ったので、豊前江は気配を殺してそっと彼らの跡を追った。
――あんとき攫うときゃよかったかもな。
顔の赤い男子生徒と、困ったように頭を下げるを眺めながら、豊前江はそう思った。
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