Sink

カッコいい彼氏ぶる真経津の話

「はいこれ! プレゼント」
「はい?」
 の恋人であるところの真経津晨が突然、大きい紙袋を抱えて差し出してきた。
 実年齢よりずっと幼く見える笑みは無邪気でかわいらしいが、その手に持っているものへ視線を移すと決してそんな感想を抱けなくなる。誰でも名前くらいは聞いたことのある——むしろ、手が出せないから名前しか聞いたことがないような超有名ハイブランドのロゴがどどんと印字されていた。フリマアプリで外箱や紙袋だけでもそこそこの値段で取引されているような代物である。
 ゴロゴロと勝手知ったる真経津家で寛いでいたは、押し付けられるがままにその紙袋を受け取る。上から中を覗き込むと、紙袋と同じくブランドのシンボルカラーの紙箱が入っている。そちらも言うまでもなく大きい。
「ねぇ、開けてみて!」
「う、うん」
 真経津に急かされるがままに包装を丁寧に解いていく。すでには嫌な予感でいっぱいだった。
 紙袋から紙箱を取り出し、紙箱を開ける。その中にさらにブランドロゴの入った袋が入っており、は震える手で袋の中から“それ”を取り出した。
「わー……す、すっごい」
「でしょ? 買うの苦労したんだー」
 富の象徴と言っても過言ではない高級ブランドバッグだ。上品な皮の光沢が、私は只者ではないですよとバッグ自身が主張しているように見える。少なくとも、お値段ざっとコンマが二つはつくやつ。おまけに同じブランドのスカーフまで持ち手に巻かれている。
「欲しいって言ってたの、これであってるよね?」
「ウ、ウン、ありがとー……」
 顔を引き攣らせ青白くしたに反して、真経津は褒めて褒めてと留守番を果たした飼い犬のような顔をしている。
 このバッグをが欲しいと口にしたのは事実だ。しかしそれは仕事終わりの泥酔状態のことであり、ライバルであり同僚の女性に「太客から買ってもらったんだ」と同ブランドのバッグをしつこく自慢された後のことだった。
 別にブランド物で他人にマウントを取ろうとするほど虚栄心は強くない。けれどまぁ、その時は酔っていた。酔ってたし、むしゃくしゃしていた。
 だから真経津が気まぐれに雑談で「ちゃんって今なんか欲しいものあるのー?」と聞いてきたから、同じブランドのもっと値の張るヤツをスマホに表示させて見せたのである。ほんの一瞬だけ。まさかそれを覚えているどころか、本気にされるとも思っていなかった。
 彼は冗談が通じないんじゃない。冗談とわかっていて、恋人位置にいる女性を驚かせるためにこのぐらいポンと買ってのけるのだ。
 真経津はの前で時々“かっこいい彼氏ごっこ”を始める。これもその延長線なのだろう。彼にとっては数百万円するバッグもおままごとの小道具の一つでしかないのだ。
 は彼の住むタワーマンションの高層階の家賃を知っている。コンシェルジュもついててありとあらゆるVIPなサービスも受けられる富裕層向けの素敵なお部屋。だから別段、彼が数百万の買い物をなんの気無しにしてしまえることには全く驚きはしない。
 ただこのバッグは、それだけではない。そもそも国内に在庫があることが稀で、取り寄せたくても一般人がお店に入ってお願いしたってできやしない。お得意様になって初めて通るものなのである。ただ金を余るほど持っているだけでは手に入れられないはずだ。
 加えて、この男の場合金の出どころが全くわからない。働いている様子もなく、時々どこかへ出掛けて怪我をして帰ってはくるけれど、それ以外は日がな一日遊んでいる。
 友達を呼んたりとデートしたり、銀行員だという謎のスーツの男を付き合わせてごっこ遊びをしていたり。そうして日々をたのしく生きている。
 そういった理由があって、の前にある超高級ブランドバッグは恋人からの素敵なプレゼントではなく呪物に見えていた。
「あれ? 気に入らなかった?」
「ううん、すっごくうれしー……」
 は力無い声で喜んで見せた。誰がどう見たって引いている顔つきで。
 金を稼ぎキラキラした生活を手に入れたって、は生まれも育ちも一般庶民だ。出所のわからない金で謎ルートで手に入れた超高級バッグを喜べるほど、肝は据わっていない。
 バッグを掴む震えるの手に、真経津が手を重ねた。長い爪の、しなやかな指がの指のはざまへと入り込む。
「普通にお店に行っても買えないんだね。獅子神さんに色々相談して、取り寄せてもらったんだー」
「へ、へー……」
「このスカーフもね、獅子神さんがつけた方がいいって。ハンドル部分が汚れないように」
 とりあえず目下一つの疑問であるルートについては納得が行った。
 獅子神とは、真経津の友人の謎金持ち連中のなかで、一番わかりやすい金持ちらしい身形の男だ。筋トレが趣味でいい服を着ている。それならまぁ、納得がいく。少なくともある程度正規に近いルートを踏んでいるのだな、ということが想像できた。それだけ、獅子神という男はにとって信用に足る人物だった。
「どう? 持ってみてよ」
 言われるがままに抱えていたバッグを手に持ち、立たされる。真経津はから距離を取り全身が見える位置に移動すると、つま先からつむじまでまじまじと眺めた。まるで検分でもされているかのようだ。
 真経津は満足気に「やっぱり似合ってるね。スカーフもボクのリボンとお揃いの色にしたんだ」と自身のボウタイを摘みながら言った。まだ恐怖心が勝るを差し置いて、送り主はお気に召したようだった。
「晨。その……ありがとう。びっくりしたけど、これはありがたく受け取るね」
「よかったー。ちゃんに受け取ってもらえなかったら、何の意味もないからね」
 真経津はすぐ近くにあったカウンターチェアに腰掛け、遊園地のコーヒーカップのアトラクションみたいにくるりと座面ごと回った。
 二、三回転したあと、真経津は指先でを呼び寄せる。彼女は言われた通り近づいてバッグをカウンターテーブルに置いた。
「プレゼントってあんまりしたことなかったけど、いいものだね」
「嬉しかったけど、私はもういいから。獅子神さんとかになんかあげなよ。世話になったんでしょ」
「えー、どうしようかなあ」
 けらけら笑いながら真経津がさらにくるくると椅子を回して、と向き合うようにしてぴたりと止まった。真経津の手がの腕に触れる。デートの終わりを名残惜しむかわいいカノジョみたいな柔らかな手つきだ。彼は立ったままの彼女を見上げて、何かを求めるように目を閉じた。
 はそれに応じて、真経津に唇を寄せる。ちゅ、と軽いリップ音を立てて、重なるだけの幼い口付けをした。繰り返していると真経津の薄い唇が開くので、は従って舌を差し入れた。
 が主導権を握っていたはずの口付けはいつしか真経津に支配されていく。彼に肩に手を置いて体重を預けていたの腰を、真経津の手が撫でた。真経津が膝をの足の間に割って入れて、力の抜けた彼女を真経津の太ももに跨らせる。
ちゃん、ベッド行こうよ」
 完全に真経津に身を委ねたを見上げて、真経津の唇が弧を描く。さっきまでカワイイ顔をしていたはずなのに、もうすっかり妖艶な雄の笑みを浮かべていた。長いまつ毛が顔に影を下ろして、心の奥が見透せない。彼のペースに流されたは、頬を赤くしてこくりと頷いた。


 明朝——を、通り越して昼を過ぎた頃。
 の体が気怠さの上に空腹まで訴え始めたので、渋々目を覚ました。
 腰と下腹部が痛い。無理な体勢でまぐわった結果が顕著に出ていた。
 おまけに最中、やたらと愛の言葉を囁くよう要求されたので喉が痛い。いついなくなるかわからない根無草の恋人に好きだの愛しているだのを言うのは、苦しくて虚しくて気持ちが良かった。
 がこんな気持ちになるのを分かっていて、真経津はきっとそうしている。高価なプレゼントも空虚な睦言も、その瞬間を楽しく気持ち良くするためだけのものだ。
 隣に眠っていたはずの恋人はいつの間にかおらず、ドアの向こうからは談笑の声が聞こえる。きっと、なかなかが起きてこないから友人たちを呼び出したのだろう。真経津の友人はほとんどが金を持て余した自由業のため、有体に言えば暇人揃いである。無茶苦茶な呼び出しにも割と応じるのであった。
 耳を澄ませると、彼らは例のプレゼントについて話しているようだった。呼び出された友人の一人に獅子神がいるため、報告しているのだろう。がこっそりと耳を側立てていると、別の友人である叶が「そういえばさ」と話の舵を切った。
シンくんってちゃんのどこが好きなんだ?」
 の心臓がドキリと高鳴った。が恐ろしくてとても聞けないことを、かの友人たちは平気で尋ねてみせる。当事者ではないからできることなのだろうが。
「えー、可愛いとこかなあ」
「なんだそれ」
「全部かわいいよ」
 かわいいってなんなんだ。かわいくなかったら好きじゃなくなるのか? どこからどこまでが可愛いんだ。例えば、寝起きで機嫌と人相の悪い時は可愛くないのか? 泥酔して人の形を保てていない時は? 
 はうるさい心臓を抑えるように胸を撫でた。
「どんなとこがかわいーって?」
「んー、例えば」
 例えば?——は耳を大きくする。扉にピッタリと張り付いて、その冷たさが体に映って眠気は完全に覚めてしまった。続きの言葉をどきどきしながら待っていた。
「今も頑張って聞き耳立ててるところかな」
「!」
「起きたなら顔洗ってきなよ。パンあるよー」
 扉一枚向こうを見透かしたように、真経津は言った。はばくばく騒がしい心臓を携えて、恐る恐る扉の向こうにスッピンの顔を半分だけ覗かせる。いつもの仲良しのお友達のうち、医者の彼以外が揃っていた。近場の美味しいパン屋さんの紙袋から、たくさんのパンが覗いている。
「……おはようございます」
「おはよー」
 叶がニタニタと笑って、天堂は口いっぱいにフランスパンを詰めたまま長いまつ毛をはためかせた。獅子神がひょいと片手を上げる。一人気まずそうなだけが、その場に取り残されたような心地だった。


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