喧嘩した後のエッチが気持ちいいって本当なんだね!
「晨のバカ! もう知らない!」
どこぞのアニメ映画みたいな言葉を叩きつけ、相手のリアクションも見ずには部屋を飛び出した。
都内超高層マンション34階、富裕層向け住居であるそこは防音性に優れており、多少騒いだところで近所迷惑にはなり得ない。
がカツカツと早足でエレベーターホールへ向かいくだりボタンを押せば、彼女を迎えに来たかのようにすぐに扉が開いた。少しくらい待たせてくれれば、もしかしたら彼が追いかけてきたかもしれないのに。そんな妄想を振り払うように、はエレベーターに乗り込む。それが現実になり得ないと知っているから、尚のこと虚しかった。
瞬間湯沸かし器のように勢いよく沸点に達した怒りは、エレベーターが降下するのと同じようにあっという間に冷えていった。
傷ひとつない真っ白な壁が、そう怒ることじゃないと彼女を責めているように見える。静音性に優れたエレベーターはごく小さな機械音がわずかに響くばかりで、彼女の心臓が鼓動する音を際立たせていた。
——ああなんで、なんでこんな怒り方しちゃったんだろう。
モニタに映る階層を示す数字が小さくなっていくたび、彼女の膨れ上がった怒りは存在感を失っていく。まるで最初から怒っていなかったみたいに——もしくは、その瞬間“怒らされたかのように”、地上に着く頃にはは冷静さを取り戻しつつあった。
そうして、深く後悔するのである。やってしまった、と。
と件の喧嘩の相手である真経津晨の関係性は、ひどく曖昧なものだ。
彼女は真経津をセックスフレンドと認識しているが、真経津は友人に恋人だと彼女を紹介する。これは真経津がに一方的に好意を抱いていて勘違いしている……というわけではない。真経津晨という男の異常性に起因する認識のズレが起きていた。
むしろ、は真経津に恋心を抱いている。顔がカッコよくて頭が良くてお金を持ってて甘え上手でいい匂いがするし、何より“面白い”から。
けれど、彼のことを何も知らない。名前、誕生日、年齢、住所、好きな食べ物、嫌いな食べ物、趣味——彼女の目の前にいる時の真経津のことは大抵答えられるけれど、そうでない時のことは何ひとつわからない。
仕事をしている様子はないのに二十二歳という若さで莫大な富を手にしている。いつだって暇そうにしているくせに時々音信不通になり、やっと連絡がついたかと思えばとんでもない怪我を負っている。
何度理由を聞いても「遊んでたら怪我しちゃった」としか言わないものだから、は尋ねるのをやめた。一度聞いて答えないことを何度質問しても同じだ。
真経津の友人たちは事情を知っているそぶりがあったが、彼らも同じく口を閉ざしていた。決して善人ではないものの、に無駄なイジワルをする連中ではない。本当に知るべきことならば、教えてくれそうなものだった。
自身にだって、彼らに言えないことがたくさんある。堂々と胸を張れるような清く正しい人生を送ってはいないし、自伝を出しても書けないことばかりだ。
だから詮索しない。深追いしない。
真経津がいつどこでどんな怪我をしようと倒れようと入院しようと体のどこかが欠けようとも——たとえ命を落とそうとも、には関係ない。
そんな相手をは恋人とは呼びたくなかった。
お互いに一緒にいて楽しいから、遊んでいて気が合うから、話していて面白いから、体の相性が良いから、こうしてずるずる関係を続けている。どちらかが飽きて連絡を返さなくなれば、ぱったりと途絶えてしまうに違いない。
それなのに、は衝動に任せて真経津を怒鳴りつけて部屋を飛び出してきてしまった。
普段なら全く気にも留めない真経津のワガママが気に入らなくて、イライラが抑えられなかった。
——私が今ここで本気で怒って出て行ってもどうでもいいと思っているくせに。
そんな考えがすこしでも浮かんでしまったら、そこからはあっという間。滑り落ちるように一直線だった。
マンションのエントランスを出ると、夜風がの素足をくすぐった。日中は暑いくらいだったのに、日が落ちると寒さが身に染みる。
はバッグからスマホを取り出し、耳に当てた。
「もしもし獅子神さん? いま暇? 暇でしょ? 晨のマンションまで来て。駐車場じゃなくて前の方。早く」
来るんじゃなかった、と獅子神敬一は自らの行いを後悔する。何度瞬きしても変わらない目の前の光景に、ため息をついた。
友人の恋人がただならぬ様子で電話をかけてきたものだから急いで指定された場所まで車を回せば、彼女は涙を堪えた顔で獅子神を待っていた。
「お酒飲めるとこ連れてって」
そう言われ「オレ今車なんだけど」という言葉を飲み込み、顔見知りがやっているこの店に入ったのが二時間前のこと。
一杯目を一気に煽り、はことの顛末を話した。最初は獅子神も真面目に聞いていたものの、ある程度話しているうちにの話はループに入り、もうずっと同じ話ばかりを聞かされている。
なんでこんな痴話喧嘩に付き合わされなきゃいけねェんだよ! と思っても、そう叩きつけて帰れはしないのが獅子神という男だった。
義理人情に筋肉を着せたら彼という男ができあがるようになっている。だからこそこうして都合よく呼びつけられてしまっているわけだが。
がぽろぽろこぼす愚痴を聞き流しながら、獅子神はナッツをつまみ時々炭酸水で喉を潤す。繰り返し聞かされて、そろそろ暗唱ができそうだ。
酒を飲めれば多少マシなのかもしれないが、車で来ているのでそういうわけにもいかない。愚痴の内容にまともに付き合おうとすればうっかり口を滑らせて“機密事項”に触れてしまいかねないから、建設的な話もできない。後にも先にも進めない地獄だった。
「あー、なんだ。アイツはそんなこと気にするようなヤツじゃねーだろ。一日経ったら怒鳴られたことなんて忘れて連絡してくるって」
「してこなかったらどうすんの。獅子神さんが責任取ってくれるの。もうブロックされてるかもしんないじゃん。マンション行ったら警備の人につまみだされるかもしんないじゃん。そしたらどーすんの!」
「めん……っどくせェ……」
「だいたい自分だってなんも言わないくせにさぁ〜! 怪我して世話させるのはいいよ? せめて理由を言えよ! どうやったら凍傷と火傷同時に負うんだよ!」
「………………………………………」
「獅子神さんも無視するーーッッ!」
「うるせーーーッッッ」
始終こんな調子だったので、獅子神は早々に作戦を変えた。この女はほとんど怪獣みたいなものだ。さっさと寝かせたほうがいい。
バーのマスターに合図し、潰したいからそれ用の酒を出してくれと伝える。しかし何を誤解したのか、紳士的なちょび髭のマスターは小さく首を横に振った。完全に、友達の彼女を酒で潰して寝取ろうとしている下衆を見る目をしている。
獅子神はどうにかこうにかマスターの誤解を解き地に落ちた信頼を取り戻し、を静かにさせることに成功したのであった。
頭を殴られたかのような強い痛みには目を覚ました。
あたたかい日差しが差し込み、清潔なシーツを照らしている。豊かな暮らしを象徴する明るい寝室には見覚えがあった。超高層マンション34階、真経津晨の自宅である。
「いやなんで?」
頭痛に頭を抑えながら上半身を起こすと、隣で真経津が身じろぎをする。
なんで一緒に寝てるんだ。っていうか、どうやってここまで来たんだっけ?
必死に思い出そうと布団の皺と睨めっこしていると、真経津が掠れた声でを呼んだ。
「ん……ちゃん、早起きだね……」
「え?」
に背を向けて丸くなっていた真経津が寝返りを打つ。長いまつ毛が影を落として、ただでさえ美しい顔はさながら芸術品だ。レースを重ねたかのような繊細な印影が、まばたきのたびに揺れている。
「今何時?」
「えっと……十時」
「えー……もうちょっと寝ようよ……」
シルクのパジャマを纏った真経津の腕がの体に絡みついた。微睡んだ体温がを再び布団へと引き摺り込む。気づけば上半身を両腕、下半身には足を絡められて身動きが取れないまま横になっていた。
のうなじのあたりで、子犬のような息遣いが聞こえる。真経津は完全に彼女を抱き枕にして寝入ってしまったようだった。
は疑問符を頭に浮かべたまんま、されるがままになっている。頭も痛かったものだから無理に逆らうこともせず、そうしているうちに再び意識を手放していた。
次に目を覚ましたとき、もうとっくに日はてっぺんを通り過ぎていた。
頭痛は多少マシになったが、今はひどく喉が渇く。ベッドサイドの小さい冷蔵庫から水を取り出して喉へ流し込めば、思いの外体は水分を求めていたのかペットボトルは一気に半分ほど空いた。
「ちゃん、お腹すいた」
「あー……なんか頼もうか……」
先に起きてゴロゴロしていたらしい様子の真経津が転がりながら甘えた声を出した。は少し寝ぼけたまま、スマホを手に取り宅配アプリを開く。
料理を選ぶページを開いたところで真経津が顔を寄せて画面を覗き込んできたものだから、そこでようやくは違和感に気づいた。
「あっ! いまチーズバーガーキャンペーンやってるんだって」
「いやいやいやいやいやいや」
「えっ、なに? ちゃん、まだお腹すいてない? ボクもうぺこぺこ」
「……そうじゃなくて」
昨日喧嘩してたじゃん。呑気に宅配頼んでる場合じゃないじゃん。
そう口にするのが馬鹿らしいくらいに、真経津はいつも通りだった。怒鳴ったことも出て行ったこともなかったみたいに、当たり前に。
そもそも、この部屋で一緒に寝ているのだっておかしい。き顔でスマホを覗きたがる真経津からそれを遠ざけて、ヘッドボードに置いた。
「あー、えっと……私、昨日どうやって……ここ来たんだっけ」
帰ってきた、という言い回しを避けたばかりに生まれた間を気にもせず、真経津はきょとんとした顔で答える。
「どうやってって、獅子神さんが連れて帰ってきたんでしょ? ベロベロになっちゃったからって」
「へ、へー……」
は頬が引き攣るのを感じた。
そうじゃん。獅子神さん呼び出したんじゃん。自分でしてしまったことでさえ完全に頭から抜けてしまっていた。
マンションを出たはいいものの思いのほか外が寒くって、一人でタクシー呼んで帰るのが嫌で、無理矢理呼び出したんだった。彼の知人がやってるバーに連れて行ってもらって——愚痴りながらしこたま酒を飲んだことを、たった今思い出した。
——ヤバい。めっちゃ申し訳ないことしちゃった気がする。
一つ思い出すと数珠繋ぎのように少しずつ昨日のやらかしが頭の中を巡り始める。勢い余って無関係な人間に迷惑をかけたこと対する後悔で心臓の居心地が悪くなった。
「獅子神さん怒ってたよ。喧嘩するのはいいけどオレを巻き込むな! だってさ」
「………………それは、申し訳ないと思ってます」
「ボクもお説教されちゃったー」
「えっ……なんて?」
「んー? なんだろうね?」
全く気に留めていない様子の真経津が質問を雑にはぐらかし、今度は何か言いたげにの顔を見た。細められた瞼の奥で、ちらちらと瞳が揺れている。
「ねぇ、ちゃん。喧嘩して他の男のところにいくのはズルくない?」
「ズルって……」
——この男は何を言っているんだ?
試すような口調で、真経津がらしくないことを口にする。間違いなく、何かを企んでいた。
獅子神の説教の内容は知らないが、この顔を見るに少しも懲りていない様子だ。は身の危険を感じ、少し真経津から距離を取ろうとする。しかし動き出した時にはもう遅く、真経津が一手先を上回った。
「獅子神さんだから連れてきてくれたけど、他の人だったらどうなってただろうね?」
「きゃっ」
突然体が転がされたかと思うと、は仰向けになっていた。真経津の体が覆い被さり、彼女の視界を覆う。
いつもの子供みたいな様子はどこへやら、真経津は捕食者のような顔でを見下ろした。鋭い眼光と持ち上がった口角が歪で、目を逸せなくなる。
「な、何するの」
「何って……んー、確認? あと分かってないみたいだから、教えてあげようと思って」
「分かってないって、なんの話」
真経津の指先がの頬をなぞる。恋人同士の戯れみたいなやさしい動きでありながら、それは捕食者が餌を弄ぶようでもあった。
の皮膚を指の腹が滑り、唇に触れる。そのまま粘膜の内側に入り込み、歯を撫でた。
「別にボク、ちゃんのことどうでもいいって思ってないよ」
「……!」
「……面白いから言わなくてもいいかなって思ってたけど、さすがに妬けちゃうなあ」
甘い息をたっぷりと混ぜた声で真経津が囁く。言葉を一音聞くごとに、の心臓がどくんと大きく跳ねた。
昨日飲み込んだ言葉を見透かしたように、真経津はの体を撫でながらぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。彼女が何を言われたいか、どうされたいか、全てを理解していた。
その一方で、の頭は混乱を極めていた。真経津はこんな浅ましい束縛や執着をする男ではない。
じゃあなんでこんなことを? 喜ばせてつけあがらせて弄ぶために? それって結局——
様々な考えが頭をもたげ、泡のように消えていく。
「んん、ッ……」
口付けられ、指で翻弄された口内に舌が差し込まれた。ざらざらした舌同士が触れ合って唾液が絡まる。舌先をちゅうと吸われると、下腹が震えた。
良くない流れだ、これは。が抵抗しようと真経津の胸を押したが、びくともしなかった。それどころかその手を掴むと、指を絡めてベッドに縫い留めてしまう。器用にもう片方の手での服を弄り、胸元を露わにさせた。
「下着は昨日のままなんだね」
からかい混じりの口調のその言葉には羞恥に駆られた。豊かな胸が下着ごと真経津の手によって形を変える。
「ボク、ちゃんのおっぱい好きだなー。脱がせていいよね?」
返事をする前に真経津は器用にホックを外し、首元にブラを押しやった。少し立ち上がった先端を指先でくすぐると、の喉から息が漏れる。舌先で突いて転がしてからちゅうと強く吸うと、ベッドの上で腰がうねった。
「んんぅっ…!」
「気持ちいい?」
声を抑えながらこくこくと必死に頷くを、真経津は満足げに見下ろした。舌で胸を愛撫しながら薄い腹を撫でて、そのまま下半身へと手を滑らせる。
性急な始まり方に混乱していたはずなのに、気がつけばの体はもうそのつもりになっていた。
内腿に触れるとびくびくと力が入って震える。中指の腹で肌をなぞり、下着越しに溝を擦ればわずかに湿り気を帯びていた。
「ちょっと濡れてる。脱がせるね」
言葉で確認を取るくせに了承も聞かず、真経津はの下着を下ろした。太ももを腹につくように持ち上げ、足を開かせる。あられもない格好をさせられたは、両腕で隠しながら顔を背けた。
「隠さないでよ」
「やだっ」
「えー、見たいのに」
真経津がの顔を覗き込み、口を尖らせる。イヤイヤと首を振れば渋々納得したのか、無理に腕を掴まれることはなかった。
代わりに愛液を纏わせた指でクリトリスを捏ね、剥き出しになったそこを遠慮なく刺激する。
「んっ、うっ、んう゛っっ」
「アハハ、やらしい声ー。もっと出してよ」
「んむ゛ぅう、ぅうっ……!」
下唇を噛みながら懸命に声を抑え首を振るを、真経津は嘲笑する。その間も手の動きは休めず、知り尽くした彼女の体の弱点を甚振った。左右にクリトリスを弾けば腰がベッドから浮き、ガクガクと震えている。
「ねぇ、獅子神さんの前で潰れてこういうことされるかもって考えなかったの?」
「ッッ……、えッ、」
「だから、こうやって」
「ひゃんっっ」
真経津の指先が強く突起を潰すと、一際大きい声では喘いだ。絶頂に達したのか、爪先を丸めてシーツを掻いている。快楽からか真経津の言葉を理解できない様子で、はふはふと口を開閉した。
「わからないなんて言わないよね? ボクがちゃんのことどうでもいいと思ってるって勘違いしてたから、ヤキモチ妬かせたくなっちゃった? いじわるなことするね」
「ち、ちが……」
「えー違うの? だったらもっとタチ悪いなぁ」
くちゅちゅ、と卑猥な水音を立てて真経津の中指がの膣内に入り込む。内壁への刺激を待ち侘びていたかのように、ナカがきゅっと指を締め付けた。
「っ、あっ、あ」
「わー……すごいね。もう入れたくなっちゃった」
真経津が下着ごとボトムを下ろし、立ち上がった性器を露出させた。
はとろけた顔のまま手を伸ばし、固く勃起したそれを軽く握り上下にしごく。ぼんやりと無意識のようにしているそれを真経津は愛おしげに見下ろしていた。
「ちゃん、入れていいー?」
潤んだ瞳で頷く彼女のナカに、真経津は一気に性器を挿入する。太ももがの胸を潰す程に持ち上げられ、真経津の根元との入り口がピッタリとくっつくほどに深く繋がった。
「あー……気持ちいいね、気持ちいい? ちゃん」
「っ、んッ……!」
答えるまでもなく与えられる快楽に溺れたを、真経津は満足そうに見つめた。唇を舐め、ちゅちゅ、と音を立てて口付ける。
ゆっくりとぱちゅ、ぱちゅ、と水音を立てながら緩く腰を動かし、漣のような快感を味わった。
「でもちゃんはこれじゃ物足りないよね。……もーっと気持ちよくしてあげるね」
「ッッッ!?」
どちゅ! と真経津が膣の最奥を激しく叩いた。強い刺激に声にならない悲鳴が漏れ、は小さく絶頂する。だらしなく開いた口元から覗いた舌先がぴくぴくと痙攣していた。
「ちゃん、ほんと、ここ……好きだねー」
「あ゛っ、奥っ、ぅ……う゛っ、」
「うん、……いっぱいしてあげるね」
奥を突かれるたびに、は頭がバカになっていく。目の前の快楽のこと以外考えられない。気持ちいい。今死んだっていい。好き。
とろとろと溶けた瞳で、目の前の男に腕を伸ばす。真経津の首の後ろに回して抱き寄せると、それに応えるように真経津が唇を寄せた。
「しん、ッ、あっ……好き、すきっ」
「んー? っ、かわいいね、ボクも好きだよ」
——あれ、そういえば私、晨に好きとか言ったことあったっけ?
底も素性も知れないこの男が好きで、いついなくなってもおかしくない地に足ついてない様子が好きなのにそれがもどかしくて、手に入れてしまえばきっと自分がこの男に興味をなくすのはわかっているけどそれでも悔しい。矛盾した感情を自分の中で消化できないまま、変なプライドが邪魔をして避けていた言葉が無意識に口をついて出る。
あぁでも、もういいや。
もう深く考えられない。暴力的な快感による幸福感に身を委ね、溺れていく。
こんな時ですら真経津の顔はたからものみたいに整っていて、限界が近いのか苦しそうに眉を顰めていても様になっていた。
「もうイきそう、かも……」
「あッ、ん、しんっっ」
「ちゃん、ん? うん、好きだよ、ふふ、かわいいねー……」
真経津は顔をの首筋に埋め、すんと息を吸った。射精が近いのか、腰の動きがより激しくなる。は彼の腰に足を絡めながら、ほどなくして緩慢になった腰の動きと共に射精を感じていた。
「はー! 気持ちよかったぁー!」
「……………………」
「運動したらお腹すいたねー」
まるでひとっ風呂浴びたかのような爽快感のある声で、真経津はベッドの上に大の字に寝転がった。
情緒など微塵もありはしない。さっきまでの甘い空気はどこへやら。はげんなりしながら、まだ余韻でわずかに熱の残る腰を冷たいシーツで冷ましていた。
ベッドの隅にいるを真経津が手招きする。がおずおずとにじりよると、真経津は上半身を一気に起こして器用に口付けた。
驚いた彼女の顔を見て、「かわいー」といたずらに成功した子供の声で笑う。
喧嘩なんてしていなかったみたいに——最中の意味深な言葉さえ嘘だったかのようないつも通りの様子の真経津に、は毒気が抜かれてしまっていた。
朧げな記憶の中、思い出したことがある。
獅子神は繰り返し「アイツはそんなこと気にするようなヤツじゃない」と言っていた。きっとあれはその場限りの慰めでもなく、獅子神の本心だったのだろう。短い付き合いではあるが、の知らない真経津を獅子神はよく知っている。
極端なまでの快楽至上主義者で、楽しければなんだっていい。つまり、と過ごす時間が楽しければ、多少癇癪を起こしたとて気にもとめない。
自分が真経津のそばを居心地良いと感じているならば向こうだってそうかもしれない。確かな契りがなくとも、こうして今隣にいるのがその証明だ。幸い彼は、楽しいことに嘘をついたりしないから。
刹那的なものだったとしても、その瞬間がいつか命が終えるまで続けば永遠と呼べるのかもしれない。はそう結論付けた。
数日後。
獅子神は真経津家を訪れていた。道中村雨を車で拾い、手土産を持って慣れた三十四階へ降り立った。
天堂と叶は先に着いていると連絡があり、腹が減ったから早く来いとメッセージアプリで暴れている。このままでは村雨と獅子神の分の食べ物がなくなってしまう。獅子神はいいとしても、存外食意地を張っているこの医者先生が黙っていない。
3403号室の部屋の前に到着し、家主が出迎えるのを待つこともなくドアを開いて上がり込んだ。
部屋の中では食べ物に手を伸ばそうとしている天堂を、乾杯が先だと叶が静止している。天堂は獅子神の手のケーキボックスを見るなり目を輝かせて、「神への貢物だな」と両手を広げた。
こうして、いつも通りの物騒な男たちによるファンシーなお菓子パーティーが始まった。
折を見て、獅子神は真経津に耳打ちした。
「そういえば……どうなったんだよ。この間の喧嘩」
「ふぇんふぁ?」
「食ってから喋れよ」
口いっぱいに食べ物を詰めた真経津がふにゃふにゃ喋るのに獅子神が眉を顰める。
先日無理矢理巻き込まれた友人の痴話喧嘩のその後について、獅子神は少しばかり気にかけていた。からは泥酔していたことについて長文の謝罪連絡が来ていたものの、結局どういう解決に至ったのかまでは聞いていない。
真経津は口内のものを飲み込んでから「ああ、あれね!」と人差し指を立てて笑った。
「ちゃんと仲直りしたよ」
「おー、そりゃよかった」
「喧嘩した後のエッチが気持ちいいって本当なんだね!」
「ブッッッッ」
真経津があっけらかんと言った言葉に、獅子神は傾けていたグラスの中身を全て吹き出した。
対面にいた天堂はその飛沫を浴びることとなり、先程までご機嫌にキャラメルシフォンケーキを堪能し微笑んでいたはずが、一転して憤怒の形相で青筋を立てる。
「こ・ン・のッッ……ボケがッッッ!!! 神に対して貴様!!! ブッ殺すぞ!!!!!」
「獅子神さんきたなーい」
「ッテメェのせいだろうが!!」
天堂が椅子をひっくり返し立ち上がる。人ごとのように唇を尖らせる真経津に獅子神が怒鳴った。面白いことが起きたと叶が目を輝かせている最中も、村雨の手はケーキに伸びている。
かくして、また獅子神の受難は続くようであった。
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