走り出すまであと一歩
アカデミーの食堂は、生徒でごった返して騒がしい。
珍しく授業に出たペパーは、頭を使ってごっそり持っていかれてしまった分のカロリーを摂取すべく、そこで食事を取っていた。
性別・年齢問わず門下を開くアカデミーの生徒の顔触れは様々だ。左隣に座るのは自分の親世代の中年男性で、左隣はペパーの腰ほどまでしか背丈がないような子供なんてこともある。その誰も彼もが自身と同じ制服に身を包んでいるので、妙な場所だとペパーは思った。
一見共通点がないように見れる彼らを唯一繋ぐのが、ポケモンである。ここにいる全員がポケモンを愛していて、ポケモンについて学び、日々切磋琢磨している。
そうなれば話題の中心は当然、ポケモンのことだ。どこの地域で珍しいポケモンを見ただの、ジムの攻略法や進化の条件。それから――注目を集める強いトレーナーの話だった。
ペパーには友人が三人いる。
元引きこもりハッカーで一時は不良集団スター団を束ねていたボタンと、度が過ぎるバトル狂でお嬢様のネモ。それから、ペパーの恩人であるだ。
ボタンはその腕を買われて現在ポケモンリーグでシステム関係の仕事をしているし、後者二人はパルデア地方のトレーナーなら誰もが憧れるチャンピオンランクである。どこにでもいる普通の女の子たちとは言えない程度には、彼女たちは注目されていた。
故に校内で名前を耳にする機会も多く、その度にペパーは妙な気持ちになる。
特にネモとは、がチャンピオンランクに昇格してすぐにテーブルシティで行ったバトルが話題を呼び、アカデミー内では知らない人はいないほどの有名人である。観衆のひとりが動画サイトに投稿したあの日のバトルの動画はいまだに再生数が伸び続けているというし、実際のところ、一緒に校舎内を歩いていても声を掛けられることが多い。
バトルとポケモンが好きな二人は見知らぬトレーナーに声をかけられても丁寧に対応する。その人柄もあって、人気が高まっているようだ。
こうして普通に食堂で食事をしているだけでも、ペパーの耳には友人の名前が入ってくる。ペパーが特別気になるのが、の話題だった。
ペパーがに出会ったとき、彼女はまだ駆け出しのひよっこトレーナーだった。
アカデミーに転入する直前で、ポケモンを手にしたばかり。しかしそれでも戦略を練ってペパーを打ちまかした上に、ペパーにとっては因縁のライドポケモンを手懐けていたのである。
確かに只者ではないと思っていたけれど、厄介ごとを押し付けるつもりでモンスターボールを渡したときは、まさかここまで駆け上がるだなんて想像もしていなかった。
共にひでんスパイスを探すことになってからは、あっという間に打ち解けた。口数こそ多くないが、素直で表情豊かな少女だった。人の心を懐柔してみせるような、不思議な魅力があるのだ。ポケモン達がよく懐くのも、ペパーには何となく理解ができた。
旅をするうちに彼女に心を開いたペパーは、自分がなぜひでんスパイスを探し求めるのか――相棒のことを語った。スパイスを使ったサンドイッチを食べるたびに少しずつ体調がよくなっていくマフィティフを見て、目を潤ませて喜んでくれた。他人のためにどんな協力も惜しまない、根っからのお人好しだった。
ペパーの中でずっとわだかまりとなっていた親との確執を解くきっかけとなったのも、の存在だ。友達と降りたパルデアの大穴――エリアゼロで見たものを、彼は一生忘れられないだろう。
彼女の凄さは、ペパーが一番よく知っている。小さな体で巨大なヌシポケモンに立ち向かう様を、何度も見てきた。大切な友達が褒められるのは誇らしいし、彼女が目標に向かって走っているというなら、手放しで応援してやりたい。
それでも胸にどこか寂しさを抱くのは、似たような経験を過去にしているからかもしれなかった。
自分の親の研究が世間に認められるたびに、遠くへ行ってしまうような錯覚を覚える。顔を見るのが対面よりメディア越しが増えて、知らない人みたいになっていく。身近な人物に手を届かなくなる喪失感。同じような経験を二度としたくなくて、ペパーは時々群衆の声から耳を塞ぎたくなることがあった。
友達のことを応援してやりたいのにそれが素直にできない自分への苛立ちと、醜く幼い独占欲。
耳に入る友人の名前に耐えきれなくなったペパーは、味わう暇もなく食べ物を口の中に放りこみ、早々に食堂を後にした。
寮の自室に戻ったペパーは、体をベッドへ沈めた。消えない苛立ちをどうにかするために、スマホロトムで動画アプリを開く。かわいいパピモッチの動画でも見て、頭の中を空っぽにしないとどうにかなりそうだった。
しかし、ただ癒されたかっただけのペパーを世間は許さない。動画アプリのトップ、おすすめの配信欄に、今は忘れてしまいたかった友人の顔が映っていた。
人気配信者兼ジムリーダーであるナンジャモの配信だ。『ドンナモンジャTV 氏とコラボ配信! バトルもあるぞい♡』のタイトルに、ペパーは眩暈がした。
サムネイル画像では、ナンジャモの真似をして彼女が慣れないウインクをしている。ペパーは無意識に「かわいいちゃんかよ」と呟いてから、オレは何を言ってんだと頭を振った。
見るべきではないとわかっていても、興味本位か嫌なもの見たさか、配信を開くことをやめられない。ペパーは、サムネイルをタップした。
『皆の者ーっ! バトルどうだったかな?』
配信のメイン企画であろうバトルは、今しがた終了してしまったようだ。熱いバトルを称えるコメントがずらりと並んでいる。流れを見るに、が勝利を収めたらしい。
『ナンジャモさま推しだけど氏に推し変しそう……ちょっと~! 推し変は死刑! かみなりだッ! せめて推し増ししろッ!』
「うわッ、すげー……」
コメントを読みながら警戒に反応を返していくナンジャモに、ペパーは狼狽えた。
コメントと共に投げ銭が惜しむことなく投げられている。こういった配信に不慣れなペパーには、異様な光景だ。リスナーの〝圧〟があんまりにも凄まじいので、配信を閉じたくなってしまう。特に独特のナンジャモ語が並んでいるので、より混沌としていた。
はといえば、ナンジャモの隣でニコニコしている。話を振られたら答えるし『投げキッスして!』などのコメントをナンジャモが拾えばファンサを返す相変わらずの『なんでもイエスちゃん』ぶりだ。
ペパーは「そんなことすんなよ!」と画面にぶつぶつ呟きながら、スクリーンショットを撮っていた。「特に他意はない。次に会ったときに見せてやろと思っただけ」と誰にも聞かれていない言い訳をしながら。
『それじゃあそろそろ終わろっかな~! チャンネル登録、よっろしっくね~! あなたの目玉を エレキネット! エレキトリカル★ストリーマー、何者なんじゃ? ナンジャモと~!?』
『でした。ありがとうございました』
「はあ……やっと終わりか」
結局ペパーは目を背けたいと思いながらもやめられないまま、エンディングを見届けた。チャンネル登録を促す画面が配信の終了を知らせている。ただベッドに横になって動画を見ていただけなのに、HPをごっそり持っていかれたような疲労感があった。
当初の目的であるパピモッチのもちもち癒し動画を見る気になんて、とてもじゃないがなれそうにない。ペパーはそのままスマホロトムをベッドに沈めてだいもんじの姿で天を仰いだ。
目を閉じても、思い返されるのは画面越しの知らない人物みたいな友達の顔だった。
それから、彼女のことをちっとも知りもしないであろう連中のファン面のコメントだ。どれもがペパーの神経を逆なでするために存在するように思えてならない。コメントでバトルを褒められて、嬉しそうな彼女の顔を見るのも嫌だった。
ニコニコ笑うの顔は一緒にいるときと変わらず無垢でちょっとカワイイとすら思えるのに、画面を通すだけでどうしてこんなに憎く感じてしまうのか。
配信に出るのをやめろだなんて言う権利を、ペパーは持っていない。唯一の肉親にすら縋り付くことができなかったのに、他人である彼女にそれを求められるはずがなかった。
ペパーとの間にどれだけ熱い友情と絆があろうとも、血がつながっていなければ特別な関係でもない。そんな事実が、改めて彼を打ちのめしていた。
このままじゃ何かの病気になっちまいそうだ、と思ったペパーは、午後からの授業はサボるつもりで寮を出た。
テーブルシティはいつも通りの賑わいを見せている。アカデミーを擁するだけあって、店は学生向けのものが多い。
まともに楽しめなかった昼食の分を取り返すようにクレープを買い食いして、リュックやシューズを見たり、道具や食材や調味料を買い揃えていれば、鬱屈した気持ちはどこかへ消え失せ、気分も上向きになってきた。
それでもふとした時に「そういえばこの間にサンドイッチ作ってやったとき、この具気に入ってたな」なんてことを思い出してしまう。彼女の存在は、日常の奥深くにまで入り込んでいる。ペパーは自分自身に呆れ果てていた。
気晴らしの済んだぺパーが両手に食材の入った袋を抱えて、寮へと戻ろうと足を向けたときのことだった。
視界の端に、見覚えのある姿を捉えた。ペパーは振り向き、そちらを凝視する。
テーブルシティは景観が整えられた栄えた町だ。食べ物や風船のワゴンが並び、写真映えする花壇もある。学生が多いため、アカデミーによって管理もされている。一見平和な町であるが、実はそうとも限らない。
高い建物に囲まれているため薄暗い路地が多く、道も入り組んでいる。駆け出しのポケモントレーナーも多いため、それを狙って悪どいことを考える連中が現れるのだ。
ペパーは、いやな予感がした。
太陽が天に昇るまっ昼間、目を凝らして闇を覗く。さっきまで彼の頭にこびりついて離れなかった彼女が、すぐそこにいるように見えた。しかも、もし見間違いでなければ誰か背の高い――おそらく大人の男が、抵抗する彼女の手を引いている。
ジムリーダーにまで気に入られている彼女だ。メディア露出はほかのチャンピオンランクのトレーナーに比べるとかなり多い方だろう。チャンピオンとして、ポケモントレーナーとしての憧れの存在以外の目で見られていたって、何ら不思議なことではない。
実際、ナンジャモの配信には『氏結婚してくれ』『氏の手持ちになりたいナ』だのと吐き気のするコメントまで並んでいた。コメントを真に受けるわけではないが、結構な数が見ている配信に出演しているのだ。妙なことをしでかしそうな連中に好かれている可能性だってある。
そしてはポケモンバトルはべらぼうに強いが、腕っぷしはからきしなのだ。ライドポケモンに共に跨った時、腕を回した腰はあまりにも細かった。
食材の入った袋を投げ捨てて、ペパーは走り出していた。
「おい待て!」
人影に怒鳴ると、それは驚いた様子で立ち止まる。声に気づいたがペパーの方を振り向いて、そのまま勢いで彼女の肩を抱き寄せた。
「コイツに何やってんだ!」
「えっ」
「え?」
左右を建物に囲まれ道幅の狭い路地では、妙に声が響いた。
勢い余ってペパーの胸に体をぶつけたが驚いて顔を上げる。砂利をこすったスニーカーが音を立てた。雲が動いて、路地にペパーの背後から光が差しこむ。彼は、の手を引いていた人物を睨んだ。はっきりと目にした顔は、存外端正であった。
その人物は腕を組み、ペパーを品定めするような目で見つめている。じとっとした、嫌な視線だ。「あー、そういうこと」と呟いて、唇が弧を描く。
ペパーのうなじを、汗が伝った。
「何やってるって、自分に関係あらへんやろ。ほっといてえな」
「関係ある! コイツに何かしようってんなら、オレが相手になるぜ」
ペパーはを抱き寄せる力を強めた。一気に体の距離が近づき、の頬がペパーのジャケットにぴったりと付くほどだった。
少しでも隙を見せればすべて持っていかれてしまいそうなほどの緊張感の中、何か言おうとするにペパーは小さく「オマエは静かにしてろ」と囁く。
相手が何者かなんてわからない。それでも、引くわけにはいかなかった。もしここで手を放したら、かつての家族のようにもう二度と会えないかもしれない。大袈裟ながら、そんな考えさえ浮かんでいた。
「へー。そこまで言うならよっぽどやな。自分、じゃあなんなん?」
「え?」
「の何なん? て聞いてんねん。カレシ?」
相対した人物はにやにやと笑うと、壁に肩を預けて尋ねた。ペパーはその質問に、返事を詰まらせる。
――彼氏? オレとコイツはそんな仲じゃない。でも、それ以上の友情で結ばれてる。
――いや、そうじゃない。オレは、コイツのことを……。
「カレシとかじゃねえけど、コイツはオレにとって恩人で、大事な……宝物なんだよ! だから妙なマネをするってんなら、オレがオマエを許さない。」
「へー……。そお。宝物、ね」
緊迫した空気の中、静まり返った路地裏にくっくっく、と笑い声が響く。ぺパーが訝しんで眉を顰めると、その空気を断ち切ったのはの声だった。
「ちょちょ、ちょっと! チリちゃんさん……!!」
「あかん、ムリ……っくく、あっはっは! 自分よぉやるなあ!」
「……は?」
笑い声は、ペパーと睨み合っていた人物のものだった。
『チリちゃんさん』と呼ばれたその人は、腹を抱えて大声をあげて笑い始めた。奇妙な光景だ。ペパーは理解ができずに、マメパトが豆鉄砲を食ったような顔をした。
腕の中にいるを見下ろせば、顔を真っ赤にして慌てている。
「なあ、。もしかしてこの人……知り合いかよ?」
「……この人はポケモンリーグの四天王で」
「ひー、おもろ。ごめんなぁ、からかって。チリちゃんで~す、どうぞよろしゅう」
チリは先ほどまでの剣呑な空気が嘘のように、柔和な笑みを浮かべた。ニコニコひらひらと手を振る姿に、敵対心は見えない。
話についていけないという様子のペパーに、が「えっとね」と事の顛末を説明する。そもそも彼女は女性で、怪しい男にどこかへ連れ込まれそうになった、というのはペパーの誤解だ。ただチリがテーブルシティの隠れ家的カフェにを食事に誘っただけ、ということが話を聞いて分かった。
「なんだよ……。こっちがどれだけ心配したと思って」
「ホンマごめんなぁ。ややこしいことしてもーて」
軽薄な口調ではあるが、の言うことは間違いないのだろう。チリはわざわざ四天王である証明を見せて、ペパーに改めて謝罪をした。「アカデミー通ってんのに知られてへんとは思わんかったわ」と冗談交じりにショックを受けたような素振りを見せられて、ペパーは黙り込んだ。あれだけ勇猛果敢に突っかかっておいて、実は授業もまともに受けてない上にバトルも苦手です、なんて言えるはずがない。
「ん? じゃあなんではあんなイヤがるみてーなことしてたんだよ?」
「えっ、それは、その……」
がぎょっとして、何か誤魔化すように視線を動かした。
ペパーが荷物を捨てて飛び出したのは、彼女が嫌がっているように見えたからだ。薄暗い中であったが、見間違いとは思えない。
知り合いというのは嘘でないにしろ、何か事情があるんじゃないか。訝しんだペパーが再びチリを睨むと、彼女はそれを意に介さず、今度はへにやにやした笑みを向けた。
「え~。、チリちゃんとゴハン行くんイヤやった? ヘコむわぁ」
「違っ! えっと、あの……その。渋ってたのは、チリちゃんさんが……」
普段さっぱりとした口調のが、珍しく口篭る。
「コイツが?」
「カッコよすぎるから、二人でご飯とか緊張してしまって……」
ムリです、と続いた言葉は、消え入りそうなほどに小さい。
顔から湯気でも吹き出しそうな勢いで、は赤面して俯いた。それを見たチリが「ほんまかわええなあ」と彼女の肩を撫でる。
確かにチリは、素性を知らなければ女にモテる男のような容姿をしている。男のペパーから見たって、手足が長くてスタイルがよく、睨まれれば冷や汗をかくほどに整った顔立ちだ。言わんとしていることは理解ができる。
ペパーは目をマッギョみたいにして、チリとの間で視線を彷徨わせた。「コイツにメロメロちゃんだったからってことかよ」とペパーが呟くと、が縦に激しく頷いた。
つまり、すべてペパーの早とちりであったということだ。彼は脱力して、膝から崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。
チリは「めっちゃええもん見れたわ。青春やなあ」とケラケラ笑い、は恥ずかしそうに顔を覆っている。
「ほなそういうワケやから、ごめんけど『大事な宝物』借りていくわな。心配せんでも傷一つつけへんと返したるから」
「なっ!」
今度はペパーが顔を赤らめる番だった。
先ほどの発言を掘り返されて、ペパーは頭を抱える。勢い任せに、とんでもなく恥ずかしい言葉を彼女の前で並べてしまったのだ。それも、勘違いで。
「あ、返したるいうても自分のじゃないんやったっけ。間違えたわ」
「う、うるせー!!」
「あっはっは、ほなね。いこか、」
「はい……」
わざとらしくの肩を抱いたチリが、彼女を連れてひらひらと手を振り路地の奥へ消えていく。ペパーはそれを何もできないまま見送るほかなく、その場には彼一人が残ることとなった。
荷物を拾い集めて寮へ戻り、ペパーはそうしてようやく気付くのである。
自分の本当の気持ちと、強大すぎるライバルの存在に。
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